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2005年12月31日 (土)

1944(昭和19)年

今日まで続けて来た私が生まれる前年から敗戦までの戦争に明け暮れた日本と、世界の動きを大まかに捉えて日記風に記して来たが、2005年の最後の日に合わせてひとまずは今回で中断し、1946年からは命があればいつか時が来た時に改めて書いて行こうと思う。

1944(昭和19)年、旧年齢で14歳、旧制中学1年生。当時、中学校は義務教育ではなく入試制度になっていた。貧しい生活水準の我が家では中学を受験するのは気が引けた。小学校しか出ていない父が母の従兄弟2人、自分の1番下の未婚の妹を1人、父の母、子ども7人と母の合計13人の家族を背負っていた上に遥かに出来の良い兄が転入試験に失敗した中学である。母にそっと相談した。「合格すればお父さんを説得してあげる」の返事をもらって受験した結果である。

長引く戦争の中、身近な人の死があり、徴兵年齢の引き下げ、少年兵の年齢引き下げ、といよいよ自分に迫って来る死の影に気づく年齢になっていた。やはり死ぬことは恐ろしく、徴兵を逃れたと云う人間の、嘘とも真とも分らない話に聞き耳をたてるようになっていた。曰く、前日に醤油をがぶ飲みすれば理由の解らない高熱を発することで不合格間違いない。曰く、右手の人さし指を切り落とすと小銃の撃鉄が引けないから不合格、などどいう話。この頃しきりに夢で見る景色があった。山頂を蹴って大空へ飛び立ち自由に空を泳ぎ回る自分がいた。何度となく見る夢の中で泳いだ。反対に兵隊ごっこで銃剣で刺され、殺される夢も何度も見た。背を丸め、拳を握りしめ、苦しいほど寒くなり、歯の根も合わずがたがたと震えて眼を醒ます。生というもの、死というものについて、少年の心に思索するする力が生まれていた。

最初の輝かしい戦果が遠のきキスカ島、アッツ島で始まった玉砕が場所を南の島に移って、マキン、タラワ両島、サイパン、グワム島、テニアン島が玉砕して敗北。玉砕に次ぐ玉砕は如何に幼いとはいえ戦争の行方を2、3年のうちには自分の身に降り掛かる死との関係で捕らえるようになっていた。学徒動員で海軍工廠木工部へ配属、始めて工場へ出る朝、学生たちがこの月に発表さればかりの学徒動員の歌『花も蕾の若桜、五尺の命引っさげて 国の大事に殉ずるは われら学徒の面目ぞ ああ、紅の血は燃ゆる』と悲愴なメロディーに乗って校庭を行進する姿を見た祖母は、家に帰った私の姿を見て嘆いた。「こんな子どもを戦争に連れ出すなんて、日本は遠からず負けるに決まっている、うちは涙が止まらんかった。」側にいた父が烈火の勢いで祖母を叱った。「神風が吹くんや。」

遠く元冦の役(1次、文永1年、2次は7年後の弘安4年の夏、それぞれ3万数千人、14万人の蒙古軍の乗船した船が季節風が吹き荒れ、攻め寄せた蒙古の軍勢は船諸共に海底に沈んだ)の13世紀の故事が忘れられず、日本国民の多くはその「神風」が吹いたことを日本に味方したと教えられ、いよいよもって日本は神の国であることを叩き込まれていた。しかし、戦争を始めた軍人は、「神風」の名と引換えに20代の若者の命を火薬の代用品にして、空に海に一発の弾薬として帰りの燃料も持たせず死に行くことを強要していた。

(その他の出来事)
 1月 学生の勤労動員が法制化される
 1月 女子挺身隊として14歳から25歳までの未婚女性を軍需工場に動員配属
 1月 ノルウェーの画家、ムンク死去。代表作「叫び」
 1月 空襲時の延焼を防ぐため建物の強制取り壊しが東京、名古屋で行われ、以後住人の強制疎開が全国に広がる
 2月 アメリカ軍がマーシャル諸島クェゼリン環礁に上陸、約15,000人の守備隊は全滅
 4月 海軍は特攻兵器、人間魚雷「回天」とベニヤ板のボート「震洋」を採用。どちらも火薬を抱えて敵艦に体当たりし、生きて還られぬ兵器
 4月 ドイツは3月にハンガリーに侵入したあと、ハンガリーのユダヤ人をアウシュビッツ強制収容所に送り始める
 5月 国鉄の列車に女性の車掌が勤務
 6月 4日米英連合軍がローマを占領。6日、連合軍は空陸海の大部隊をもってノルマンディーに上陸(地上最大の作戦と呼ばれる)
 6月 アメリカ軍がマリアナ諸島サイパン島に上陸、日本軍守備隊約4万人が玉砕
 6月 ドイツがジェット推進のV1、弾道ミサイルV2でロンドンを攻撃
 7月 ヒットラーの暗殺未遂事件が起こる
 7月 グアム島で1万8,000人、テニアン島で8,000人の日本軍守備隊が玉砕
 8月 連合国軍がパリに入城
 9月 パラオ諸島のベリリュー島、ニューギニアのモロタイ島の日本軍守備隊玉砕
10月 アメリカ軍が沖縄本島、宮古島、奄美大島などを空襲
10月 6月のマリアナ沖海戦で空母3、艦載機400などを失い制海権を失っていた日本連合艦隊は、フィリピンのレイテ島沖の海戦で戦艦「武蔵」、空母3隻を始め残存していた艦船数隻を失って日本の連合艦隊は事実上壊滅した
11月 煙草が男子1日6本の配給制になる
11月 24日、B29爆撃機約80機が東京へ初空襲

    大日本帝国の終焉はすぐそこまで来ていた。


pensee 瞑想(ロダン)



【補足】
1946(昭和21)年、埼玉県蕨市の町青年団が青年祭を企画、「敗戦の虚脱から若ものたちを励ましたい」と「青年式」を行った。この噂が徐々に各地に広がり、1948年になって小正月に当たる1月15日を「成人の日」として国民の祝日に制定された。しかし、私はその成人式の場に立ち会った記憶はとんとない。
1949(昭和24)年、旧年齢で19歳。
1950年1月1日より満年齢による年齢の数え方が始まった。その時点で10月生まれの私は18歳と2ヶ月、51年の正月が来ても若返ったまま誕生日までは18歳で過ごすことになった。

敗戦の年、1945(昭和20)年については8月16日のブログに詳しい。

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