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2006年3月16日 (木)

女の気持ち —つづき—

昨日の嫌な主婦たちの事を書いて明けた今日、同じ主婦ながらホッとできる2人の女の子を持つパート勤めの女性(37歳)がいた。

千葉県にお住まいの主婦だ。先日の「自由時間が欲しい」という投稿を読んで、長女が赤ちゃんの頃を思い出して書いておられる。
実家は遠方で、夫の帰宅は毎日遅くなり、この主婦は一日中一人で子育てに明け暮れる生活が続いた。たとえ「10分でもいいから私にください」という気分であったと当時を振り返る。パートを始めたのは長女が1歳の時。気が紛れることもあったけれど、仕事と育児に追われてますます自分の時間が亡くなって行った。とても2人目を産むこと考えられなかったらしい。
しかし、長女が4歳の時、ふと自分に余裕ができたことに気がついた。「2人目が産めるかも!」と急に思ったという。

そう考える切っ掛けになったのが何であったのかは書かれていないが、この主婦は長女が6歳になった年に二女を出産された。世間の噂では聞いていたようだが、2人目の子育てはうそのように楽チンです。と書いておられる。とにかく手が懸からない。それは妹がすべてのことを姉を手本に学ぶ知恵を持っているからのようだ。母親があれこれ教えることもない、苦しんで育てた長女のために買った育児書も一度も開くこともなかった。そして次女は2歳になっている。そして今、自分は自由時間が欲しいとは思わなくなっている、という。小さくて可愛い子どもと過ごせるのは今だけだから、できるだけ一緒にいたいと思うようになった、と結んでおられる。

このようなお母さんに育てられた子どもさんは躾も行き届き、自立心の強い子になるだろう。‘自分の時間’に、或いは‘自由’にこだわる主婦たち、政治が悪い、世の中が悪いとばかり云っていても解決はしない。上のように子育てこそ自分の時間であることをこれほどはっきりと把握している女性がいるのだ。自己中心的な狭い宇宙の中で勝手気侭にできることが、自由と思い込み、それには子育てすら邪魔にする。子を産んだ以上は育てる責任が伴うのだ、責任を放棄して自由などあり得ない。
今朝もテレビは19歳の大学生が中学二年の女生徒を刃物で刺したことを報道した。女の子が交際を嫌がったから、というだけで。学校側が報道陣の前で何かを口にしたが、なんで大学が出て来るのか、取材に訪れる取材側もそうだが、答える大学側も変だ。これは大学生を育てた親にこそ取材はするべきで、何ごとにつけてもピントの狂った世の中になっている。事の善悪、道理を教え、躾ける親がいなくなったのだ。未成年とはいえ19歳、余りにも幼稚に育てられた若造だ。14歳の思春期の成長期にある女性の心の中は読めないが、人間形成に向ってまっしぐらに進んでいる最中だ。目に写り耳にする色んなことに関心を持ち、自分自身の価値観を育て養うことに喜びを感じ、日、一日成長し続けている年齢だ。当然幼い子どもの目で見ていた異性への関心も、幾つもの選択肢が増えて行く。

己自身の成長も出来ず、幼稚なままで図体だけ大きくなった大学生。大学は学問だけが優れていれば入れるところ。その人間の人格までも調べないし調べられないで門を潜ることができる、出ることもできる。だから現在の官僚たちの無駄な税金泥棒のような生活も臆面もなく可能になる。子どもは親の背を見て育つ、とは昔から云われる言葉、しかし、これは親への尊敬の念が心にあっての例え、親子関係が喪失した現在では親の背を見る子は居ない。逆に親も背が見られてはならないことの方を多くする。あらゆる規則など破るためのもの、とも見える行為は決して子どもに見せられるものではない。

今、日本には厳しい躾ができる親が殆どいなくなったし、善悪を教える親も教育も力をなくしている。

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