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2005年12月13日 (火)

絵本「あらしのよるに」

毎日新聞(12/11)朝刊から
同じ出版者の他の絵本「まんげつのよるに」と同時に誌面のほぼ1面を使ってタイトルの「あらしのよるに」が宣伝されている。
以前ブログに書いたが、テレビ・コマーシャルでCGで描いたライオンとキリンの抱擁の稚拙な画面作りを取り上げたことがあったが、この絵本も全く同じことが言えるようだ。

大人がどんなに童心に帰っても、大人の演技でしかないことが分かっていない。赤ちゃんや幼い子どもをあやす母親にしろ父親にしろ、やはり大人が子どもの真似をしていることに間違いない。どんなに頑張ってみても生まれ変わらない限り大人は子どもに、まして赤ちゃんにはなれない。大人が想像する子どもであり、赤ちゃんでしかない。

この絵本についても言えることだ。ハラハラ、ドキドキ、〈オオカミとヤギの気になる友情〉或いは〈素直に信じられることのすばらしさ〉〈ピュアな友情と葛藤〉などシリーズが275万部を売っている大ベストセラーであることを宣伝している。本当にそうだろうか?

狼と山羊、自然の摂理の中では共に生きることなど絶対に不可能な動物だ。試しに一緒の檻に入れてみるが良い。一瞬のうちに山羊は骨だけになろだろう、或いは骨すら残らないだろう。ハラハラ、ドキドキなどすっ飛ぶ世界じゃないだろうか。童話の世界に夢や想像はつきものだ。だけど嘘は大人だけで良い、政治の世界だけで良い。子どもになったつもりでしかない心を自画自賛して欲しくない。

飼い、育てた牛を、豚を、食い、どう美味しいか、不味いかを云って殺した動物の味に舌鼓を打つ。そこには殺された動物への感謝も愛情もない。人間のためには殺されて当然の心しか持ち合わせていない人間に、子どもに愛情を教えることなどできる訳がない。食事の前に手を合せ、「頂きます」終われば「ご馳走さまでした」をする家族がどれほどあるか。なぜ手をあわせるのか、今は何でもすぐに嘲笑のさらし物にするが、昔の人は必ず子どもに教え育てた。「お米と云う字はね、八十八と書くだろう、それはお百姓さんが八十八回も手を掛けて育てたということだよ、だから1粒も残さないように食べるんだよ」と。今は親子一緒に食卓に就くことすらしない家族が圧倒的に多いだろう。それとも「うちはパン食だ」と麦だって同じだがそう云うかも知れない。

大人の欺瞞でしかないことを動物を主人公にすることでそれらしく見せる。しかし、成長した子どもはその嘘を必ず見抜く。

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