無免許運転
連日のように高校を卒業したばかりの少年たちの交通事故が発生している。進学するもの、就職して社会に巣立って行くもの、家業を継ぐもの、特に定まった目的を持たずに卒業だけはするもの、といろいろいるだろう。しかし誰もが次のステップを踏み出す前に味わうひとときの心の準備期間がある。言い換えれば気のゆるみだ。
我々旧い人間が送った規則尽くめの学園とは異なる現在の高校生活、我々から見れば既に有り余る自由を謳歌して来た3年間だったと思えるが、それさえも堅苦しく感じるほど自由気侭を求めていたのだろうか。卒業と同時にトップを切って北海道での野球部員を含む10人からなる少年たちの飲酒・喫煙事件が発生。これについてはこのものたちの無責任なバカ親たちを非難した内容をブログに書いた。それ以来毎日のように卒業後に起こった事件やトラブルが記事になる。親たちはこれらの事件は対岸の火事以上のものではないのだろうか。この春卒業した子を抱えた親はゴマンといるだろう。より慎重にわが子の注意を喚起させ、同じ過ちの轍を踏まないように注意した親はどれだけいるのだろう。
現在の高校生活にどれほど不自由があるのか知らないが、殆ど無いに等しい規則の中でのうのうと過ごしているはずだ。決められた制服を着なくてもよい、決められた帽子を被らなくてもよい、例えあったとしてもどんなにだらしなく着用しようと大した罰はない。昔は想像するだにおぞましいことだが男が眉を剃り、化粧する。坊主頭は体育系の専売だけで済む。女子生徒の場合はもっと自由だ。どんなにだらしなくても先生は親の怒鳴り込みが怖くて注意もできない。爪は伸ばす、マニキュアはする、ピアスはする、髪は染める、化粧はする。・・・話を男の子に絞ろう。
一足早く卒業していた先輩からか、家族の誰かだろうが、見て覚えた運転技術で動かしてみた車は意外に簡単に操作可能だ、なんだこの程度のことか、と繰返す。こっそっりと何度か運転して一般道に出てみる。少しずつ馴れてくると運転は杜撰になって行く。教習所でも特に気をつけなければならない交差点での進行は、右折だと教える。直進して来る車の存在を確認することが事故を防ぐ第1の問題点で、そのために右折の心得として大回りを教える。ついでに云うと「左小回り右大回り」はくどいほど教えられた。にも拘らず街なかを走るとその逆のハンドルさばきの車が圧倒的に多い。対向車が来ていても左折車が道路の中央まで出て左折する、対向車があるのに小回りの右折をして行く。直進運転で肝を冷やした体験は数え切れない。
卒業気分で浮かれはしゃぎ、己の未熟さを知らず怖いもの知らずの運転をする。気心の知れたもの同士が集まるから余計に羽目を外す。交通法規の勉強もしないまま無謀な運転に早変わりする。周囲への注意をする神経も持たずに進む方向にだけ目を向ける。こんな無法者は早いうちに居なくなって世間のためには良かった。長生きしても同じようなことを繰返すだろう。とばっちりを受けた人間は気の毒だが法規を無視したことは同罪だ。親も育て方が悪かったと諦めるが良い。
10日午後5時55分頃、横浜市青葉区恩田町の県道交差点で2人乗りして右折しようとしたオートバイと、直進して来た乗用車とが衝突し、オートバイに乗っていた2人が全身を強く打って間もなく死亡。どちらが運転していたか不明だがどちらも無免許。一人は今月1日に高校を卒業したばかり。
11日には水戸市東桜川国道6号交差点で午前1時45分頃、強引に右折しようとした軽乗用車が直進して来たトラックと衝突。軽乗用車に乗っていたのは3人(無職19歳の2人と16歳の高1の少年)。運転していた19歳は無免許で重体、他の2人は死亡。いつも云うことだが16歳の子の親、子どもの深夜の徘徊をどうして許すのか。とばっちりで残念だろうが足りなかった躾を恨む他ないだろう。運転者の車のようだが無職、働く意欲もなく、学ぶこともしない、当世流行りのニートと呼ばれる悪いのは総べて大人だ、政治だ、世の中だ、と責任転嫁する類いの人間か。そうじゃないよ、悪いのは君たちの親、幼少時から君たちに善悪の価値判断をする躾もせず、仕事が忙しい忙しいだけで放任して来た結果なんだ。だから君たちは自由は責任があるから自由だということ、勝手気侭に振舞うことではないことを教えてもらっていないんだ。こんなことは学校で教えることではない、昔なら何処の家庭でも親が子どもへの躾として叩き込んだものだ。今それができる親がとんといなくなった。家庭で何も基礎を作っていなくて教育を学校に一任してしまう。そして口にするのは“今時の教師は”だ。
子どもを寄ってたかって甘やかすことが現在の風潮になっているが、厳しさの足りないのが1番の癌だ。
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