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2006年3月31日 (金)

つれづれに

東京・銀座のビルの屋上に、3万匹の西洋蜜蜂が入った巣箱が設置された。名付けて「銀座蜜蜂プロジェクト」。行動半径3キロの蜜蜂は早速、皇居のソメイヨシノ、浜離宮の菜の花などを飛び回っている。都心のわずかな自然から採れた蜂蜜は、新しい「銀座ブランド」となりそうだ。

と2、3日前の毎日新聞が写真入で掲載している。設置したのは、銀座の街づくりや食文化を考える市民団体「銀座食学塾」と「銀座の街研究会」のメンバー。沖縄から蜜蜂を購入し、28日、11階建ての「紙パルプ会館」の屋上に3つの巣箱と木製の柵を置いた。

切っ掛けになったのは、千代田区の社民党本部の屋上で、3年間に亙って20万匹の蜜蜂が飼われているのを知ったことからである。社民党もなかなか乙なことをやっていたものだ。
以前、たしかNHKの番組であったと思うが、フランス・パリのグランドホテル前のオペラ座屋上(ここの養蜂についてはパリっ子は古くから知っている)や、市内の他の所で飼われている蜜蜂のことを放映したことがあった。オペラ座では勿論、市内でも「オペラ座」ブランドの蜂蜜を購入することができると話していた。販売しているのは1886年創業の日本では紅茶でも知られているLa Maison FAUCHON。

同プロジェクトの世話人を努める田中淳夫さん(49)は「蜂蜜は、銀座特製のカクテルやケーキ作りに活かしてもらいたい」と意気込んでいる。

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毎日新聞(3/29)から
社会経済生産性本部は06年度の新入社員のタイプを「ブログ型」と命名した。ブログは誰でも気軽に事故表現し、読んだ人と交流できることから利用者は益々増えている。生産性本部は新入社員の「表面は従順だが、さまざまな思いを内に秘め、時にはネット上で大胆に自己主張する」という特徴がブログに通じると見たからだ。
企業や大学の採用、就職担当者ら約40人から新入社員の特徴を聞いたところ、「厳しい就職戦線に勝ち抜いてきただけに、上司や先輩のあしらい方に長けているが、目立たず無関心に見える」「寂しがりやで、自分を認めてもらいたい強い欲求を持つ」「認められると思いがけない力を発揮する一方、本人の気分や他人の評価ひとつですぐに萎えてしまう」などの意見が出た。

確かに書き手が見えない世界であるだけに、無責任発言が多くなり、発展性のない罵りあいになる戯言が書かれることもある。始めから他人の意見は無視したコメント拒否、トラックバック拒否のブログもあり、一方通行を楽しんでいる者がいるのも事実だ。その反面、知識を貪欲に収集しようとそれら様々な意見を歓迎しているブログも多い。生産性本部が云うことは新入社員に限ったことではない、現在の日本人全般に言えることで、無責任、無関心は切れることなく続く官僚や政治家の行動そのものにも見えるものだ。

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 高校教科書検定
「性と生殖に関する権利」これを舌を噛みそうな横文字で表現している。『リプロダクティブライツ』
1994年カイロの国際人口・開発会議で採択された行動計画に取り入れられた概念を表わしている。特に、妊娠や避妊に関して社会的圧力や強制を受けた発展途上国の女性の地位向上との関係で注目され、95年の北京世界女性会議や女性2000年会議でも重要課題となったものだ。

(reproductive rights)これを日本では「性と生殖に関する女性の自己決定権」として使われることが多く、教科書検定の席では検定意見が相次いだ。ある教科書で「世界全体で認められた権利ではない。男性も持っている」との内容を盛り込んだため、時事用語で使われる意味とずれが生じたためだ。
現代社会や家庭科では「誤解する恐れがある」との意見が相次いだ。文科省は「女性だけの権利ではない」と説明している。

当然だろう、処女で懐妊したとされる聖母マリアさまならいざ知らず、妊娠は女性だけで成り立つものではない。畑に蒔かれた種が芽をだし、妊娠したと云う。日本の法律では産みたくない場合の中絶には配偶者の同意が必要になる。堕胎に限らない、妊娠すること自体を拒否する女性と結婚を、或いは同棲を望む男性はそう多くはいないだろう。子どもを産めない女性であることを知っても結婚している男性は何人も知っているが。

アメリカ・テキサス州の中絶禁止法の合憲性を争った裁判もおなじことだ。女性は中絶する、しないを選ぶ権利があるとする1973年のロウ対ウエイド判決が覆され、サウスダコタの妊娠中絶禁止法案は州議会で可決されている。女性の身体を守る、命を救うと云う意味での堕胎は現在でも認められているのに、気分一つで産む、産まないが決定されることは許さないということだ。

日本での「リプロダクティブライツ」という言葉の内容は専門家でもその解釈が統一されておらず、高校の教科書に採用するには時期尚早というべきだろう。同じ横文字の「ジェンダー」も「ジェンダーフリー」も学者間の異論百出で決定的となる定説はないため、申請段階から見送った出版社が多い。

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アルピニストの野口健氏(32)が記者会見し、4月からヒマラヤのマナスル(8163㍍)と富士山(3776㍍)で行う同時清掃登山の日程の詳細を発表した。毎日新聞は全面的に協力し、記者を同行させ、その模様をレポートする。富士山が汚れているのは日本人のマナーの悪さを知っていれば驚くには当らないが、それでも五合目から上は悔しい思いをした世界遺産への登録申請もそろそろ可能か、と思われるほどに綺麗な様相を見せていると聞く。それにしてもわいわいがやがやのアマチュアの富士山登山ならまだしも、ヒマラヤ、マナスルといった重装備の専門家と呼ばれる人たちでないと登攀できない山。多方面から選りすぐられた学者、その道のベテランたち、野口氏が眺めて恥ずかしい思いをするまでそこを穢しに登ったのか。ヒラリー、テンシンのイギリス隊が1953(昭和28)年5月29日、始めてエベレストのK2登頂に成功してから50年間に亙って世界中(日本人隊も)の登山家がゴミの山にしていたのだ。

登山家はチャレンジャーとしてその勇気を尊敬されてきたが、実はトンでもない連中であった。上野の山をゲロで穢し、ゴミの山を作って知らん顔の酔っ払いと少しも変わらないゲスな学者や専門家の集まりだった。無報酬のボランティアでゴミ回収を続ける野口氏こそ真のアルピニストで尊敬されるべき人というべきだ。

明日は4月1日、1年の残り4分の3に入って行く。すでに1年は4分の1を消費した。日本人の平均寿命は男性は78.32歳(平成14)。表の通り平均を生きるとすると私には残り5年はない。今のままだと孫の顔を拝めそうにない。それでも一人でもよい昭和一桁の心を垣間見てくれる人がいれば、現在の生き甲斐になっている『世相』で云いたいことを云い続けて行きたい。

明日は神保町にレコードの掘り出し物を捜しに行く。ついでに「昭和館」に寄り、もう一つ序でに散らないうちに千鳥が淵の桜でも見て来よう。


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2006年3月30日 (木)

春・桜・酒

Hiyasinnsu_

プレヤーに挟まれた水栽培のヒヤシンス

10畳のリスニングルームは1日じゅう馥郁とした香りに包まれている


Rosemarry

今年になって初めて花を開かせたローズマリー





昨日の日本列島は異常気象の影響を受けて竜巻きや突風もまじり、各地に思わぬ被害を及ぼした。今日も予想は荒れると報じたが、有り難いことに意外なほどの好天に恵まれた。上野の桜は満開、酒飲みには底冷えの寒い夜桜見物になっただろう。土曜、日曜日は朝から家族連れの賑わいに混じって夜を待つ宴席の確保に新入社員、大学の新入りが目の色変えて陣取りに励むことと思う。

期が変わるといえばテレビが分かりやすい。このところ毎日のように2時間、3時間の特別番組がならび、夜は各局とも娯楽番組の花盛りだ。本当にデジタル時代になってまでも1億総白痴化を目指して努力しているように見える。ドタバタ漫才、会話の代わりに訳もない身体芸、それでも少しは関西漫才は健在だが。基礎の発声訓練もしないでぽっと出て来る幼稚な歌い手、常識を持ち合わせない芸人に気持ちの悪いおかまたち。

本論に入ろう。毎日新聞(3/24)に「一気飲み」の強要でわが子を亡くした親たちが、入学シーズンを前に「遺族をもう出さないで」と訴えている。静岡県富士市の石谷師子さん(62)は95年6月、大学1年生だった直之さん(当時21歳)を亡くした。「11年経った今も、1日前のように思い出すんです」「誰もがアルコール強要の被害者にも加害者にもなりうることを知って欲しい」という。彼は旅行サークルの合宿中に焼酎0.9㍑を一気飲みさせられ、急性アルコール中毒を起こした。また、96年、大学入学直後の長男丈祐さん(当時20歳)を新入生歓迎コンパでの飲酒強要で亡くした千葉県我孫子市の平賀之朋さん(63)は「今も、悲しい、悔しい、苦しい」と声を詰まらせたとある。

そもそも一気飲みは1985年ごろ、慶応義塾大学の体育会系の「イッキイッキ」が始まりと見られ、この年の流行語大賞を受賞したほどの現象にもなった。ところが急性アルコール中毒で死人が出る騒動が起こったことで注目を浴び、徐々に下火にはなっているが、上記のように10年以上も先輩風をふかすバカや阿呆な上司の犠牲は後を断たずに続いていたのだ。その後減って明らかになった死者はここ5年間で4人と報告されている。

日本人は遺伝的に下戸(アルコールの解毒能力が弱く、急性アルコール中毒に陥り易い人)が多く、約45%程度の人がいわゆる下戸、約5%の人は体質的に一切アルコールを受け付けないと云われている。これらの人に無理強いすることは「殺人行為に等しく、*アルコールハラスメントに関する最も深刻な問題となる。

【アルコールハラスメント】通称 アルハラというらしい。
何だかワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」のワルハラ城と聞き違えて変な感じがするが、簡単に云えば
 飲酒の強要
 一気飲ませ
 意図的な酔い潰し 
 飲めない人への配慮を欠くこと
 酔った上での迷惑行為
などのアルコール飲料に絡む嫌がらせ全般を指す言葉で、社会的トラブルを含んでいるものである。

現役で合格し、大学生になれた秀才の年齢は20歳にはなっていない筈だ。ただ大学生になれたことで成人したと勘違いし、飲むこともまた、法律違反になる。飲ませる方も飲む方も忘れてはならない法律の壁だ。忘れたでは済まない罰が待っている。成人でも同じことだ。若しも無理強いして死なせてしまえば障害致死罪、或いは障害現場助勢容疑(罪)になる。

日本においては『酒に酔って公衆に迷惑を掛ける行為の防止等に関する法律』が存在し、酩酊者の行為規制や保護について規定する一方、同法第二条において、「すべて国民は飲酒を強要する等の悪習を排除し、飲酒についての節度を保つように努めなければならない」としている。この節度については特に公共の場での飲酒に付き物の、散らかし放題になるゴミの問題がある。毎年上野公園のゴミの量は半端じゃなく、トンで数える酷さになる。日本人はマナーという言葉を知らない状態だ。怒鳴り声、咆哮、無闇に大きいカラオケの音、喧嘩は当たり前のように賑やかだ。桜を見に来る人も恐ろしくて騒ぐ連中の近くは通れない。酷いのは目に見えるものだけ、耳に飛び込んで来るものだけじゃない。上野の山を覆い尽くす酒の悪臭だ、飲んで吐き出す息は辺り一面に這うように広がり、一度胃袋に入れた酒が地面に撒かれて放つ悪臭は鼻が曲がりそうになるほどだ。

それでも上野の山でテント生活している人のかき入れ時になり、一夜の所場代と称して面積を切り売りする。明ければ前夜のバカ騒ぎの残飯は、彼らの朝飯に早変わりして一年に一度の贅沢な食事をすることになるが。

季節は春だけれど、一句
しら玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり(牧水)


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2006年3月29日 (水)

アンチエイジング

毎日新聞(3/28)から
【最近、雑誌や新聞などいろいろなところで、「アンチエイジング」という言葉を目にします。それは加齢に逆らい、若々しい肌や身体、印象などを保つということ。そのためには、過食を避けてバランスの良い食事を摂って、適度な運動を定期的に行ったり、或いは睡眠を十分に取るといった節度のある生活がとても重要。】

何も知ったかぶりの横文字を使うことはない。日本にはこのように加齢に逆らう女性の化粧を表わすのにぴったりの言葉が昔から用意されている。『年増の厚化粧』だ。あーら、大変と、鏡に向って顔料を重ね、重ね重ねて厚くなる化粧を表わす言葉だ。1年経てば男も女も1歳年が増える。これ以上の男女平等はない。皆が等し並に年齢を重ねる。年を取れば皺が出て来るのは避けられない。どう努力しても皺は消せない。髪は白くなる。皺も髪も長い人生を歩んできた証しなのに。「黒髪長き君なれば、悲しむもよし、泣くもよし」「髪はカラスの濡羽(ぬれば)色」と謳われた日本女性の黒髪。親からもらった身にメスを入れることはしなかった昔の女性が、最後の手段に行ったのが厚化粧となったり、白髪染めになった。

ところが現在は若い女性の方に厚化粧が目立つ。(この際ガングロ族は話の外)剃った眉は額に食い込んで柳眉を逆立て、目の周りは様々な色で飾り立てる。青、藍、ピンク、緑、黒と満艦飾状態だ。人がやっていることは自分にも、とバランスを考えない物真似で塗り付ける。腫れぼったい瞼(飲んだ翌日や近眼)に真っ青や緑は不健康で病人のようだ。髪は自ら日本人を卑下するような西洋風の茶髪にし、男も女も河川敷や公園で暮らし、テントや段ボールの家に住んでいる浮浪者紛いにザンバラ髪にする。テレビには真っ黄色の髪をした昔よいとまけで鳴らした小父さん(おばさん?)もいたりする。現在目にできる世界中の髪型で、どこの国よりも日本人男女の髪型ほど汚らしい姿はないだろう。町中に浮浪者が群れているようだ。美的センスなど露ほどもない。

いくらペイントしても色を取り替えてもどうにもならない場合はどうするか?小銭を溜めれば幾らでもプチ整形が可能だ。それでも駄目なら?もっと金をかけて骨まで削るんだ。どう、綺麗になったじゃない。針金に衣装を纏わせたようなデザイン画を描き、虚栄心を掻き立てる。【だから私は、モデルを若々しい印象に仕上げたい時のチーク*(どうして頬じゃないの?)や唇には、明るいピンク色をよく使用します。】

ところで今では入社試験で色盲、色弱、など(色覚異常)の検査が厳格なのは色彩を専門に、或いは色彩認識が通常作業で必要な企業には欠かせないが、微妙な色合いが求められる化粧の世界に色覚異常者はいないのだろうか。美容の専門家と呼ばれる人の中にもチグハグなバランスの色彩感覚に欠けた化粧をする人は幾らもいる。また、自分が色覚異常と気がつかないままに毎日の化粧をしている女性。今は美容院でも剃刀が使えるようになったこともあって、眉を釣り上げることは容易いこと。顔かたちにお構いなしに長くもし、短くもし、急角度に跳ね上げる。

記事を書いたのはヘア・メークアップアーティストと呼ばれる女性。この人の紹介する口紅は、西洋かぶれの女性の虚栄心をくすぐるブランドもの。クリスチャン・ディオール ルージュ・ディオール アディクト269、マックスファクター エンジェリックリップN111、シャネル ルージュ・アリュール04(4月14日発売)と宣伝している。すべてピンク系だ。
化粧は年相応が一番美しい。

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2006年3月26日 (日)

女子監禁事件

3月24日、メディアが一斉にアメリカで起こった女子監禁事件を報道した。
21日、ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊マキースポートで10年間監禁状態にあった女性(24歳・ターニャカーシュ)を保護したと報じた。彼女は自宅から3キロほど離れた男(48歳・トーマスホーズは元中学校の警備員)の家に14歳から10年間に亙って監禁されていた。

最初テレビで報じられた彼女の姿は、衝撃的な話題とは似ても似つかない、日本で以前あった監禁事件と同じ女性への虐待とは思えない別次元の事件のように見えた。女性の派手な化粧、爪に施されたマニキュア、ヘアスタイル、衣服やスタイルを装おう見事に健康そうな体など、とても監禁されていた女性が救いを求めたとは想像できない姿だった。

続報でその辺りの状況が少し読めてきた。彼女が監禁されたとされる当時は、14歳の中学生で、監禁した当時38歳の中学の警備員とは恋愛関係にあり、96年2月から男の自宅に住み始めたのだ。彼女は少女らしい好きな男との愛の巣を夢見たであろう。ところが豈図らんやであった。それからほぼ4年間、男は彼女を寝室に閉じ込めたまま、飲み水には汲み置きを飲ませ、排泄はバケツでさせ、「逃げたら殺す」と脅迫していたと云う。

この間に親たち、地元警察の捜索がどのように行われたのかは全く不明だ。そしてその後は外出が許されているのだ。6年間は街の人は彼女が楽しそうに通りを歩く姿を目撃し、あちこちの商店では買い物に来た彼女との会話もしたことを街の人は語っている。まして自宅まではたった3キロしか離れていない。歩いてでも帰れる距離だ。テレビに写った彼女の姿からは、何度となく美容院にも出入りしていたと想像するしかない美しいヘアスタイルなのだ。とても監禁から救われた女性には見えない。父親と逢って彼女は「パーティーにも行けず、悲しかった。私の大事な時間が失われてしまった」と涙ながらに話している。

一方性的虐待容疑で逮捕された男の弁護士は「強制的に住まわせた事実はない」と話している。私見だが弁護士の云う言葉に真意を見る。男であれ、女であれ、14歳という異性を意識する思春期、性に関心を持つのは洋の東西に変わりはない。年長の男性に甘い言葉で誘われてついつい愛情と勘違いをし、ついて行ったとしても不思議はない。

日本の現実も、パソコンや携帯電話による出会い系サイトに係わる犯罪は枚挙に暇がない。そこに付け込む男どもがいる。少女漫画のあくどい性描写、女性週刊誌は男の読む低俗な雑誌以上に露骨だ。目覚めた性を誘う携帯電話に入って来る広告を目にし、興味本意でアクセスすることになる。出会い系サイトでの犯罪件数は携帯電話の普及、低年齢層に行き渡って急激に数を増やしている。
 年度 2000 2001 2002 2003(警察庁データより)
 件数  104  888 1731 1746
実際に出会い系サイトの利用を見れば
 15歳以上の男女5,000人(有効回答数3,247)対象
  実際に利用したことがある 2・5%
  見たことがある     10・3%
と比較的少ないが、これを年齢・性別に見てみると
 20〜29歳・実際に利用したことがある 男 11,8%
                    女 8,3%
       見たことがある      男 36,4%
                    女 25,0%
 15〜19歳・実際に利用したことがある 男 12,6%
       見たことがある      女 7,4%
と回答し、出会い系サイトを利用することについて
 兎に角利用するのは良くない、と答えたのは全体の59,7%
    利用することは構わない、と答えたのは  17.9%だった。年齢・性別では
 15〜19歳・利用することは構わない  男 31.6%
                    女 25.9%
 15〜17歳・利用することは構わない  男 34,5%
                    女 30,0%
となっており、10代20代で実際に利用することを容認する傾向が強くなっているようだ。利用者のモラルの向上は当然のことだが、育児中の子どもに対する親の監督責任はもっと重い。小遣いがどれほど潤沢に与えられているのか知らないが、中・高生で電話料金の支払が滞りなく可能だとは思えない。親は子どもの通信相手を知る権利があり、監督する義務がある。上の数字を見ても親が放任しておいては責任が問われる事態が起こる可能性を秘めているのだから。

さて本題に戻ってアメリカの女性だが、男の家に住み始めてから5年目には外出することが出来るようになる。19歳になった女性の目に街の若い男たちが飛び込んで来る。少女であった彼女も大人に近づいている。20歳を過ぎ、年の経過に連れて少女から大人の女へ変身した彼女の男の価値観、価値基準に変化が生じて来て当然だ。子供心に憧れていた男からどんどん魅力が薄れて行くのを覚ることになる。年々老いて行く男から逃れたい気持ちが生じて来る。そして10年目、買い物に寄ったコンビニエンスストアの店員に「“尋ね人”に自分の顔が載っているはず」と暗示めいた表現で監禁の事実を遠回しに訴えることしかできなかったのだ。報道を聞いた時点で余りの不自然さに‘こりゃ変だな’と思ったのは恐らくこんな経緯(いきさつ)のあったせいだろう。

彼女が云うように寝室に閉じ込められて4年間の男の「殺す」が真実であったとしても、スタートは自ら望んで始めた同棲のように思える。老いてきた男に嫌気がさして逃げ出したくなった結果と思えば納得が行く。裁判はこれから始まるのだろうが、結末は自己責任の問題として解決するより他にない気がする。


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2006年3月24日 (金)

ネット書店

今は昔、家電を取り扱う店頭からはすっかり姿を消したワードプロセッサー、我が家の家内所有の現役で働いているそれには、今、ミュージシャンから轟々の非難を浴びているPSEのマークも付いていない。トナーの入手も難しくなってきた。

文章作りはパソコンに取って代わられ、据え置きは移動自由な携帯型になり、もっと簡便な携帯電話でも書けるようになってきた。すでに小説家と呼ばれる人の中からも、原稿用紙に向いペンを持つ手から携帯のテンキーで打ち込む時代にまでなったようだ。それより一歩早く小説家の手を煩わせるまでもなく、アマチュアでもセンスを持ち合わせておれば誰でも書くことが可能であり、昨年の暮には第一回野性時代青春文学賞(角川書店・フジテレビ主催)に応募した東京都の高二の男性が10万語を綴って大賞を受賞している。

興味に誘われて調べてみたところ、携帯電話の表示画面にはおよそ最大文字で35文字、徐々にサイズを下げて70、108、154文字、最小サイズになると396文字が表示可能らしい。携帯電話の平均的な表示数は100文字のようなので、10万文字となると・・・。彼は携帯電話のテンキーを使って全文を書いたが、ある程度書き溜めてからメールで送る所謂コマ切れにして新聞の連載小説の形で応募したのではないか。それにしても凄い集中力だ。通常の文字サイズではたかだか100文字で画面から消えて行く文章の流れ、構成、ニュアンスなど、原稿用紙なら楽にできる推敲を携帯の画面でするのは容易なことではなかったろう。それに誤字、脱字に加えて送り仮名の問題もある。ネットでの製本は新書で出版されるという。新書の1ページの文字はおよそ670文字、ほぼ150ページになる量だ。

私のような年齢では携帯電話のように小画面の中の100文字はとても目が疲れる。最大文字(35文字)で読もうとすると2800画面以上になるが、それを書物で比較すると広辞苑が約2700ページだ。書物で読むと疲れれば栞を挟んで休憩も可能だし、簡単に次の日にでも中断箇所から読みはじめられる。人物の人間関係を確認するページの後戻りも簡単だ。(携帯の使用勝手を知らないで書いているのでトンチンカンならお許しを)とても携帯電話で本を読もうとは思わない。まだまだ目に自信があった頃でも携帯の必要性はなかったし、何も不自由しなかった。

書店に行かないで本を選ぶことのできる利便性は認めるが、ネット書店が街の書店を駆逐することになるのだろうか。目的の書物を求めて書店に入るとする、先ず目を楽しませてくれる色とりどりの書物が幾段にも、或いは足元に山と並んでいる。デザインの違いや装釘の違い、安っぽい本、豪華な本、大きい本や小さい本、流行作家のもの、外国の作家、聞いたことのない名前、とにかく次々に目に飛び込んで来る。思わぬ探し物に当ることだってある。昨今の大容量の記憶装置は大量の書物を保存可能だろうが、本の姿が1台或いは増えて行く何台もの記憶装置やメモリーであることの空しさは堪え難い。やはり書物は手に重さの感じられるもので、開くとインクの匂い、紙の匂いがする方がいい。自宅の本棚や図書館に書物が無くなることは考えることもないだろうが、美術本や写真は日本の最高の印刷技術でみたいものだ。携帯電話で読めても最後は出版物として発刊されるようだし利便性は居ながらにして購入できることのメリットだけのようだ。ネット本では従来の書物のように友だち同士の貸し借りもできない。回し読みも不可能だ。

私の場合は書物の購入は若い頃は『日本読書新聞』という名の週1で出る確か14、5ジャンルに分類、構成された紙面の新聞だった。今では拡大鏡が必要なほどの小さな活字で物凄い数の書籍が紹介されていた。現在のような組織だった宣伝、プロモーションなどはなかった。その中から読みたいものを捜した。へそ曲がり、つむじ曲がりの私はベストセラーと騒がれるものは先ず目を通したことがない。話題にもしない、勢い小説を読むことは少ない。しかし、昭和前期までのものや、第1回芥川賞・石川達三の蒼氓(そうぼう)は読んだ。書物が可愛いくてなかなか手放なせなくて、古色蒼然たる書物も多く残っている。この愛情はパソコンや携帯電話では味わえないものだろう。

ところがネット書店の問題は、現在街に存在する書店にとって恐怖になりつつあるようだ。売り上げの減少は万引き(ネットにおいても検討中のページの切り売りが実現すればダウンロードからの印刷等の問題もうまれるが)の増加もあって死活問題に発展する可能性があり、緊急の対策が必要になっている。


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2006年3月22日 (水)

スリング(ベビー・スリング)

“スリング”のタイトルで直ぐに理解でき、具体的なものの形がイメージできるお母さんがどれだけいるだろうか。仮名文字(アメリカ生まれだから仕方ない 、sling 吊革、吊紐)だから尚更だが、日本語で云えば“赤ちゃん抱っこ紐”(紐といっても縄のようじゃない)だ。広げればハンモック状態の幅まで広がる布製で、赤ちゃんをくるんで母親が肩に掛けて抱きかかえることのできる育児用の用具だ。

日本には昔から赤ちゃんを背負うことのできる『ねんねこ』(ねんねこ半纏はその上に羽織る打掛け)という便利な育児用の必需品があった。多くの女性は母になれば赤ん坊がやっと首が座るようになるとねんねこで赤ちゃんを背中に背負って面倒を見た。後に改良されて首がぐらつくのを防ぐ首当てもついた。両手が空くから日常の主婦の殆どの家事仕事をすることは可能であった。赤ん坊は母の背中で安心して眠ることも、泣くこともできた。しかし、近代医学はこの育児の仕方に難癖をつけた。赤ちゃんの股関節脱臼が起こることを指摘した。母親の背中を跨ぐように縛られる姿勢に無理があると。その頃アメリカでも赤ん坊を背中に背負う習慣はあったが、こちらはその仕事は概ね男性の仕事であったようで、固い椅子状に作られた台を背中に背負い、そこに赤ん坊を背中合わせに座らせて縛り付け、父親が進む方向の反対方向の後ろに進む動きになっていた。以前は街なかで足をぶらぶらさせた赤ちゃんを背中に歩く男性をよく見かけたことがあった。

恐らくは“スリング”はその開発の流れの上で来たものだと想像できる。母親や父親の背中から降りた赤ちゃんは次は母(父)の懐に抱かれる格好になった。簡単なものは幾つか目にしたことがある。昔ながらの背中に背負ったのと殆ど変わらない形を多少抱き易くしただけのものが殆どで、現在も使用されている。スリングは従来のデザインから寒い季節でも赤ちゃんの足元までカバーできるようにすっぽりと布にくるんで保護することができるように工夫されている。アメリカから日本に渡ってきたのはそれほど遠くなく、2、3年前のことらしい。

20日の民放で静岡在住のある女性起業家を取り上げた。ある主婦が、結婚を機に職場を離れ、専業主婦の生活を始めた。赤ちゃんの出産、育児が手薬煉ひいて待っていた。最近毎日新聞でも続けさまに投稿された、時間がない、自分の時間が欲しい、赤ん坊が煩わしいなどと同情を欲しがる主婦がいたが、同じような悩みを抱えていたこの主婦はその解決を求めて解決策を模索した。子育て雑誌は次々に読み漁った。助産師や子育ての経験者を訪ね、意見を聞き廻った。そんな中である人の一言で一気に苦しさからの解放を味わうことができた。その人は『赤ん坊の顔を見てればいいんだよ』って云ってくれた。どうすればいいかを考えていたある日、アメリカの雑誌に載っていた“スリング”に出会った。丁度二人目の子を身籠っていた。上の子の要求をどうやって面倒みればいいのか、案じていた時でタイミングが良かった。

使ってみていろいろと改善点が見えてきた。取り寄せたものは生地が厚くて通気性が悪かった。赤ちゃんの肌に良くないものを避け、肌に優しいコットンに執着した。袋状にしてその中に赤ちゃんが入ることで窮屈になるのを防ぐための工夫も対策を取った。サンプルを20回以上作って試して現在のものに落ち着いた。昔は機能性だけを求めたが、今は母親が身に纏うことを前提に色柄も豊富になり、おしゃれを求める現代の主婦感覚にも合う品揃いであるという。

“スリング”の最大の利点は赤ちゃんと母親が顔を見、目と目が合うことだ。そしてスリングの中にいるままで授乳することも出来、赤ちゃんはお母さんの心臓の鼓動を聞いて眠ることができることだ。一日中でもだっこすることが可能だ。これなら二人目が産めるかも、と続いて出産した体験者もいた。私は一緒の時には子どもがまだ腕に抱ける幼い頃は外出時には殆ど腕に抱いて歩いた。抱っこ紐の昔風の日本式のものはあったが男が纏うにはやはり照れくさかったし、自分の腕に抱いて理解出来なくても語りかけたかった。妻はもっぱらねんねこ愛好家だった。

子育てに忙殺されているお母さんたち、このスリングは良いものだと思うよ(誤解のないように、私は商品の宣伝マンじゃない)。他人や施設に預けることばかりを考えないで、どうしたら手元に置いて育てられるかを考えて欲しい。
この起業家の興した会社は『北極しろくま堂』と云い、2号店を昨年11月3日、東京自由ヶ丘に出した。単なる商品を売るだけではなく、子育てに悩む若いお母さんたちが気軽に立ち寄ることができて、悩みやその他の育児相談もいろいろ話し合えるコミュニティーとしての役割を持たせている。
問題になっている低学年の落ち着かない子どもたち、椅子に座って先生の話しも聴けない子、お喋りを止めない子、すぐにキレる子たち、情緒不安定はその殆どは母親の愛情不足から来る。愛情とは可愛がることだけじゃない。厳しく叱る、言い聞かせる、人の話を聞く、自分の意見が言えること、他人には他人の考えがあること、女の子には優しくすること、特に他人と自分との関係は兄妹の多い家庭では自我は自然に身につくことだが、一人っ子はただ可愛がられて不自由を知らない。自立心が乏しい、親には必要であれば時には叩くことだって愛情であることなのに猫のように可愛がるだけ、所謂甘えさせるだけの猫可愛がりというものだ。このように育てられた子が小学校に上がってきて学級崩壊の引き金になる。親が子育ての責任を果たしていないから。

過去の遺物、或いは過去の神話のように云われる『躾けは3歳までに』は厳然として今も生きている古人の知恵であることを知るべきだ。

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2006年3月21日 (火)

小5男児自殺

次から次に起こる少年事件で、すでに新しくもないニュースになるが、つい先日(16日)、北九州市の市立小学校で女教諭から叱られた5年生の男の子が、帰宅後自宅の居間のシャンデリアに犬の散歩に使う紐を掛け、首を吊って死んでいるのが発見された。介助した時点ですでに脈拍もなく、すでに死亡していた。後に見つかった漢字練習帳に「○○死ね」と担任の女教諭の名前が書かれていた。

その日は卒業式の前日で、教室の掃除をしている時だった。紙を筒状に巻いて固くしたものを振り回し、近くの女子生徒を叩いたものである。女子生徒の連絡で女教諭は男子生徒の胸もとを掴み、何度か揺すって叱りつけた。男子生徒は教室にあったペットボトルを投げ付けて教室を出て行った。これが一連の流れのようである。
事件について女教諭は「厳しく叱ったのは事実。このような結果になり申し訳ない」と云い、校長は「教諭の指導に行き過ぎた点はなかったと思うが、叱った後、フォローしなかった点は反省しなければならない」とコメントした。

昨日(3/20)自殺した少年の叔母にあたる人物がテレビ局の取材に応じ、学校側の対応には納得出来ない不明瞭さを非難していた。これに反し自殺した少年の姉が、同じくテレビの前で、家庭と学校、少年と母親、少年と教諭に関して一番全体を把握していると思われるしっかりした意見を口にしていた。自殺する勇気があるのならその気持ちを誰かに話せば良い、周りには聞いてくれる誰かがいる、と。

この男児は低学年のころからふてくされたり、物を投げるなどの行動も見られる問題児であった。担任と家庭(母親)は話し合いも持たれ、決して連絡に落ち度があるケースではない。しかし、少年は「学校をやめたい」「行くのはいやだ」などと周囲には漏らしていた。

姉の言葉からも伺われるのは、家庭が学校に頼り切り、家庭内での躾を等閑にしている様子がはっきりと読み取れる。現在の傾向だが、本来家庭で親の責任においてしなければならない躾けなのに、仕事があるから、忙しいからと学校や教師に任せ、後の責任は教師や学校にありとする。今回のようなどうにもならない子は厳しく叱る以外に手段はない。以前大島渚監督のパーティーで、酔った野坂昭如が壇上の大島渚に手を出したことがあった。すかさず大島は殴られた拍子で掛けていた眼鏡が落ちそうになっていたが、手にしていたマイクロフォンで野坂を殴り返したことがあった。

もう何年になるだろうか大島が脳出血で倒れる前の1990年代、韓国の文化人との対談の席上「バカヤロー」発言(彼の口から出る‘バカヤロー’は日本人は激情型の彼の口癖であることを知っていたが)で物議を醸したこともあったが、如何なる暴力に対しても反対の立場であることを公言して憚らない持論の持ち主であった。勿論学校教育に関してもいかなる体罰も絶対反対の立場は同じことであった。しかし、化けの皮は簡単に剥がれた。野坂の暴力に、大島も暴力で返したのだ。日頃仲の良い友人として知っていた周りは驚いたと同時に大島の非暴力がメッキであることを知った。云うことを利かない子、反抗する子、あばれる子の指導に沈着な対応が求められるのが子どもを預かる教師と云う職業だ。担任の女教諭は胸元を掴んで揺すったが、暴力でもないし、体罰でもない、どこにも落ち度はない。女生徒を叩いた子を叱るのは当然で、見逃しては女生徒に信頼を失う。

母親も教諭との話し合いで自分の子の日常の学校での行動は聞かされているはずだ。保護者として一体何を指導し、教え、躾けたのだろう。子どもは自分の思い通りにならないことは先生のせいにし、親に報告する。5年生にもなれば言い逃れの口実を見つけるのは上手いものだ。保護者はそこで叱る切っ先が鈍ってついつい中途半端な叱りかたで終わる。子どもは何も反省しない、次の日も学校に行ってまた同じことをしでかす。厳しく叱られた男児は腹いせに首を吊る。親はこのようにしか育てられなかった我が身を恨むしかないだろう。勿論学校にも、教諭にも何の責任もない。


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2006年3月20日 (月)

母子健康手帳改定案

毎日新聞(3/18)から
自民党の新人衆議院議員でつくる「男女共同参画新人議員勉強会」(会長・萩原誠司、広津素子両議員)は18日、妊娠、出産に伴う母性保護などについて定めた母子保険法改正案を議員立法で今国会に提出する方針を決めた。父親の育児参加を促すため、妊娠女性に配る「母子健康手帳」を父親も交付対象とする「親子健康手帳」に改めるのが柱になる。日本は欧米に比べて男性の家事・育児時間が突出して短く、法改正によって意識改革を図りたい考えのようである。自民党執行部も改正案を後押ししている、としている。

現在までには幾度も改正が重ねられたものだが、「妊産婦手帳」から「母子手帳」になり、昭和40(1965)年に母子保険法が成立したのに伴い現在の「母子健康手帳」に改名されたものである。「妊産婦手帳」がお目見えしたのは昭和17(1942)年7月、第2次世界大戦2年目の年である。日本の男たちは徴兵で次々と戦地に送りだされていた。すでに戦争の形勢は芳しくなく、目に見えて男の数が減っていた。国是は女性に兵士の補充が必要になり「産めよ増やせよ」と呼び掛けて子を多く産むことが奨励された。当時は妊娠中の配慮や保護といった概念は乏しく、無事に出産できればそれでよい、といった意識が一般的であった。

昭和15(1940)年当時の妊産婦の死亡件数は年間5.000人を超えていた。その原因の20〜30%が妊娠中毒症であり、その早期発見による治療、早産の予防など妊娠中の管理の重要性、なかでも死亡を減少させるためには妊娠の早期の届け出、施設での分娩の徹底が必要になっていた。【因に最近の妊産婦の死亡数は(1985年)226人、(1989)135人、(1998)86人、(2003)69人となっている】

当時は戦争中であり、様々な物が不足して配給制度になっていたが、この手帳を持っていれば米、出産用脱脂綿、腹帯用さらし綿、砂糖などの配給をうけることができた。出産すると出していた出産申告書は現在の出生証明書に近いもので、これを見せるとミルクが貰えることから届出をする人が増え、制度も軌道にのって行った。
手帳には妊産婦の心得、妊産婦・新生児の健康状態、分娩の記事欄、出産申告書が綴られていた。

昭和22(1947)年、敗戦後に児童福祉法が成立する。これに基づいて妊産婦手帳が妊娠中から出産までしか記録されなかったのを、小児まで拡大して「母子手帳」となって、昭和23(1948)年に改正された。そこには子どもの健康状態や予防接種の記録が加わり、幾つかの内容に訂正が加わったが、昭和40(1965)年に母子保健法の成立で「母子健康手帳」になるまで19年間に亙って続いていた。今でも「ぼしてちょう」と云う方が親しみを持たれて通用している。母子手帳の大きな効果として、自宅分娩の多かった戦前の習慣から入院(産院等施設内)分娩の普及(現在時、99・9%)があった。昭和22(1947)年当時4・5%に過ぎなかった院内出産、自宅出産比完全に逆転している。

その後も度々改正され、昭和51(1976)年には全面改正がなされ、従来医学的な記載が多くあったものを、妊婦たちの記録欄が加えられて、母と子の健康記録の性格が強化された。平成3(1991)年には母子保健法の改正に伴い手帳交付事務が市町村に委譲され、医学的記録と保護者等の記録の部分は全国統一とし、行政情報、保健・育児情報などの記載項目(妊産婦の健康、新生児、乳幼児の養育、予防接種、制度についての情報)のみを定め、その内容については各自治体の裁量に委ねられた。

これに対して今回の新人議員勉強会「父親も妊娠、出産や育児に参加、協力する趣旨を盛り込むべきだ」と主張している。名称を親子手帳(案)として交付対象を「妊娠の届け出をしたもの叉はその配偶者」に拡大する考えのようだ。「母性に妊娠、出産、育児への理解」を求めた規定も「母性及びその夫」の努力義務に変える案を検討している。表現がおかしいが、「母性及びその父性」はもっとおかしい。

内閣府による各国比較、1日に夫の育児・家事時間は
 スウェーデン 3・7時間
 ドイツ    3・5時間
 イギリス   3・2時間
 アメリカ   2・6時間
 日本     0・8時間
いつも日本の夫の協力が如何に少ないかが強調される比較になるが、その国の種々の国情を考慮して考える必要があり、単に数字だけを並べても説得力はない。

所管する厚生労働省はさすがに真っ当なことを云っている。
「母子の健康を守る法律だ。妊娠するのは女性であり、カルテ同様のことが記載されているものを父親に提供すべきでない」と慎重な姿勢だ。

ジェンダー流行りの昨今、母子健康手帳の母の字にこだわっているようだ。もしも父子手帳なるものが存在していれば、男だけが書かれているのはけしからん、男尊女卑だと云うことであろう。母子健康手帳は母子保健法の精神に則したもので、「妊婦は自ら進んで母子保健に関する知識の習得ならびに母性及び乳幼児の健康の保持増進につとめる」とされ、これから母になる女性に向けられたメッセージを持つものである。何も親子に改名しなくとも夫の協力は年を追って増加しており、昔は女性の側から男の立ち会いは拒否した出産の場にさえ出入りし、出産は病気ではないと理解していた男性側も、分娩の枕元で手を握り、呼吸を併せてハーハー、フーフーとリズムを取り、果ては出産の瞬間の写真さえ取られることも厭わない女性もいるのだ。生まれてから後の育児も少ないながら参画する男性は確実に増えている。手帳の名称など変える必要はなく、今のままで「母子健康手帳」で十分だ。いや、名称だけならその前の「母子手帳」の方がなお良かった。

 

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2006年3月19日 (日)

子供の小遣い

毎日新聞が16日から小遣いについて、夫婦、サラリーマン、妻に続いて今回は子供編でまとめている。

お菓子、ゲームカード、ガチャガチャ、漫画本・・・子供たちの周りには欲しい物がいっぱいある。「無駄遣いをするのではないか」、子供の小遣いについて悩んでいる親も多い。親は何に気をつければいいのだろうか。
  小遣いの移り変わり(平均月額・単位円)
 年度 小学1,2年 3,4年  5,6年    中学生   高校生
  71  749  742   804   1262   2475
  75  1111  1136   1260   2064   4002
  80  1455  1418   1621   2597   5484
  85  888  917   1175   2195   4696
  90  951  1067   1464   2692   5683
  95  1124  1147   1398   2921   6970
  00  1064  977   1423   2660   6444
  05  904  1021   1306   2877   6801     
        (金融広報中央委員会の調査による)

「小遣いをバンバン使う子と、ためる子では、どちらが安心だと思いますか?」東京都内で1月に開かれた講演会で、ファイナンシャルプランナーの上村武雄(36歳)氏は、集まった親たちに問いかけた。彼の考えでは「貯金は悪いことではありませんが、ためることだけが目的になってしまうと、使うことの難しさ、大切さを学べません。子供はお金を使う体験を積む必要があり、小遣いはそのことを学ぶ良い経験になります」ということになる。

続いて、小遣いを渡しても使わないでためる子には鉛筆、消しゴム、ノートなど文房具を親が買い与えるのではなく、小遣いから出すルールを親子で決めることを勧める。これは小遣いから買うことで、例えば鉛筆なら大切に使って、節約して買うことを覚える。親は無駄遣いを着にするが、「小さな無駄遣いを経験してこそ、お金の本当の大切さを学ぶことができる。大人になって無理な借金をして欲しい物を買ったり、ギャンブルに大金を費やさないようにするためには、子供のうちから正しい金銭感覚を身につけることが必要です」とも云う。

では、親は子供への小遣いをどのように渡せばいいのか。彼は「親の教育方針によって異なる」としながら、月単位で決めた定額を渡すことを勧めている。「欲しい物がある度に渡しているやり方を続けると、子供は『欲しい物があれば、お金はどこからか出て来る』といった誤った金銭感覚を身につけてしまう危険がある」と説明している。

本当にそうだろうか、私の考えは全く違う。子供に小遣いを上げる習慣は、貧しい時代の日本にはなかった。必要な最低限のものを親は買い与え、子供はそれ以上を求めることはなかった。その時代の日本人に、金銭感覚がなかったというのだろうか、上村氏は。子供は貧しくても必死に働く親をじっと見て育った。父親が毎月貰って来るお金が大切なことは母親が子供に教えた。鉛筆一本子供の指でも使いづらくなるほど短くなるまで余分なものは与えてくれなかった。《労働の対価》という言葉は知らなくても、父親が働いたことで手にしたお金であることは子供たちは全員知っていた。大事に使わなければならないものとの認識も持っていた。学校に必要な物は父や母に云えば苦しくても何とか工面してくれた。何でも云えば買ってもらえる、というような生易しい家庭ではないことは兄妹皆が理解していた。私は自慢じゃないが高校生活が終わるまでに、小遣いは一度も貰ったことはない。ただ一度だけ、絵が好きで堪らなく欲しくなった創刊号の芸術新潮を父から買ってもらった。シャガールが日本に始めて紹介されることになった記念の号だ。それで特に学生生活に不便を感じたことはない。授業料はお陰で免除される生徒ではあったが高校は無事に卒業した。

冒頭の小遣いの変遷をみても、如何に恵まれた家庭が多いのかと、驚く。一銭もやるな、とは言えない時代になったことは認める。然しながら小学生に金をやって使い道を勉強させるなどナンセンスだ。前にも書いたが、私の子供には私たち夫婦の両親からの入園、卒園、入学、卒業などに折に触れ金銭を贈られたが、都度子の欲しがる物を購入し、生活費に流用し、子供には与えなかった。正月のお年玉など考えもしなかった。お金が労働の対価であることが理解できるまでは無用のものだ。

今では少年法で禁止されているが、新聞小僧が毎早朝、肩から抱えた新聞の束を家庭に配っていた敗戦後。小学生、中学生になると貧しい家庭の子はそのようにして働いて収入を得、家庭の援助をした。立派に体で稼ぐことを学んでいた。はっきりと労働と賃金のことを理解していた。この当時に携帯電話でもあれば自力で購入したであろうし、通信費は働いた中から支払うことが可能だったろう。今、毎月小遣いをもらっている子供たちは通信費の負担、ゲームの電気代など、上の表の毎月もらう小遣いの中から支払っているのだろうか。

金銭感覚というのは労働の対価としてのお金をどのように認識するかということで、単なる使い方の多寡や用途をいうものではない。そんなことは今の時代、それこそマネーゲームとして幾らでもパソコンで可能だ。この方がよほど多彩な選択肢が揃っているし、子どもは熱中できるのではないか。実際のお金を持たせることは‘百害あって一利なし’だ。早い話携帯電話代に親が驚く金額を支払わされている家庭だって多くある。その電話の内容を確認している親はどれだけいるだろう。電話器を子が小遣いの中から購入したものであったとしても、子の電話の内容は監督下にある子の親として、チェックする責任があり、監督責任からも見る権利があるのだ。

子どもに小遣いはやらないに限るが、たとえやるとしても極力少ないに越したことはないし、毎月やることもない。

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2006年3月17日 (金)

「命」の授業

『今一番アイガモに云いたい言葉は「ありがとう」です。本当にありがとう。』
小学生の横で紐に吊るされたカモが「ガーガー」と鳴く。学校で世話をしてきた13羽と最後のお別れ。5年生の飛松利菜さんが代表で作文を読んだ。
並んで吊るされたカモの首に農家の人たちが包丁を入れて行く。赤い血がポタポタと落ちる。「うわあー」。放血にあちこちから声が上がる。女子の多くは遠巻きになり、友だち同士で身を寄せあった。みんな涙で目が真っ赤だ。

鹿児島市立川上小学校(永田房志校長)で1996年から続いているアイガモを使った無農薬栽培で、役目を終えたカモを子どもたちが保護者と近隣の農家とさばいて食べる活動が続いている。命と食の大切さを実感する全国でも珍しい取り組みをしている。子どもだけでなく親にも貴重な体験となり、地域を繋ぐ役割も果たしている。

2月5日。青空が広がった日曜日の朝。田園風景が残る鹿児島県の北部の川上小は、今年も「アイガモの命をいただく会」を開いた。学校に近い農家の庭に約200人が集まった。5年生3クラスの児童と保護者、カモの解体を手伝う農家の人たちだ。

咽を切られて息絶えたカモは毛をむしり易くするため、バケツの90度の熱湯に浸される。むせるような臭いが漂う。再び吊るして毛をむしる段になると男の子たちは笑顔で寄って来た。毛をむしり取られて丸裸になったカモをバーナーで残った毛を焼き切る。皮の焼ける香ばしい匂いが鼻を刺激する。

このアイガモは学校近くの10㌃の田んぼでせっせと働いてきた。害虫や雑草を食べ、糞は肥やしになった。川上小では5年生がアイガモ農法の米づくりを体験。現在は「総合的な学習の時間」で続けている。5月の種籾の選別から苗代作りから田植え、稲刈り、などの全てを体験する。収穫を終えたあとのアイガモは農家に譲っていたが、6年前この体験学習でカモを食べようと提案したのは当時の5年の担任だった東睦美教諭(58歳)=現・同市立草牟田小=だった。

当初、猛烈な反撥があった。「残虐な事件が多いのに、学校で動物を殺すなんて」「子どもにショックが大き過ぎる」など。PTAとの話し合いは5、6回に及んだ。迷いもあったが東教諭は「アイガモ農法は無農薬米とカモ肉を同時に得るのが利点なのに、アイガモの最後を見届けずにいた心残りが決断させた」と当時を振り返る。

子どもたちは今年も「命をいただく会」までに何回も話し合った。それぞれに名前をつけて可愛がったカモ。家畜とはいえ命を奪うことに葛藤があった。昨年12月16日、5年生31人は最初の話あいを持ち、「アイガモに感謝して食べたい」「かわいそう」「残したいけど自然に放すと生態系が崩れる」予定の3時間を超えて話し合いをしたが「食べたくない」が7人残った。

結局「命をいただく会」には参加を強制せず、子どもの意志を尊重した結果、各クラスで3、4人が参加しなかった。作業が進むに連れて賑やかになり、カモの解体になると女子も積極的に加わった。
「今の世の中は情報は沢山あるけれど、食べることの意味を忘れているような気がする。いろいろ考えさせられました」男子生徒と参加したお母さんは興奮気味に語っている。お昼時になり全員で手を合わせ、肉を美味しそうにほおばった。

子どもたちの感想文
「毎日当たり前のように食べていたものは、一つ一つの大切な、かけがえのない命だったんだ」
「今日のごはんはぶた肉があり、牛肉があり・・・これ全部命があったものなんだ。こうやってまた明日も命を食べ続けるんです」
食の細かった子が給食を毎日お替わりするようにもなった。給食の残飯は大きく減っている。3組の大山トモ子教諭(47歳)は「子どもたちは食べ物を見て命を感じられるようになった。大人でも『命があった』と意識できる人は少ないのに、命の大切さをアイガモとの体験を通して感じられる。生きて行く上で一番大事なことではないか」と。

素晴らしい授業が行われていたんだ。“いただきます”さえ碌に口に出来ない大人がいる中で、動物の命を奪うことで人は生かされていることを学び、感謝することを学んでいる。毎日のように少年の犯罪が報道される日本で、奪われる側の命を考えることを学んでいるのだ。

私の母も鹿児島の出身だった(故人)。近畿に来てからも鶏は家庭で捌いた。やはり家で飼っていたものだった。放血の場にも立ち会った。最初に見た子どもの頃はポトポト滴る血に凍りつくような悪寒を覚えたものだ。「かしわ」は関西でも口にする食し方だ。中学生になる頃から肉は避けるようになった。軍人になり戦死する姿を想像し、死と向き合い、生を渇望する年になっていた。動物(人間も同じ動物)の生と死についての考えに取り憑かれた頃だ。

2、3日前滋賀県の猿害に悩む人たちのサルを殺害賛成派と反対派の討論が報道された。市が殺害を認める前の集まりだった。現地でサルに生活を脅かされている住人に対し、反対派には他県からの愛護団体も加わり、噛み合わない話し合いがされた。反対派の根拠に驚いたが「体つきも一番人間に似たサルを子どもたちの前で殺すのはいかがなものか」この人たちはどうやら人間が一番偉いと思っているらしい。傲慢としか言い様がない。この攻撃に対して村びとは殺して悪いのなら「捕まえるから(反対派のお前たち)連れて返ってくれ。それに殺した牛や豚を食べたことがないのか」となった。すると「サルは食べない」と。何故牛や豚がよくてサルはいけないのか。同じ命だろう、何度も書いてきた。サルに限らず鯨の時もそうだった。「人間の次に利口な鯨を殺すのはいけない」と云う。人間が一番偉いなんてお笑いだ。傲慢だ。鹿児島の小学生にも劣る貧しい論理だ。

毎年「命」を見つめ直す子(親も)が日本の片隅で数を増やして育っている。


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2006年3月16日 (木)

女の気持ち —つづき—

昨日の嫌な主婦たちの事を書いて明けた今日、同じ主婦ながらホッとできる2人の女の子を持つパート勤めの女性(37歳)がいた。

千葉県にお住まいの主婦だ。先日の「自由時間が欲しい」という投稿を読んで、長女が赤ちゃんの頃を思い出して書いておられる。
実家は遠方で、夫の帰宅は毎日遅くなり、この主婦は一日中一人で子育てに明け暮れる生活が続いた。たとえ「10分でもいいから私にください」という気分であったと当時を振り返る。パートを始めたのは長女が1歳の時。気が紛れることもあったけれど、仕事と育児に追われてますます自分の時間が亡くなって行った。とても2人目を産むこと考えられなかったらしい。
しかし、長女が4歳の時、ふと自分に余裕ができたことに気がついた。「2人目が産めるかも!」と急に思ったという。

そう考える切っ掛けになったのが何であったのかは書かれていないが、この主婦は長女が6歳になった年に二女を出産された。世間の噂では聞いていたようだが、2人目の子育てはうそのように楽チンです。と書いておられる。とにかく手が懸からない。それは妹がすべてのことを姉を手本に学ぶ知恵を持っているからのようだ。母親があれこれ教えることもない、苦しんで育てた長女のために買った育児書も一度も開くこともなかった。そして次女は2歳になっている。そして今、自分は自由時間が欲しいとは思わなくなっている、という。小さくて可愛い子どもと過ごせるのは今だけだから、できるだけ一緒にいたいと思うようになった、と結んでおられる。

このようなお母さんに育てられた子どもさんは躾も行き届き、自立心の強い子になるだろう。‘自分の時間’に、或いは‘自由’にこだわる主婦たち、政治が悪い、世の中が悪いとばかり云っていても解決はしない。上のように子育てこそ自分の時間であることをこれほどはっきりと把握している女性がいるのだ。自己中心的な狭い宇宙の中で勝手気侭にできることが、自由と思い込み、それには子育てすら邪魔にする。子を産んだ以上は育てる責任が伴うのだ、責任を放棄して自由などあり得ない。
今朝もテレビは19歳の大学生が中学二年の女生徒を刃物で刺したことを報道した。女の子が交際を嫌がったから、というだけで。学校側が報道陣の前で何かを口にしたが、なんで大学が出て来るのか、取材に訪れる取材側もそうだが、答える大学側も変だ。これは大学生を育てた親にこそ取材はするべきで、何ごとにつけてもピントの狂った世の中になっている。事の善悪、道理を教え、躾ける親がいなくなったのだ。未成年とはいえ19歳、余りにも幼稚に育てられた若造だ。14歳の思春期の成長期にある女性の心の中は読めないが、人間形成に向ってまっしぐらに進んでいる最中だ。目に写り耳にする色んなことに関心を持ち、自分自身の価値観を育て養うことに喜びを感じ、日、一日成長し続けている年齢だ。当然幼い子どもの目で見ていた異性への関心も、幾つもの選択肢が増えて行く。

己自身の成長も出来ず、幼稚なままで図体だけ大きくなった大学生。大学は学問だけが優れていれば入れるところ。その人間の人格までも調べないし調べられないで門を潜ることができる、出ることもできる。だから現在の官僚たちの無駄な税金泥棒のような生活も臆面もなく可能になる。子どもは親の背を見て育つ、とは昔から云われる言葉、しかし、これは親への尊敬の念が心にあっての例え、親子関係が喪失した現在では親の背を見る子は居ない。逆に親も背が見られてはならないことの方を多くする。あらゆる規則など破るためのもの、とも見える行為は決して子どもに見せられるものではない。

今、日本には厳しい躾ができる親が殆どいなくなったし、善悪を教える親も教育も力をなくしている。

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2006年3月15日 (水)

女の気持ち

毎日新聞‘いきいき生活’のページに男女交互に女の気持ち、男の気持ちをそれぞれに意見交換できる場がある。3月8日に載った東京都町田市の主婦(34歳)の「少子化」という意見に同調する似たような子育て主婦から意見が寄せられている。一人は千葉県の匿名さん(34歳)もう一人は北海道の主婦(31歳)である。

先ず先陣を切った町田市の主婦の言い分を聞いてみよう。
 もともと子どもは苦手だった。産まないつもりだった。なのに「自分の子はかわいんだって」、そんな言葉を少し信じた。
 確かに無性に可愛いく思える瞬間が1日に何度かある。でも、私には子育てが嫌でたまらない瞬間の方がはるかに多い。
 キャリアウーマンだったわけでもない。すごい趣味を持っていたわけでもない。ただ、自由時間が長過ぎたのかもしれない。
 毎日の家事、買い物、食事、入浴、睡眠さえ自由にならないことへのいら立ち。泣かれることでのストレス。新たな人間関係。子どもを産まなければ知らなかったことがとてつもなくたくさんあるけれど、やっぱりこの世界に足を突っ込まなければよかったと思う。
 やっと1歳5ヶ月。順調に育ってくれている。でも・・・「もう1人?この子の手を引いて?無理無理、私には耐えられない。生まれて来る子も可哀そうだよ」
 同じ思いの人がどれくらいいるか分からない。けれど、少子化もニートの増加も同じところに原因がある気がしてならない。生きて行くには考えが甘いのは分っている。でも、自由時間が欲しい。頼りにしている育児書には「できるだけ子どもの好きなようにさせてあげましょう」と書いてある。少子化は止まらないと思う。
 
♦先ず最初に感じたことは、旦那が可哀想、という感想。この主婦は始めから子どもが欲しくて産んだのではないこと。結婚してたまたま妊娠し、嫌だけれど産んでみただけのようだ。その結果子育てが堪らなく嫌になることの方が多い。毎日の家事として上げているものに、子育てと併せてどれほどに大変なものがあるのか。子どもがいようがいまいが夫婦二人の生活は生きるためには必要だろう。まして子どもが泣くのは当然のこと、泣くのが仕事だ。

そう、民放で3、4年前からドキュメント仕立てで放送している大家族がある。母親の家出を境に一家を切り盛りする長女(今年17歳)の話だ。たしか父親と彼女の下には6人の妹弟がいる。一家の面倒を見なければならない彼女は高校進学を止め、母親役に徹することを決意する。早朝起きると先ず父の弁当を作る、直ぐ下の妹や弟たちの弁当を作りながら家族の朝食を準備する。手の掛かる幼児を起こし着替えをさせる。妹弟を学校へ送りだすと部屋の掃除、父親を始め家族の洗濯をする生活が始まる。遡って彼女15歳の時、兄とも慕っていた男の子を身籠る。それを知った時の父の驚愕振りは想像を絶する。幼い生活力のない相手の男、親たちの拒否に親娘は話し合い、出産を決意する。父親が責任を持って守ることで娘も安心して16歳で出産する。家族がひとり増えたこの家は、成長して来た次女は家事手伝いを進んでするようになる。幼い子供達も新しい家族を交えて一層強い団結が生まれる。

これを見ていてつくずく思う。どうして大家族になるほど兄妹たちの絆が強くなるのか、と。喧嘩は絶えまなく起こる、男の子も女の子も手を出す足を出す。必ず上が仲裁に入る。より強く結ばれて行く家族愛が母代わりになった長女を中心に形作られる。父と長女の心の触れ合いは苦労していることを感じさせない暖かい温もりを醸し出す。生まれた子の泣き声で次女の入試が乱されるのを気にして長女はそっと抱きかかえて部屋を出る。撮影スタッフが「赤ちゃんの泣き声にイライラすることはないのか、かっとすることはないのか?」との質問に、「ぜんぜん、だって赤ちゃんが泣くのは仕事だもん」と答える。“偉いよ、その通りだ”と見ている私は泣きたくなる気分でそれを見ていた。子どもを抱え、下の妹の手を引いて、その日は特別に寒いから、と近くの建設現場で働く父の元に熱いお茶を沸かして持って行く。父が美味しく飲む姿を見、飲み終わるのを待って持参したポットや湯飲みを片付けて、また幼い子の手を引き、赤ちゃんを抱いて帰って行く。

一家を切り盛りする17歳になった少女に比べてなんとだらしない冒頭の主婦なことか。全てが言い訳でしかない。そして未だに呑気に過ごしていた一人身のぐうたらな生活を懐かしむ。二人目の子は?とんでもないことと逃げ腰だ。兎に角自由時間が欲しいと。現在の主婦には昔(そう昔の話)の苦労は時代が違う、とだけで思っても見ないだろうが、毎度毎度の食事も電気炊飯器というものはなく、水は(多くの家庭は)井戸から汲み上げ薪を焚いた。洗濯は自動洗濯機は空想の物体、盥(たらい)に水を運び、固体の石鹸を使い洗濯板で一枚一枚手でゴシゴシやる、赤ん坊の襁褓も便利な使い捨てなどない、大人の着古した着物を潰したものを仕立て、繰返し使うから汚した汚物も手で洗い落としてから何度も何度も水を取り替え洗っては漱ぐ。掃除機はない、洋間の殆どない時代、障子にははたきを掛け、畳の部屋を帚で掃き清める。洗濯物を干す頃には昼がとっくに過ぎていることや夕方まで続くことだってある。赤ちゃんがいれば家事の合間合間にあやし、授乳させる、泣いても構ってやる時間はないほどだ。これを忙しいと云い、自由がないというのだ。

それを少子化もニートの増加も同じ原因と見る。とんでもないことだ、働く意志もなく、勉強する意志もない。ただ息をして食べて寝てるだけだ。それを見ている甘やかすことしか能のない(脳もない)親がいる。

次に同じ34歳の主婦は、
私とおなじだ!。先の主婦の気持ちをうん、うん頷きながら読んだ、同じく自由時間が欲しいと。1歳5ヶ月の男の子の母親である。云うことが凄い、今は私は自分の人生を歩んでいるのではなくて、子どもの人生の一部として費やされているような気がする、付属になっている気がする。「私」として生きたいと云い、4月から仕事に復帰すると云う。

♦このようないい加減な女性は職場にはいらない。子どもを邪魔にしてどうして母親だ。子どもがいるから自由がない、私じゃない。だったらあなたの云う「私」って一体何?兎にも角にも子どもを邪魔者扱いすることは止めて欲しいし、まだまだ離乳するのは早過ぎる。もっともっと子どもの側にいて母親の愛情を零れるほど赤ちゃんに注ぐことだ。かの女には母親として愛情の一かけらも見えない。彼女が考えていることは他人に子どもを預けて早く金銭を手にすること。その職場復帰にどうしても子どもが邪魔になるからこれならもう二人目は要らないと。巷間頻りに格差拡大社会が取り上げられる。これが金科玉条になって子どもを放って働くことがやむを得ないことのように云われている。しかし、社会の格差が広がろうと狭まろうと親が子に注ぐ愛情に差があって良いわけはない。

3人目の少し若い31歳主婦の話。
母親の自由時間、これは母親の精神的安定にとって、一番重要なのではないか。2歳の女の子の母である彼女は毎日毎日終わりのない子育てと家事に追われる。ささいなことで子どもを怒鳴る。もともと一人の時間をとても大切にしていた性格だったとしている。少子化対策と同時に母親対策として町やデパートで気楽に安い一時預かり施設があればいい、もし次の子が生まれれば上の子をどのように面倒見ればよいか。今までのように育児支援を当事者の祖父母に期待している流れではむりがある。

♦毎日毎日の終わりのない子育てと家事は当然だろう、子育ての終わりは親が死ぬか子が死んだ時だ。子を産んだ以上子育ての終わりは来る訳がない、子が大きくなっても子育ては続く。それが嫌なら始から結婚などしないがいい。頭から嫌々やる子育てだから直ぐに怒鳴る、叱る。被害者意識で誰かにそうか、可哀想に、よしよし、と哀れんで慰めて貰いたい。誰もそれが主婦の仕事で当然だと云ってくれない。知恵のある先輩の両親を避けて家庭を持つことは子育ての辛さは当初から分かり切った話だ。現在の主婦たち子どもを他人に預けることしか考えない。肌身はなさずの子育てをしない。背中に背負われて(夕焼け小焼けの赤とんぼ、背負われて見たのは何時の日か)母の背の温もりを懐かしむことのできる子どもはいなくなった。泣き虫の私は母ではないが祖母の背を錯覚かも知れないが遠い幻の記憶にある。町の中にでるぐらい、デパートで買い物をするぐらいの時間を何故子どもを邪魔にするのか。そんな気持ちで出歩くから迷子の館内放送は必ずと言えるほど日常茶飯事で出来(しゅったい)する。前にも書いた、結婚したからとて何も家を出ることはない、両親との同居を避ける風潮を改めて家族団欒の昔の姿に帰ればいいことだ。年老いてちょろちょろ走り回る子の面倒はなかなか手が掛かるが、これも祖父母の老後の楽しみでもあるのだ。

土地も潤沢にある国でもない、今は狭い土地に上に上にと伸びる住宅が生まれているが、世間を騒がせている耐震構造のごまかしで泣くことも無くなるだろうし、それほどまでに家やマンションを造る必要もなくなる。2世代3世代の集まった家族がどれだけ楽しいか分かるだろう。

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2006年3月13日 (月)

今日は何の日?

西暦269年、時のローマ皇帝クラディウス2世が兵士の自由結婚禁止令を出した。これに違反してバレンタインは秘密裏に兵士と女を結婚させたが捕えられて刑死する。処刑されたのが2月14日。バレンタインは後に聖人に列せられて聖バレンタインとなった。バレンタインの殉死から1ヶ月後の3月14日、その男女は更(あらた)めて二人の永遠の愛を誓いあった。これを記念したのが今日の日である。

バレンタインの日にはヨーロッパでは花やケーキやカードなどを贈ることが多い。日本のようにチョコレートだけというのは珍しく、また、女性から男性にというのも日本だけの特徴になっている。ヨーロッパで全く無いわけではなく、イギリスで19世紀から20世紀初頭の頃にチョコレート(キャドバリー社)も贈り物に混じるようになっている。

日本で始まったバレンタインの日は、女性の側から愛の告白をすることができる(習わしが始まった頃は日本の女性も淑やかで、女性からの告白は難しい時代であった)日として意味付けられてもいたが、現在では恋愛にも積極的な女性たちは三倍返しを狙った義理チョコを数多くばら撒き、お返しを期待するらしい。行事が定着した現在では隔世の感があるが、1936年に神戸のモロゾフ洋菓子店が国内の英字新聞に「バレンタインチョコレート」の広告を出してから22年、1958年に東京・伊勢丹で「チョコレートセール」を開いたのが始まりの現在に続く風習が根付いた。始めた年は兎に角売れなかったらしい。3日間でやっと3枚、総売上金額170円というものであったらしいが、現在ではチョコレートの売り上げは年間売り上げの4分の1がこの日に消費され、業界にとっては日本人の付和雷同性を見抜いたほくほくの企画であったことを裏付けている。

ジェンダーだジェンダーフリーだと姦しい時代、女から男にチョコレートを渡すとはけしからん、男尊女卑の習慣だ!と仰る人たちが、男から女に渡すべきだとこれまた寝ぼけたことを口にするって本当?女尊男卑ならいいのか。男女はいけない女男(何と読む?)にしろ、名簿を男から先に読むのはけしからん、と同じ愚劣な意見だ。もともと宗教心を喪失した日本人、キリスト教の由来を餌にして菓子協会が乗っかっただけで始まった風習だ。女だ男だと云う前にこんなバカな風習を無くした方が余程良い。

これには未だ続きがある。今日の命題、3月14日は何の日?
先に始めたチョコレート業界だけが甘い汁を吸うのを黙って見ている訳に行かない菓子業界。何かないかと捜したら、そうだ、これこれ、って云うものが見つかった。冒頭に書いたバレンタインに助けられた兵士の夫婦だ。バレンタインの犠牲の上に更めて愛を誓ったのが1月後の今日3月14日だった。これを利用しない手はない。向こうがチョコレートならこちらは菓子(キャンデー)で行こうじゃないか、となった。仕掛人はホームラン製菓、カンロ、篠崎製菓、宮川製菓、扇雀飴本舗、みやこ飴本舗である。1978年「ホワイトデーはキャンデーの日」と決めて1980年3月、全飴協会関東部会が第1回ホワイトデー“愛にこたえるホワイトデー”(バレンタインデーを意識した命名にして)として、当時若い世代にチョコレートのお返しをしようという風潮が生まれていたのを上手く生かした。ヨーロッパではこの日はポピーデー、クッキーデー、マシュマロデーなどと呼ばれているが、勿論日本のようなバカなことはしていない。

日本はチョコレート業界だけが儲かるのを睨み、何とかお裾分けをと狙ったキャンデー業界の販売促進のためのキャンペーンだった。『ホワイト』の由来だが、飴の原料の砂糖が白色のために命名されたものである。軽佻浮薄な世相を表わして男も女も目の色変える日になったようだが、今年人気を集める男のお返しは、チョコレートやクリーム色の小さなタオルをケーキのようにあしらった「タオルケーキ」。これは可哀想にも夫が貰う義理チョコのお返しに奥さま方が代わって買い求めた傾向が見られ、3月の初めの1週間で1000個が売れた西武百貨店、ある男性は525円〜2000円の商品およそ20種類のものを一人で70個も買った松屋銀座。こんなバカな男がいるから下らない風習が生まれるんだ。お返しなどしなければ女もチョコを贈るまいに、みすみすお返しなどするから詰まらない散財をする羽目になるんだ。有り難迷惑とは思わないのだろうか、今の男は。つまらない習慣を人付き合いのため、人間関係をよくするため、などと錯覚しないが良い。

先に触れた禁止令が出てもなお、バレンタインの助けを借りたにしても愛を成就した故事に従えば、相思相愛の男女の仲で済ませばいいことだ。なにも菓子業界の金儲けの片棒担ぐことはない。

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2006年3月12日 (日)

産婦人科医不足

今から凡そ60年前の頃、私はそろそろ学校へ行く時間になっていた。中学(旧制)入試に合格した頃だ。父の勤める会社の社宅生活をしていた。母はいつも通りに長い柄の座敷き帚で部屋の掃除を始めた。はー、はーと荒い息を吐きながら数分経っていた。私は玄関に向って歩き始めた時母が急に使っていた帚を置いて苦しそうに祖母を呼んだ。「おばあちゃん、出る、もう出る」祖母は急いで母に近づいて押し入れから蒲団を取り出して母を寝かせた。母が横になって数分経った頃赤ん坊の泣き声が聞こえて来た。一番下の弟が生まれた瞬間だった。勿論出産のためにわざわざ病院に入る人など聞いたことのない時代の話だ。何処の家庭でも出産は自宅で産み、それで済んでいた。通常の出産は病気ではないことを誰もが認識していた。

私は弟の出産時にまだ玄関を出ていなかったお陰で母の出産、祖母の手助けを知ることができた。当時は日本の至る所、村や町に出産を介護する産婆(さんば)さんがいた。近くに妊婦がおれば隈なく家庭を訪ねて廻り、出産までの介護をしてくれた。私の祖母は明治の始めの人で産婆ではなかったが、医療制度の十分ではなかった時代の女性は自力で出産を済ませたり、年配者から受け継いだ介護を身につけていたようだ。私の少年時代、母の出産だけでなく、社宅の人や近所で出産があれば慌てて呼び出しを受け、しばしば出向いて介護していたのを覚えている。女性が子どもを産むことは当たり前の事で、医者に掛かることは余程の危険が予測できる場合に限られていた。(正常、異常の判断も産婆がなし、異常が認められて始めて産科医に委ねられ。それまで産科医は妊婦に立ち会うことは許されなかった)所謂上流階級の生活は知らないからその人たちの家庭での出産の様子は分からない。

産婆さんは現在の助産婦の前身である。近代国家を目指す明治政府はそれまでの日本女性の「出産」のあり方を一変させた。それまでの出産は家族や近隣の出産経験を持つ女性の援助を受けて自宅の土間や納戸、或いは産小屋(うぶごや)で行うものであった。そしてその多くは自力出産で、膝をついたり、天井から下げた綱に掴まり、自力分娩で娩出力が加え易い姿勢を取っていた。お産や援助の経験のある女性がある程度職業化してトリアゲバアサンと呼ばれる便利な立場を築いていた。私の祖母がそれに当るのだろうが、明治初年、12月24日の産婆取締規則で規制されたにも拘わらず、1945(昭和20)年の頃までは現実にはそのような女性が存在して、急には間に合わない出産時の介護に当っていた。

1948〜50年の頃各大学に付属していた産婆教習所や、看護婦養成所と産婆養成所併存していた所も廃止になったり改名して看護婦養成所に統一されて行った。話は飛ぶが、“看護婦さん”という優しい響きが消えて看護師となり、おかま流行りの現在の日本には相応しいのかも知れないが古い人間にはやはり、看護婦さんでいて欲しかった。

閑話休題
今日(3/12)の毎日新聞記事。『逮捕・起訴の衝撃』で福島県立の大野病院で04年12月に帝王切開の手術中、当時29歳の女性の胎盤を剥がせば大量出血の恐れがある「癒着胎盤」と知りながら、手術用鋏で胎盤を剥がし出血死させたとして手術を執刀した産婦人科医加藤克彦(38)が、業務上過失致死と医師法違反の罪で逮捕・起訴された。当初病院側は医療過誤との認識はなく、異常死の報告をしていなかった。

福島県は事故後、院外の医師で事故調査委員会を設置。昨年3月にまとめた最終報告で
 ① 癒着胎盤の無理な剥離
 ② 対応する医師の不足
 ③ 輸血対応の遅れ
のミスと結論付けた。

全国の医療関係者が「通常の医療をして逮捕されるのか」と反撥、逮捕した福島地検は「手術ビデオや心電図記録、遺体がなく、関係者の証言が最も重要として身柄の拘束をした。正直に話してもらう必要があり、口裏合わせの恐れもあった」と証拠隠滅の可能性を指摘している。

逮捕された加藤医師は、県立大野病院でただ一人の産婦人科医だった。こうした体制は「一人医長」と呼ばれ、産婦人科では珍しくない。なり手が少なく、確保が難しいからだ。特に産科は、昼夜を問わない過酷な勤務で出産トラブルに伴う訴訟も多い。厚労省によると、04年度の産婦人科医は約1万人で10年前より約1000人減っている。加藤医師は大学病院から派遣された医師で、同じように産婦人科医が一人という病院は132施設と全体の14%に上るのが実態である。(日本産科婦人科学会の調査)
調査は医師を派遣している大学病院計110施設を対象に実施されたもので、05年7月1日現在のものである。その結果派遣先で一人院長の病院の割合が最も高かったのは北陸で、73病院のうち21病院(全対比29%)。東北がこれに続き、87病院にうち20病院(同23%)に上り、北海道ぼ47病院のうち9病院(同19%)が一人院長だった。一方最も低かったのは関東で、236病院中15病院(同6・4%)近畿も150病院中13病院(同8・7%)だった。

愛育病院の中林正雄院長は「今回の事件で志望者は確実に減る。最善を尽くしたのに犯罪者になるのではやってられない」と言い切る。また筑波大学吉川弘之教授(婦人科腫瘍学)は「新人医師は臨床研修で産婦人科のしんどさを知り、敬遠するようになっている」とも話す。

加藤医師がいた県立大野病院は11日から産婦人科を休診にした。県立医大が代わりの勤務医を派遣できなかったからだ。「このような状況では日本の医療は崩壊する」として、加藤医師の逮捕に抗議する声明に賛同した医師は10日現在で800人を超えた。

厚労省の妊産婦死亡研究班の吉祥寺南町診療所長は「大量出血はどんな出産でも起こりうるとして十分な医療スタッフと輸血用血液を30分以内に入手できる態勢を整えるべきで、今回は不十分だったと批判している。一方で「日本の出産は大野病院も含めて殆どが不十分な態勢だ」と指摘する。「県の報告書は輸血用血液の準備不足や人手不足を指摘するが、血液は400㍉㍑一万円もして事前に数㍑も購入するのは無理。他の病院から応援医師を雇うのも産婦人科医個人の権限を超える」と話し、今回の事故は態勢の問題で、医師個人の起訴は不当であると訴えている。

敗戦後10年ほどは婚期を逃していた女性や未亡人が多く、女性の結婚難は戦争の傷跡としても残っていたが、1955年頃になると適齢期の男女はほぼ同数になり、皇太子の結婚(1959年)にあやかる結婚ブームは翌年には空前の結婚ブームを起こした。その当時すでに女性の結婚に対する条件に自己主張の傾向を持ち始めていた。「家」のしがらみを嫌い長男を避け、長身を条件に相手を選び、姑との同居を嫌った。『家つき、カーつき、ババア抜き』なる老人を蔑んだ囃子言葉になり、マスコミも面白おかしく新聞紙面を飾った。

それから半世紀、「家」を嫌って来た女性は先ずは住む家が持てる経済力のある男を捜さねばならず、協力して稼ぐために子どもを他人に預けなければならない状況を招き、人生の先輩の知恵を学ぶこともできず、ますます際限ない自己主張を叫ぶことになった。女性の働き易い職場を、子どもを預けられる一持預り所を増やせと。親の育児責任を半分他人に預け、その注げなかった半分は甘やかすことで贖罪意識を満足させて足れりとする。他人のミスには容赦なく襲い掛かり、預けている間に怪我でもしようものなら完膚なきまでに叩きのめす。

今回の産院の事故も同様だろう。確かに医療事故が目立つこともある。しかし、人智の及ばないことだって幾らでもある。全国の医療関係者に「通常の医療をして逮捕されるのか」と言わしめるようなことでは心配されるように産婦人科医になる人材が‘触らぬ神に祟りなし’で出産は今以上に命がけになり、少子化はますます加速して遠からず日本という国は消える運命に陥るだろう。すでに全国で小児科医の不足も先に現実の問題となっているのだ。

私は日本の荒んだ現状は敗戦後の家族制度の崩壊が最大の原因だと思っている。古い制度を打ち壊したのはいいが、それに代わるものが未だに見出せないでいるのが現実だ。

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2006年3月11日 (土)

無免許運転

連日のように高校を卒業したばかりの少年たちの交通事故が発生している。進学するもの、就職して社会に巣立って行くもの、家業を継ぐもの、特に定まった目的を持たずに卒業だけはするもの、といろいろいるだろう。しかし誰もが次のステップを踏み出す前に味わうひとときの心の準備期間がある。言い換えれば気のゆるみだ。

我々旧い人間が送った規則尽くめの学園とは異なる現在の高校生活、我々から見れば既に有り余る自由を謳歌して来た3年間だったと思えるが、それさえも堅苦しく感じるほど自由気侭を求めていたのだろうか。卒業と同時にトップを切って北海道での野球部員を含む10人からなる少年たちの飲酒・喫煙事件が発生。これについてはこのものたちの無責任なバカ親たちを非難した内容をブログに書いた。それ以来毎日のように卒業後に起こった事件やトラブルが記事になる。親たちはこれらの事件は対岸の火事以上のものではないのだろうか。この春卒業した子を抱えた親はゴマンといるだろう。より慎重にわが子の注意を喚起させ、同じ過ちの轍を踏まないように注意した親はどれだけいるのだろう。

現在の高校生活にどれほど不自由があるのか知らないが、殆ど無いに等しい規則の中でのうのうと過ごしているはずだ。決められた制服を着なくてもよい、決められた帽子を被らなくてもよい、例えあったとしてもどんなにだらしなく着用しようと大した罰はない。昔は想像するだにおぞましいことだが男が眉を剃り、化粧する。坊主頭は体育系の専売だけで済む。女子生徒の場合はもっと自由だ。どんなにだらしなくても先生は親の怒鳴り込みが怖くて注意もできない。爪は伸ばす、マニキュアはする、ピアスはする、髪は染める、化粧はする。・・・話を男の子に絞ろう。

一足早く卒業していた先輩からか、家族の誰かだろうが、見て覚えた運転技術で動かしてみた車は意外に簡単に操作可能だ、なんだこの程度のことか、と繰返す。こっそっりと何度か運転して一般道に出てみる。少しずつ馴れてくると運転は杜撰になって行く。教習所でも特に気をつけなければならない交差点での進行は、右折だと教える。直進して来る車の存在を確認することが事故を防ぐ第1の問題点で、そのために右折の心得として大回りを教える。ついでに云うと「左小回り右大回り」はくどいほど教えられた。にも拘らず街なかを走るとその逆のハンドルさばきの車が圧倒的に多い。対向車が来ていても左折車が道路の中央まで出て左折する、対向車があるのに小回りの右折をして行く。直進運転で肝を冷やした体験は数え切れない。

卒業気分で浮かれはしゃぎ、己の未熟さを知らず怖いもの知らずの運転をする。気心の知れたもの同士が集まるから余計に羽目を外す。交通法規の勉強もしないまま無謀な運転に早変わりする。周囲への注意をする神経も持たずに進む方向にだけ目を向ける。こんな無法者は早いうちに居なくなって世間のためには良かった。長生きしても同じようなことを繰返すだろう。とばっちりを受けた人間は気の毒だが法規を無視したことは同罪だ。親も育て方が悪かったと諦めるが良い。

10日午後5時55分頃、横浜市青葉区恩田町の県道交差点で2人乗りして右折しようとしたオートバイと、直進して来た乗用車とが衝突し、オートバイに乗っていた2人が全身を強く打って間もなく死亡。どちらが運転していたか不明だがどちらも無免許。一人は今月1日に高校を卒業したばかり。

11日には水戸市東桜川国道6号交差点で午前1時45分頃、強引に右折しようとした軽乗用車が直進して来たトラックと衝突。軽乗用車に乗っていたのは3人(無職19歳の2人と16歳の高1の少年)。運転していた19歳は無免許で重体、他の2人は死亡。いつも云うことだが16歳の子の親、子どもの深夜の徘徊をどうして許すのか。とばっちりで残念だろうが足りなかった躾を恨む他ないだろう。運転者の車のようだが無職、働く意欲もなく、学ぶこともしない、当世流行りのニートと呼ばれる悪いのは総べて大人だ、政治だ、世の中だ、と責任転嫁する類いの人間か。そうじゃないよ、悪いのは君たちの親、幼少時から君たちに善悪の価値判断をする躾もせず、仕事が忙しい忙しいだけで放任して来た結果なんだ。だから君たちは自由は責任があるから自由だということ、勝手気侭に振舞うことではないことを教えてもらっていないんだ。こんなことは学校で教えることではない、昔なら何処の家庭でも親が子どもへの躾として叩き込んだものだ。今それができる親がとんといなくなった。家庭で何も基礎を作っていなくて教育を学校に一任してしまう。そして口にするのは“今時の教師は”だ。

子どもを寄ってたかって甘やかすことが現在の風潮になっているが、厳しさの足りないのが1番の癌だ。

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2006年3月10日 (金)

ワンセグ、モバイルって何のこと?

‘上手の手から水が漏れ’‘猿も木から落ちる’なのか、この2日間のログイン不能には仰天した。

毎日新聞(3/6)に載った文字に理解が出来なかった。時代遅れか不勉強か、どっちもだろう。
「ワンセグ放送」来月本格開始。【携帯電話などのモバイル機器でテレビのデジタル放送が見られる「ワンセグ放送」の本放送開始まで、あと1ヶ月を切った。】とあるが、何を云っているのかさっぱり理解出来ない。そもそもワンセグなる言葉を初めて聞いた。モバイルも空耳で聞いた程度。囲み記事を読んでワンセグの意味は分った。

デジタル放送は、1つのチャンネルを13のセグメント(区分)に分けて送信される。このうちの1つのセグメントを使っているのが名前の由来と書いてある。one segment(1部分、1分節)をワンセグメント、ワンセグと省略するらしい。次のモバイルの正しい意味が分からない。辞書を繰っても「可動性の、融通の効く、名詞としてのアメリカ俗語で自動車」と出ている。却って難しくなった。これだけでも理解出来ないとセグメント放送との関連が掴めない。そこでモバイルという言葉がどんなものか拾ってみた。
 モバイルひろば、モバイル辞書、モバイル版、週間モバイル、モバイルサイト、モバイル速報、モバイルセントレックス、モバイル広告、モバイル専用パズルゲーム、モバイルサーチ、ビジネスモバイル、モバイルプラザ、そして何とかそれらしきものを見つけることができた。
 モバイルとはノートパソコン向け32ビットマイクロプロセッサーとあった。簡単に云うと持ち運べる個人用の情報端末であると。
 1つには場所を限定せずにデータ処理ができること
 2つには場所を限定せずに通信ができること
少なくともこのうちの1つを満たすことが「モバイル」と呼ばれるための条件であるようだ。

記者がワンセグ対応の携帯電話(画面の小さいことを除けば、その鮮明さには驚かされたらしい)を1週間借り、その試用レポートによると、
 移動中の車や電車の中でも、トンネル以外は放送が途切れない
 建物内でも写らないのは極く1部
 但し、受信状態が悪くなると静止画面になって音声だけになる
    さらに悪くなると、音声が途切れてしまう
 地下街や地下鉄では全く受信出来ない
1週間使用後の感想は
 短時間の電車やバスの待ち時間では退屈しのぎにはなるが、長時間視聴、特に移動中の利用にはやや使い勝手はよくない、というものだ。

放送される番組は地上波テレビと同じ、携帯電話用にデータ量を抑え、データ放送もテレビとは別でデータ量は少ない。4月から29都府県で本放送が始まり順次エリアが拡大される。テレビ受信は無料、データ放送も番組と同時に送られるため通信料が発生しない。

携帯電話、車載テレビチューナー、ゲーム機、ノートパソコン、DVDプレヤー、携帯ラジオ・テレビなどのモバイル機器も紹介されている。

日頃携帯電話不要で過ごしている私には、ますます無用になりそうな機器だ。この年になると目も疲れるから細かい活字を追うことも不自由になり、逆に目を休める時間になっている。活字好きの私は電車の中で座ることが嫌いで立ったままで夢中になってページを繰り活字を拾い、乗り過ごして会社には遅刻することもあったが、学生時代しなかった勉強を取り戻すべく多くの書物を読破した。頭の中には中・高時代の教師の『お前たち、勉強しろよ』を気にも止めずに怠けた自分への怒りが強くあった。周りの騒音雑音には気を取られることもなかった。しかし、ある日突然いらいらする雑音が飛び込んで来た。神経を逆撫でするようなチッ、チッと響く音だった。当時発売されて間もない頃のウォークマンだ。耳の側でヘッドホンから洩れる響きは金属片を摺り合わせたような我慢出来ない音だった。何人の若者に注意をしただろ、現在のような荒れた世では疾うに命を亡くしていただろう。それほど我慢ならない音だった。

音洩れの少ないヘッドホンが開発され、少しは静かになって来たが、社長族だけが車に搭載していた移動電話(携帯電話になる前身)が瞬く間に小型化されて価額も安価になり、猫も杓子も持てるようになると、電車の中の迷惑はウォークマンからその位置を奪うことになる。あっちでもこっちでも呼び出し音に続いて声高の話声、走る電車が五月蝿いからどうしても大声での会話が始まる。傍若無人のマナーの悪さが目立ち始めた。メーカーの方でもしきりに注意を喚起するが一向に改善されない。エチケットモードなる機能が加わる、カメラが加わる、ゲームが加わる。声高な会話が出来なくなった電車の中は黙って携帯電話と睨めっこする異様な光景で溢れる。モバイル放送の開始は目の良い人たちで一層電車の中の光景を異様なものにするのじゃないだろか。

ポケットに収納できる小さな電話器、その画面はなお小さくなる。そこに写される画面がどんなに綺麗でも同じものを小型テレビで見るよりも数段劣るだろう。また別に文学作品が読めるとも聞くが、書籍好きの私には興味がない。やはり記者が試用して感じたように待ち合わせの退屈しのぎに眺める程度のものになるのだろうと思うが。

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2006年3月 7日 (火)

酔っ払いの勝ち

啓蟄の昨日、吹き荒れた春一番で、我が家では風よけの暖簾が吹き飛ばされ、洗濯物がお隣の庭先に飛ばされるなどの出来事が起こった。

俄に時の人となった、民主党の渡部恒三・国対委員長、屋台骨が揺らいでいるメールのことは全く何も分からない、携帯電話も持っていないと、おとぼけを仰る。おん年74歳、私と同年齢だ。「ハマコーさんが電話を掛けて来てな、頑張れ、と云ってくれた」。携帯電話を持たなくても政治はできる。メールができなくても国会対策に不便はない。逆にこれと云った確実な漏洩防止策も施されないままに、個人情報の流出のあるのが現在パソコンに頼る情報管理だ。本人の云うとおり「老骨に鞭打って」民主党の正常化に努めて欲しい。

京都府警九条署で1997年1月に発生し、一審判決で無罪となっていた泥酔者放置死事件で、6日、大阪高裁大法廷は原判決を破棄して当時の署長の高崎被告の責任を認めた。「警察署長だったのに適切に処置せず、厳しい非難を免れない」として。判決は高崎被告と当時の副署長ら部下との共謀による「虚偽報告」を認めたが、放置死そのものの責任は誰も問われていない。泥酔者を法に従ってきちんと保護せず、死に至らせた事実は、保護責任放棄致死として起訴する方が適切だったのだろう。判決理由で仲宗根裁判長は「署長という立場にありながら、不適切な保護に厳しく対処せずに犯行に及んだ。口止めしたりしながら外部に真実が漏れないように組織的かつ巧妙に隠蔽し、悪質だ」と批判した。判決は懲役1年6月、執行猶予3年の逆転有罪を言い渡した。被告側は上告する方針を明らかにしている。

1月といえば真冬、酔いつぶれて寝込めば凍死することは自然の成りゆきだ。目につかなければそのまま息を引き取ることになる。テレビで良く見る光景だ。行き倒れになって道行く人の邪魔になる。姿汚く転がったさまは、警察官や見回りの職務でなければ声を掛ける人もいない白河夜船だ。繁華街になるとその数は両の手の指が足りない程だ。商店の軒下や電柱に凭れてうずくまっている奴はまだいい、ただならぬ臭いを避けてちょっと横を通れば済む。だが、歩道を外れて車道まで出て来て転がるやからはどうしようもない。道路交通法違反だ。そこは人が寝るところではない。交通妨害以外の何ものでもない。自殺志願者としか見えない。暮正月は真冬でも雪が積もっていなければ何処の街でもこんなのがごろごろ転がっている。そうでなければ大声を上げての喧嘩だ。

職業柄とはいえ真冬の巡邏で出くわした酔っ払い、車に積んで態々運んでやった挙句の犯罪者になるとは、警察官も哀れと云えば哀れの極みだ。だから口裏合わせもしたくなり、結果責任を問われることになるのだ。判決に云う「・・不適切な保護に厳しく対処せずに犯行に及んだ」とはおかしい。元の所にそっと寝かせておけば良かった。意識して殺しをした犯行ではない、云うなれば過失だろう。泥酔者特有の寒さの感覚麻痺によって死んだだけだ。好きな酒を鱈腹飲んで酔いつぶれ、何も分からずに死んだ本人は幸せだろう。ご叮嚀にも置き土産に警察官を犯人に仕立てて。

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2006年3月 3日 (金)

また、また、高校野球部員

初節句の日。上巳(じょうし、叉はじょうみ)の節句と云い、女の子は三月三日、「桃の節句」「雛祭り」とも云われている。これに対して男の子のは五月五日の「端午の節句」。何れも生まれて21日を過ぎない場合は翌年に祝う、とされている。

余談になるが上巳の巳は間違い易い漢字で、左上が半分開いた已、上には出ない己がある。半分開いた已は「い」と読み、学生時代文語の文法で已然形(いぜんけい)を覚えたことがあるだろう。一字では「すでに」。また、上に出ない己は「おのれ」「き」「こ」「つちのと」などの読みがある。克己勉励(こっき(こ)べんれい)の使い方がある。一点一画をおろそかにしないで漢字を覚えるために口ずさむ記憶法がある。これは瓜(うり)と爪(つめ)でよく耳にする「瓜につめあり爪につめなし」のように、「き」「こ」の声、「おのれ」「つちのと」下につき、「い」「すでに」半ば、「し」「み」は皆つく。また代表的な読みだけでは「己」(おのれ)は低く「巳」(み)は高く、「已」(い)は(すでに)半ばなり。

またもや野球少年の飲酒事件が起こった。卒業シーズン真っ最中の出来事としては、多くの県で発生しているが、取得したばかりで未熟な運転技術の自覚もなく、浮かれ気分の自動車事故。苦労して学んだ法規を無視し、規定以上の人間がすし詰めになったり、信号を無視し、スピードの出し過ぎ、反対車線へのはみ出しをしたり、規則尽くめの生活から解放された空白の時間に起こっている。余程裕福な家庭の子でもない限り、自分が所有する車でもなかろう、親か知り合いからの借り物だろうに、借りたものを如何に大切に使わせてもらうか、などという意識の持ち合わせが全く見受けられない。その若さで死亡した人間も出ている。親の躾のできていない子どもたちの起こした事故だが、無責任な放任主義の生んだ子どもたちだ。

同じように解放された卒業気分で、ワルたちが集まっての酒飲み会だ。夏の優勝経験をした人間が5人も混じった10人の大宴会のようだ。野球少年たちに対する周りの環境については先にブログで触れたことがあるが、特に優勝したともなるとこの年頃の少年たちに、慢心の心が芽生えてもちっとっも可笑しくない。毎日の行動に現れて来るのも目に見えている。それを見守り、監視し、軌道修正するのが親だ。学校の責任ではない。監督のすることでもない。監督は野球を教えていればよい。生活の躾は親の責任で行うものだ。小さい時から折に触れ、社会に生きる根本を叩き込むのが親の責任だ。くどくど例を上げる必要もないが、現在マスコミで取り上げられている団塊の世代を祖父母に持つ子どもたちになるだろう。

何度となく書いて来たが、この祖父母の世代が社会の根本理念を持てていない世代なのだ。戦後の混乱期に成長し、遮二無二働かされ、戦中派の喪失感(戦前の価値観の否定、歴史の否定、国家の否定、教育の否定など、など)が渦巻く世の中で成長し、工業立国の礎を築くことだけに全力を尽くして来た。その世代にかくたる信念の生まれる素地は育たなかった。国家の否定は一時左翼思想の温床になり、その影響は教育にはっきりと現れることになった。国旗の掲揚を拒否し、国歌を歌わないことが正当化されたこともあった。

敗戦後60年を経過し、今度は回顧趣味からか、愛国心を強調する教育を求める声が燻っている。「どこの国の人も自分の国を愛する心を持っている、どこの国も国歌を歌い、国旗を掲揚する」と。今、日本を指導している人たちの多くは戦争を自分の身で体験していない。考えることは書物で、耳で聞いたことでしかない。それも敗戦後の教育の中でだ。

閑話休題
価値観喪失の祖父母から何も教えられなかった少年たちの父母の世代。ただ只管に野球バカの子を育ててしまったのだ。今回は卒業式当日1日、北海道苫小牧市の駒大苫小牧高校(篠原勝昌校長)の3年生の野球部員10人が卒業式のあと、苫小牧市内の飲食店で飲酒し、道警苫小牧署員に補導されていたことが分った。

同署によると、飲酒していたのは1日深夜。店にいたのは全国優勝した昨年夏のベンチ入りしていたメンバー5人、それ以外の3年生部員5人。それに他の部活動の部員もいた。2日、知らせを受けた学校幹部が10人に確認したところ、事実を認めたという。昨年夏の全国大会に57年振りに連覇を成し遂げたが、甲子園入りした後に前野球部長による3年生部員への暴力問題が発覚、野球協会は前部長に謹慎1年、野球部には警告の処分が出ていた。

10人からなる少年の深夜の外出、彼らの親は常日頃からこのように深夜の徘徊を許していたのだろうか。卒業式の当日くらい早く帰宅し、両親への卒業の報告もしないような躾で済ましていたのだろうか。頭は空っぽの図体だけ大きくなったわが子が怖くて何も言えないのだろうか。それとも子どもの夜歩きはしても当然とでも考えているのだろうか。深夜になっても帰って来ないわが子を心配もしなかったのだろうか。何処から見てもこれまでにも何度もやっていたこととしか考えられないが、親は見てみぬ振りで見過ごしてきたのだろう。

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2006年3月 2日 (木)

猿の群れ、射殺します

猿の害に悩まされている大津市北部や京都市東部の市街地で、ニホンザルが家庭菜園を荒らしたり、屋根の瓦を投げるなどしているため、滋賀県は群れのうち3割程度のサルを3月中に射殺などで駆除する方針を固めている。これまででもサルを1頭単位で駆除するケースは多くあったが、群れを標的にするのは異例の対策になる。そのために県には動物愛護団体などから中止を求める投書やメールが約30通ほど寄せられている。

日本での猿害の歴史は古く、江戸時代の報告も残っており、明治に入ると狩猟が自由化され、加えて鉄砲の発明で、一気に大量の捕獲ができるようになり、そのためにサルの数が減ると同時に猿害も下火になった。地域的にも特にマタギの多かった東北地方のサルが激減した時期があった。1974年にサルが狩猟対象獣から外され、捕獲の制限で再び増加を始めていた。1985年以降は年間で5.000頭を超える数のサルが捕獲され、有害駆除として捕獲され始めたことを示している。

猿害の対策も種々講じられたが、野生動物の保護という面からも研究は行われて来た。問題は複雑に絡み合った要因からなり、時間を掛けている間にも猿害は蔓延し、手っ取り早い局部的な対応が急がれ、柵に電流を流したり、花火を発火させて放逐を試みたり、音による脅しで逃れさす方法で対処するのが精一杯の対策でもあった。東北地方の比較的限られた範囲のリンゴ園では電気柵の効果は一定の効果をあげたところもあるようだ。

射殺を決めた滋賀県ではどうなっていたのだろうか。群れには約40頭がおり、約10年前から比叡山の南山麓の市街地に出没していたものだ。民家の庭の柿や栗を食べるほか、人から買い物袋を引ったくったり、洗濯物を汚すなどして住民からの苦情が続出していた。市の職員らがエアガンで山に追い立てても一時的な効果しかなく、市は県の保護管理計画に沿って駆除する「個体数調整」を要望していた。

2/16日、住民や学識経験者らと意見交換するシンポジウムを開き、年度内にも市からの有害駆除申請を許可することになる。県自然環境保全課は「群れを維持できる範囲で約3割を駆除したい」としている。

一方、秩父地方の深刻なサルによる農作物被害減少への対策は、埼玉県の農林総合研究センターが、サルの群れに発信機をつけ行動調査を進めている。横瀬長周辺のサルの群れで先行実験したところ、サルの行動パターンが分かり、今年度は一部の地区で被害をほぼ閉じ込めることができたという。同センターによると、秩父地域では、武甲山を取り巻くようにニホンザルが生息し、大根やねぎなどの農作物への被害が毎年深刻化している。

同センターは03年度、被害を引き起こしている30頭以上の集団に狙いを絞って群れのメス1、オス2頭の首に微量の電波を出す発信機を装着して追跡調査を始めている。すでに今年2月までに6つの群れの計11頭に装着を終えている。03年12月からの追跡調査で、1日の行動パターンがほぼ特定出来て、その習性を利用して地元の農家と協力してサルが朝出て来る場所に先回りして追い払うことを繰返した。昨年からサルはこの農家のシイタケや畠周辺に近寄らなくなったという。サルの学習能力を利用した対策だが、万全ではなく、これからも農家と協力しての追い払いは地域ぐるみで継続し、被害防止に乗り出す方針でいる。

それぞれに行政による対策が取られるだろうが、愛護団体からの抗議はなくならないだろう。日本人は本来森羅万象、山川草木にいたるまで神を見、命を見て、生きとし生けるものを尊んで来た文化を持つ。アイヌにはイヨマンテという『熊の霊送り』といって仔熊を連れた親熊を仕留めた際には、残された仔熊を1〜2年飼育したあと、盛大な儀式を執り行って親の国である神の国に送る(殺す)儀式である。アイヌの文化に馴染みのない現代人には残虐と映るだろう。しかし、狩猟採集で生きたアイヌにとっては熊は神であり、熊の霊を「神に返す」祭りで「神への捧げもの」ではないという。

殺した動物の皮で作られたブランドのカバンを抱え、コートを着、靴を履く、或いは肉を喰らって舌鼓を打つ。殺すために育て、成長した牛や豚を殺してスーパーに並んだその肉を、毎日のように胃袋に詰め込む。動物愛護に励む人たちの心には“いのち”はどのように存在しているのだろう。当たり前のように胃袋に送り込まれる殺された動物は一体なんだろう。動物愛護を叫ぶ多くの国の人たちは、何処よりも早く銃社会を作り上げ、どこよりも先回りして動物を殺し廻り、今になって少なくなったからお前たち、捕ることはいけない、殺すことは良くない、と叫んでも人の心には届かないと思うが如何かな。

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2006年3月 1日 (水)

ゆっくり走ろう

苦肉の策か妙案か。パリの市議会で27日、パリ市内の一般道の制限速度を従来の時速50㌖から30㌖に低減させる案を採択したとある。(毎日新聞3/1夕刊)

市内の騒音対策の一環で、市環境局のコンタッソ氏は「騒音削減には車の総量規制より速度低減の方が効果的」と見ている。騒音防止効果のある路面加工を施す措置と共に、今年7月に試験実施したあと、最終決定する方針だ。一般道路の速度制限だけではなく、環状高速道も現在の80㌖から50㌖に減速させる。

野党・社会党のドラノエ市長は01年の就任以来、車で飽和状態のパリ市を「公共交通機関を利用し、自転車で走れる街」に変えようと、バスレーンや自転車道の設置を進めてきている。

早くはギリシャのアテネが多過ぎる車の排気ガスによる酸性雨の影響から、世界遺産のパルテノン神殿の痛みが激しく、神殿の修復をすすめる一方で、市内に乗り入れる車の規制を考え、自家用車のナンバーの末尾の数字を奇数と偶数に分けて乗り入れることの可能な曜日を決める方法を採択している。

日本でも過密状態にある交通網は規制する必要があるだろう。特に東京の地下は地下鉄で蜘蛛の巣状態に縦横無尽に張り巡らされ、交通手段の選択肢は有り余るほどある。最低限食糧食品輸送のためのラインは止められないが、マイカーの過密地域への乗り入れは厳しく規制の必要があるのではないか。地球の温暖化の一因に、道路を完全舗装することがある。確かに水溜りの道路よりも舗装された道路は快適な走行ができる。しかし、土壌剥き出しは、降る雨を吸収し、地下水を潤沢にし、地表の温度の上昇をコントロールしてくれるのだ。鋪装することで雨水の吸収を断ち、少しの降雨で水害を引き起こす。地下に巨大な貯水槽や水路を設けて観光化するよりも、不要な舗装路のコンクリートやアスファルトを剥離するほうが余程地球に優しい街づくりができると思うがどうだろう。

排ガス、騒音、交通事故の対策に、取り外した市電を復活させることに取組んでいる国もあるのだから。

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