“いただきます”
FM波でクラシックを聴く以外、ラジオの放送を聞かなくなって久しいが、昨年の秋の関東一円(一都6県)に流された「永六輔その世界」で紹介された「いただきます」を巡って話題が沸騰したことがあったらしい。
事の発端は「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という東京都内に住む男性から寄せられた手紙である。永六輔が冒頭「びっくりする手紙です」と手紙の内容を紹介した。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、云わなくていいではないか」と。
番組には数十通反響があり、多くは申し入れに否定的だったが、支持する手紙も数通あった。どちらの意見も家庭内のマナーとしてではなく、外食時の例を出して説明を加えている。曰く、レストランで料理が運ばれてきて『いただきます』店を出る時『ごちそうさま』。一方支持派は「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』を云ったら隣のおばさんに『何で』と云われ『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と云われた」と。
永六輔自身はこのお金を払っているから、という理由については「学校給食で『いただきます』を云うことへの抵抗は、以前からあった。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念だ。宗教的なことを押し付けるのは良くない。でも、『いただきます』という言葉は、宗教に関係していない。自然の世界と人間のおつき合いの問題だ。“お金を払っているから、いただきますと言わせないで”というのは最近のことで、命じゃなくお金に手を合わせてぃるのだ。手紙の母親は物事を売る、買うの観点で決めているのだろう。ただ、このような母親がいることも認めないといけない、と思う」
続けて永六輔自身の云う『いただきます』は、「あなたの命をわたしの命にさせていただきます」だと云う。でも普段は家では云うこともあり、云わないこともある。ましてや他人に強制はしない。絶対に云わなきゃいけないとも思わない。それは、きちんと残さないで食べれば、『いただきます』を云っても食べ残す人よりは、いいと思うから。
最後に、『いただきます』は普通の会話、こんにちは、さようなら、ありがとうございます、すみません、ごめんなさい、会話の中の一つと考えられるので、特別に「みんなで云おう」というのはおかしい気がする。
因に永六輔、彼は1933(昭和8)年の一桁生まれ。わたしよりは二歳(お脳の軽い連中が、年齢を1コ、2コと固体の数え方で表わすが、いい加減に目覚めて欲しい)若い。ご両親は明治の生まれになるだろう。明治の人間は特に礼節を重んじ、子どもの躾は厳しくなる。アメリカから民主主義を与えられるまでは、食事の前には必ず手を合わせて『いただきます』を云い、食事中はお喋りは禁じられ、ただ黙々と口に入れた食物を嚼むのが平均的な日本の家庭の食事風景だった。この時の手を合わせる行為には宗教色はない。わたしの経験から云えば、それは「お百姓さんへの感謝」で前にも書いた教訓である。「お米という字はな、八十八と書く、お百姓さんが何度も何度も手を入れ、育てたお米だ、残すことはならん、よく味わって一粒も残すな」という意味の『いただきます』だった。育ち盛りの少年期、戦中戦後の食糧難時代に、大家族の我が家では‘残せ’と云われても残す米粒などある訳はない。涙がでるような実話だが、猫も犬も近寄らないほど最後には皿まで舐めて母親を嘆かせたほどの飢餓状態に近かった。冬は座ぶとんは父親だけ、子供は男女関係なく冷たい板の間に正座させられ、それでも『いただきます』『ごちそうさま』は厳しく躾けられた。どこへ行っても恥ずかしくない作法は食事に拘わらず、言葉づかい、長老への尊敬のこころ、集団の中の生き方、特に今に生きているのが長いものに巻かれるな、自分の信念通せ、だった。この生き方は企業の中で出世とは縁がないが、人としては恥ずかしくない生き方をして人生を終えようとしている。
永六輔も云っているが、金銭で『いただきます』を売り買いしている解釈では単なる商売になり、そこには「ありがとう」も『いただきます』も入っては来ない。手紙の母親や、食堂でいらぬ世話を焼くおんならが、そのそれぞれの親から人への感謝の気持ちを教えられず、何も躾けられていなことを世間に曝しただけだろう。私の知っている限りではレストランや食堂こそお客さまには「ありがとうございました」の言葉を口にしている。いらぬ世話を焼くおばさんから云われなくても食事を提供する側では自然に口にしていると思えるが・・・。食べ物への感謝、それが躾けられていれば駆け引きではなく『いただきます』は極々自然に出る言葉だ。
現在のように両親と家族が食卓を囲んで一緒に食事をすることも少なくなり、コンビニ弁当や、インスタント食品、店屋物で育てられる子どもたちには箸の持ち方さえ教える人もいなくなって、ますます人の気持ちを銭金で測るような人間が育つことだろう。わたしのように独断と偏見に塗(まみ)れていない永六輔はいう、云っても云わなくても、大声でも小声でも、呟くだけでも思うだけでも、いいことにしましょう、と。
毎日新聞は1月21日の新聞でこれを記事にし、「私の場合」とした読者の意見を呼び掛けている。
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コメント
続けてコメント致します。私は話題の馬鹿母親より年上で、尊敬する小言こうべえさんよりはずっと(?)若い年代ですから、中間層でしょうか。
私はスーパーでの買い物時に、レジーでおつりをもらっても「ありがとうございます」と言ってしまう方です。だから、どこででも「いただきます」「ごちそうさま」と感謝の気持ちを言う方です。
すべからく、あらゆる場面で自分は助けられて生きているもの。
この気持ちはきっと親からもらった財産だと思います。
「何事にも感謝しすぎることはないんだよ。人間はあらゆるものに生かされているんだからね。」
人間は、食塩などの鉱物以外はすべて生物の命を食さないと生きていけない存在です。
確かに父親は宗教的な人間でしたが、決して強制はしませんでした。でも、心に生きる言葉を残してくれました。
単なる利己主義をも、価値観の多様化などと認めた愚かな似非民主主義の落とし子、日教組教育の見事な成果!???ですね。
ふざけるな!と怒鳴ってやりたい心境です。合掌したい気分。
ため息ですね。その子がどんな大人になるのやら・・・。
投稿: Bach | 2006年1月22日 (日) 22時55分
引き続き早速のコメントをありがとうございました。
Bach さんの「何のために勉強するのか?」を読ませて頂いてコメントをしようとしましたが、文字化けして綴れませんが、現役教師へ釈迦に説法などしようとした訳ではありません。
ニートと呼ばれる働く意志のない連中が口にする言い訳に「自分に合った仕事がない」があります。しかし、この者たち、自分が何ものか解っているのでしょうか?
自分も解らずに自分に合う仕事が解るはずもないないことに全く気がついていません。自分を知るための勉強を先ず始めることです。
古代ギリシャのデルポイのアポロン神殿の落書き『汝自身を知れ』が教えてくれますが、皆、己を知るために生きていると思います。勉強はその追求のためにするものだと。
1945年敗戦時、私は現年齢で数えれば13歳と6ヵ月、何故生きるかは叩き込まれていました。死ぬために生きていたのです。当時の少年たちはみな、生と死を考えずには生きられなかったのです。善悪は別として人生の大義を持てない現在の若者たち、Bach さんの仰る大切な者を何も教えない『日教組教育の見事な成果』なのでしょう。
Bachさんが崇拝される BACH が聴けるようになった時、私は40歳を過ぎていました。私自身にそのようなポケットがあることなどその年になるまで気付きませんでした。カザルスのチェロ組曲が切っ掛けでした。時々放つ咽を絞るような声でした。BACH は自分には理解できない遠い存在の作曲家であり、曲でした。しかし、現在では私の最後の日は、自身はキリスト教徒ではありませんが、フルトヴェングラーが1954年に指揮したマタイ受難曲を聴きながら人生を終えたいと考えています。作曲家、指揮者、ウィーン・フィル、独唱者の魂の声が聞こえます。
投稿: 小言こうべい | 2006年1月23日 (月) 13時40分
ご丁寧にありがとうございます。
文字化けするんですか、マックでもご使用になっているのでしょうか、困りますね。
デルフォイ神殿の「無知の知」、一説では七賢人の一人ソロンの弁だとか。
自分を戒めるために、私の好きな言葉です。
J.S.Bachは、クラシックからジャズまで通じる不思議な魅力を持った曲を作りましたね。天上界への階段を上っていくような音の絨毯はどんな気分の時にも聴けます。
フルトヴェングラーのマタイですか。私の友人にも葬送にはマタイをかけてって言うのがいます。同じ心境なんですね。
私は無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを延々とかけてほしいですね。シャコンヌだけでもいいです。
無伴奏チェロ組曲、カザルスのモノラル録音のレコード、2枚組でしたかを私も聴いておりました。今はCDになっていますね。弦をこする音と共に聴かれるカザルスの息ともうなりとも思える声を聞き、音楽をつむぎだしているカザルスの命を感じました。今の演奏者の方がテクニック的には上なのですが、彼が演奏する無骨な生命観溢れた音楽は誰にも真似ができません。
今日もBachを聞きましたよ。
投稿: Bach | 2006年1月23日 (月) 23時30分