中2少女殺害
ぼたんの花、植えて5年が経つ、始めてこぼれるほどの花を着けてくれた
先日の秋葉からの帰り、男の子を連れた夫婦が乗って来て、座席に座っている私達夫婦の前に立った。早速男の子が空席のない車内を見回して父親の関心を引こうとして愚図った。腰を屈めた父親が子供に発した言葉に聞き耳をたてた。「子供は立つの」と言ったのだ。近頃稀少価値に値する親の躾の現場に出くわした。勿論私には自分の足で立てる子供に席を譲る気持ちはさらさら無い。しばらく観察していたが、当の子供は我慢強く父親の手に掴まったまま10分、15分が経過した。「やっぱり違うわね、2年生になると」今度は母親が夫に話し掛けた。ほのぼのと生き返ったような気になって見守った。
前がある、秋葉ではテレビでも見る話題の女の小間使い姿が路上で何人か目についた。「お帰りなさい、御主人さま」の気持ち悪い姿で店の宣伝をしている。私の世代ではとても入ることの不可能な店であり、聞く声さえ想像するだに薄ら寒くなる。どこまで日本は腐っていくのだろう。
そう言えば21日、岐阜県中津川の中2少女(13歳)の15歳少年による殺害事件が起こっている。マスコミは大騒ぎで報道したが、10日も経たない今日30日には、もう忘れ去られたように小さな記事でしか紙面を割かない。「直ちゃんは明るい性格で友だちが多かったのに」、同級生はショックを隠しきれず、近所の人たちは「なぜこんなことが・・・・」と頭を抱えている、と書き、「明るい性格」「友だちが多い子」だったと報道した。通っていた市立第2中学の校長は「まだ中学2年生、13歳ですよ。未来に可能性をいっぱい持っている。本人や保護者の気持ちを考えると憤りというか残念に・・・・」というと涙で言葉を続けられなくなった。
一方、同級生たちは、放課後、帰り道にカラオケやゲームセンターにいる彼女を見かけたり、中学に進学してからの彼女の様子の変化に気がついていたものもいた。これまでに分かった状況から、彼女は相手の男とは2、3年前から交際があった。男の方はこの街に引っ越してきてから3年が経っていた。交際の期間から判断ずると、2人は少年が街にやって来た頃からの知り合いになっていたことになる。彼女はまだ小学生だ。
15歳の少年とは言うが、街に引っ越して来て3年のうちに16歳の年上の女との間に2歳になる子供がいるという報道もある。倒産して空家になったパチンコ店は、彼ら、彼女らの日常の遊び場になっていた。亡くなった彼女もそこが小学生の頃からの遊び場ということになる。
同情の多い事件の中、これから書くことは厳しい意見になるが、書かねばならない。
もう飽きるほど書いて来たが、この事件も親の監督不行届き、責任放棄の結果としか考えられない。そしてここでもキーワードになるのは『携帯電話』だ。親と子が、顔見合わせてコミュニケーションを取ることもなく、電子機器から洩れてくる音の交信が頼りになる。顔を会わせることでお互いの微妙な変化を察知し、或いは心の変化を読み取ることで通わす感情など理解できるわけがない。男の親もそうだが、お襁褓がやっと取れたような幼い男女の夜遊びに、何の危機感も抱かないで放任していた結果がこうなったのだ。死んだ人間の悪口を言わないのが美徳(東條のような戦犯でさえ)とされる日本人、幼い子を悪く言うのは気が滅入るが、お互いに思春期にある男と女、女の方も学校帰りに夜まで道草をするような、道草の範囲を大きく逸脱した常識はずれの生活があったのだ。まして男はすでに15歳にして子まで成した常軌を逸した人間だ。少女は狼の餌食に捧げられたようなものだ。
如何に親が子育てを放棄しているか空恐ろしくなる事件が続く。校長が出て来て何を話しても参考になる意見は出るはずはない。どんなに優秀な校長でも全学児童の観察など全く不可能なことだ。同じように教師だってそうだ、生徒が学校にいる時間は知れたもの、たかだか7、8時間だろう。あとの時間は親の監督下に入ることを知らなければいけない。道草をしない子に育てるのは親、夜遊びをしない子に躾けるのも親、特に思春期の子を持つ親は『携帯電話』など持たせないで、お互いに顔を見てする会話を心掛け、起こってから嘆くようなことにならないよう、厳しく躾けるべきだ。
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