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2006年2月21日 (火)

オリンピック

マスコミ上げてメダル、メダルと騒いだ選手たちが挙って無様な結果を残している。戦ったのならまだ良い、戦うこともできないで転んでみたり、己の体重さえ把握もしなで顔を並べてみたり、どこまでみっともない連中なのだろう。国内の成績は間違いであったのか、ひょんなことでまぐれで生まれたものか、兎に角安定していない、実力がない。

もともと参加することに意義がある、と慰めの言葉を吐いたクーベルタン、勝負はどうでもいいのだろう。日本選手は皆でわいわいがやがや時を過ごせば良いことのようだ。どん底で頑張るカーリングの女の子たち、もともとこの種目、私にはスポーツとは見えない。帚を持って氷を掃除しているだけだ。ゴルフと同じ、お遊技にしか見えない。こんなもので勝った負けたなんて確かにへんだ、これこそ参加することに意義があるだろう。昔、安心して外で遊ぶことができた時代、道路にローセキで丸を幾つか書いて“ケンケンパッ”“ケンケンパッ”と女の子たちが跳んではしゃいだ遊びがあった。今にこのお遊技がオリンピックに入るだろう。追い羽根つきが入っているように。

大体がマスコミの騒ぎ振りはなんだろう。選考前の取材陣が日本代表を見る目は『井の中の蛙』状態だ。小さく狭い器の中で誰が早い、誰が一番、と眺めていただけじゃないのか。世界のレベルにはまるで無知、それでも参加することに意義があるのなら、メダルの数なんか数えるな。選んだ協会側も過去の栄光にしがみつき、昔は強かった、素晴らしかったからメンバーに入れておこう、彼なら、彼女なら何とかするだろう、神様、お願い、助けてやって、が選考基準だったのか。彼、彼女の成績が実力だったのか、フロックだったのか、その見きわめもできない連中が中心に座っているようじゃこれから先も無駄な金を使うだけだろう。アメリカ代表のメダルを取った黒人選手、夏のオリンピックのアメリカが、殆ど黒人で編成されるように、今に雪の上のスポーツも、黒い色の選手たちで賑わい、賛歌を響かせる時代が近くやって来るだろうことを予想させる画期的な大会になった。この次は水の競技もそうなるだろう。

自国の庭で開かれた長野オリンピック、予想外のメダルが取れて慢心したのだろう。まだフィギュアーが残っているが、国内の最終選考会の女子のフリーで3度も転んだ人間をメンバーに入れたが、これも温情かどうか知らないが、みっともない事にならなければいいが。

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