バカも極まれり
大の大人の相生市の市長さまが、萎れた野菜の葉を眺めて仰った「これはもう危篤状態です」。
野菜の萎れた姿は危篤状態とは云わない、ただ「枯れた」で良い。何だか日本中がバカになったように見える。まだ先がある、クローン処理をして科学的に再生させたいと研究室に持ち込んだ。
世間の『糞』を拾って歩くジャーナリズムは格好の餌に食い付いて、活字にしたりテレビ画面でマイクをぶら下げてお大根さまに取りすがって騒ぎ立てる。(私はその糞をもう1度拾い上げて自然に還そうと思う)。
何でも鋪装された割れ目から、種の力で地上に生え出て来た野菜の生命力を、勝手に無様な人間性を移し、見つけた次の日に誰かの手で折られていたのを可哀想として鬼の首を取ったようにレポートする。道端に生えるタンポポや菫を踏み付けても哀れとも思わない人間たちが、何を血迷うのか大根に同情する。誰かに折られて(収穫されて)すでにその人が美味、美味と腹におさめ、飢えを潤おしているとどうして考えないのか。それこそ、大根冥利に尽きる話だろう。野菜が芽(目でも眼でもない)を出すのは食糧として他の生き物に食されるためなのだ。
大根に同情する人間たちのどれだけの数の人たちが、殺される牛や豚、鶏など陸の動物を始め海に生息する魚たちの命に感謝しているのだろう。先日ブログにも記した「いただきます」を金と交換でしか口にできない‘やから’のいる現在の日本で。食物連鎖は生きとし生けるものの宿命だからこそ、そこに感謝の気持ちも生まれることになるのだ。それさえも理解出来ない相生市長を戴く相生市民、広くはそんな気風を拵え上げるジャーナリズムのバカたち、目を醒ませよ。
60数年以前には人間の命を塵芥同様の取扱いに終始した先輩たちを、日本中の新聞社は抱えていたのだ。その総括も真面目にしないまま、人間性を呼び掛けても、もう騙されない。テレビは論外だ、1億総白痴化に精出し、すでにその目的は達しているだろう。時には考えさせる番組にもぶつかることがあるが、そんなのは稀だ。無理矢理に話を拡げる大河ドラマ、年がら年中を時代劇で時間潰しをし、時々やる時事に関しては体制べったりの政治番組で国民を先導する。民放に至っては殆どが同じ時間に同じ内容で『糞拾い』をする。それ!あっちの川にアザラシが、それ誰某が離婚した、結婚の噂がある、それ、大根だ!、ブランドだ、大喰いだ、温泉だ!下らないお笑いだ!、それに人を殺して楽しむドラマだ。コマーシャル作りにも知恵が感じられない。金に縛られての画面つくりなのは解るが、どれもこれも物真似の域を出ない、面白くもないタレントのくにゃくにゃと体を捻るだけのもの、流行れば直ぐに飛びつく韓国スター、稚拙極まるCG、日本中の誰でもが好意を寄せている訳でもないのに一応有名人などで安易に作られる。特徴もないコマーシャルや放送局を幾つ作っても仕方ない。ディジタル化の波がテレビ界にも押し寄せ、チャンネル数が増え、双方向の楽しみ方もあるようだが、家電メーカーだけは潤っても年寄りには益々不便になる。この問題は日を更(あらた)めて書いてみたい。
再放送ばかりが目立つ教育番組もいい加減だ、娯楽番組があっても当然のテレビ、もっと頭脳を使った番組作りをして欲しいものだ。
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