ミソクソロジストって?
毎日新聞(1/22)から
ブログのタイトル間違ってるぞ! ミ・ソ・ク・ソ・ロっと、やっぱり間違いだ。
何でも果物や野菜、フレッシュハーブなどを使ったカクテルをつくるバーテンダーのことだって。バーテンダーと云う語は知っている。
ややこしいカタカナ語を日本語に置き換えよう、とする一方でからかうように新しいカタカナ語が生まれて来る。「ミクソロジスト」がバーテンダーで何故いけないのか。新聞を開いた途端に昭和一桁の味噌汁世代にはどうしても日本語の語感が先行する。味噌とくそ(失礼!)を混ぜるのか?って。英語圏での語感には何も不自然さもないのだろうが、日本語の語感からは幾ら流行りのカタカナ語に置き換えても全く不自然だ。何やら近頃のニッポンという国には自国の言葉が使えない人たちが勢力を持っていて、従来あった美しい日本語を次々に隅に追いやって行くように見える。日本語で考えることができないようだ。
一体何時頃からこのような現象が現れたのだろうか。敗戦後進駐軍兵士(主にアメリカの日本占領軍)が日本の春を鬻(ひさ)ぐ女たちを小脇に引き連れて、その女たちが怪し気なアメリカ言葉を口にし始めたのが我々が街なかで耳にした最初だろう。私たち世代は英語は敵国語として野球用語すら日本語に置き換えて教えられた世代だ。音楽のド・レ・ミ・ファ さえ は・に・ほ・へ に置き換えられた。進駐軍と同時に映画が輸入された、ジャズが耳に入って来た、クリスマスがやって来た。暮になるとお正月の歌の代わりにジングルベルが大きな音でが鳴りたて、酔っ払いが道路を占領した。数寄屋橋はサンタクロースの赤い帽子と酔っ払いで身動きも取れない状況の気狂い騒ぎになった。アメリカナイズの始まりだろう。
アメリカの漫画‘ブロンディ’が庶民の家庭を、レディーファーストを教えた。映画も‘ママ’を広めるのに一役買った。倅はそろそろ40歳だが既に周りは日本語を忘れていた。100%と言えるほど日本の“お母さん”が‘ママ’に“お父さん”が‘パパ’になっていた。わが家庭では一度もママ、パパは口にさせなかった。大勢のお友達と混じってもしっかりと日本人の父母を表わした。人前で‘父’‘母’も言えた。
しばらく前になるが皇室の映像が流れた。皇太子親子の和やかな日常だった。腰抜かさんばかりに驚いたぞ!。子どもの口から‘ママ’が発せられた。雅子ママだ。‘パパも読んで’皇太子もパパだ。古くからの宮中言葉「おもうさま」「おたあさま」を頑なに守れとは云わないが“お父さま”“お母さま”が嫌なのか。日本の皇室だろ?何故英語なの?日本語の乱れとともに今に日本から日本語が消えるのだろうか。それもいいだろう、疾うに日本はアメリカの植民地になったようなもんだから。
言葉を知らない現代っ子、やっと覚えて時々使用するお母さんにお父さん、誰に向っても‘お母さん’‘お父さん’。話す相手(身内、友人、教師、先輩、知らない人など)によっての使い方を知らない。テレビを見ていて『この阿呆!』と思わず呟く。‘父’‘母’が言えない、それを又誰も糺してやらない。小学生2、3年ならまだ許せる。それが高校生にもなって、否それどころではない、社会人になってもまだ云っている。小学校では英語の授業を取り入れようとしているが、救いようがなくなる前にせめて基本的な日本語がまともに使える日本人を育てて行って欲しい。
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