« 戦争は終わっていない | トップページ | 1934(昭和9)年 »

2005年12月 2日 (金)

1933(昭和8)年

第一次大戦の教訓から生まれた史上初めての平和維持国際機関『国際連盟』は前年の満州国の建国宣言を受けて、満州事変勃発後の日本側の強行な態度の実態を調査するため、イギリスのリットンを代表(フランス・ドイツ・イタリア・アメリカからなる)とする調査団を満州に派遣する。3月〜6月に亘り中国から満州を調査し、纏めた結果を国際連盟で報告する。内容は『満州国』の不承認、日本軍の満州からの速やかな撤退を勧告。42対1、棄権1の賛成決議となる。日本代表松岡洋右(ようすけ)はこれに抗議して席を立つ。国際連盟からの脱退である。日本国民は松岡の行動を支持し、帰国した彼を万歳の声で迎えた。勢いに乗った関東軍は中国を奥へ奥へと侵攻を続けることになる。

一方ヨーロッパではいよいよ世界を震撼させたヒトラー率いるナチスドイツ第三帝国が始まる。1月28日ドイツ国会はヒトラーを首相にし、彼はヒンデンブルク大統領の死を利用して一気に総統の地位を獲得する。ナチスは策謀によって自らの国会に火をつけ、共産党の放火として弾圧に乗り出す。全権を掌握したヒトラーはヨーロッパ支配の野望を達成させるべく権力の一元化を進めて行くことになる。

(その他の出来事)
 1月 大島三原山で実践女学校の生徒が投身自殺
 3月 日本は国際連盟の場から退場して3日後、政府は正式に国際連盟からからの脱退を表明
 4月 忠犬ハチ公の銅像が渋谷駅前に立った
 5月 女性弁護士の道が開かれた
 5月 大阪の地下鉄、梅田—心斎橋間が開通
 8月 中等学校野球準決勝戦、中京商業と明石中学が延長25回の末中京が1対0で勝つ
 9月 上高地大正池までバスが開通
10月 ドイツがジュネーブ軍縮会議、国際連盟から脱退声明
11月 アメリカがソ連を承認
12月 皇太子明仁親王(現天皇)誕生

前年5月9日の坂田山心中(男爵の息子・24歳、慶応大学経済学部学生と静岡県の素封家の娘・22歳)で、女性の両親の反対から将来を悲観し、神奈川県大磯の山林で服毒自殺。女性は和服の上から膝を紐で結び、裾の乱れを止めていた。近くの寺に埋葬されたが、翌日女性の遺体だけが掘り起され、全裸になって近くの漁師小屋で砂に埋められて発見。(当時は必ずしも焼却の決まりはなかった)変態性欲者かと騒いだが、検視の結果遺体に陵辱の痕跡はなく処女のままであった。その後焼却分骨されて二人は夫婦として同じ墓に入ることになった。事件は話題を呼びすぐさま映画化され、『天国に結ぶ恋』となる。主題歌が作られ、「二人の恋は清かった
神様だけがご存じよ 死んで楽しい天国で あなたの妻になりますわ」映画館で主題歌を聞きながら昇汞水(塩化第二水銀)を飲んで自殺するものが出た。また坂田山だけで年末までの半年間で20件の自殺・心中事件が相次いだ。

続くようにこの年も1月に始まって2月になると実践女学校の生徒2人が自殺、この年だけで100人近い自殺者が出て三原山は自殺の名所となる。前後してフランスのシャンソン歌手ダミアの唱う『暗い日曜日』を聞きながら自殺するものが続いて、厭世ムードを助長するとして発売を禁止した。

世界的な恐慌を受けて日本国内も緊縮財政による経済立て直しが失敗し、思想弾圧、言論封殺、テロの横行が目立ち、軍部の横行は中国東北部への侵攻となる。満州国の建国は国際関係の悪化を呼び孤立を深めて行くことになるが、当時の言論界は進出を続ける軍部を批判することもなく、却って大勢は戦争に追随し、戦争を謳歌し新聞の発行部数は戦争の度に増え続けて行った。

|

« 戦争は終わっていない | トップページ | 1934(昭和9)年 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107998/7430559

この記事へのトラックバック一覧です: 1933(昭和8)年:

« 戦争は終わっていない | トップページ | 1934(昭和9)年 »