歌舞伎が世界遺産に登録
今回で3回目(第1回は2001年で2年毎)となる通称「無形文化遺産」は正式には『人類の口承による無形遺産の傑作の宣言』という。
選択の対象となるのはいわゆる無形民族文化で、言語・歌唱・舞踊・演劇・習俗・風習・祭礼・儀礼などがそれである。世界中の無形文化を1つに集約し、知名度を上げたり、保護を促すことで近代化に伴って消滅の危機にあるこれらのものを護ろうとするものだ。
パリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部の審査委員会では歌舞伎の選定理由について「直ちに消滅する危機には直面していないが、観客数は徐々に減っている。西欧的演技スタイルの導入は創造的な進化をもたらしているが、同時に伝統芸の危機にもつながっている」と述べた。
歌舞伎の源流は、出雲の阿国が京都の四条河原で始めた「かぶき踊り」とされているが、彼女の出身は出雲神社の巫女であったらしい。毛利家の支配下にあった大社は天正19年(1591)石高の減封にあい、大社は経営維持のために寄付金募集の集団をつくり、全国へ送り込んだ。その中の一つに阿国がいた。先ず佐渡へ渡り評判を呼ぶことになるが、もっと幅広い寄付金の募集のために京都へ出ることになる。四条河原で念仏踊りを興業して愛好され、歌舞伎踊りにまで発展させたとされ、そこでは阿国は男装して傾城(けいせい・遊女)買いの寸劇を演じたりした。女性が男装して女郎買いをする「女歌舞伎」は風俗を乱すとして寛永6年(1629)取締にあい、続く若い男たちの集団「野郎歌舞伎」も禁止にあう。禁止に到る経過にはただ風俗紊乱だけではなく、いつの世にも取締の対象になるのは権威への揶揄であり、嘲笑や告発もあっただろう。だから歌舞伎にも幕府の触れられたくない内容もあったものと想像される。その「野郎歌舞伎」が生み出した女形は現在の歌舞伎の原型になっているものだ。
それから400年以上経つが、最近はブームと云われるほどの人気になっている。110年に亘って興業を行って来た松竹の永山武臣会長、歌舞伎俳優の中村雀右衛門、保存会理事の中村富十郎ら三人が登録を知って揃って会見。永山会長は「歌舞伎の持っている基本的なものが、良いものであると世界に認められたのを心から嬉しく思っています」と述べ、雀右衛門は「望外の喜びです。能、文楽の皆さまと、手をたずさえ、伝統文化の発展に力を尽くしたい」と、また富十郎は「今日この日に、歌舞伎座で歌舞伎を務めていられるのを大変しあわせに思います」と。
パリの審査委員会で云っている「観客数は徐々に減っている」と「最近はブームと云われるほど」とは反対の表現だが、どちらも本当だろうと思う。出雲の阿国の河原乞食と呼ばれ、蔑まれてもなお大社への寄付金を集めることへの情熱に支えられた女歌舞伎に比べれば、現在の歌舞伎は100年一日のごときぬるま湯の中で興業され、高尚化されたと云われる感覚は大衆から遊離し、高慢化さえしているように見受けられる。
歌舞伎での芸の継承は「家」と呼ばれる「梨園」だけが継ぎ、家出身でないと主役を務めることはできないため、脇役の減少するような危機もあり、辛うじて外部からの援助を受けての役者だけではないお囃子やその他の人材育成をしているありさまだ。その「家」を継ぐ役者も、素人でも生まれ落ちてから一つ事をしていれば立派に役者にはなれる。「家」を継ぐ役者でもテレビのドラマに出演して見せる大根ぶりには辟易する役者がいる。テレビではなく実際の舞台を観るべきだと云うかも知れないが、現在の歌舞伎の人気はそれでもテレビがなければ今ほどのブームはなかっただろう。歌舞伎界で長年役者をやっていれば大根でも名人と呼ばれお国は勲章を与え、賞美する。高慢になるはずだ。
伝統芸能の上に胡座をかいた見せ物は、未だに見苦しい女形(特例的な一人二人は出てもすぐに年齢を重ね)を使い、宝塚の男役と同様グロテスクな化け物に変わる。どちらも無理に作った声音は気味悪く、無気味にさえ聞こえる。人間の作ったものの中で最も醜悪なものは菊人形と云った明治の随筆家がいたが、歌舞伎の女形はそれに優るとも劣らない。何故女優を、宝塚は男優を使わないのだ。実際の舞台は観たこともないが、見る気にもなれない。テレビのクローズアップが見せる女形の無気悪さは例えようもなく、女以上に女らしいと賛美する人たちの審美眼を疑う。
何はさておいても現在の入場料の設定には驚かされる。
最近の値段を見てみる。出し物で多少のばらつきはあるが、東京歌舞伎座が3000円〜23000円、2520円〜16800円、3500円〜22000円、吉例顔見せで5250円〜26250円。京都南座吉例顔見せで5250円〜26250円となっている。これでは一時のブームが去れば客足が遠のくのは当然だろう。何故このような入場料が許されるのだろう。それほど有り難い見せ物なのか。
♦学割があって20パーセント、ただし満席の場合は入場できない。
♦年齢制限はないが、子供料金は無い。
ただし、膝の上で見る分には無料だが、座席を使えば有料。
♦入場券のキャンセルや別の日への変更はできない。
どこまで高慢な世界なんだ。
少しは気が休まるのは猿之助が哲学者梅原猛の脚本でスーパー歌舞伎を創作し一人気を吐いているが、これこそが出雲の阿国の求めた大衆のための歌舞伎ではないだろうか。
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