国立追悼施設の是非
毎日新聞(11/21)朝刊から
ブッシュと暫くぶりに逢って満面の笑顔で頻りに尻尾を振った小泉だが、アジアの近隣諸国とはますます溝を深め、袋小路にはまり込んだ感がある。自らの戦争認識の不足から、意地の靖国参拝を続ける首相には司法の下した違憲の判断には反論もできず、聞く耳を持つ気配も無い。
自民、民主、公明の三党は、無宗教の戦没者追悼施設を国立施設として建立する構想を話し合うため、9日、3党の議員連盟を発足させた。来年度の予算案での調査費計上を巡って政界で是非論が再浮上している、とある。
現在、特に中国、韓国から指摘を受けているA級戦犯の合祀については敗戦後33年、国民の多くがその悲惨な思いを忘れかけた頃の1978年10月、東條英機以下14名が「昭和殉難者」という責任を曖昧にした被害者のような名称の下に、真実、原爆の受難、空襲の受難、徴兵の受難、で亡くなった人の中に紛れ込むように合祀された。それ以前にB・C級戦犯(主に捕虜取扱いに関する不法行為)がサンフランシスコ平和条約発効(1952年)後1959年から合祀が開始されている。
A級戦犯とは国にあって戦争を最高位から指導したもので、殉難者と認定する意味の全く存在しない犯罪者なのだ。彼等は軍人であれ、政治家であれ、戦争を賛美し、日本を神国と云い、赤子(せきし)として『天皇は当時現人神(あらひとがみ)と呼ばれ、国民はその赤子と呼ばれ、絶対服従すべき神であった』死ぬことを強要し、その生命、財産を奪ったものたちなのだ。天皇は犯すべからざる存在であった。上官の命令は天皇の命令であった。背くものは死で購われた。戦犯たちの拠りどころとなっていた天皇は、東京国際軍事裁判で裁かれることがなかった。敗戦を見越した政府、役人たちは国体護持に走った。彼等の国体護持は天皇制の護持であって、国民を救うためではなかった。焼野原に放り出された多くの国民は日本は守るに値する国とは思わず、権勢を恣(ほしいまま)にした指導者を恨み、死んで行った兵隊たちは犬死であったのか、と感じていた。
現在東京裁判を勝者の敗者に対する断罪という説が圧倒的だが、もともと戦争に正義などというものは存在しない。古来戦争に負けた国が勝者によって裁かれるのは当然のことで、奴隷化され、属国となることも珍しくはない。日本の敗戦は連合国に対する無条件の降伏なのだ。そこにどのような不合理が存在しようと、不正義が存在しようと無条件降伏の結果であって物言う権利は何一つなかった。インドの少数意見の“最高の戦争責任者である「天皇が裁けないのなら」誰も戦争責任者はいない”と云った括弧つきの言葉の都合のいい転用なのだ。日本の独立が認められたのは1948年12月23日A級戦犯の絞首刑執行から4年後のサンフランシスコ平和条約が批准されたときである。多くの日本国民は彼等が絞首刑に処せられたことを無法とも違憲とも感じなかったし、罰させられるものが罰せられて当然としか思わなかった。まして東條のピストル自殺のまやかしは、死を覚悟していれば死に損なうことなどあり得ない銃器での自殺失敗は、狂言芝居としか解釈出来ず、自ら部下に要求した“生きて虜囚の辱めを受けず”も実行できなかった見下げ果てた奴と世間に写ったものだった。
今になって東條たちの復権を叫んでみても、殉難の意味は見い出しようはない。現在中国や韓国から指摘され、無宗教の戦没者追悼施設を構想しているが、他所の国を勘案して決定する必要は全くない。日本人が自らの決定で現在の靖国のA級戦犯を合祀から外すべきだと考えるものである。そして私の提案は、東條の遺骨は東條家に渡し、東條家で祭祀すればいいと考える。同じようにそれぞれのA級戦犯の遺骨はそれぞれの遺族に渡し、それぞれの家族で祭祀すればいいものと考える。命令によって殺されたものと、命令して死に落としめたものを合祀すること自体矛盾したことなのだ。国家予算を割いて余計な追悼施設をつくる必要はさらさらない。
そうすれば首相の靖国参拝も誰にもいちゃもんを着けられないし、大手を振って小泉一座を引き連れた参拝も出来ようと云うものだ。
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