合祀から外し「家」の墓に
蓮華草
プランターで育て
待ちどおしかったが
やっと咲いてくれた
ひと昔、いや二昔の前までは、田んぼ一面に可憐な花を咲かせ、桃色の絨毯を敷き詰め、春を告げる景色を拡げていた。小さい子供の頃は花の上に寝転び、春の日射しを浴びて何時間も空を眺め、友だちどうしで移り変わる雲の形を指さしてはああだ、こうだと名付けて遊んだ。蓮華草は咲き終わった後はそのまま、後に植える稲の肥料になるため、どんなに踏みつぶしても、お百姓さんから叱られることもなかった。女の子たちが沢山摘んで蓮華の首飾りを拵えて、首に掛ける姿は今も昔も変わらない。
このところ民主党の党代表に小沢一郎が選ばれたことで、小泉ら数を驕ってぬるま湯に浸かっていた自民党の中にも強い警戒心が生まれて来た。民主党内での就任挨拶が終わるや、早くも小泉が「蛙の面に小便」のごとく、聞く耳持たずに行って来た靖国神社参拝問題を取り上げ、正面切ってA級戦犯の合祀の無資格性を口にした。小沢が云う「祭られる資格はない」というのは、中国や韓国との間にある軋轢からではなく、原則の問題であり、第二次世界大戦・大平洋戦争で「死ね」と号令した14人の人間が、その命令で戦場に駆り出され、国家のために戦死した兵たちと共に神として祭られることの間違いを指摘したに過ぎない。極東国際軍事裁判(通称は東京裁判)で重大戦争犯罪人としてA級(政府・軍部主脳)の犯罪を指摘された人間が、戦死者と合祀されることの間違いを指摘したものである。東京裁判を勝者の敗者を裁いた裁判として見るものもいるが、日本人が自国の法律で裁いたとしても、為政者たちの犯罪性は免れようはなく、妥当性のある判決であったと判断する。
私も、幾度もブログで触れて来た。小泉の靖国参拝の言い訳は、歴史を理解することもなく無視し、日本人の宗教心を頼りにした「こころの問題」と位置付けて“何が悪い”と嘯いて来た。また、神社側も「今さら一度神様になった者を」と一歩も引かない考えであるようだ。
そもそも熱し易く醒め易い日本人の性格は、喉元過ぎてしまえば飲まされた煮え湯の熱さもすぐにけろりと忘れ、雨霰と降った爆弾や焼夷弾の火から逃げまどったことも、肉親を殺され、恋人を奪われた戦争のことも忘れた。敗戦からたった7年が経過した1952(昭和27)年には4月28日発効の対日講和条約11条によって、引き続き刑に服さなければならない「戦犯」1224名への同情が起こり、最終的には4,000万人の署名が集まったとされる。
翌53(昭和28)年、「戦犯」の遺族にも年金・弔慰金・扶助料の支給が行われるようになり、受刑者本人への恩給も支給されるようになった。続いてA・B・C級の区別なく「戦犯」は国内法の犯罪者とは見なされず、恩給権の消滅や、選挙権、被選挙権の剥奪もないとされ、刑死者は「法務死」として取り扱われることになる。
59(昭和34)年、「戦犯」にも恩給法が適用され、続いて靖国の祭神選考の対象となり、3月10日付けで最初の「戦犯」の合祀がなされた。A級戦犯についても66(昭和41)年2月8日付けで祭神名票が送付され、71(昭和46)年、崇敬者総代表で了承し、78(昭和53)年の靖国神社秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀された。
このことを一般の国民が知らされたのは79(昭和54)年4月19日の新聞の報道によってだった。
憲法と自衛隊の問題にしても、アメリカの都合を読みながら屁理屈をつけてその体質を変えることを繰返し、発足当時のアメリカから促されて作った警察予備隊を又、何時の間にかアメリカのご期待に添える姿の軍隊に作り替えてしまった。そして今度は、アメリカに押し付けられた憲法だからと、戦える軍隊にまで変貌させた自衛隊に合うように憲法を改定しようと企んでいる。『自衛のための戦争もこれを放棄する』とした憲法理念を無視し、憲法をねじ曲げ、仮想敵国を作って恐怖心を煽る、ここでも歴史を学ばない為政者の無能な知性を嘆かわしく思う。
小沢が取り上げた筋の合わない合祀問題、だからといって他に国立の慰霊廟のようなものを作る必要もない。「法務死」、訳のわからない戦犯の呼称、無理矢理に靖国に入れることを前提に目論んだ苦肉の策だろうが、戦死した英霊たちに無礼だ。『俺たちはお前たちの命令で殺されたんだ』の怒りの声が聞こえる。『お前たちは唱えた、生きて虜囚の辱しめを受けず』と。国民には捕虜になった時には死ね、最後の一人になっても戦え、と号令した。『そして俺たちは国のために命を捧げた。なのに、お前たちは生きて辱めを受け、潔く死ぬこともしなかった』。沖縄ではひめゆり部隊の女学生たちが、もうこれまで、と最後の時に洞窟内でアメリカ軍の辱しめを受けないために、配られた手榴弾で自決して死んで行ったことを知っていながらだ。その戦犯の彼らを何故、神として祀らねばならないのか。どこに移転させようもない戦争犯罪者なんだ。国立の廟を作ったとしても、そこには無名戦死者を祀り、空襲で死んで行った大勢の日本国民を祀り、徴用された学生たちを、軍属を、看護婦を、慰安婦を、多くの犠牲になった人をこそ祀るべきだ。
合祀から外した「戦犯」の慰霊は例えば東条英機ならば「東條家」で引き取り、その他の慰霊も各「家」で引き取り、満足がいくまで懇(ねんご)ろに弔えばよい。先祖代々一族の墓で安心して眠れば良い。苟(いやしく)も国家のために命を捨てて亡くなった人たちの仲間入りさせることは、もう断じてさせないように願いたい。
もってこいの故事がある、「過ちては改むるに憚る事勿れ」と。(論語)
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