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2005年12月12日 (月)

南方戦没者遺骨収集

パプアニューギニア島の慰霊、遺骨収集については先に書いた。今回若い毎日新聞の記者が10月に、同島の遺骨集集団(厚生労働省職員が率いる収拾団8人と村人約30人)に同行して当時の野戦病院のあった土地での収拾作業に当たった。地中深く(凡そ1メートルの地下に眠っていた)掘り出された遺骨は触れただけで壊れるほどに痛み、肋骨は熱帯の暑さと60年以上になる経過の中で殆ど土と化している状態であったという。

海外戦没者の遺骨収集は1952年に始められ、240万柱のうち116万柱が残されている。海戦で艦とともに海底に沈んだ人たちも多く遺骨の収集は不可能だが、今も56万柱が残る遺骨の殆どは南方に集中している。遺骨は現地の人が偶然見つけて日本の慰霊巡拝団などを通して知らされることが多い。現場には何柱あるのかも判らず、手当りしだいの発掘になり、パプアニューギニアは土地への終着が強いところで収集を巡っての争いになったり、フィリピンではゲリラの勢力圏での収集は不可能であるという。

敗戦後60年が経った現在、この南方での遺骨収集事業の打ち切りが検討されている。尾辻秀久前厚労相は9月、南方の遺骨については今後3年間で集中的に情報を集めて収骨し、区切りをつける方針を示した。記者の質問に「だらだらとやっても・・・・、3年やって後は情報があれば」ということであった。収集事業を継続するには予算も人員も必要だ。現在すでに若者のボランティアが慰霊巡拝団にも参画している。事業に学生たちを派遣して来た団体「JYMA」(東京都中央区)の後藤拓美代表(26)は「現地から帰った若者は顔つきまで違って来る。戦争や歴史について真剣に考えるようになる。現場を見れば戦争はすべきでないということがわかる」と話す。

この遺骨団は1週間の滞在で47柱を焼骨して日本に持ち帰ったきている。しかし遺骨の身元も不明のまま、無縁仏として国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められることになるだろう。もしも収集事業が打ち切られれば、そのあとはもう思い出す人もいなくなり、南方に限らずいまだ還ることのできない戦没者の遺骨がパプアニューギニアで、フィリピンで、サイパンなど、多くの島々で数多く眠っていることさえ忘れ去られて行くことになるだろう。

1944年7月の激戦で、波打ち際で戦死した夥しい日本兵の死体をアメリカ軍は島の占領後、ブルドーザーで砂浜の土を掘り返し、日本兵の死体を放り込んで埋めた浜で、日本からの観光客は何も知らないで嬉々として遺骨の上で遊んでいる。そう、サイパン島である。日本からの観光客目当てにサイパンとパンダをもじって「サイパンダ」なる縫いぐるみが売られている。パンダの鼻に犀の角をくっつけて「サイパンダ」と。

小泉よ、靖国の戦犯に頭を下げる前に見捨てられた英霊の帰国を本気になって検討してくれ。あなたの貧相な歴史観、戦争認識を改めて勉強し直してくれ。

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