また、また、高校野球部員
初節句の日。上巳(じょうし、叉はじょうみ)の節句と云い、女の子は三月三日、「桃の節句」「雛祭り」とも云われている。これに対して男の子のは五月五日の「端午の節句」。何れも生まれて21日を過ぎない場合は翌年に祝う、とされている。
余談になるが上巳の巳は間違い易い漢字で、左上が半分開いた已、上には出ない己がある。半分開いた已は「い」と読み、学生時代文語の文法で已然形(いぜんけい)を覚えたことがあるだろう。一字では「すでに」。また、上に出ない己は「おのれ」「き」「こ」「つちのと」などの読みがある。克己勉励(こっき(こ)べんれい)の使い方がある。一点一画をおろそかにしないで漢字を覚えるために口ずさむ記憶法がある。これは瓜(うり)と爪(つめ)でよく耳にする「瓜につめあり爪につめなし」のように、「き」「こ」の声、「おのれ」「つちのと」下につき、「い」「すでに」半ば、「し」「み」は皆つく。また代表的な読みだけでは「己」(おのれ)は低く「巳」(み)は高く、「已」(い)は(すでに)半ばなり。
またもや野球少年の飲酒事件が起こった。卒業シーズン真っ最中の出来事としては、多くの県で発生しているが、取得したばかりで未熟な運転技術の自覚もなく、浮かれ気分の自動車事故。苦労して学んだ法規を無視し、規定以上の人間がすし詰めになったり、信号を無視し、スピードの出し過ぎ、反対車線へのはみ出しをしたり、規則尽くめの生活から解放された空白の時間に起こっている。余程裕福な家庭の子でもない限り、自分が所有する車でもなかろう、親か知り合いからの借り物だろうに、借りたものを如何に大切に使わせてもらうか、などという意識の持ち合わせが全く見受けられない。その若さで死亡した人間も出ている。親の躾のできていない子どもたちの起こした事故だが、無責任な放任主義の生んだ子どもたちだ。
同じように解放された卒業気分で、ワルたちが集まっての酒飲み会だ。夏の優勝経験をした人間が5人も混じった10人の大宴会のようだ。野球少年たちに対する周りの環境については先にブログで触れたことがあるが、特に優勝したともなるとこの年頃の少年たちに、慢心の心が芽生えてもちっとっも可笑しくない。毎日の行動に現れて来るのも目に見えている。それを見守り、監視し、軌道修正するのが親だ。学校の責任ではない。監督のすることでもない。監督は野球を教えていればよい。生活の躾は親の責任で行うものだ。小さい時から折に触れ、社会に生きる根本を叩き込むのが親の責任だ。くどくど例を上げる必要もないが、現在マスコミで取り上げられている団塊の世代を祖父母に持つ子どもたちになるだろう。
何度となく書いて来たが、この祖父母の世代が社会の根本理念を持てていない世代なのだ。戦後の混乱期に成長し、遮二無二働かされ、戦中派の喪失感(戦前の価値観の否定、歴史の否定、国家の否定、教育の否定など、など)が渦巻く世の中で成長し、工業立国の礎を築くことだけに全力を尽くして来た。その世代にかくたる信念の生まれる素地は育たなかった。国家の否定は一時左翼思想の温床になり、その影響は教育にはっきりと現れることになった。国旗の掲揚を拒否し、国歌を歌わないことが正当化されたこともあった。
敗戦後60年を経過し、今度は回顧趣味からか、愛国心を強調する教育を求める声が燻っている。「どこの国の人も自分の国を愛する心を持っている、どこの国も国歌を歌い、国旗を掲揚する」と。今、日本を指導している人たちの多くは戦争を自分の身で体験していない。考えることは書物で、耳で聞いたことでしかない。それも敗戦後の教育の中でだ。
閑話休題
価値観喪失の祖父母から何も教えられなかった少年たちの父母の世代。ただ只管に野球バカの子を育ててしまったのだ。今回は卒業式当日1日、北海道苫小牧市の駒大苫小牧高校(篠原勝昌校長)の3年生の野球部員10人が卒業式のあと、苫小牧市内の飲食店で飲酒し、道警苫小牧署員に補導されていたことが分った。
同署によると、飲酒していたのは1日深夜。店にいたのは全国優勝した昨年夏のベンチ入りしていたメンバー5人、それ以外の3年生部員5人。それに他の部活動の部員もいた。2日、知らせを受けた学校幹部が10人に確認したところ、事実を認めたという。昨年夏の全国大会に57年振りに連覇を成し遂げたが、甲子園入りした後に前野球部長による3年生部員への暴力問題が発覚、野球協会は前部長に謹慎1年、野球部には警告の処分が出ていた。
10人からなる少年の深夜の外出、彼らの親は常日頃からこのように深夜の徘徊を許していたのだろうか。卒業式の当日くらい早く帰宅し、両親への卒業の報告もしないような躾で済ましていたのだろうか。頭は空っぽの図体だけ大きくなったわが子が怖くて何も言えないのだろうか。それとも子どもの夜歩きはしても当然とでも考えているのだろうか。深夜になっても帰って来ないわが子を心配もしなかったのだろうか。何処から見てもこれまでにも何度もやっていたこととしか考えられないが、親は見てみぬ振りで見過ごしてきたのだろう。
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