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2005年12月 6日 (火)

1939(昭和14)年

【前文】
(12/5)新聞投書から
埼玉県の女子高生が気のむかないまま参加した修学旅行について書いている。
行き先は九州、「何で九州なの」という思いが強かったらしい。ところが長崎を訪れて気持ちが動いたと云う。おそらく彼女も広島だけじゃなく長崎にも原子爆弾が落ちたことは教えられていたであろう。しかし、彼女がそこで見た爪痕に強いショックを受け、彼女の表現を借りれば、11時2分のままで停まったままの時計を見たり、多くの痛ましい写真を見て「まるでタイムスリップしたかのように周りの写真が動き始め、強い閃光が走り、人々の泣叫ぶ声が聞こえて、火と人間が混じる臭いがした、原爆はこの世にあってはならない」そして、あの日を決して忘れてはいけないということも。彼女はこの気持ちを「九州に行った意味なんだ」という言葉で表している。最初は望まぬままに行った修学旅行を「私の一生の誇りになった」と。

【本文】
旧年齢で9歳に。5月、満州とモンゴル人民共和国の国境ノモンハンで両国の軍隊が衝突、これが引き金となって日本はソ連に戦いを仕掛け、日ソ両国の激突となるノモンハン事件に発展する。日本軍は第23師団山県支隊がモンゴル軍に猛攻撃を加えるが、ソ連、モンゴル軍の反撃に合い大損害を受けて戦線離脱。7月に入って再び23師団を中核に関東軍が攻撃を再開、ソ連は戦車を総動員した機械科部隊を投入し、モンゴル軍と大攻勢を開始。日本軍は最後の反撃に出るがソ連軍に圧倒され、大本営はノモンハン作戦中止命令を出す。日本陸軍の近代戦といわれるノモンハン事件であったが事実上敗北。1945年の敗戦後になって少しづつその真相が解かれて行くことになるが、今なお多くの謎が残されたままになっている。『隠すほどに現れる』というが、今も私の耳には当時大人たちが小声でひそひそと囁く「ノモンハン」といういかがわしい響きに云い知れない恐怖を感じていたのを思い出す。

男たちが軍隊に徴用に取られて労働力を失った女たちは男の仕事を受け持ち黙々と働いた。さらに労働力の不足する職場を埋めるため、東北地方の小学校を卒業したばかりの少年を京浜地帯の軍需工場へ送り込み、「少年産業戦士」なる名前の元に集団就職させた。天皇は「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」を下賜。直々の御墨付きをもらって軍国主義教育は勢いを増し、益々強化されて行った。

9月に入るといよいよ第二次世界大戦の始まりである。

(その他の出来事)
 1月 近衛内角総辞職
 2月 すでにこの頃から軍需物資の原料不足が深刻化し、郵便ポスト、釣鐘、ベンチ、火鉢などの鉄製品の回収を開始
 2月 日本でも理化学研究所において原子爆弾実験のサイクロトロンが設置される
 3月 ドイツがチェコ領ボヘミアを、ハンガリーが同じくルテニア地方を併合、チェコスロバキアは国家として完全に解体する。
 3月 スペイン内乱が終結
 4月 米穀類が配給制となる
 7月 労働力確保の国民徴用令が施行され「白紙」の徴用令状を受け取ると拒否できなかった
 7月 「朝鮮人労務者内地移住に関する件」内務省、厚生省の通達により朝鮮人の強制連行が始まる
 8月 独ソ不可侵条約調印に平沼内閣は無策のうちに「欧州情勢は複雑怪奇」なる声明を発表して総辞職
 9月 1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦始まる。3日、英・仏両国がドイツに宣戦布告。5日、アメリカは中立を宣言
11月 ソ連軍がフィンランド攻撃を開始
12月 軍規保護法によるビルや高台からの風景写真や俯瞰撮影を禁止

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