間の抜けた話
16日、午後1時50分ごろ、東京都葛飾区小菅1の水路(幅8.5メートル、水深約50センチ)に「沢山の動物の頭が沈んでいて気味が悪い」と近くの交番に通行人から通報があった。駆けつけた警視庁亀有署員が首から切断された犬の頭部29個を確認し、同署に回収した。事件の前触れかと近所で大騒ぎになったらしいが、夜になって犬の肉を扱う食料輸入業者の男性(83)が、「自分が捨てた」と同署に連絡。廃棄物違法投棄とみて事情を聞いている。
◆この食材輸入業者は、解体した犬の肉を中国などから輸入し、韓国系などの料理店に卸していた。
頭を家庭ごみと一緒に捨てた際、近所から苦情を受けたと云い、毎日新聞の取材に「処分に困って水路に捨てた」と話した。二ヶ月前の夜中、纏めて段ボール函に入れて運んだものらしい。(記者2名の署名入り)
現在の新聞記者には国語の表現力がこの程度の人間が混じっているのだろうか?余りのお粗末に唖然とする。二人が名前を明記しての小さな記事の中に、幼稚なミスが二つも重なっている。私が◆印を付した文章は、現在の若者たちが無神経に使っている代表的な表現だ。犬の肉を輸入した国は一つなのに「など」と使う、続いて料理店が韓国系だけの表記なのに「など」と使う。輸入した国が中国の他にあって始めて「など」で列記可能になるんだ。料理店も同じ、韓国系だけでどうして「など」が使用できるのだろう。
新聞社には入社試験もあるだろう。《会話力の低下、表現力の低下、発音の悪さ(「で」が「でぁ」に、「て」が「てぁ」になる『など』活舌も明確さを欠く)“など”の使用法のお手本だよ。》がそのまま文章に出る。それともう一つ「とか」も同じ、複数のものを比較したり、並記したりする時の言葉だが、無闇矢鱈に使用されて耳障りだ。新聞記者とは少なくとも最高学府を出て来た頭脳の持ち主だと思いたい、それがこの程度の表現力ではこの先の新聞社は危なくなる。
間の抜けた話の2つ目。
人生経験豊富なご老人、日本で犬の肉を食べさせる店がそんなには数多くはないことを知っているだろう。近所には該当する店があるのは知られている。中国、香港、韓国では食文化としてそれらの動物を食するのは普通のことだと思うが、どちらかと云えば日本人には珍しい食べ物だ。店の数も多くはない、聞き込みを始めれば苦もなく探し当てることが可能だ。それに大量に一つ所に纏めて捨てればそれを必要としている職業もすぐに判る。犯罪性を考えてもブリーダーの数も限られる、殺人鬼ならぬ殺犬鬼だとしてもあっという間に掴まる。これ以上間の抜けた話はないだろう。
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