流行(ことば)
幸いにも現在若い部下を育てる責務からは遠退いている。何が幸いかといえば一日に何十回となく聞かされる可笑しな言葉を耳にしないで済むことと、その誤りを正すために時間を割くことをしないで済むからだ。すでに何度もブログには書いてきた。殆どの若者が‘たちつてと’がはっきり発音できないこと、ひと言、ひと言の語尾を長く引き延ばして跳ね上げる喋り方など、である。今の私には人の会話はテレビを通してになることが多いが、聞いていて何とかならないのかと首筋が痒くなる。
勿論今まで使われてきた日本語の言語表現が最終到達され完成されたものとは言い切れない。これからも変化していくかも知れない。民俗学者の柳田国男が唱えた方言周圏論は方言の分布を調べたものだが、文化的中心地(京都)を中心に同心円状に順次変化し、方言は広がり伝わっていく間に京には新しい言葉が生まれ、それがまた広がって行く。従って古い形の言葉ほど遠隔地に残存すると考えた。飛躍し過ぎになるが、現在の東北地方の言語が本来の都言葉、日本語であったかも知れない、と考えた人もいた。そう考えると現在乱れていると云われている言葉は日本語が変化を始めたと考えられなくもないが。
最も世間に広く使われている言葉は“られる”(助動詞で活用は下一段)を“れる”(助詞で活用は下一段)で表す使い方であろう。典型的な使われ方が“食べれる”である。長寿番組に入ったが、TBSの『はなまるマーケット』がスタートした早々、“食べれる”を頻発した。即座にクレームをつけた。間もなく“食べられる”となり、今に続いて全員正しく“られる”で続いている。(しかし、ゲストで来る人間にはプロデューサーも云い難いのか“れる”が目立つ)この番組以外は同局、他局とも肝心の料理番組でも“食べれる”となっていて耳にする限り10人のうち“食べられる”と言える人間は1人いれば良い方だ。同じように頻繁に使用される“見られる”が“見れる”に、“出られる”が“出れる”に、“来られる”が“来れる”のように使われても誰も不思議に思わない。
二流芸能人が続々と連なったハワイ帰りのインタビュー。“どちらへ?”『アメリカの方へ』“どちらへ?”『ハワイの方へ』“どちらへ?”『ハワイの方へ』こいつ等一体何処へ行ってきたのか。アメリカやハワイの方へ行くのなら日本国内を出ないでも行ける。日本からなら何処に住んでいようと東へ動けばアメリカの方だし、ハワイの方だ。大阪から東京だってアメリカやハワイの方だ。或いは正反対に西に行っても地球を廻ってアメリカの方だハワイの方だ。これもテレビに写ったサラリーマンの新橋駅前で携帯電話による会話。“あのさー、俺さー、今新橋の方に来てるんだけどさー”新橋駅前で「方」はないだろう。
『方』というのは向って行く方角や、向きをいうのであって
ハワイやアメリカに行ったのならせめて“ハワイまで”或いは“アメリカまで”くらいの言葉を使って欲しい。また新橋にいた若もの、新橋にいて“方”は使う言葉じゃないよ。
ブログでも既に触れた“など”に近い“とか”がある。特に数多く目立つ使い方がされていて、複数を表現するのでもないのに“とか、とかぁー”がつく。恐らく一番多く使われているだろう。アナウンサーであれ、キャスターであれ、数えればきりがない。“AとかB”“あれとかこれ”ではない、“Aとか”“あれとか”である。
“じゃないですか”は“じゃないですか?”だ。この言葉は流行語大賞にもなったらしいが、毎朝凡そ二時間に亙って乱発するキャスター(小倉)がいる。ないですか?って君に訪ねられても知らないよ。訪ねておいて返事も聞かずに次を続ける、とにかく言葉に関して余りにも無知だ。流行語ではないがやはり無知から来る言葉をレポートするアナウンサーがいる。屋上に上がって景色をレポートするのに“ここから景色が見ることができます”だって、景色“を”見ることができるんだろ?御丁寧に何度も繰り返す、間違いに気がつかない。“見れます”と云わないだけまだ許せるが。
“的”もやたらに使われている。中でも“わたし的には”が代表だろう。
“的”は名詞に添えてその性質を帯び、その状態をなす意味を表す語で、“私的”“一般的”など、と使うが、私的は“してき”と読む。恐らく読みも意味も知らないバカがわたし的と読んだのが始まりだろうと思われる。
携帯電話が使われ出して一層歯止めのきかない無秩序な表現が今時の常識と云われている。幼稚な記号を使っての絵文字、マスコミが面白可笑しく取り上げて益々下らない流行が加速して広がる。
人間長く続けていると腹の立つことが多くなる。見なくても良いものが見え、聞かなくて良いものが耳に入る。これを保守と云うのだろうか。自分ではいつまでも革新のつもりなのに。ゴヤのデッサンに白髪に長い杖を手に歩む老人を描いたものがある。傍らに書き込まれた文字には『俺は学ぶぞ』とある。比較して見る限りわたしの方が若年だろう、わたしも同じように呟く『まだまだ学ぶぞ』
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