十三参り
毎日新聞(4/2)から
静岡県沼津市の孫を持つ祖父(76歳)の目を細める笑顔が思い浮かぶ一文が載った。我が娘が13歳になった年、ご自分の大病で祝ってやれなかったことの悔いをずっと持ち続け、その娘が生んだ子が女の子であったことを誰よりも喜び成長を見続け、やっと13歳、思いのたけをぶつけて祝ってやれる喜びを満面に表わした文章だ。
十三参りとは、生まれた年の干支が、始めて巡ってくる年(数え年の13歳)の旧暦3月13日(現在の4月13日)に、女の子*に本裁ち《大裁ちとも云い、着尺地一反(きじゃくぢ、いったん:0.37x12.5メートル)を使って大人用の着物を一枚仕立てる裁ち方》の着物を肩上げして身に着け、踊り華や、かかえ帯を結んで子どもから大人への第一歩を祝う行事。*元々は女の子の行事であったが、男女同権が叫ばれるようになって情けないことに男の子にもするようになっている。
関東を中心とする武家社会の男の子の元服(7歳)に対する関西の公家社会の女の子の十三参り。私が育ったのは関西だが、当時京都を中心に、七・五・三なる行事は存在しなかった。時代は移って近代社会で男の子にあったのは精々五月五日の端午の節句だけだった。かといって十三参りも何処の家庭でも行う女の子の一般的な祝い事でもなかった。公家社会が代表するように狭い地域、京都盆地を中心とする地域、もう一つは難波(なにわ)の都を中心とする大阪の、そう‘いとはん’‘こいさん’(谷崎潤一郎の「細雪」の世界)の限られた社会の中で続けられて来た行事であった。
時代が移り変わり、人の流れが生まれ、地域間の交流が網の目に走るようになり、天皇が東京に遷り、鉄道が施設されて文化の中心が東に流れて行った。それを切っ掛けにして多くの習慣や、風習が東に西に交流を始めた。西洋文明も輸入された。政治経済が整備され、人の流れ、学問の興隆や、婚姻により、就職により、地域差は取り払われて行った。七・五・三が関西で敗戦後(1945年以降)にぽつぽつと生まれ、東の真似をする風習が芽を出した。九州の地に届くのにさして時間は懸からなかった。その頃でも十三参りは現在ほど一般的な行事にはなっていなかったし、男の子が対象になるなどとは考えられもしなかった。あくまでも女の子の成人式の思い入れがあった。私には投書を寄せられた方が静岡なのが意外だったが関西の出身だろうと勝手に想像している。
十三参りでお参りするのは虚空蔵さん。本尊の虚空蔵は、本来大日如来の脇侍で功徳が虚空のように大きいという意味を持つ菩薩である。現在のように系統だった医学や医療のなかった頃、生まれた子の大半が成人まで生きられずに死ぬのが普通と思われていた時代、子どもの命を守るために御利益を得ようと虚空蔵さんに日参して、生まれた子の無事な成長を祈った。そして娘が13歳になった時、怪我なく無事に育ったお礼に家族でお参りに行くことが『十三参り』の姿であった。信仰心を失った現代人には形の面だけが残り、着飾った姿を取ることでその存在を踏襲しているのが精一杯のことだろう。子ども以上に負けじと着飾る親がいる七・五・三もおなじことだ。
虚空蔵さんで有名なのは京都の弘法大師(空海)所縁(ゆかり)の寺院・嵐山法輪寺だ。修学旅行の定番になっている渡月橋(昔は法輪寺橋と呼ばれていた)を渡るとその正面の山の中腹に建っている。本尊の虚空蔵とは始皇帝で有名な「秦」一族の祖神である。この地に1800年も前からいた「秦」(はた)の一族の信仰の対象となっていた。
十三参りには桂川に懸かるこの橋を北側から渡り始め、参拝を済ませて再びこの橋を渡り切るまでの間、絶対に後ろを振り返ってはいけないという事が参拝のしきたりとなっていた。振り返ると得て来た御利益がすべて消えてしまう、といわれている。
ギリシャ神話を思い出す。竪琴の名手オルフェウスは暴漢に襲われて逃げる途中、蛇に噛まれて死んだ妻エウリュディケを、黄泉の国の神ハデスに地上の世界に連れ帰ることを願い出る。ハデスは二人が地上に出るまで決して振り向いてはならないことを約束させる。オルフェウスを先に、後ろにエウリュディケがついて暗い小道を地上に着こうかという時、オルフェウスは妻が着いて来ているかどうか心配のあまり、つい振り返ってしまう。すると忽ち妻の姿は黄泉の国へ吸い込まれるように消えていった。それ以来オルフェウスは女を避けるようになっていた。女たちはオルフェウスを虜にしようと躍起になったが彼は見向きもしなかった。
後日譚がある。ディオニュソス(酒の神バッカス)の儀式のとき、酒に憑かれて踊り狂って騒ぐ女たちは、見つけたオルフェウスの身体をばらばらに千切り、手足を裂き、頭と竪琴を川へ投げ捨てた。ムーサ(英語読みでミューズは音楽を司る女神でオルフェウスの母でもある。父はアポロン神)の神は千切れた身体を拾い集めて葬ってやった。幽霊になったオルフェウスは再び黄泉の国へ行って妻エウリュディケに出会うことができた。
話を戻して、投書の家族は春分の日に三島大社を参拝され、その道すがら、可愛い女の子の晴れ着姿に外国人観光客の“ワンダフル”攻め、写真の被写体でシャッター攻めにあったようだ。何よりも、祖母に当る投書者の妻が、孫を見つめる嬉しそうな表情を喜こび、目を細めるお爺ちゃんの姿は、我が身には訪れないだろうことが一段と侘びしく感じられる。
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