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2006年2月26日 (日)

人口減に里親制度

昨日の「中絶禁止法案を可決」に asahi.com からトラックバックがあった。妊娠中絶がテーマなのでブログで意見を述べたい。

(記事要約)人口の減少に悩む福祉県では、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用して行く方針を決めた。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、県では「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。

里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組み。労働省によると、出産前に制度を紹介するのは異例だ。

福島県によると、まず、産婦人科医に依頼し、出産を迷う妊婦のうち希望者に里親制度などを紹介し、出産後、実際に子育てが困難な場合には里親を紹介する。里親は18歳まで育てる「養育里親」を想定している。県議会はこのための予算を増やし、前年比2,000万円を上乗せした約7,400万円を計上した。

福島県の人工妊娠中絶実施率(女性の人口1,000人当たりの件数)
 04年度 女性全体  15・8
     15〜19歳  17・7
     (全国平均  10・6)
 一方県の人口の減少も大きく、97年の213万をピークに05年1月1日には209万人になっている。

県知事は「倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」と話している、とある。(ここまで)

日本の現行法では『女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないのかの論議が予想される』というのはアメリカのロウ対ウェイド判決で認められたアメリカの女性の権利とは違う。日本の場合は女性だけで下せる選択権は妊娠12週未満までで、それ以降は配偶者の同意というものが求められている。お腹の子は要らないから、と女性だけで勝手に医院で中絶することはできない。

現在国としての問題の、憲法改正や自衛隊の憲法違反と似た(堕胎罪は名目となった)解釈が定着しつつあるが、明確にしておく必要がある。敗戦後、戦地や外地からの引き上げにより人口が一気に増え、疲弊していた産業は多大な働き手を吸収し切れず、巷には失業者の群れが溢れ返っていた。大戦直後から米ソの冷戦は世界を二分し、1950年(昭和25)勃発した朝鮮戦争は在日米軍の殆どが朝鮮へ進駐した。在日占領軍指令部(GHQ)は急遽同年8月10日、日本国内の警察力の不足を補うという名目の武装部隊である「警察予備隊」を設置した。国内に溢れていた元軍人、失業者が大挙して集まった。これが時と共に保安隊となり、陸上自衛隊となって質量において変化し続けて来た。

日本は戦争を放棄し、吉田茂は「自衛のための戦争もこれを行わないということだ」と国会でも答弁した。日米安全保障条約が締結、国会でも批准し、見事にアメリカの枠に組み込まれて行った。日本の国土を提供し、税金で米軍の維持費を賄い、自衛隊も徐々に微妙に解釈に変化を見せ始めた。何か起こるとその度に詭弁を使い、憲法違反を積み重ねて来た。そしてとうとう現在のような解釈が市民権を得たように大っぴらに国会でも口に上るまでになった。アメリカに押し付けられた憲法だ、自分の国は自分の力で守るのが当然だ。どこかの国が攻めて来たら(この仮想敵国を作って危険を煽る考え方は半世紀の昔、ソビエトとアメリカがお互いを力で牽制し合い、原子爆弾、水素爆弾を量産して世界を恐怖に陥れた思想だ。)誰が日本を守るのか、軍隊を持たずに国が守れるのか、と叫ぶ。確かに軍隊を持ちながら永世中立を建て前にするスイスという国は実存する。しかし、何処かの国が圧倒的な戦力で攻めれば一夜にしてスイスという国は消滅するだろう。日本とて同じことだ、アメリカが守ってくれるとは云うものの、国土は灰燼に帰するだろう。

今の自衛隊が憲法に合わない、というのは憲法の意志に背いた運用を繰返し、既成事実として積み重ねて来た結果がそうなったのであって、憲法が悪いのではない。条文の解釈をねじ曲げ、詭弁を続け、民主主義と云う数の暴力を使って来た為政者にこそ問題があるのだ。日本の憲法は世界に冠たる思想を持つ末代に誇れる憲法なのだ。

それと同じく妊娠中絶に関しても同じことが言える。年間34万件、隠れ中絶を含め100万件ともいわれ、戦後行われて来た妊娠中絶の総計は3000万とも一億とも想定されている。優に現在の日本の人口に匹敵する水子がいる勘定になる。既に何度も書いてきたが、刑法には堕胎罪として第29章の第212条〜第216条に禁止条文があり、その罰則まである。妊娠12週を過ぎた中絶の場合、配偶者の同意を必要とするにも拘わらず、1996年の改正による優生保護法によって、最終的には女性本人の意志を優先する処置がなされ、堕胎罪の条文は有名無実の感がある。

福島県の15歳〜19歳までの堕胎の多さはこのような何時でも中絶可能な受け入れがあり、妊娠しても下ろせば済む、といった社会的風潮が蔓延していることが底辺にあると云っても過言ではない。現実問題としても、テレビのスタジオに集まる女子高生が、100人集まればその50%を超える数でセックスの経験者がおり、中には堕胎の経験者すら混じり、街頭インタビューでは臆面もなくそれを誇らし気に口にする。福島県の考えたことは、このような性の乱れを助長することになる危険を含み、もっと酷くは無責任な産み捨てさえ危惧せざるを得ない。また、誰が父親かの判らない胎児の出産後の鑑定も必要になり、県も心配するプライバシーや倫理面の問題も含んでいる。私見では、今ある法を遵守し、気楽に処置できる堕胎を禁止するべきだと考える。その上でなお手放さなければならない親から「里親制度」への受け入れは考えるべきだと考察する。県の側から「産んでくれ、産んでくれ」は働きかけるべきではない。

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事後承諾をお許し下さい。

投稿: ツッチ | 2006年10月28日 (土) 00時05分

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