日本語クイズ番組
【今日、小泉が靖国へ行った。「私的」とは云いながら公用車に乗り、用心棒を引き連れて「国に命を捧げた人の慰霊と感謝だ」と。歴史から学ぶことを知らない情けない男だ。司法の判断を無視し、自己の歴史認識の欠除を晒け出して形だけを一般人風にして見せても、個人の行動と解釈する人間は日本人でもいまい。】
最近各テレビ局が競うように取り上げる日本語を主題にしたクイズ番組が目立つ。一方、文科省は二年後を目処に小学校三年から英語を取り入れると発表した。クイズ番組を取り上げるまでもなく、現在の日本社会で日常耳にする言葉で正直日本語をきちんと使っている人間は殆どいない。アナウンサー然り(ニュースを読み上げる持ち時間はまともだが、一歩他の所での会話などめちゃくちゃだ)、学者然り、評論家然り。世界のレベルから完全に遅れを取った日本の子どもたち。その理由は種々取り上げられて検討はされているようだ。
毎日新聞(10/7)から。内閣府規制改革・民間解放推進室が9月に検討している学校制度の教育改革に、保護者の意見を反映させようとモニター登録者(野村総合研究所)3620人を対象にインターネットで実施した結果、1270人からの回答をまとめた。
現在の学校教育に対し、保護者は
「不満」・・・・43%
「満足」・・・・13%
ゆとり教育に就いては 62% が見直すべきとし、評価している保護者は 5% にとどまる
塾と学校の学力比較では 70% の親が塾が優れていると考えていて、学校はわずか 4%
この数字がそのまま鵜呑みにできないのは解答したのはわずか35%の保護者であること。残りの65%の見解がまるで見えない。報道とはこのようにインターネット利用者のみで作り上げられた片寄ったままのデータを発表するべきではないと思う。このようなやり方が今度の衆議院選挙で多くのマスコミが見せた民意操作につながるのだ。保護者たちはどう見るだろう?大衆心理としては波に呑まれ、流されるのが普通だろう。所謂烏合の衆の心理だ。保護者の全員が学校教育を評価できるような知的水準の持ち主か、教員の善し悪しを評価できる比較価値基準を備えているのか。(教員の中には目立って品位の欠けた人間が混じっているのは事実だし、テレビで取り上げられるひどい屑もいるが全員じゃない)
意見とは、声の大きな人の、よく喋る人の、賛同が多い人のものが正しいとは限らない。云いたくても上手く表現出来ない人、数は少ないがそれが正しいことだってある。物言わぬ人は意見がない人、と切り捨てたがるが、云わない理由がある場合だってある(物言えば唇寒し秋の風[芭蕉])。
本題に戻ろう:閑話休題
日本語クイズだった。活字、漢字、ことばが好きだから番組はよく見る。高学歴の人から学者、政治家、キャスター及びアナウンサー、役者(俳優)、お笑いタレント、司会者など、おしなべて言えるのは、殆どの人たちの国語力のレベルの低さだ。書き問題になると最も目立つ。漢字で解答が書ける人はまるで居ない。書けても小学生三、四年程度の金釘流(かなくぎりゅうと読んで、下手な字を流派のように云って嘲(あざけ)ることば)だ。漢字検定でいえば6級か5級だろう。パソコンが勝手に変換してくれるから概ねは良いのだが、誤字があっても解らない。最近見かける当て字を使ったコマーシャル、新聞紙面が煩わしい。
これほど酷い日本語の実力に、英語を持ち込んでどうしようと云うのか。ゆとり教育で少なくなった授業時間のどこに英語を挟むのだろう。ますます日本語を堕落させてそのうちこれほどデタラメになった日本語は無くしようとでも云うのか。大人になっても読めて当然の音読みはおろか、訓読みに至っては殆どの人たちが読解不能に近いというのに。
私が漢字、ことばで困った思いを殆ど経験して来なかったのは遠く小学校で学んだ基礎のお陰だ。山陰の田舎町の小学校だったが三年生以上六年生まで、同一問題で週一回50問の漢字、熟語の一斉の書き取りが実施されていた。二年上に姉がいた。負けまいと頑張って四年生になった時、最上位の級にいた。当時の漢字は当用(常用)漢字と違ってホタルは蛍ではなく螢、しずかは静ではなく靜、亀は龜などと書かねばならなかった。加えて難しいことばと漢字の教育勅語を毎週一時限目に全文を書き取った。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」原稿用紙一行20字、全文が一枚に納まった。今でも出て来る。読みは(ちんおもうに、我がこうそこうそう 国をはじむること こうえんに)この基礎の上に興味が加わってもっと知ろうと励んだ結果だ。
日本語は文化だ、と云いながらアメリカばかり見ていないで、文科省はもっと正しい日本語の普及に努めたらどうだ。
今、クイズ番組に出ている人たちの中で、漢字できちんと解答が書けるのは黒柳徹子一人だろう。それも綺麗な字で。(彼女の場合本当は綺麗と云うより豪快で達筆だ。)
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コメント
はじめまして
「私が漢字、ことばで困った思いを殆ど経験して来なかったのは、遠く小学校で学んだ基礎のお陰だ。」
自分の思い、考えを人に的確に伝える。
非常に難しいことだと感じます。
私は、小言こうべいさんとは、半分ほどの歳のものですが、人を育て、指導する機会が多くなり、国語力の大切さを痛感しています。
常々思うのは、いざ確認してみると、思ったほど正確に自分の意図は伝わっていないことです。
1割も伝わっていれば良い方かと思うこともあります。
小言さんの文章は、世代を超えて己の考えを伝える力があると感心しています。このような文章や、会話が出来る日本語力を、間に合うちに、身につけたいものだと思います。コメント冒頭の引用にあるような基礎のうえに、このような魅力ある文章は成り立っているものなのだと思った次第です。
話題は変わりますが、ここ数年以来と思うのですが、新入社員の日本語レベルは確実に落ちていると感じます。(小言さんのような人生の大先輩にとっては、今に始まった話ではないと思いますが、そういう事とは別に、不連続に、急に)
文章はおろか、まともに話し言葉が組み立てられない人が増えているように感じます。
その結果、コミュニケーションに支障を来たすほどであるのです。一流大学で学んだものですら、そのような人は居ます。
教育は勤め人の本来の仕事ではない、と思っていましたが、とうに、その考えは改めました。
以上、長文失礼いたします。
投稿: cinnabar | 2005年12月 4日 (日) 12時59分