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2006年1月 8日 (日)

首相のこころ

日本国の首相の年頭の挨拶で発した言葉、「外国政府が心の問題に介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と嘯(うそぶ)いた靖国参拝問題がもとで叉も近隣国の批判を浴びている。拝殿の奥まで進まず一般人と同じ位置でポケットから小銭を放り込んでみたところで、護衛を引き連れた日本国の首相であることは国内外の誰もが周知するところだ。そして彼の心が不戦の誓いであろうがそれは彼の勝手な思いだ。靖国神社には、極東国際軍事裁判でA級戦犯の判決を受け、夫を息子を恋人を、そして父ら国民を、死に追い立てた東条英機を始め14人の戦犯が合祀されている事実があるのだ。

かれらA級戦犯は1948年12月23日に絞首刑にされた。翌日の新聞紙上一面に大きく写真入りの7名が並んで記事になった時、日本国民自身総じて快哉を叫びたくなるほどの溜飲を下げたのが事実なのだ。1941年開戦した直後、四ヶ月も過ぎない時期には早くもアメリカ空軍による日本本土爆撃を受けるような戦争を仕掛けた張本人たちなのだ。その罪を天皇の名に隠れて如何に糊塗しようとも四年を経ずして国土を焦土と化した罪は絞首刑となっても償いきれるものではないのだ。そのような戦犯たちが合祀されている靖国には日本国の首相としては公私に拘わらず絶対に行ってはならないのだ。

歴史を学べば小児にでも理解可能な原理原則が見えるはずだ。「きけわだつみの声」を読んで感激した小泉はそこに書かれた男たちちの遺書の、それこそ『こころ』を読むことも出来ない浅薄な読解力しか持ち合わせない程度の能力の人間なのだ。そこに書かれた男たちの「生きたい」こころも見抜けない明き盲としか言い様がない。男たちにそのような遺書を書かせた戦犯たちと、死ぬことを強要され、覚悟して死んだ兵士たちが一緒に祀られることを望むことなどあり得ない。

戯れ歌に“お殿さまでも家来でも 風呂に入る時ゃ皆同じ 裃脱いで刀を捨てて ・・・”の結果は対等の生まれたままの丸裸である。現在では時折々都合良く利用されるだけの仏教だが、死ねば等しく成仏し仏になると教えた。悟りを開いた偉い人には言えることだが並の人間には理解できないまま、死んだ人の悪口を云わないのが日本人だった。どんな罪でも口を閉じた。これは違う、わたしは日本人だが賛成できない。未来永劫悪いものは悪いとして追求しなければ改善もなければ発展もない。東條たち戦犯は弁護のしようもなく悪いのだから。靖国神社には天皇を後ろ楯に、弱者に“死ね、死にに行け”と大号令を下し、多くの無辜の人を殺されると解る戦場に駆り立てた最高責任の立場にあった戦犯が合祀されているのだ。このことを理解できないのか、理解したくないのか小泉は、ますます無能な人間に見えて来る。

彼は間もなく首相の位置から遠退く、小泉の轍を踏むような人間には次期総裁にはなって欲しくない。かといって別に国費を投じて国立墓地を作る必要もない。作ったとしても戦犯と解る悪人を参りに行く人間は絶えていないだろう。何処かで次の合祀の辻褄を合わせようとすれば、又、そこで新たな火種を作るだけだ。遠く明治の昔、二〇三高地の戦で多くの部下を死に至らしめた乃木大将が、明治天皇の崩御を聞いて殉死したのは多大な戦死者を出した責任を取ってのことだ。乃木の場合も天皇の赤子(せきし:国民を天皇の子であるという思想)を殺したという解釈で、兵士たち或いは親たちへの責任を取ったものではないが、東條たち昭和の軍人は天皇の名を借りても“虎の威を借る狐”でしかなかった。兵士たちへは死ぬことを強要しておきながら自らは、乃木のように腹をかっ捌く勇気もなく(例外はある)、誰でも確実に命が絶てるピストルで死に損なう恥まで曝した。自説の繰り返しになるがこれら戦犯たちの祭祀はそれぞれの遺族に任せ、靖国神社からは草々に出てもらえば何の不都合も起こらない。

東南アジアを始めとする近隣諸国との話し合いもそれから始めることが可能になって来る。この問題は早期に解決しなければいつまでも日本国の外交上の癌であり続けるだろう。

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