不寛容(イントレランス)
またまた横文字のカタカナ語だ。
毎日新聞(10/13)から
「寛容度ゼロ」指導 横組の文字に、米国流 学校に規律と罰則 とあり、文科省が導入を検討するとある。
文部科学省は、荒れる児童生徒に校内の規律を厳格に守らせる米国教育界の「ゼロトレランス(毅然とした対応)方式」の導入について検討を始めた。ゼロトレランス方式とは本来アメリカの産業界で使われた品質管理の用語で、「不良品の生産を絶対に許さない」という考え方を示す言葉だ。
レーガン大統領の時代に黒人スラム地区の学校での銃乱射事件を始め荒れる教育現場を背景に、米連邦議会が94年各州に法案化を義務付け、97年クリントン大統領が全米に呼び掛けて一気に広まった。
アメリカでは、服装の乱れからドラッグや暴力、銃器の持ち込みまで問題の軽重に応じた懲戒規定を設けている学校が多い。規定の適用にあたっては一切例外を認めず、重大な問題を起こした子にはその児たちだけを集めた学校(*Alternative School)への転校や退学処分を科す。《*Alternativeはオルタナティブと読み、本来の意味は“代替”を意味し、教育の分野以外にも投資の世界、IT産業、建築、音楽の世界と使用されているようだ。ブログ上でも“オルタナティブ大学を作ろう”なんて呼び掛けがあるが、“代替え大学”じゃあ聞こえが悪いけれど横文字ならいいんだろう。本当におかしな国だ。》
文科省は、昨年6月に起きた長崎県佐世保市の小6児童殺害事件を受け、昨秋プロジェクトチームを設けて再発防止策をまとめたが、今年に入って山口県立光高校での爆発物の教室内投げ込みで、生徒多数を負傷させるなどの事件が続き、プロジェクトチームを再開して来春までにまとめる新たな防止策に「ゼロトレランス方式の調査研究」を盛り込むことにした。
国内では02年、すでに岡山県で導入した高校、岡山市立岡山学芸館高校の場合、問題行動を 1〜5 に分類。
レベル 1〜2 服装や言葉の乱れ・・担任や主任が指導する
レベル 3 たばこ・・・・・・・生徒指導部長が指導する
レベル 4〜5 悪質な暴力行為・・・教頭や校長。必要なら親の呼び出し
森靖喜校長は「『駄目なものは駄目』という価値観を上から下へ伝えるという信念で導入した」と語っている。
このほかには鹿児島県牧園町の県立牧園高校も生徒の荒れを理由に02年1月に導入したが、今年4月、落ち着いたとして撤廃している。この高校は09年廃校になる予定という。
広島県議会でも04年9月に導入が検討された。
日本の民主教育は自己主張は教えて来たが、その自由と責任が同義の関係にあることをきちんと教えて来なかった。自由と勝手気侭の違いが理解出来ず、若いから許されるとの思い込みから他人への迷惑、暴力や障害などを起こしても反省することを学んで来なかった。進歩人と呼ばれる人たち、教育に携わった人たちは戦前の善も悪も玉石混淆で価値観を真っ向から否定し、人として生きるための基本、社会のルールを守ることさえも否定してしまった。戦前の全ては悪であったと。日本には民主主義を云々する以前からそれを言い表わす教訓は沢山あった。自分がされて嫌なことは他人にするな、我が身を抓って他人の痛さを知れ、親の言い付けを守り孝行せよ、などなど。
文科省児童生徒課の坪田真明課長は「問題行動への対応は現状では教師や学校によりまちまちだが、この方式で一元化でき、規律と罰の事前明示で子供の自覚も促せる。米国の方式を日本にそのまま持ち込むことは難しいが、参考にできる部分はあるだろう」と話している。
悪いことをしたら叱られるのは当然なのに、それが理解出来ない。当人ならず肝心の親たちに理解されず、教師が悪人にされる現状。確かに教師の質の問題もあるがそれ以上に学ぶ立場の子供達や躾のできない親の質の悪さが目に余るのが現実のようだ。
長くなるが賛否両論を載せる。
【否定】
教育評論家、尾木直樹(法政大教授臨床教育学) 「ゼロトレランスを文科省がまともに取り上げること自体が教育の混迷と荒廃、大人の無策を象徴している。導入は教育の自殺に等しい。発達論などの立場から問題行動に走る子の心理を正面から見つめることが必要だ。精神状況を掘り下げることを怠り、いたずらに規律を強めても、非行は絶対に減らない。米国での同方式の効果も疑問だ」
【賛成】
ゼロトレランス方式を日本に紹介した加藤十八(中京女子大名誉教授、教育学) 「一人、二人が校則を破るだけで学校全体が乱れる。この一人、二人を許さないのが同方式だ。米国では70年代に管理教育批判が吹き荒れ、ドラッグや暴力で学校が大混乱に陥った。日本では現在“受容と共感”と称し、文科省が学校カウンセリングの充実を進めている。まるで70年代の米国の模倣だ。学校は総じて教師への暴力や暴言で荒れている。一刻も早く導入すべきだ」
タイトルの「イントレランス」について
1916年、D・W・グリフィスが製作したアメリカ映画の題名だ。今から89年も前の映画だが、映画史上空前の大作として、名画として余りにも有名な作品だ。当然白黒フィルムだが、バビロンの昔から現代までを壮大なセットを組みロケーションを行ったものだ。今を盛りのCGを持ってしても再現は難しいものとさえ思われる。この映画のテーマになっているのが人間の愛と『不寛容』なのだ。始めてこの題名を耳にしたのがまだ60年前の中学生の頃。敵国語の英語など理解する由もない。しかし耳に響いていつまでも残る単語となっていた一つ。
| 固定リンク
« 続・子育て | トップページ | 日本語クイズ番組 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント