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2005年11月18日 (金)

1932(昭和7)年

この季節珍しいので書いた(11/4)が、一段と寒さが厳しくなった今朝も凡そ50輪の朝顔が花を開いた。さすが寒いと見えて早朝からは完全には開ききることができないようで、昼前になってやっと満開の状態になる。垣根には隣に白い花を咲かせる山茶花の蕾が鈴なりに脹らんでいるが、今度は私の番なんだから、と朝顔に遠慮してかゆっくりゆっくりと大きさを増して行く。こちらはひょっとすると夏の花と冬の花の競演が見られるかも知れないと期待して見守る日を送っている。

今を遡ること73年の4月29日、天長節(昭和天皇誕生日)の祝賀式典会場で朝鮮独立党員、尹奉吉の投げた爆弾で司令官白川大将、駐中国公使重光葵が重傷。白川は5/26日死亡、重光は片足切断の負傷。重光は後に1945年8月敗戦処理で、ミズーリ艦上においてマッカーサーの前で降伏文書にサインした日本側代表2名のうちの1人(外務大臣になっていた)。尹はその場で捕えられ11月に銃殺された。

5月には世界恐慌のあおりを受けて政党政治への不満、農民や労働者の困窮、国外情勢の緊張などから不満を共有する海軍将校、陸軍士官たちと民間人が加わったグループが、国家改造をはかって首相官邸を襲い、犬養首相を射殺。この時のお互いのやり取り『話せば判る』『問答無用』は今で云う流行語のよう広がって人々の口にのぼった。同時に警視庁や、日銀などにも手榴弾を投げ込んだ後憲兵隊に自首。陸軍軍法会議、海軍軍法会議による禁固刑の判決を受けている。

19歳(現在の数え方では17乃至は18)で最初の子を生んだ母は、私を出産するまでに次々に生んだ子のうち2人を死なせ、私が3番目の生存する子になった。当時の日本の普通の女性は平均して若くして嫁ぎ、母体として出産には不十分な体のまま子どもを生むのが普通であった。そのために生んだ子の幾人かを亡くす家庭もいくらもあったが、どこの家庭にも当たり前のように5人、6人の子どもがいた。虚弱児で生まれた私は誕生日まで生きるまいと思われたらしいが、この年まだ母の乳房を吸って生きていた。当時の若年結婚は貧しい家族からの食い扶持を減らす目的もあった。小学校へ通える家庭も少なく、また行かなくても咎められることはなかった。今のように義務教育の観念は存在しなかった。そのために生前に母からもらった手紙には漢字が極端に少なく、殆どがひらかなで辿々しく書かれていた。

(その他の出来事)
  3月 満州国が建国宣言
  5月 5・15事件
  6月 警視庁に特別高等警察部(通称・特高)設置を公布
  5月 チャップリンが来日
  7月 第10回オリンピック・ロサンゼルス大会開催
      日本からは131人が参加。水泳、三段飛び、馬術大障害などで金メダル7個を獲得
  7月 ドイツ国会選挙でナチスが第1党に(230議席)
  9月 日本が満州国を承認
 11月 アメリカ大統領選挙でF・ルーズベルトが当選
 12月 16日、東京・日本橋白木屋百貨店4階玩具売り場から出火
 12月 全国の新聞社132社が満州国の独立を支持。「独立こそ東洋平和随一の方途」として共同宣言を行う。マスコミの国是べったりは昔からの生きる道のようだ

白木屋百貨店の火事では女性が着物をきるのが通常の装いの時代、彼女たちは火事の中を裾の乱れを気にして逃げ遅れたことからその後、ズロースが普及したといわれている(死者14人、重軽傷者130人)。出火の原因はクリスマス・ツリーの豆電球のスパークが玩具のセルロイドに燃え移ったもの。それにしてもこの時代、クリスマスなどどいう催しがあったなど驚きだが、流石東京と云うべきか。私ごときは、戦争に負けてカルチャー・ショックにどぎまぎしながら銀座界隈を千鳥足で歩く人並みで始めて知った宗教行事だった。日本人は逸早くこの宗教行事を酒と結び付け、飲めや歌えのばか騒ぎの祭りに変えてしまった。

前年コロンビアに入社した古賀政男の「影を慕いて」が大ヒット。その前に「酒は泪か溜め息か」で100万枚の大ヒットをさせていた古賀メロディーは、日本人の心のふるさとと云われるようになる響きを当初から持っていた。1978(昭和53)年亡くなる2日前に書き残した言葉は「私の唄が好きな人はみんな悲しい人ばかり。戦争の傷跡もピカドンの慟哭も、古賀メロディーも消えてなくなる世の中がいい・・・」と。それでも人の世の悲しみがなくなることはないと思うが。

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