火垂るの墓
11/1日、タイトルのドラマを観た。日本テレビが文化庁芸術祭参加作品と銘打った「戦後60年特別ドラマ」だそうだ。
最初に結論から述べる。つまらない、同じ戦後60年を節目の他局のドラマ「広島・昭和20年8月6日」以上に今、平成16年の戦争観で作られた作品になっている。自由にものが言える民主主義の中で育ち、好きなように意見を口にすることができる空気の中でこそ吐ける台詞が散らばっている。代表的な台詞。父は海軍中佐で戦場で留守、空襲で母を亡くした中学生の少年とその妹を引き取って、世話をしている叔母(自身夫の戦死に伴い残された四人の子どもを育てている家に増えた従姉の子二人)に向って、母の形見の指輪を提供して仕入れたにも拘わらず、満足に食べさせてくれない不満をぶつけるシーン。少年は云う「父は国を護るために戦っています」に切り返す叔母の台詞「軍人は国なんて護っていません。嫌がる人を無理矢理戦争に行かせて虫けらみたいに殺すだけです」次いでは「日本が負けようが国がどうなろうがお腹はすくでしょう」。
現在だから言える言葉で、その当時大声で啖呵が切れる台詞ではない。死んで帰れ、靖国で逢おう、御国のために、日本中が開戦当初の戦果に酔い、鬼畜米英を合い言葉に心を一つにしていた時代だ。この戦争に反対していたのは日本では共産党一党(その多くは捕えられて獄中におり、拷問で獄死した人さえいる)と、アメリカではモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会でカトリックでもプロテスタントでもない全く独自の教典をもつ異端のキリスト教)だけで世界のキリスト教さえ大いに協力していたのだ。
他にも目立つ台詞に、出征する兄が足の不自由な徴兵を免れている弟(この長髪は虫酸が走る。当時この髪では「非国民」と呼ばれた)に向って云う言葉、「俺の居ない間に久子(ドラマでは主人公の叔母)に惚れるなよ」平成の世相のような性の乱れがないと思い浮かばない台詞だ。或いは若い男と女が道路の中央で立ち話など不可能なこと。或いはB29の空襲に遭遇するシーン、立ちすくむ兄妹の上を飛び去る飛行機が、道路上を移動する影がまるで自動車が移動するようなのろい動きだが、これじゃ飛行機は空を飛ぶことは不可能だ。
全体的には登場人物が清潔過ぎる。あの時代、自宅に風呂場がある家庭は稀にしかない。灯火管制下に置かれた浴場も明かりは点せず惨めな状態にあった。そのために、老も若きも男女の別なく誰もが不潔だった。洗濯さえ不自由であった。髪や衣服にはシラミが巣くい、臭く匂っても普通だった。若い女性も免れることのできない運命に置かれていた。化粧品など殆どない時代、登場人物のような綺麗な化粧など望んでも不可能だった。全員が平成の化粧に包まれているのだ。相変わらずCG頼みで拵える安易な画面、螢の出来などいかにも嘘臭い。旧作のアニメの螢はアニメだから成功しているのだ、おなじように真似しては無策としか言い様がない。それにエピローグの平成の追憶話しなど蛇足としか言い様がない。
TBSのドラマの時にも指摘したが、ドラマ制作に携わるメンバーの一人でも良い、時代考証に真剣に取り組んで欲しい。当時のニュース映画、ドラマや写真等、数多く見て、その上にも現在も生きて健在の人も多くいる筈、その人たちへの取材、データなどなど、真剣に取り組んだもので参加作品として仕上げて欲しい。こんないい加減な出来で芸術祭への参加などおこがましいと思う。
旧作アニメの良さを再認識しただけだった。
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コメント
>「軍人は国なんて護っていません。嫌がる人を無理矢理戦争に行かせて虫けらみたいに殺すだけです」次いでは「日本が負けようが国がどうなろうがお腹はすくでしょう」。
この言葉、私も耳を疑いましたね。
いくら状況を判りやすく見せるらしいとは言え。
憲兵が飛んできて、それまでですね。
他のご指摘も御もっとも。何をいわんやですが。
投稿: oh | 2005年11月 3日 (木) 01時24分