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2005年11月 5日 (土)

1931(昭和6)年

私の生まれた年である。前年に起こった世界恐慌が日本を直撃、米の価格は前の年の60%ほどにまで下落し、皮肉にもその年の豊作で一層下落することになった。明けて1931年、冷害による大凶作に追い討ちをかけられた状態の東北の農村や都会の失業者は二重の打撃を受けた。大きな社会問題となった借金返済のための農村の娘の、身売りが頻発したのもこの年のことである。このような世情を背景にした関東軍参謀・石原莞爾らは謀略をもって南満州鉄道の柳条湖付近で線路を爆破し『満州事変』が勃発、中国各地で激しい排日運動が起こった。

恐慌下にあって世論は次々に戦争を拡大する軍部、戦捷を報じる報道に酔いしれ満州国の樹立を支持して行った。そして9月15日正式に日本は「満州国」を国会で承認。その後はますます跳梁する軍部を抑えることができず、第二次世界大戦をくぐり、1945(昭和20)年、原子爆弾の投下で大打撃を受けて国土が焼野原になるまでの長い14年間を、人々は生きて行くことになる。

babyy

  生後 54日目
  (誕生日まで生きるまい、と思われて生まれた)




 (その他の出来事)
  1月 金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラ」発行
  2月 アメリカ映画「モロッコ」封切
  5月 ニューヨークにエンパイアステートビルが完成
  8月 日本映画初のトーキー「マダムと女房」封切
  9月 満州事変勃発
 11月 中国共産党政府樹立、毛沢東が主席となる

         ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇   

前年、この年と今に語り継がれる映画の名作が作られている。『西部戦線異常なし』と『モロッコ』の二作。二作ともアメリカ映画。
『西部戦線異常なし』・第一次世界大戦(1914:大正3年〜1918年)、主戦場はヨーロッパであったが、アフリカ、中東、中国、太平洋、大西洋、インド洋も戦場になり、世界の大多数の国が参加した。
当初ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(現トルコ)、ブルガリア同盟に対し、イギリス、フランス、ロシア連合国の戦いであったが後に日本、イタリア、アメリカが連合国側に参戦する。1916年、友人とともにドイツ軍の兵士として参戦し、西部戦線に配属された戦場での体験を、ルポルタージュ形式の小説として1929年に発表したレマルクの原作の映画化である。

ベルギーを突破したドイツ軍が、フランス国境を越えてパリを目指して進撃を続け、パリの東を流れるマルヌ川を越えてパリに迫った。フランス軍はイギリス軍とともにマルヌで反撃に転じ、ドイツ軍をエーヌ川まで退却させた。ドイツの短期決戦は挫折し、それ以降西部戦線は膠着状態に陥り、長期決戦となっていた。映画の背景はこの膠着した状態の戦線が背景となっていた。

ドイツ国内のある高校、教師が若い青年の愛国心を煽り立て銃を取って戦うことを説いている。私も少年時代に受けた洗脳教育を思い出すが、青年の心は熱く滾って先を争って戦場に赴く。しかし、戦場で味わう死の恐怖、次々に死んで行く友人たち、強力になって行く殺戮兵器から身を守るためにこの戦争から取り入れた塹壕、毒ガスの恐怖。

戦いの合間にもらった休暇で学校に顔を出した少年が見たのは、相変わらず生徒たちを煽る教師の姿だった。空しさを抱えて戦場に戻って飛交う砲弾の中、塹壕に身を隠す少年の目の前に、真っ白な蝶々がひらひら地上を這うように飛んで一時の翅を休めて停まった。憑かれたようにじわじわと身を乗り出し手を伸ばす少年、もう少し、もう少しだ、さあ届いた、と思った瞬間、敵の狙撃兵の弾が少年を撃ち抜く。蝶々に今にも届きそうな少年の手から力が抜けて行く。戦いが止んで指令部に打つ電文は『西部戦線異常なし』。

『モロッコ』・ゲイリー・クーパー、マルレーネ・ディートリッヒの二大スターの名を一気に高からしめた名作。ドイツで「嘆きの天使」を撮り終え、アメリカに招かれたディートリッヒがクーパーを相手に演じた灼熱の恋。フランス外人部隊駐屯地のカフェにパリから流れ着いた歌手と、本国を逃れ、中ば人生の目的を失って外人部隊に入った若い兵士が知り合い、互いに惹かれ合いながら男は女にパトロンができたのを知り、何も云わずに戦地に出向く。女はパトロンとの婚約祝いの席で知る兵士の負傷。見舞いに出向いた病院で兵役のがれの嘘だったことを知り、捜し出した酒場には女を膝にした男を見つける。非常召集が掛かり再度男は部隊に戻る。女は男が消えた後、酒場のテーブルにナイフで彫ったキューピッドに貫かれたハートの矢の下に自分の名を見る。

翌日婚約者と男の出陣を見送りに来た女は、砂嵐の中を行く兵隊を追ってロバやヤギを引き、大きな荷物を担いだ女たちが三々五々自分の男を追って兵営を出て行くのを目撃する。女は婚約者に抱擁を交わし、惚れた男を追いかけて女の列の中に加わる。砂漠に出た女はサンダルを脱ぎ捨て、裸足になって男の後を追う女たに混じる。砂丘の向こうに兵の列、女たちの列が消えて行く。カメラはゆっくりとパンダウンして風に舞う砂を写してエンドマークになる。ここに別バージョンがある、私が以前見たものではエンドマークは女が裸足になって男を追い掛けた後、カメラがパンダウンして捉えた砂が、風に吹き散らされ少しづつ文字が浮かび上がり、砂の下から The End が現れたのを記憶している。『西部戦線異常なし』とともに映画の余韻を余す所なく伝えてくれた優れたカットであった。

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