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2005年12月 5日 (月)

1937(昭和12)年

旧年齢で7歳、幼稚園に入園。“お山の大将おれ一人 後から来るもの突き落とせ・・・”と唱いながら後から登って来る仲間を突き落とす遊びである。手を引いて助け上げるのではない。今ならPTA辺りが血相変えて怒鳴り込んで来るだろう。その中に女の子がいたかどうかは全く記憶がないが、少なくとも男の子には楽しい遊びであった。当時の思想として男は強くなければならなかった。弱く生まれ麦藁のように細かった私でも泣いた、或いは泣かされた記憶はない。ご坊さんと呼ばれたお寺に附随した園であったが、通園はいつも祖母が寺の境内まで一緒について来てくれていた。

時代は7月7日の深夜どちらが発砲したか未だに不明だが、数発の銃声が響いて起こった盧溝橋(ろこうきょう)事件が引き金となった日中戦争のただ中にあり、新聞は戦争熱を煽り立てて緒戦の勝利を祝った。当時のスローガンは「暴戻(ぼうれい)支那の膺懲(ようちょう)」であり「対支一撃」であった。新聞は毎日のようにその文字を一面に掲げて日中全面戦争への拡大を容認して行った。

castlex姫路城


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境内で遊ぶ(船場幼稚園)


(その他の出来事)
 1月 4月から小学修身教科書に「君が代」を国歌として掲載を決定
 4月 ヘレン・ケラー来日
 5月 双葉山が第35代横綱になる
 6月 第一次近衛内閣発足
 7月 日本労働組合連合が戦争協力を表明
 7月 日本キリスト教連盟が戦争協力を表明
 8月 トヨタ自動車工業設立
 9月 中国国民党と共産党の合作宣言書を公表、蒋介石が共産党の合法性を承認
 9月 国際連盟が中国への爆撃に対して日本非難決議を全会一致で採択
10月 ルーズベルト大統領がシカゴの演説で日・独・伊三国を非難
11月 イタリアが加わって日独伊防共協定を調印
12月 日本軍が南京を占領

新聞は南京陥落と万歳の声で誌面を埋めつくし、さらに戦争熱を煽り立てた。日本軍はこれ以降およそ二ヶ月に亘る大虐殺事件を起こす。世に云われる「南京大虐殺」である。中国側の発表によれば犠牲者は30万人とも云われ、略奪、放火、強姦を繰り返したといわれる。(現在、中国側の発表内容については、数字、写真の捏造を指摘するこえもある)
日本国内では南京陥落の祝賀行事で沸き返り、勝った、勝ったで浮かれていた。この一連の事件については1945年の敗戦後開かれた極東国際軍事裁判で明らかにされるまで、一般の日本人にはひた隠しにされていたため、南京虐殺などなかったと述べる人は現在でも存在する。

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