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2005年11月13日 (日)

少年犯罪

木枯らし一号が東京を見舞った昨日、我が家の朝顔はやはり満開で開いた。早朝雨に萎れていた花びらは陽が射すにつれて勢い良く花びらを開いた。

衆議院解散で、国会審議未了となっていた少年法の改正案が再提出される見通しになっている。14歳未満の少年に対する警察官の調査権限を認めるほか、少年院への送致を可能にするのが改正法の大きな柱となる。

先に出た犯罪白書については10日のブログに書いた。少年院の8割を越す教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」6割強は「家族の情緒的な交流が乏しい」と述べている。13日の毎日新聞の社説が遅まきながら『家庭環境の改善が急務だ』と書いたが、その中で敗戦後の1951年に来た少年犯罪のピークが生活苦や食糧難が原因であったのとは違い、現在は親の躾や愛情次第で防ぎうる非行が増えていると述べている。少し長くなるが結びの部分を要約してみる。

『少年法改正で厳罰化が進んだが、保護者対策に力を入れなければ犯罪や非行は減らない。法改正で犯罪の低年齢化が騒がれたが、凶悪犯罪の低年齢化が進んだ事実はない。従来事件の衝撃性にばかり目を奪われ、本質を見極めて来なかったうらみがありはしないか』

『少年の犯罪や非行が治安全体に影響することを踏まえれば、歪んだ親子関係を正すことが有効な治安対策ともなる。保護者を相手にした社会教育や相談窓口の開設など従来とは発想を変えた対策を検討、実践することが急務だ』と結んでいる。

発想を変えるのではない、初めから分かっていることに気がつかなかっただけの事だ。原因の追求に或いは分析にそこまで突っ込んで因果関係を追求しなかっただけだ。少年非行の再発を防止するのに少年を甘えさせてはならない。少年犯罪の多くは不処分になっているが、もっと積極的な措置を示し、法によって守られているという甘えをなくさせ、悪いことをした時の自己責任の取りかたを厳しく教えていくことが必要だ。学校教育の場でも自由と責任について教える必要を痛感する。

家庭にあっても現在非行少年の素行の裏に、虐待が取り上げられるが、これこそその世代の上の親子関係にまで遡った分析が行われなければならない重要な問題なのだ。末端に現れる現象だけを追っていては原因を見誤ることとなる。核家族化した日本の家庭、少子化がいっそう進む家族には、昔のような兄妹喧嘩(最初の自我、自己確立の芽生えになっていた)もできず、親は動物的な愛情を注いで猫可愛がりになって自己主張する子どもの満足に応える。両親の共稼ぎが拍車をかけ、目の届かない放任の時間に責務を感じ、一層我慢することのできない子に育てる。

世相はどうか。小さい頃から仲良くするのはいいが、幼稚園児がキスを交わす。訳も解らない年齢の付き合いを親はへらへら笑って眺めるだけ。西洋にかぶれ、ママ、パパと呼ばせ、西洋の長い年月に培われた文化の上っ面を真似することに躍起になる。年を重ね成長することでお互いに異性を観察する目は変化し、価値観も変わるのに気がつかない。東京都町田の殺害事件も男性側の一人勝手な思い込みが原因だろう。自分の成長の遅れを認めることが出来ず、相手を配慮する思いやりもなく恨みを抱くことになる。子どもへの小さい頃からの躾の問題もクローズアップされる。していいことといけないことの区別がつかない。他人への配慮、心配り、尊敬、思い遣り、慈しみ、年長者への敬愛、行儀作法などなど。横文字好きの人間にはマナー、と云えば理解できるか。

現在世の中で起こっている少年犯罪の殆どは親の無責任から来ている。昭和一桁が敗戦後60年の道のりで目にして来た変革の中で、失ったもの、切り捨てたものが多くある。遅かったとは言え今、現在気がついたのなら早急に親たちへの教育を始めるべきだ。親が変わらない限り日本の少年非行は無くならない。

早くからこのことを唱えて来たが、悲しいかなあまりにもちっぽけな身であった。。ワンガリ・マータイ女史のような力量でもあれば聞く耳の一つや二つはあったのだろうが、惨めを自覚する。


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