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2006年3月21日 (火)

小5男児自殺

次から次に起こる少年事件で、すでに新しくもないニュースになるが、つい先日(16日)、北九州市の市立小学校で女教諭から叱られた5年生の男の子が、帰宅後自宅の居間のシャンデリアに犬の散歩に使う紐を掛け、首を吊って死んでいるのが発見された。介助した時点ですでに脈拍もなく、すでに死亡していた。後に見つかった漢字練習帳に「○○死ね」と担任の女教諭の名前が書かれていた。

その日は卒業式の前日で、教室の掃除をしている時だった。紙を筒状に巻いて固くしたものを振り回し、近くの女子生徒を叩いたものである。女子生徒の連絡で女教諭は男子生徒の胸もとを掴み、何度か揺すって叱りつけた。男子生徒は教室にあったペットボトルを投げ付けて教室を出て行った。これが一連の流れのようである。
事件について女教諭は「厳しく叱ったのは事実。このような結果になり申し訳ない」と云い、校長は「教諭の指導に行き過ぎた点はなかったと思うが、叱った後、フォローしなかった点は反省しなければならない」とコメントした。

昨日(3/20)自殺した少年の叔母にあたる人物がテレビ局の取材に応じ、学校側の対応には納得出来ない不明瞭さを非難していた。これに反し自殺した少年の姉が、同じくテレビの前で、家庭と学校、少年と母親、少年と教諭に関して一番全体を把握していると思われるしっかりした意見を口にしていた。自殺する勇気があるのならその気持ちを誰かに話せば良い、周りには聞いてくれる誰かがいる、と。

この男児は低学年のころからふてくされたり、物を投げるなどの行動も見られる問題児であった。担任と家庭(母親)は話し合いも持たれ、決して連絡に落ち度があるケースではない。しかし、少年は「学校をやめたい」「行くのはいやだ」などと周囲には漏らしていた。

姉の言葉からも伺われるのは、家庭が学校に頼り切り、家庭内での躾を等閑にしている様子がはっきりと読み取れる。現在の傾向だが、本来家庭で親の責任においてしなければならない躾けなのに、仕事があるから、忙しいからと学校や教師に任せ、後の責任は教師や学校にありとする。今回のようなどうにもならない子は厳しく叱る以外に手段はない。以前大島渚監督のパーティーで、酔った野坂昭如が壇上の大島渚に手を出したことがあった。すかさず大島は殴られた拍子で掛けていた眼鏡が落ちそうになっていたが、手にしていたマイクロフォンで野坂を殴り返したことがあった。

もう何年になるだろうか大島が脳出血で倒れる前の1990年代、韓国の文化人との対談の席上「バカヤロー」発言(彼の口から出る‘バカヤロー’は日本人は激情型の彼の口癖であることを知っていたが)で物議を醸したこともあったが、如何なる暴力に対しても反対の立場であることを公言して憚らない持論の持ち主であった。勿論学校教育に関してもいかなる体罰も絶対反対の立場は同じことであった。しかし、化けの皮は簡単に剥がれた。野坂の暴力に、大島も暴力で返したのだ。日頃仲の良い友人として知っていた周りは驚いたと同時に大島の非暴力がメッキであることを知った。云うことを利かない子、反抗する子、あばれる子の指導に沈着な対応が求められるのが子どもを預かる教師と云う職業だ。担任の女教諭は胸元を掴んで揺すったが、暴力でもないし、体罰でもない、どこにも落ち度はない。女生徒を叩いた子を叱るのは当然で、見逃しては女生徒に信頼を失う。

母親も教諭との話し合いで自分の子の日常の学校での行動は聞かされているはずだ。保護者として一体何を指導し、教え、躾けたのだろう。子どもは自分の思い通りにならないことは先生のせいにし、親に報告する。5年生にもなれば言い逃れの口実を見つけるのは上手いものだ。保護者はそこで叱る切っ先が鈍ってついつい中途半端な叱りかたで終わる。子どもは何も反省しない、次の日も学校に行ってまた同じことをしでかす。厳しく叱られた男児は腹いせに首を吊る。親はこのようにしか育てられなかった我が身を恨むしかないだろう。勿論学校にも、教諭にも何の責任もない。


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コメント

つい先日、裁判により以下のような判決が出ました。

「社会通念に照らして許容される範囲を逸脱し、体罰に該当する。もっぱらこれが直接的な原因となって自殺したと認められる」

あなたの記事には事実誤認、主観による結論ありきの捏造があります。
ご自分でもう一度お調べになったほうがよろしいかと思います。

たとえば
「性教諭は担任になった05年4月以降、匠君への指導として、頭を殴ったり両耳を引っ張ったりする行為を繰り返した。」(継続的な体罰)

「「謝りなさい」と大声で注意。匠君は「謝ったちゃ」と反論し、言い争いになった。」(頭ごなしの否定)

「一方、遺族は06年5月~08年9月、当時の同級生宅を訪ね歩き、叱責の状況を聞き取った陳述書6通を裁判所に提出。さらに08年3月、永井君の三回忌で再会した級友が16人分の目撃証言をまとめたノートも証拠採用された。
 遺族はこうした証言を基に、担任が自殺当日に永井君の「胸ぐらをつかんで床に押し倒し、腕をねじり上げた。以前にも足をける、ほおをたたく体罰があった」と主張。」
(裁判で証言は採用され、主張が認められています。体罰の実態、継続性、同級生が16人も協力したという事実に注目です)


この記事をソースに被害者を貶めている人が何人もいたので、忠告です。
死者や遺族に鞭を打っている可能性があることを自覚してください。
 
 

それともう一つ。

>姉の言葉からも伺われるのは、家庭が学校に頼り切り、家庭内での躾を等閑にしている様子がはっきりと読み取れる。

該当する姉の言葉がないのですが、どのような言葉だったのでしょう。はっきりと読み取れるような言葉がこの記事には一切ありません。
事実ではなくあなたの主観、思い込みなのではないですか?

投稿: うーん | 2009年10月 5日 (月) 15時04分

コピペが失敗してました。お詫びします。

「女性教諭は担任になった05年4月以降、匠君への指導として、頭を殴ったり両耳を引っ張ったりする行為を繰り返した。」(継続的な体罰)

投稿: うーん | 2009年10月 5日 (月) 15時06分

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/125664

>> 判決によると、女性教諭は担任になった05年4月以降、匠君への指導として、頭を殴ったり両耳を引っ張ったりする行為を繰り返した。06年3月16日、匠君が新聞紙を丸めた棒を振り回し女子児童に当たったと聞き、教室で「謝りなさい」と怒鳴り、胸ぐらをつかんで床に押し倒すなどした。

当てたのではなく当たった。
友達とチャンバラごっこをしていて(←ソースはフライデー)偶然当たっただけ。

そこに、この男児に目をつけていた担任が、既に男児が女児に謝っているにも関わらず再度の謝罪を強要しながら体罰を加えている。

>この男児は低学年のころからふてくされたり、物を投げるなどの行動も見られる問題児であった。担任と家庭(母親)は話し合いも持たれ、決して連絡に落ち度があるケースではない。

とブログ主は書かれている。

ふてくされたり物を投げるというのは、いくつかの隠蔽をしようとしていた学校(市教委がアンケート廃棄、校長が学年集会で虚偽発言、校長が家族に虚偽発言、など。ソースは共同新聞、毎日、フライデー)の主張だから信用に値しない(物を投げるというのは、当日のペットボトルを投げるという行動を、過去にまで遡って存在していたと主張しているにすぎないが、当日少年が取った行動は積み重なった体罰が原因なのだから体罰が始まる前から衝動的だったとは認められない。ふてくされるなどという曖昧なものはいくらでも後で捏造できる。ふてくされる行為に体罰など必要としない。他に虐めなどの事実もない以上、学校側の主張は信用性に欠ける)。

4月から体罰をしていたのに担任は家族に連絡していない。
連絡取ったのは母親からで、秋に息子の様子がおかしかった(担任がわかってくれない。話を聞いてくれないなどと話す)から母親が担任に、息子の話も聞いてくれるよう連絡した。
体罰を教育として行っていたなら体罰を4月の時点で家族に伝えるべきだが、親が体罰を知ったのは秋で、日常的な体罰を知ったのは葬儀の後。(ソースは九州読売とフライデー)

母親の連絡は至極当然で真っ当なものであろう。だが担任のほうは(連絡の落ち度云々以前に)体罰を隠していた事がわかる。

男児が生前バレーボールチームのキャプテンを務め、且つ老人ホームのボランティアをやっていた事、級友16名が体罰の目撃証言を自主的にノートに書いて家族に贈った事なども考慮すると、とてもだが暴力少年だったとは思えない。

>後に見つかった漢字練習帳に「○○死ね」と担任の女教諭の名前が書かれていた。

1年間理不尽な体罰を与えて恨まないほうが不自然。

市教委は1月にこの担任に退職を勧告している。
市教委は1月には体罰の事実を知っていたのだろう。
それでいて男児自殺後は市教委も体罰を否定していた。

ここまで事実を突き付けられてもブログ主は自殺した生徒を貶め続けられるか。

投稿: 七子 | 2009年10月 5日 (月) 22時15分

>t>七子さん
>市教委は1月にこの担任に退職を勧告している。
>市教委は1月には体罰の事実を知っていたのだろう。
>それでいて男児自殺後は市教委も体罰を否定していた。

調べたところ、これはソースがなく真偽不明の情報なので、喧伝すべきじゃないと思います。


肝心なのは、主観や思い込みにより、事実を歪曲・捏造し、被害者や遺族の名誉を著しく毀損している可能性があることを自覚しているのか、ということです。
もしご自分が他者を傷つける加害者となっていた場合、どのように責任を取るつもりなのか。

司法の結果について議論を深めるのは構わないと思いますが、その道具として被害者像を歪め攻撃材料とするのは卑劣です。

投稿: うーん | 2009年10月 5日 (月) 23時07分

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