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2005年11月29日 (火)

流行 (髪・眉)

DSCF0016a 夏(朝顔)と冬(山茶花)の競演


DSCF0017a 山茶花



今朝(11/29)、ついに夏の花朝顔に‘いつまで咲くんだ’と言いたげに真っ白な山茶花が一輪、花開いた。さすがに朝顔は連日の寒さに完全に開ききれず、綺麗なブルーの花びらも色付かず、淡いピンクのままのものが目立って来た。ただ蕾が沢山ついているので刈り取るには忍びなくてまだ暫くは見守って行こうと思っている。

退職後は家にいることが圧倒的に多く、音楽、テレビを聴き、見る機会が多くなっている。東京近郊の我が家の地域は宅地が増えるに従って高圧線の鉄塔が増え、周りをぐるりと取り囲まれる状況になっていた。東京タワーから発信される電波は荒れ、受信状態は極端に乱れるようになって行った。FM波は少しの風で古い時代のレコードのスクラッチ・ノイズのように騒ぎだし、テレビの画面は夏でも雪が降るようなスノウ・ノイズが吹き荒れていた。テープ全盛の頃よりライブラリーとして増え続けていたクラシック音楽は、殆どの作曲家を網羅して1000巻を越す量になっていた。モーツアルトだけで100巻になり幼少時代のK.1から生涯の楽曲K.625曲を揃えて、休日には飽きず聴いていた。そこへ電波障害が発生して録音も録画もわざわざ再生して聴いたり、見たりする品質にならない状況が起こった。そんな時1989年、ケーブルテレビ(テプコ)が優先的に導入され、録音・録画を再開した。

生まれ(1931年)からしてどっぷりとアナログ時代の人間である。最近若者にもアナログに興味を持つ人もいるようだが、CDにしろMDにしろ無音からいきなり音が出るディジタルの世界。しかし、人間生活の中でそのような世界は全く存在しない。針が溝をなぞる音(スクラッチ・ノイズ)或いはデシベル値ゼロでない低騒音のある世界、残留雑音のある世界こそアナログの神髄だと思う。私のレコードライブラリーはLPが圧倒的だが、若干のSPも棚に並んでいる。ディジタルに音の劣化はないというが、確実に存在する。MDはCDよりも明らかに音質は悪い。商業ベースでより音質の悪い音の世界が広まっているだけだ。

本論に入ろう。幾つもあったFM誌も最後まで頑張ったFM fanが36年間の歴史に終止符を打ち廃刊。それを惜しんだファンの要望で1989年暮、NHKFMのプログラムを2週分、申し込み者直送のみのシステムによるFM CLUB(music bird,THE CLASSIC付)を発刊。当初30ページからスタートして現在40ページ構成。
テレビの方はまだステレオ放送の開始以前、戦前の名作が毎週のように放映され、まだ小使い銭では多量には購入できなかった高価なテープを少量づつ手にし、新聞の番組欄をチェックしつつライブラリーを揃えて行った。ドイツ映画「制服の処女」「未完成交響楽」「会議は踊る」、フランス映画「パリ祭」「パリの屋根の下」「女だけの都」「自由を我等に」「舞踏会の手帳」戦後になるがイタリア映画「戦果のかなた」「平和に生きる」「靴みがき」「自転車泥棒」戦前のアメリカ映画「駅馬車」「モロッコ」チャップリンの「モダン・タイムス」「黄金狂時代」「街の灯」ソヴィエト映画「戦艦ポチョムキン」「イワン雷帝」など、現在のようにアメリカ一辺倒の戦争映画、CGで誤魔化しただけのはったりものでない、世界各国の優れた作品で溢れ返っていた。現在録画をしようと惹かれるものはこけ脅かしのCGまみれになっていないものか、アカデミー賞でも外国映画賞のような小国の優れた作品や、アメリカ映画なら少なくとも20年から30年以前の作品に限られる。少しは観賞に耐えうるものもあったと記憶する。最近のものでは見るには見ても録画までしたいものは皆無に近い。

今、必要にかられて購入するテレビの番組誌、一週間なり一ヶ月の内容になっているが、家へ帰り着くなり番組だけを残して汚らしい表紙から数ページを真っ先に切り裂く。チェックする度に目につけば吐き気を催すから。これから書くのが『流行 (髪・眉)』。これらの雑誌が、テレビと同じく少年少女向けに作られていることは判っていても、大人が見る番組もある。表紙に掲載されるタレントの幼稚じみて汚らしい流行の写真が我慢ならないから。
  髪の色は西洋風 男も女も赤茶かブラウン(例外には婆さんの紫色、銀色があるが印刷されることはない)
  髪のスタイルは 男はヤマアラシかハリネズミ風のざんばら髪に加えてみっともない揃わない長髪
          女は乱れるだけ乱れた長髪を汚らしく首に巻いたり、不揃いに垂らす
       眉は 男も女も同様に細く釣り上げて剃り、気色悪い蛾か虫の触覚そっくり

男の眉の化粧は前に書いた。札幌オリンピックのジャンプ選手、舟木が剃って一躍有名になった。髪は数年前からだが、こんなのわざわざ美容院に行く必要はない。生活が苦しいなら高い金額を支出することもない。アルコールでもぶっ掛けて、一ヶ月、二ヶ月洗わなきゃ容易く仕上がるし、その後自分であちこち摘んで鋏を使えばもっと綺麗に仕上がる。そのうちにはシラミも湧いてくれるだろう。それほど『美』とはかけ離れたスタイルだ。これらが皆、人気タレントがやっているから誰もが我も我もと真似をする。カリスマとは名ばかりのセンスのない連中が、顔かたちがどうであれ、似合おうが似合わなかろうが髪を染め、眉毛を釣り上げ、ざんばら髪に仕上げる。自分の顔を鏡で見て驚かないのだろうか、この人誰?この人間は?と。一時渋谷を闊歩した顔グロと何も変わらない。タレントの物まねが激しいから移り移って今ではテレビ局の女子アナウンサーまでが(タレント化していても、さすが金髪はいないが)眉毛を逆立て、ざんばら髪を垂らし、カメラにはその髪が首に、肩に汚らしく乱れて写る。男の局員までが真似をして髪逆立てて出始めた。まるでハリネズミだ。

敗戦後の世相を知るものには、ガード下に、或いは地下道に巣くった浮浪児が瞼に焼きついている。男の子も女の子も男も女も髪は手入れもできず、汚れ放題、伸び放題、シラミがたかり、そばを通れば特有の饐えた匂いが鼻を衝いた。テレビ番組のガイド雑誌を見るとその頃見た浮浪児そっくりの髪型のタレントたちが、来る週も来る週も表紙に載る。見ていると臭って来る。買って直ぐに切り裂く理由には当時の哀れな浮浪者たちがダブるからだ。

なぜこうも同じタレントばかりが表紙を汚す。昔は男はよほどのことでない限り表紙には現れなかった。今はどうだろう、ちょっと見ただけではその表紙が男か女か判断出来ないときがある。それほど若い男の女性化は酷い。エージェントの力関係か同じ男タレントがひっきりなしに使われる。日本はそんなにも貧しいタレント層しかないのか。女子バレーの応援にジャリタレが騒ぐ、髪はぼさぼさ、色さまざま。あんな奴らが応援するから勝てないんだ。(言い過ぎだね)

戦争に負けた国の情けない流行が続いている。

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2005年11月27日 (日)

歌舞伎が世界遺産に登録

今回で3回目(第1回は2001年で2年毎)となる通称「無形文化遺産」は正式には『人類の口承による無形遺産の傑作の宣言』という。
選択の対象となるのはいわゆる無形民族文化で、言語・歌唱・舞踊・演劇・習俗・風習・祭礼・儀礼などがそれである。世界中の無形文化を1つに集約し、知名度を上げたり、保護を促すことで近代化に伴って消滅の危機にあるこれらのものを護ろうとするものだ。
パリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部の審査委員会では歌舞伎の選定理由について「直ちに消滅する危機には直面していないが、観客数は徐々に減っている。西欧的演技スタイルの導入は創造的な進化をもたらしているが、同時に伝統芸の危機にもつながっている」と述べた。

歌舞伎の源流は、出雲の阿国が京都の四条河原で始めた「かぶき踊り」とされているが、彼女の出身は出雲神社の巫女であったらしい。毛利家の支配下にあった大社は天正19年(1591)石高の減封にあい、大社は経営維持のために寄付金募集の集団をつくり、全国へ送り込んだ。その中の一つに阿国がいた。先ず佐渡へ渡り評判を呼ぶことになるが、もっと幅広い寄付金の募集のために京都へ出ることになる。四条河原で念仏踊りを興業して愛好され、歌舞伎踊りにまで発展させたとされ、そこでは阿国は男装して傾城(けいせい・遊女)買いの寸劇を演じたりした。女性が男装して女郎買いをする「女歌舞伎」は風俗を乱すとして寛永6年(1629)取締にあい、続く若い男たちの集団「野郎歌舞伎」も禁止にあう。禁止に到る経過にはただ風俗紊乱だけではなく、いつの世にも取締の対象になるのは権威への揶揄であり、嘲笑や告発もあっただろう。だから歌舞伎にも幕府の触れられたくない内容もあったものと想像される。その「野郎歌舞伎」が生み出した女形は現在の歌舞伎の原型になっているものだ。

それから400年以上経つが、最近はブームと云われるほどの人気になっている。110年に亘って興業を行って来た松竹の永山武臣会長、歌舞伎俳優の中村雀右衛門、保存会理事の中村富十郎ら三人が登録を知って揃って会見。永山会長は「歌舞伎の持っている基本的なものが、良いものであると世界に認められたのを心から嬉しく思っています」と述べ、雀右衛門は「望外の喜びです。能、文楽の皆さまと、手をたずさえ、伝統文化の発展に力を尽くしたい」と、また富十郎は「今日この日に、歌舞伎座で歌舞伎を務めていられるのを大変しあわせに思います」と。

パリの審査委員会で云っている「観客数は徐々に減っている」と「最近はブームと云われるほど」とは反対の表現だが、どちらも本当だろうと思う。出雲の阿国の河原乞食と呼ばれ、蔑まれてもなお大社への寄付金を集めることへの情熱に支えられた女歌舞伎に比べれば、現在の歌舞伎は100年一日のごときぬるま湯の中で興業され、高尚化されたと云われる感覚は大衆から遊離し、高慢化さえしているように見受けられる。

歌舞伎での芸の継承は「家」と呼ばれる「梨園」だけが継ぎ、家出身でないと主役を務めることはできないため、脇役の減少するような危機もあり、辛うじて外部からの援助を受けての役者だけではないお囃子やその他の人材育成をしているありさまだ。その「家」を継ぐ役者も、素人でも生まれ落ちてから一つ事をしていれば立派に役者にはなれる。「家」を継ぐ役者でもテレビのドラマに出演して見せる大根ぶりには辟易する役者がいる。テレビではなく実際の舞台を観るべきだと云うかも知れないが、現在の歌舞伎の人気はそれでもテレビがなければ今ほどのブームはなかっただろう。歌舞伎界で長年役者をやっていれば大根でも名人と呼ばれお国は勲章を与え、賞美する。高慢になるはずだ。

伝統芸能の上に胡座をかいた見せ物は、未だに見苦しい女形(特例的な一人二人は出てもすぐに年齢を重ね)を使い、宝塚の男役と同様グロテスクな化け物に変わる。どちらも無理に作った声音は気味悪く、無気味にさえ聞こえる。人間の作ったものの中で最も醜悪なものは菊人形と云った明治の随筆家がいたが、歌舞伎の女形はそれに優るとも劣らない。何故女優を、宝塚は男優を使わないのだ。実際の舞台は観たこともないが、見る気にもなれない。テレビのクローズアップが見せる女形の無気悪さは例えようもなく、女以上に女らしいと賛美する人たちの審美眼を疑う。

何はさておいても現在の入場料の設定には驚かされる。
最近の値段を見てみる。出し物で多少のばらつきはあるが、東京歌舞伎座が3000円〜23000円、2520円〜16800円、3500円〜22000円、吉例顔見せで5250円〜26250円。京都南座吉例顔見せで5250円〜26250円となっている。これでは一時のブームが去れば客足が遠のくのは当然だろう。何故このような入場料が許されるのだろう。それほど有り難い見せ物なのか。
♦学割があって20パーセント、ただし満席の場合は入場できない。
♦年齢制限はないが、子供料金は無い。
   ただし、膝の上で見る分には無料だが、座席を使えば有料。
♦入場券のキャンセルや別の日への変更はできない。
どこまで高慢な世界なんだ。

少しは気が休まるのは猿之助が哲学者梅原猛の脚本でスーパー歌舞伎を創作し一人気を吐いているが、これこそが出雲の阿国の求めた大衆のための歌舞伎ではないだろうか。

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2005年11月22日 (火)

集団で暴行繰り返す

暦便覧に「冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也」とあり、日本のあちこちでは雪も降り、山も冠雪のニュースが続く季節『小雪』(しょうせつ)の今日も、我が家の垣根には朝顔が咲き誇っている。(約60輪)

殺伐としたニュースが続く日本列島だが、今朝も目に入って来たバカな親に育てられた馬鹿息子たちの殺人事件だ。毎日新聞(11/22)朝刊から。
事件は10月に起こったものだが、さいたま市見沼区の公園で男子高校生が意識不明の重体で見つかり、その後死亡した事件である。埼玉県警少年捜査課と大宮東署は21日、すでに傷害致死罪で家裁送致になっている同区に住む無職の少年(15)と、同市北区に住む県立高校2年の男子生徒(17)ら少年計5人を傷害容疑でさいたま地検に追送検したと発表した。

5人は10月2日夜10時40分〜翌3日午前4時ごろ、同市北区内の小学校校庭で、上尾市に住む県立高校1年の男子生徒(当時16歳)の頭部や顔などを殴る蹴るなどして頭に一ヶ月の怪我を負わせた疑い。うち建設作業員の少年(16)1人を除く4人は、それ以前の9月25日〜26日のほぼ同じ時間帯にも同市見沼区東大宮の東大宮親水公園で、同生徒の頭を素手で殴り、尻をシャベルで叩いたりして頭に2週間の怪我を負わせた疑い。

警察の話によると、男子生徒と少年らは遊び仲間で、中学・高校での同級生や先輩後輩の間柄であった。少年たちは「(男子生徒が)遊びの集合時間にいつも遅れて来るのでぼこってやろうと思った」と供述し、容疑を認めているという。

一体この加害者側の親にしても、被害者側の親にしても、15や16の幼稚な子どもの夜間の外出をどう考えているのだろう。1人は就職した若年労働者だが、まだまだ親の監督責任下にある子どもたちだ。新聞に書かれたのは少年たちだけだが、本当に書かねばならないのはこの少年たちの親一人一人なんだ。責任は親にあることの認識が世の中全般に亘ってなさ過ぎる。このような躾は学校で教えることじゃない、親が幼い頃から繰り返し身に着けさせていくものだ。今現在子どもの門限を決めて監督している親がいる家庭はどれくらいあるのだろうか?昔どおりには行かないこと(塾があったり、両親の共稼ぎで戻っても家は空っぽ)は百も承知の上で云うことだが、夜遊びを覚える前に子どもの夜間の外出はさせない躾をつけておくべきだ。

遊びにいつも遅れて来るから「ぼこって」やろうと思った。遊び仲間の少年たちの隠語だろうが、わけの判らない言葉を拵えて口にし、不良仲間の連帯を意識する。喧嘩も一人でできない弱虫が、仲間を集めて数の力で弱いものを虐める。平常から弱いものを労る躾がないから始めると止めどがなくなる。昔のガキ大将は弱いものを虐める仲間を牽制する知力を持っていたが、今のワルたちはそのような知能を全く持ち合わせてはいないようだ。

彼らの親たちをどのように考えればいいのだろうか、きっと常識の持ち合わせもなく、善悪の判断力も持ち合わせず、他人への心配りもできず、自分勝手で、他人に協力する余裕もなく、当然社会のルールなど守ることもせず、勿論できず、もしも勤めていれば職場では誰からも好かれない嫌われもので、周りのことには無関心、勝手で、独りよがりで無責任、間違いばかりやらかす満足な仕事もできない落ちこぼれの社員だろう。まともな親に育てられた子が、他人を傷つけ、殺人を犯すことになるとは到考えられることではない。

殺人を犯すほどではないにしても、少年たちの喧嘩や暴力、弱いものを襲う、飲酒や喫煙、暴走、ひったくり、窃盗などは小さい頃からの躾でその殆どは防ぐことは可能だ。親が見て見ぬ振りをすることなく、しっかりと監督し、家庭から教え躾けることで大半は無くなる。悲しいかな現在の親たちにはこのように子どもを躾けることのできる親がいない。早い話、スーパーの子連れの親たちの傍若無人ぶり、車内やレストランでのマナーの悪さ、どんなに子どもが騒いでいても注意もしない、躾けない。親自らが社会のルールを守ることが出来ないのだ。親は親で勝手なことを云い、勝手なことをする。悪いのは社会だ、政治だ、と。子どもを叱ることすらできず、放任しているのが実情だ。現在は夜の遊戯場辺りに小学生らしき低年齢の子どもさえ散見できるそうだ。当然親はいるのだろうが、生むだけで育成の責任を放棄した親が。産むだけなら猿でもできる。道ばたの猫でもできる。

この親たちへの教育は誰が、何時、どこで、どのようにすれば良いのだろう。気の遠くなりそうな時間が必要だと思うがしなければ日本に健全な未来はいつまでも来ないだろう。

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2005年11月21日 (月)

国立追悼施設の是非

毎日新聞(11/21)朝刊から
ブッシュと暫くぶりに逢って満面の笑顔で頻りに尻尾を振った小泉だが、アジアの近隣諸国とはますます溝を深め、袋小路にはまり込んだ感がある。自らの戦争認識の不足から、意地の靖国参拝を続ける首相には司法の下した違憲の判断には反論もできず、聞く耳を持つ気配も無い。

自民、民主、公明の三党は、無宗教の戦没者追悼施設を国立施設として建立する構想を話し合うため、9日、3党の議員連盟を発足させた。来年度の予算案での調査費計上を巡って政界で是非論が再浮上している、とある。

現在、特に中国、韓国から指摘を受けているA級戦犯の合祀については敗戦後33年、国民の多くがその悲惨な思いを忘れかけた頃の1978年10月、東條英機以下14名が「昭和殉難者」という責任を曖昧にした被害者のような名称の下に、真実、原爆の受難、空襲の受難、徴兵の受難、で亡くなった人の中に紛れ込むように合祀された。それ以前にB・C級戦犯(主に捕虜取扱いに関する不法行為)がサンフランシスコ平和条約発効(1952年)後1959年から合祀が開始されている。

A級戦犯とは国にあって戦争を最高位から指導したもので、殉難者と認定する意味の全く存在しない犯罪者なのだ。彼等は軍人であれ、政治家であれ、戦争を賛美し、日本を神国と云い、赤子(せきし)として『天皇は当時現人神(あらひとがみ)と呼ばれ、国民はその赤子と呼ばれ、絶対服従すべき神であった』死ぬことを強要し、その生命、財産を奪ったものたちなのだ。天皇は犯すべからざる存在であった。上官の命令は天皇の命令であった。背くものは死で購われた。戦犯たちの拠りどころとなっていた天皇は、東京国際軍事裁判で裁かれることがなかった。敗戦を見越した政府、役人たちは国体護持に走った。彼等の国体護持は天皇制の護持であって、国民を救うためではなかった。焼野原に放り出された多くの国民は日本は守るに値する国とは思わず、権勢を恣(ほしいまま)にした指導者を恨み、死んで行った兵隊たちは犬死であったのか、と感じていた。

現在東京裁判を勝者の敗者に対する断罪という説が圧倒的だが、もともと戦争に正義などというものは存在しない。古来戦争に負けた国が勝者によって裁かれるのは当然のことで、奴隷化され、属国となることも珍しくはない。日本の敗戦は連合国に対する無条件の降伏なのだ。そこにどのような不合理が存在しようと、不正義が存在しようと無条件降伏の結果であって物言う権利は何一つなかった。インドの少数意見の“最高の戦争責任者である「天皇が裁けないのなら」誰も戦争責任者はいない”と云った括弧つきの言葉の都合のいい転用なのだ。日本の独立が認められたのは1948年12月23日A級戦犯の絞首刑執行から4年後のサンフランシスコ平和条約が批准されたときである。多くの日本国民は彼等が絞首刑に処せられたことを無法とも違憲とも感じなかったし、罰させられるものが罰せられて当然としか思わなかった。まして東條のピストル自殺のまやかしは、死を覚悟していれば死に損なうことなどあり得ない銃器での自殺失敗は、狂言芝居としか解釈出来ず、自ら部下に要求した“生きて虜囚の辱めを受けず”も実行できなかった見下げ果てた奴と世間に写ったものだった。

今になって東條たちの復権を叫んでみても、殉難の意味は見い出しようはない。現在中国や韓国から指摘され、無宗教の戦没者追悼施設を構想しているが、他所の国を勘案して決定する必要は全くない。日本人が自らの決定で現在の靖国のA級戦犯を合祀から外すべきだと考えるものである。そして私の提案は、東條の遺骨は東條家に渡し、東條家で祭祀すればいいと考える。同じようにそれぞれのA級戦犯の遺骨はそれぞれの遺族に渡し、それぞれの家族で祭祀すればいいものと考える。命令によって殺されたものと、命令して死に落としめたものを合祀すること自体矛盾したことなのだ。国家予算を割いて余計な追悼施設をつくる必要はさらさらない。

そうすれば首相の靖国参拝も誰にもいちゃもんを着けられないし、大手を振って小泉一座を引き連れた参拝も出来ようと云うものだ。

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2005年11月18日 (金)

1932(昭和7)年

この季節珍しいので書いた(11/4)が、一段と寒さが厳しくなった今朝も凡そ50輪の朝顔が花を開いた。さすが寒いと見えて早朝からは完全には開ききることができないようで、昼前になってやっと満開の状態になる。垣根には隣に白い花を咲かせる山茶花の蕾が鈴なりに脹らんでいるが、今度は私の番なんだから、と朝顔に遠慮してかゆっくりゆっくりと大きさを増して行く。こちらはひょっとすると夏の花と冬の花の競演が見られるかも知れないと期待して見守る日を送っている。

今を遡ること73年の4月29日、天長節(昭和天皇誕生日)の祝賀式典会場で朝鮮独立党員、尹奉吉の投げた爆弾で司令官白川大将、駐中国公使重光葵が重傷。白川は5/26日死亡、重光は片足切断の負傷。重光は後に1945年8月敗戦処理で、ミズーリ艦上においてマッカーサーの前で降伏文書にサインした日本側代表2名のうちの1人(外務大臣になっていた)。尹はその場で捕えられ11月に銃殺された。

5月には世界恐慌のあおりを受けて政党政治への不満、農民や労働者の困窮、国外情勢の緊張などから不満を共有する海軍将校、陸軍士官たちと民間人が加わったグループが、国家改造をはかって首相官邸を襲い、犬養首相を射殺。この時のお互いのやり取り『話せば判る』『問答無用』は今で云う流行語のよう広がって人々の口にのぼった。同時に警視庁や、日銀などにも手榴弾を投げ込んだ後憲兵隊に自首。陸軍軍法会議、海軍軍法会議による禁固刑の判決を受けている。

19歳(現在の数え方では17乃至は18)で最初の子を生んだ母は、私を出産するまでに次々に生んだ子のうち2人を死なせ、私が3番目の生存する子になった。当時の日本の普通の女性は平均して若くして嫁ぎ、母体として出産には不十分な体のまま子どもを生むのが普通であった。そのために生んだ子の幾人かを亡くす家庭もいくらもあったが、どこの家庭にも当たり前のように5人、6人の子どもがいた。虚弱児で生まれた私は誕生日まで生きるまいと思われたらしいが、この年まだ母の乳房を吸って生きていた。当時の若年結婚は貧しい家族からの食い扶持を減らす目的もあった。小学校へ通える家庭も少なく、また行かなくても咎められることはなかった。今のように義務教育の観念は存在しなかった。そのために生前に母からもらった手紙には漢字が極端に少なく、殆どがひらかなで辿々しく書かれていた。

(その他の出来事)
  3月 満州国が建国宣言
  5月 5・15事件
  6月 警視庁に特別高等警察部(通称・特高)設置を公布
  5月 チャップリンが来日
  7月 第10回オリンピック・ロサンゼルス大会開催
      日本からは131人が参加。水泳、三段飛び、馬術大障害などで金メダル7個を獲得
  7月 ドイツ国会選挙でナチスが第1党に(230議席)
  9月 日本が満州国を承認
 11月 アメリカ大統領選挙でF・ルーズベルトが当選
 12月 16日、東京・日本橋白木屋百貨店4階玩具売り場から出火
 12月 全国の新聞社132社が満州国の独立を支持。「独立こそ東洋平和随一の方途」として共同宣言を行う。マスコミの国是べったりは昔からの生きる道のようだ

白木屋百貨店の火事では女性が着物をきるのが通常の装いの時代、彼女たちは火事の中を裾の乱れを気にして逃げ遅れたことからその後、ズロースが普及したといわれている(死者14人、重軽傷者130人)。出火の原因はクリスマス・ツリーの豆電球のスパークが玩具のセルロイドに燃え移ったもの。それにしてもこの時代、クリスマスなどどいう催しがあったなど驚きだが、流石東京と云うべきか。私ごときは、戦争に負けてカルチャー・ショックにどぎまぎしながら銀座界隈を千鳥足で歩く人並みで始めて知った宗教行事だった。日本人は逸早くこの宗教行事を酒と結び付け、飲めや歌えのばか騒ぎの祭りに変えてしまった。

前年コロンビアに入社した古賀政男の「影を慕いて」が大ヒット。その前に「酒は泪か溜め息か」で100万枚の大ヒットをさせていた古賀メロディーは、日本人の心のふるさとと云われるようになる響きを当初から持っていた。1978(昭和53)年亡くなる2日前に書き残した言葉は「私の唄が好きな人はみんな悲しい人ばかり。戦争の傷跡もピカドンの慟哭も、古賀メロディーも消えてなくなる世の中がいい・・・」と。それでも人の世の悲しみがなくなることはないと思うが。

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2005年11月14日 (月)

たばこ税率引き上げを

毎日新聞(11/14)朝刊から
やはり来たか! 反対の声の強い酒税に続いて一蓮托生か對(つい)ででもあるかのように、鉾先を向けて来た。健康国民会議(日本経団連、全国知事会、日本医師会の代表者34人がメンバー)は10日の会合で、
 ♦男性の喫煙者が肺癌で死亡するリスクは非喫煙者の4・5倍
 ♦喫煙が主因の医療費は年間1兆3086億円
 ♦労働力低下など
を含めた経済損失は7兆3786億円。などのデータをもとに、たばこ税の税率を引き上げ、その税収を健康診断の費用などに充てるよう求める運動に乗り出した。

政府・与党内にも医療費削減の決め手として、たばこ増税を求める意見もあることから、嫌煙運動運動を利用して税制をいじれる見通しがあると踏んでいるようだ。
その増税の根拠になるものは到って単純、諸外国と並ぶ税率にしようというもの。日本の税率は低く、平均で価格の約6割。欧米諸国の7〜8割を参考とし、国民会議は低くても国際基準に持って行きたい考えでいる。

厚労省は禁煙治療を公的保険給付の対象とする方針を決め、禁煙指導に力を入れており、国民会議の運動を後押しする考えであるようだ。ただ政府内にも「課税の公平性に反する」との意見も強く、中長期的課題として当面は前面に出ることを避けるとしている。

癌とたばこの因果関係はまだまだ医学的にも未解決で、直接結びつく決定的な原因とはなっていない。ただ世間の騒ぎかたが狂気じみていて、大方はたばこの匂い、副流煙の被害、失火、莫大な治療費などを上げる。
これだけを云うなら同じ習慣性の嗜好品に酒がある。自ブログ(10/4)に詳しく書いたが、全く同様の経済損失を酒も生じているのだ。内容も同じ、医療費、労働意欲の低下、中毒症状などと、煙草以上に悪いドラッグ性だ。加えて酒が煙草以上に悪いのは殺人に結びつくことだ。酔っぱらい運転による死亡例或いは事故は連日のようにマスコミに取り上げられる。煙草の副流煙をいう人もいるが、その匂いだけだったら好きだという人もいるのだ。嗜好品の嗜好品たる所以だろう。逆に私のように酒の匂いの嫌いな人間もいる。飲んだ後の息の臭さは煙草の煙りの何十倍も吐き気を催す。これから年末年始に向って電車や乗り物の中は、大虎小虎の雌雄が吐く息で窒息するような雰囲気が篭るだろう。

値上げには根本的に賛成だ、どちらも必需品じゃないんだ。飲めなきゃ飲まなければいい、量を減らせば済む。しかし、政府も国民会議のお偉いさんたちも子どもじゃあるまいし、外国がこうだからじゃ、『皆んながやっているから僕もやる』の幼稚な子どもの比較論だ。片手落ちの煙草だけで酒と変わらない経済損失を大袈裟に論(あげつら)い、政治献金をくれる酒組合があるからこちらはまあまあで済ます。酒には至って甘い飲んべえ日本が丸見えじゃないか。

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2005年11月13日 (日)

少年犯罪

木枯らし一号が東京を見舞った昨日、我が家の朝顔はやはり満開で開いた。早朝雨に萎れていた花びらは陽が射すにつれて勢い良く花びらを開いた。

衆議院解散で、国会審議未了となっていた少年法の改正案が再提出される見通しになっている。14歳未満の少年に対する警察官の調査権限を認めるほか、少年院への送致を可能にするのが改正法の大きな柱となる。

先に出た犯罪白書については10日のブログに書いた。少年院の8割を越す教官が「指導力に問題のある保護者が増えた」6割強は「家族の情緒的な交流が乏しい」と述べている。13日の毎日新聞の社説が遅まきながら『家庭環境の改善が急務だ』と書いたが、その中で敗戦後の1951年に来た少年犯罪のピークが生活苦や食糧難が原因であったのとは違い、現在は親の躾や愛情次第で防ぎうる非行が増えていると述べている。少し長くなるが結びの部分を要約してみる。

『少年法改正で厳罰化が進んだが、保護者対策に力を入れなければ犯罪や非行は減らない。法改正で犯罪の低年齢化が騒がれたが、凶悪犯罪の低年齢化が進んだ事実はない。従来事件の衝撃性にばかり目を奪われ、本質を見極めて来なかったうらみがありはしないか』

『少年の犯罪や非行が治安全体に影響することを踏まえれば、歪んだ親子関係を正すことが有効な治安対策ともなる。保護者を相手にした社会教育や相談窓口の開設など従来とは発想を変えた対策を検討、実践することが急務だ』と結んでいる。

発想を変えるのではない、初めから分かっていることに気がつかなかっただけの事だ。原因の追求に或いは分析にそこまで突っ込んで因果関係を追求しなかっただけだ。少年非行の再発を防止するのに少年を甘えさせてはならない。少年犯罪の多くは不処分になっているが、もっと積極的な措置を示し、法によって守られているという甘えをなくさせ、悪いことをした時の自己責任の取りかたを厳しく教えていくことが必要だ。学校教育の場でも自由と責任について教える必要を痛感する。

家庭にあっても現在非行少年の素行の裏に、虐待が取り上げられるが、これこそその世代の上の親子関係にまで遡った分析が行われなければならない重要な問題なのだ。末端に現れる現象だけを追っていては原因を見誤ることとなる。核家族化した日本の家庭、少子化がいっそう進む家族には、昔のような兄妹喧嘩(最初の自我、自己確立の芽生えになっていた)もできず、親は動物的な愛情を注いで猫可愛がりになって自己主張する子どもの満足に応える。両親の共稼ぎが拍車をかけ、目の届かない放任の時間に責務を感じ、一層我慢することのできない子に育てる。

世相はどうか。小さい頃から仲良くするのはいいが、幼稚園児がキスを交わす。訳も解らない年齢の付き合いを親はへらへら笑って眺めるだけ。西洋にかぶれ、ママ、パパと呼ばせ、西洋の長い年月に培われた文化の上っ面を真似することに躍起になる。年を重ね成長することでお互いに異性を観察する目は変化し、価値観も変わるのに気がつかない。東京都町田の殺害事件も男性側の一人勝手な思い込みが原因だろう。自分の成長の遅れを認めることが出来ず、相手を配慮する思いやりもなく恨みを抱くことになる。子どもへの小さい頃からの躾の問題もクローズアップされる。していいことといけないことの区別がつかない。他人への配慮、心配り、尊敬、思い遣り、慈しみ、年長者への敬愛、行儀作法などなど。横文字好きの人間にはマナー、と云えば理解できるか。

現在世の中で起こっている少年犯罪の殆どは親の無責任から来ている。昭和一桁が敗戦後60年の道のりで目にして来た変革の中で、失ったもの、切り捨てたものが多くある。遅かったとは言え今、現在気がついたのなら早急に親たちへの教育を始めるべきだ。親が変わらない限り日本の少年非行は無くならない。

早くからこのことを唱えて来たが、悲しいかなあまりにもちっぽけな身であった。。ワンガリ・マータイ女史のような力量でもあれば聞く耳の一つや二つはあったのだろうが、惨めを自覚する。


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2005年11月10日 (木)

「保護者に問題」

法務省は8日、少年非行を特集した05年度版犯罪白書を公表した。

今回始めて実施した少年院の教官を対象にした調査では、73パーセントの教官が「最近、処遇困難な非行少年が増えた」と回答している。
調査では今年4月、少年院の教育部門で6年以上の経験がある教官 546人 を対象に実施した。
 設問:以前より大きくなっている少年の問題について
  ⒈ 思いやりや人の痛みへの理解力・想像力に欠ける 63%
  ⒉ 対人関係を円滑に結べない           58%
  ⒊ 感情をコントロールできない          55%
 などを上げる教官が目立った。
また、83%の教官が、『指導力に問題のある保護者が増えた』と答え、少年自身の「事件を反省し、償うために、被害者に与えた痛みを考えさせる系統的な処遇プログラムを必要がある」ことは勿論、「少年への処遇だけでなく、保護者に自覚を促す働きかけの強化も重要」だと分析している。

04年に一般刑法犯として検挙・補導された10歳〜19歳の少年は15万5051人。ここ10年ほどは16万人前後で推移する状態は変わらなかった。

2001年4月、改正少年法が施行されてから04年末までに、故意の犯罪行為で人を死亡させたとして家裁送致された16歳以上の少年294人のうち178人(61%)が検察官に逆送された。
 罪名別逆送率 強盗致死 70%(施行前10年間42%)
        殺人   57%(   〃   25%)      
        傷害致死 55%(   〃   9%)
に見るように、逆送率は改正法施行後に高くなっている。

これとは別に、加害者が複数の事件では主導した少年のほぼ全員が逆送されており、事件によっては明確な差があることが判明した。法改正は少年事件の凶悪化を理由に、成人と同様の刑事裁判を受けさせる厳罰化が狙いだったが、白書では「家裁が個々の要因を慎重に考慮していることが窺える」と分析している。

 非行事実別の内訳 殺人         44人
          強盗致死       25人
          傷害致死       145人
          危険運転致死     20人
          保護責任者遺棄致死  2人
この中から危険運転致死を除く216人を対象に三つに分類した場合
家族型(親族が被害者) 25人  88%が保護処分 12%が逆送
集団型(共犯者がいる) 179人  主導者の97%が逆送
単独型         12人  67%が逆送

全体の逆送率は57%で、非行事実別では危険運転致死が90%と最も高く、殺人、強盗致死、強盗致死、傷害致死は54〜60%、保護責任者遺棄致死は保護処分だった。
このように家庭裁判所が原則刑事処分が相当として検察官に送致(逆送)することになった重大少年犯罪で、実際の逆送事案では9割にのぼる一方、家庭内の事件では1割に止まることが明らかになった。

今回始めて実施した少年院の教官の口から、保護者の子どもへの指導力の問題が大きく出て来た。
幼い頃から子どものしたい放題をさせ、そう遠くない以前にはしっかりとあった子供達の門限も、今では野方図なまでに放任され、夜遅くまで外で遊んでいても、或いは帰宅しなくても気にもかけない。携帯電話を持たせ、連絡さえ来れば良しとする親が殆どだろう。コンビニで屯(たむろ)していようと、遊戯場で浪費をしていようと、暴走族となっていようと、男と或いは女と遊んでいようと、酒を飲んでいようと、タバコを吸っていようと叱ることをしない、出来ない。

もっと遡れば親と暮らすことを避け、人生の知恵を学ぶ道を自ら断ち、近所付き合いは希薄になり、子供達に個室を与え鍵まで備える。親には監督責任があり、子どもの部屋に入る権利も義務もあるのにそれもせずに子どもの治外法権を認め、部屋に入ることは悪いことのように錯覚を持つ。勢い子どもは親に知られない隠し事に興味を覚え、実際に持つようになる。親は子どもが何をしても解らなくなる。このような親たちの無責任さが現在の少年たちの非行を呼んでいるのだ。

何か事が起こると親たちは仕事がある、忙しいを口実に責任を逃れる。昔は母親が家庭を守り、男は働いた。それが男女機会均等の法律が定められ、専業主婦は肩身が狭くなる風潮も生まれ、家庭からは身近に子どもを育てる母親が居なくなった。大事な乳幼児期を母親から放して他人に養育を任せ、働きに出る。昔から云われた“子どもの躾は三歳までに”は、これを神話と云って何ら根拠のない旧来の陋習であると否定する。それがあっては女性が働くことで家を空けることの障害になるから。それが世界のブランドを買い漁る日本女性の原動力になっているのだ。

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2005年11月 7日 (月)

続々・子育て

立冬の今日(11/7)も我が家の朝顔は多くの大輪が元気一杯咲いている。
10月5日に取り上げたが同じ回答者(「マザーネット」社長の上田理恵子)の珍回答がまた載った。

急に朝晩の気温が下がり、「子どもの調子が悪い」と困り顔のお母さんが増えているようです。
そこで、このような時(急に発熱)のために日頃から心掛けることを先輩に聞いてみました。(なんだ、このネットの社長さん、自分の意見でなく、先輩に責任を転嫁して回答しようとしているぞ!)

その先輩の云うには
 ① 日頃から子どもの病気カレンダーをつけておく
 ② それで、前兆となる発熱のパターンを知っておく
 ③ 予兆を掴んだら早めに寝かせたり、外出させない
 ④ できるだけ早く病院に連れて行く
次に実際に熱が出て保育所から呼び出しがあった場合について
 ⑴ 急な場合でも迎えに行ってくれる知人を見つけておく
 ⑵ 実母や夫の母に日頃からまめに連絡をしておく
 ⑶ 急に呼び出されても行けないので
    保育士に予兆を知らせてもらう

驚くことに今の母親たち、わが子の異変をなんとも思っていないようだ。子どもがどう急変するかも知れない発熱に、平然と金儲けに励むとは。何を措いても、取るものものも取り敢えず自分の目で子どもに接触するのが先決だと思うが、これも古い考えか。急な場合、迎えに行ってくれる知人を、実母を、夫の母を準備しておくようにとは。わが子に対する愛情はどこにあるのか。

連れて行く病院を選ぶにも、“子どもが熱を出しているのに会社へ行くのか”と、母親としての自覚を説く医者よりも、“病院に来るのも大変だろうから”と、薬を余計に出してくれる医者を選べとは。このような母親に育てられる子どもこそ惨めとしか言い様がない。このような母親が、自分の無責任さを認めず、保育所の対応が悪く手遅れだった、医者の診察に落ち度があったなどと喚き散らすのだ。

ことはわが子のことだ、仕事など放って駆けつけるのが親の責任であり、それに優るものはない子どもへの愛情なのだ。飛んで行ってしっかりと抱き締めろ。仕事の穴ぐらい誰でもカバーできる、あなたが居なくても会社は動く。それが出来ない職場ならさっさと辞めるがいい。それこそ日頃あなたを支えてくれる、あなたの周りの人への心配りが試されるのだ。

社長さん、「サポートします」が売りならご自分の考えできちんと答えなさい。女性を甘やかすために「マザーネット」は存在しているのですか。相談した先輩もこの程度の女性の集まりですか。母親に向っての回答なので私も女性を意識して書いていますが、全く同じ重さで父親にも責任はあるのです。

 

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2005年11月 5日 (土)

1931(昭和6)年

私の生まれた年である。前年に起こった世界恐慌が日本を直撃、米の価格は前の年の60%ほどにまで下落し、皮肉にもその年の豊作で一層下落することになった。明けて1931年、冷害による大凶作に追い討ちをかけられた状態の東北の農村や都会の失業者は二重の打撃を受けた。大きな社会問題となった借金返済のための農村の娘の、身売りが頻発したのもこの年のことである。このような世情を背景にした関東軍参謀・石原莞爾らは謀略をもって南満州鉄道の柳条湖付近で線路を爆破し『満州事変』が勃発、中国各地で激しい排日運動が起こった。

恐慌下にあって世論は次々に戦争を拡大する軍部、戦捷を報じる報道に酔いしれ満州国の樹立を支持して行った。そして9月15日正式に日本は「満州国」を国会で承認。その後はますます跳梁する軍部を抑えることができず、第二次世界大戦をくぐり、1945(昭和20)年、原子爆弾の投下で大打撃を受けて国土が焼野原になるまでの長い14年間を、人々は生きて行くことになる。

babyy

  生後 54日目
  (誕生日まで生きるまい、と思われて生まれた)




 (その他の出来事)
  1月 金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラ」発行
  2月 アメリカ映画「モロッコ」封切
  5月 ニューヨークにエンパイアステートビルが完成
  8月 日本映画初のトーキー「マダムと女房」封切
  9月 満州事変勃発
 11月 中国共産党政府樹立、毛沢東が主席となる

         ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇   

前年、この年と今に語り継がれる映画の名作が作られている。『西部戦線異常なし』と『モロッコ』の二作。二作ともアメリカ映画。
『西部戦線異常なし』・第一次世界大戦(1914:大正3年〜1918年)、主戦場はヨーロッパであったが、アフリカ、中東、中国、太平洋、大西洋、インド洋も戦場になり、世界の大多数の国が参加した。
当初ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(現トルコ)、ブルガリア同盟に対し、イギリス、フランス、ロシア連合国の戦いであったが後に日本、イタリア、アメリカが連合国側に参戦する。1916年、友人とともにドイツ軍の兵士として参戦し、西部戦線に配属された戦場での体験を、ルポルタージュ形式の小説として1929年に発表したレマルクの原作の映画化である。

ベルギーを突破したドイツ軍が、フランス国境を越えてパリを目指して進撃を続け、パリの東を流れるマルヌ川を越えてパリに迫った。フランス軍はイギリス軍とともにマルヌで反撃に転じ、ドイツ軍をエーヌ川まで退却させた。ドイツの短期決戦は挫折し、それ以降西部戦線は膠着状態に陥り、長期決戦となっていた。映画の背景はこの膠着した状態の戦線が背景となっていた。

ドイツ国内のある高校、教師が若い青年の愛国心を煽り立て銃を取って戦うことを説いている。私も少年時代に受けた洗脳教育を思い出すが、青年の心は熱く滾って先を争って戦場に赴く。しかし、戦場で味わう死の恐怖、次々に死んで行く友人たち、強力になって行く殺戮兵器から身を守るためにこの戦争から取り入れた塹壕、毒ガスの恐怖。

戦いの合間にもらった休暇で学校に顔を出した少年が見たのは、相変わらず生徒たちを煽る教師の姿だった。空しさを抱えて戦場に戻って飛交う砲弾の中、塹壕に身を隠す少年の目の前に、真っ白な蝶々がひらひら地上を這うように飛んで一時の翅を休めて停まった。憑かれたようにじわじわと身を乗り出し手を伸ばす少年、もう少し、もう少しだ、さあ届いた、と思った瞬間、敵の狙撃兵の弾が少年を撃ち抜く。蝶々に今にも届きそうな少年の手から力が抜けて行く。戦いが止んで指令部に打つ電文は『西部戦線異常なし』。

『モロッコ』・ゲイリー・クーパー、マルレーネ・ディートリッヒの二大スターの名を一気に高からしめた名作。ドイツで「嘆きの天使」を撮り終え、アメリカに招かれたディートリッヒがクーパーを相手に演じた灼熱の恋。フランス外人部隊駐屯地のカフェにパリから流れ着いた歌手と、本国を逃れ、中ば人生の目的を失って外人部隊に入った若い兵士が知り合い、互いに惹かれ合いながら男は女にパトロンができたのを知り、何も云わずに戦地に出向く。女はパトロンとの婚約祝いの席で知る兵士の負傷。見舞いに出向いた病院で兵役のがれの嘘だったことを知り、捜し出した酒場には女を膝にした男を見つける。非常召集が掛かり再度男は部隊に戻る。女は男が消えた後、酒場のテーブルにナイフで彫ったキューピッドに貫かれたハートの矢の下に自分の名を見る。

翌日婚約者と男の出陣を見送りに来た女は、砂嵐の中を行く兵隊を追ってロバやヤギを引き、大きな荷物を担いだ女たちが三々五々自分の男を追って兵営を出て行くのを目撃する。女は婚約者に抱擁を交わし、惚れた男を追いかけて女の列の中に加わる。砂漠に出た女はサンダルを脱ぎ捨て、裸足になって男の後を追う女たに混じる。砂丘の向こうに兵の列、女たちの列が消えて行く。カメラはゆっくりとパンダウンして風に舞う砂を写してエンドマークになる。ここに別バージョンがある、私が以前見たものではエンドマークは女が裸足になって男を追い掛けた後、カメラがパンダウンして捉えた砂が、風に吹き散らされ少しづつ文字が浮かび上がり、砂の下から The End が現れたのを記憶している。『西部戦線異常なし』とともに映画の余韻を余す所なく伝えてくれた優れたカットであった。

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2005年11月 4日 (金)

朝顔

この季節朝顔を書くのは時期を外れているようだが、我が家の朝顔は今でも毎日60から100輪の華を咲かせ、朝カーテンを開いて垣根を彩る景色を見るのが楽しみになっている。平均温度が夏の最盛期をうんと下回っていることもあって、朝開いた花は終日萎れることなく開いた状態で夜を迎えている。もう11月、何時まで咲き続けるのか愉しみな朝顔だ。前日開いた花は翌朝色を変え、赤みがかって稍しおれるが当日のブルーと混じって二倍の花の数になっている。

春先に色々の花の種を仕入れ、猫の額ほどの庭や、植木鉢に蒔いて成長を楽しむ妻が変わった種(しゅ)らしい、と蒔いたものだが、普通、朝顔市で売っている日本の種類と異なり、成長の激しさは驚く勢いで蔓を延ばし、垣根一面で足りずにテラスに巻き付き、屋根まで這い上がった。そのくせ一向に花を咲かせず、途中で一度邪魔になるから切り取ろう、と提案したが、妻に嗜められて放置した結果だ。他の朝顔が終わりを迎え、葉も枯れた九月の中頃から突如として花を付け、それこそ垣根が壊れるのではないかと思うほどに葉を鬱蒼と繁らせた間から或いは伸びた蔓から、ただ一色ではあるけれどブルーの大輪を今でも毎日毎日咲かせている。

朝顔  ヘブンリー ブルー
和名  そらいろあさがお
英名  Blue Morning Glory
原産地 熱帯アメリカ

確かに袋には日本朝顔より開花は遅れますが、涼し気な空色で花つき多く、長時間咲き続けます。種(日本朝顔のような形をしていなくて、一粒は胡麻ほどしかない)はこのまま蒔いて、水に浸けたり、傷つけも不要と書かれている。発芽率は約5割、7〜8粒が二葉まで成長し、玄関脇と垣根に分けて定植したものだ。垣根の前を通る人の目を引き、11月に入っても咲き続ける朝顔に驚きの声を上げているのが家の中にいても聞こえることがある。まだ蕾が沢山ついているようなので、暫くはまだ咲き続けるだろう。

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2005年11月 2日 (水)

火垂るの墓

11/1日、タイトルのドラマを観た。日本テレビが文化庁芸術祭参加作品と銘打った「戦後60年特別ドラマ」だそうだ。
最初に結論から述べる。つまらない、同じ戦後60年を節目の他局のドラマ「広島・昭和20年8月6日」以上に今、平成16年の戦争観で作られた作品になっている。自由にものが言える民主主義の中で育ち、好きなように意見を口にすることができる空気の中でこそ吐ける台詞が散らばっている。代表的な台詞。父は海軍中佐で戦場で留守、空襲で母を亡くした中学生の少年とその妹を引き取って、世話をしている叔母(自身夫の戦死に伴い残された四人の子どもを育てている家に増えた従姉の子二人)に向って、母の形見の指輪を提供して仕入れたにも拘わらず、満足に食べさせてくれない不満をぶつけるシーン。少年は云う「父は国を護るために戦っています」に切り返す叔母の台詞「軍人は国なんて護っていません。嫌がる人を無理矢理戦争に行かせて虫けらみたいに殺すだけです」次いでは「日本が負けようが国がどうなろうがお腹はすくでしょう」。

現在だから言える言葉で、その当時大声で啖呵が切れる台詞ではない。死んで帰れ、靖国で逢おう、御国のために、日本中が開戦当初の戦果に酔い、鬼畜米英を合い言葉に心を一つにしていた時代だ。この戦争に反対していたのは日本では共産党一党(その多くは捕えられて獄中におり、拷問で獄死した人さえいる)と、アメリカではモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会でカトリックでもプロテスタントでもない全く独自の教典をもつ異端のキリスト教)だけで世界のキリスト教さえ大いに協力していたのだ。

他にも目立つ台詞に、出征する兄が足の不自由な徴兵を免れている弟(この長髪は虫酸が走る。当時この髪では「非国民」と呼ばれた)に向って云う言葉、「俺の居ない間に久子(ドラマでは主人公の叔母)に惚れるなよ」平成の世相のような性の乱れがないと思い浮かばない台詞だ。或いは若い男と女が道路の中央で立ち話など不可能なこと。或いはB29の空襲に遭遇するシーン、立ちすくむ兄妹の上を飛び去る飛行機が、道路上を移動する影がまるで自動車が移動するようなのろい動きだが、これじゃ飛行機は空を飛ぶことは不可能だ。

全体的には登場人物が清潔過ぎる。あの時代、自宅に風呂場がある家庭は稀にしかない。灯火管制下に置かれた浴場も明かりは点せず惨めな状態にあった。そのために、老も若きも男女の別なく誰もが不潔だった。洗濯さえ不自由であった。髪や衣服にはシラミが巣くい、臭く匂っても普通だった。若い女性も免れることのできない運命に置かれていた。化粧品など殆どない時代、登場人物のような綺麗な化粧など望んでも不可能だった。全員が平成の化粧に包まれているのだ。相変わらずCG頼みで拵える安易な画面、螢の出来などいかにも嘘臭い。旧作のアニメの螢はアニメだから成功しているのだ、おなじように真似しては無策としか言い様がない。それにエピローグの平成の追憶話しなど蛇足としか言い様がない。

TBSのドラマの時にも指摘したが、ドラマ制作に携わるメンバーの一人でも良い、時代考証に真剣に取り組んで欲しい。当時のニュース映画、ドラマや写真等、数多く見て、その上にも現在も生きて健在の人も多くいる筈、その人たちへの取材、データなどなど、真剣に取り組んだもので参加作品として仕上げて欲しい。こんないい加減な出来で芸術祭への参加などおこがましいと思う。

旧作アニメの良さを再認識しただけだった。

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2005年11月 1日 (火)

サプライズ

サプライズ、サプライズと毎日のように目に耳に飛び込んで来た結果、小泉小屋の脇役が決まった。候補の四人をごちゃ混ぜにして、浅垣康三なる化け物を拵えて見せるマスコミ、これで才覚があるとでも思ったのか。単に面白くすれば良いと云うものではないだろう。不細工なマドンナが何人も顔を列ねて騒いだが、組閣人事もイエス、イエスの顔ぶれで埋まった。

気分を変えて別の話題に移ろう、今日(11/1)昼間のテレビで久し振りに良い番組にお目に掛かった。ある自動車部品を取り扱う国内でも手広く活躍している企業の話だ。今では海外にも支点を持つ規模にまで発展させたユニークな社長の話だ。

サラリーマンに見切りをつけ、40年前28歳で会社をやめて自分で小さいながら会社を持った。暫くは泣かず飛ばずで先が案じられた。そこで社長の考え付いたのが常人では考え付かないトイレの掃除だった。早朝六時頃には会社に出かけ、社員が出社する前に磨き上げていた。時として早朝出勤の社員が出て来て鉢合わせすることもあったが、お互いに朝の挨拶を交わすこともあったが、社員が手伝う動きはなかったらしい。

サプライズはこの社長の掃除に携わる姿勢だ。普通トイレの掃除にはゴム手袋を填めるがこの人は素手だ。テレビで見せたのは総べて男子トイレだったが、小も大も素手で行う。それも汚れの溜る内部にまで身を屈めての叮嚀さだ。わたしも自宅のトイレは素手で同じようにしているが、前にもブログに書いた軍隊上がりの先輩が、敗戦直後に中学に戻り、再編入の折り軍隊式の便所掃除を教えてくれたからだ。縄をタワシ状に丸めて準備し、外に持ち出したオマルに水を掛け、拵えたタワシでごしごしとやるものだった。お陰で自宅のトイレは便器は勿論だが、今でも素手でやる掃除は床も壁も含めて誰が来ても心配ない。

横道に逸れたが、遂にある日社員で参加するものが出た。トイレが匂うのは便器そのものは勿論だが、床に、壁に染み付いた汚れが発散させるものだ。それを綺麗にすることが大事なのだ、と話して聞かせる。倣う社員は社長の言に従ううちに参加者はもう一人増える。社員が汚さないように気をつけるようになる。自分の所のトイレで済まなくなった社長は取り引きがある会社へ出向いて黙ってトイレの掃除を始めた。契約が取れなくてもせっせとトイレを掃除した。そのうちに徐々にその無償の行為が認められるようになっていた。少しづつ取引先が増えて行った。人の口を介して社長のことは広まって行った。増えた社員も一斉に自社のみならず、お得意先のトイレの掃除を率先して行うようになっていた。

話を聞き付けた広島県警の暴走族対策で頭を悩ませていた刑事が社長に協力を頼んだ。100人からなる一団を束ねていた頭から二人を連れてトイレ掃除をやらせることになった。“始め「ウザイ」と思ったが警察に連れられて来てその目の前でやらざるを得なかった。”トイレ掃除が、綺麗になった結果を見て彼等の心を動かして行った。やっぱり汚されるのはいやだ、綺麗に使って欲しい、が継続することを身に着けさせて行った。勿論彼等も便器を片手は素手でがっしりと掴み、片手で隅からすみまで舐めるように掃除する。100人からの暴れん棒を束ねていた男だ、話す顔は輝いていた。私の偏見もぐらつく一瞬だった。

また雑草の生えるままになっていた校内暴力で有名だった某高校に七年ぶりに学園祭が蘇った。やはりこの社長の行為を聞き付けた校長が学校に招き、生徒にトイレの掃除の手ほどきをしたのが更正の切っ掛けになったのだそうだ。やはり彼等も彼女らも素手でしっかっりと便器に取り付く。思わぬ波及効果も現れ、破られ放しだった天井、壁、廊下のあちこち、ガラスなどツギだらけだが清潔になっている。誰彼なく率先してトイレ掃除に取り組むようになったと、女性校長の社長への表敬時の嬉しそうな顔。

社長は各地を廻って公演を頼まれるようになっているが、街の人やボランティアの協力で東京は新宿歌舞伎町の美化運動にも顔を出す。どぶの中に顔を埋め、流れて来る汚物まじりの下水の掃除までをやっている。何の名声も名誉も求めていないこの社長の哲学、隗より始めよ はやがてこの番組のタイトルになっていたように“トイレ掃除でニッポンが変わる”の希望を持ちたい。こちらが本当のサプライズになる。

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