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2005年12月 1日 (木)

戦争は終わっていない

いよいよ今年も最後の月、師走に入った。
若い頃は一年の経つのが遅くて仕方なかった。喉元を通り過ぎた餅の味も残っている内に、もう次に来る正月の餅搗きを待ち望んだ。
軍人になる夢を失ってからは、生きる道を暗中模索した。何故か「男は三十歳にならなければ一人前じゃない」との考えが固まっていた。早くその年齢になりたかった。狂ったように働いた。気がついてみると“人生わずか五十年、・・・”を遥かに過ぎている。戦時中、若い男たちの戦死によって日本人の平均寿命はそれよりも遥かに短いものだった。それが今では世界一の長寿国になった。
朝顔は今日も開いた。

毎日新聞(12/1)朝刊の投書から
パプアニューギニアで遺骨収集団を支えている79歳(昭和元年生まれ)の男性の話。「戦後60年。ここに来て戦争と縁が切れなくなってしまった。若い時は戦争が嫌で、頭の中からけしたのに」訪れた島は今次戦争で戦死した日本兵は14万人とも云われる激戦地であった。この人は現在この地に居住し、日本から来る慰霊巡拝団や遺骨収集団が宿泊する古いホテルを経営している。敗戦直前には国内山口県の基地で人間魚雷(人間が乗り込み、一人必殺の目的で作られ、水中から敵艦に自ら体当たりして爆破させるための玉砕兵器)の訓練中に敗戦を迎えた。

その後はテレビ局に勤務、報道記者として世界の秘境を巡りパプアニューギニアにもたびたび訪れていた。20年前に知人からホテル経営を頼まれ引き継いだが、2ヶ月で逃げ出すつもりだったが、環境が自分に合った。他人に気兼ねせず、自然体で生きる島の人たちの中に集団生活に馴染めない自分の安住する地を見い出していた。
慰霊のために島に来ても現地の言葉が話せずに困っている巡拝団が次々に来るのを放って置けず、永住を決めた人だ。大阪から15年近く訪れていた元衛生兵は、薬もないこの島で、多くの戦友の死を見送った。彼らを慰霊するために独学でお経を身につけ、島に来て戦地を廻る道案内をした人の話に感動する。

昨年、島の日本人の慰霊塔の管理を無報酬で引き受けたという。「戦争体験者は高齢化して来訪者も年々減っているが、もう暫くは頑張ろうかな、と思っている」と結んである。

確かに戦争体験者は数を減らしているが、まだ存命の間に聞いておかねばならない話はたくさんある。この人も昭和一桁の世代だ。この世代が戦中から戦後にかけての激変を最も身に被り、価値観の変化、見失った価値基準を手探りで模索しながら成長した世代だ。そのためこの世代には日本の復興を支えてきた反骨の人が多い。しかし、国の再建には心を尽くして来た反面、暗中模索の中で日本人本来が持っていた美しい心、人を敬い、愛すること、扶けあい、などの道徳心を等閑にし、「旧いもの全て悪」のような風潮をつくり、現在のように乱れ切った政治、世情、家庭環境、親子関係を招いた負の面もある。

同じ日の投書から
こちらも同じ79歳の男性。自民草案「自衛軍保持」への疑問。
戦中派としての考え、として今次大平洋戦争の開戦の詔書「自存自衛ノ為」とあったが、武力での本土侵攻もなかったのに自衛と称して開戦し、悲惨な敗戦となった。自衛軍も軍とあれば「国際的に協力して行われる活動(草案2の2)」をすれば、特定の国との利害衝突を招き、敵視されることは十分ある。自衛が敗戦を招き、反省から生まれた現行憲法9条「戦争の放棄」が宣言された。今、自衛のためなら友人、恋人が死んでもよいかを、全国民が考えるべきだ。彼は中学2年生の時、突然戦争へと誘い込まれた体験からの提言だ。

敗戦後街に溢れた失業者を救済するために「警察予備隊」として生まれたのが今の自衛隊。米ソ冷戦のさなか、便利に成長して来た警察予備隊は名前を変え、「自衛隊」となった。当初吉田茂首相も憲法条文について9条は『自衛のための戦争もこれを放棄する、ということだ』と答弁している。それがアメリカとの関係が密接になるに従って政府の言は変化し、今では自衛論が圧倒的な支持を受け、ああ云えばこう云うで戦力を強化し、海外にまで派遣(派兵といってもいい)することになった。特に仮想敵国をつくることで反共包囲網をつくり、戦力を増強して来たアメリカに倣い、日本の今はその仮想敵国を北朝鮮に置いて、事ある毎に“もしもテポドンが”を口にすることで戦力の強化、軍隊の保持を正当化しようとしている。
肝心なことはこのような草案をつくる人たちだ。どんな内容になろうと、年老いた自分達が戦争に狩り出される心配はない。例え徴兵制度が布かれて多くの若者が連れて行かれても、自分の子供は権威で逃れさせることはできる(ブッシュが噂になった例もある)だろう。まして戦地で死ぬことは考えもしないだろう。

太平洋戦争の時代と何も変わらない。命令する階級と徴兵される階級が必ず生まれる。死ぬ階級と死ぬことを強いる階級。このようなことがあっては絶対にならない。今年は敗戦後60年になる、一年間テレビは区切りとして幾多の番組を製作して来た。つまらないドラマも多く作られた。原子爆弾の被害に片寄ったものが多く、開戦から敗戦に到る戦争責任について考えさせられる番組は皆無だった。逆に戦争犯罪者が眠る靖国の正当性を言いたげな報道も多く見られた。もうすぐ12月8日、64年前のこの日、真珠湾攻撃で戦端を開いた日だ。あらためて平和を護るための思いを強くする。

私にとっての戦争もまだ終わってはいない。

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