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2005年10月20日 (木)

父親と子 その2

先ず、母親と子について考えてみよう。
6歳未満の子どものいる世帯の夫婦の一日の育児時間は妻の平均2,39時間に対し、夫はわずかに17分に過ぎず、母親がその大半を担っている。しかし、子どもの世話は男親でもできるという考えは最近では男性にも認識され、女性の75.1%に比べると低い数値だが49.2%とほぼ二人に一人は男でもできると考えている。反面、女性にはやはり母親でなくてはとの考えを持つ人も12.8%いる。(総務庁統計局「社会生活基本調査」1996年)

不思議に思うが育児時間がどうしてこのように少ないのか、育児って一体何だろう?
(経済企画庁国民生活局「平成9年度国民生活選好度調査」)から
専業主婦がが抱えている育児不安は職業を持っている主婦に比べ、育児の自信をなくしたり、自分のやりたいことが出来なくてあせったり、何となくイライラすることが多く見られる。仕事を持っている母親にはフルタイム、パートタイムを含んでいると註はついているが、彼女たちが保育所をどの程度利用しているかの註がない。特に項目「何となくイライラする」では仕事をしている主婦の19.4%に比べると専業主婦では31.5%と圧倒的に高くなっている。一般的には大半の仕事を持つ女性は保育所を利用していると見て良い。常に子どもと一緒にいて神経を使っている専業主婦に比べて各項目とも不安が低いのは当然だろう。人任せでその時間は育児は放棄しているのと同じなんだから比較しても意味のないことだと思う。

次の設問。
「子どもが小さいうちは、母親は仕事を持たずに家にいる方が望ましい」(国立社会保障・人口問題研究所1992年 既婚者8884名)
  全く賛成とどちらかといえばを加えると 88.1%
  全く反対とどちらかといえばを加えると 10.1%
「子どもが3歳になるまでは母親は育児に専念するべきだ」という考えについて。(厚生科学研究「少子化社会における家族等のあり方に関する調査研究」1997年 有識者 614名)
  全く賛成とどちらかといえばを加えると 45.2%
  全く反対とどちらかといえばを加えると 33.4%
となっているが、特徴的なのはここでは‘どちらかといえば’の条件を除けば、全く反対が賛成を上回って16.5%に対し21.0%となっていることだ。

そして取り上げられたのが、古くからの説、「子どもは3歳までは家庭で母親の手で育てないと、子どものその後の成長に影響を及ぼす」というものである。これを現代は三歳児神話と名付けて神話扱いし、古色蒼然たる遺物のような取扱いをすることが現代育児の本道のようになっている。果たしてそうなのか。
毎日のようにマスコミを賑わす事件、殺人から詐欺、暴行、誘拐、暴走など迷惑事件、年々低年齢化する凶悪犯罪は家庭環境の不健全な結果であり、親の子への躾に始まる教育の欠除であることは歴然としている。ところが現在明確な教育理念を持った親が育てられていない。血を吐く思いで働いて工業立国を作り上げて来た団塊の世代の責任だが、この世代は後に続く世代のための価値基準をつくることができなかった。本来なら失われた価値観、価値基準を作らなければならないのが現代の親たちだが尺度も持てない親たちは、何をしていいのか全く解っていない。はき違えた自由は知っているが責任は何処かに置き忘れ、子どもの指導ができない。人権団体、動物保護団体など何でも庇えば良しとする考えが蔓延し、猫や犬にまで「人権」を叫ぶ。原因ははっきりしているのに見て見ない振り。

子どもの悪は親の教育欠除だ。学校や教師の責任じゃない。これを幼い頃から教えるのが乳児教育だ。人間の子だからといっても一歳、二歳の乳児は猿の子と違わない、人権などある筈がない。生きているから人権はある、一歳、二歳は生きてはいない。生かされているんだ。生むことだけなら猿でもする。人間が猿と違うのは成長の刻、一刻を母親がはっきりと見、肌を触れて乳房を与えるスキンシップなど、これが父親の与える哺乳壜ではない育児の歓びである筈だろう。こぼれる程に注ぐことができる三歳までの母の愛情があって世に云われる軍人の死の最後に口にするのは天皇陛下万歳ではなく、『お母さん』が不自然でなく出て来るのだと思う。西洋かぶれの『ママ』じゃこうは行くまいが。

共働き世帯が専業主婦世帯を上回り、多数派になる一方で、男性は依然として仕事中心の生活を送っている結果、「夫は仕事、妻は家事も育児も仕事も」といった女性が二重、三重に負担を負う状況になっている、と纏めている。相変わらず女性の被害者意識と自己主張が目立ち、男性の72.2%に比べ、女性が負担する生活費5.1%(お互いが16.5%はある)のために子育てを捨ててまで仕事を優先する理由があるのだろうか。(これは次の父親と子でも述べる)

【父親と子】
先に上げた㈶日本女子社会教育会のデータ「家庭教育に関する国際比較」で子どもと一緒に過ごす時間を見ると
父親はタイの 6時間 をトップに、アメリカ 4.88時間、イギリス、スウェーデン、韓国、日本 3.32時間
母親は韓国の 8.4時間 をトップに、タイ 8.06時間、アメリカ、イギリス、日本 7.44時間、続いてスウェーデンが6.49時間 となっている。

お襁褓の交換、ご飯を作って、食べさせて、後片付けをして、お風呂に入れて、寝かしつけ、夜泣きすればあやす。保育園には送り迎え、家では遊び相手や生活上の躾、病いに罹れば心痛や仕事を休んで医院に。入学すれば運動会、授業参観、父兄会。ここに並べた項目は、厚生省が1997年、野村総合研究所に依託して調査した時の設問項目を並べ替えたものだが、父親と母親の役割分担は、各項目とも父親、母親からもそれぞれ理想と現実を見比べた内容になっている。保育園児を持つ両親で見ると「お風呂に入れる」「遊び相手になる」「生活上の躾け」「運動会などの行事」などは夫婦半々か主に父親がやると回答した割合いが半数を越えているが「保育園の送り迎え」「子どもが病気の時、仕事を休む」では父親、母親ともに2割に満たない。男性が育児休暇を取るのも全体の0.8%に過ぎない、としている。当然だ、男が一ヶ月、二ヶ月いや半年休暇を取っても母親の代わりは不可能だ。それに上に並べた育児の数々、休暇を取らなくても何時でもできる。男が育児に参画できる嬉しい時間だ。昭和一桁でも三歳までは進んで手伝った。(‘手伝った’の感覚が今の女には許せないか)

私の30代、子どもが幼児になると家庭は妻に100%任せて仕事に専念した。大企業でもない仕事場は恵まれた職場ではなかった。残業しても手当てはなかった。“お前たち自分の力不足で材料を無駄にし、会社に余計な出費をさせ、何が残業代だ!”で済まされた。私は後のサラリーマン時代を通じても(何時の間にか管理職に)生涯一円の残業代も手にしたことがない。一日の睡眠時間は現役を去るまでほぼ4時間程度、ナポレオン並だった。子どもが必要な幼児期の休日の家庭サービスなど一切したことがない。たまに来る休日は今ほど多くの祝祭日、振り替え制度、土曜の休日扱いもなかった。酒など一滴も口にする暇もなかった。残した有給休暇は合計すると1.5カ年の勤続に相当した。何としても体を休めさせるだけに休日を使った。子どもは妻が連れ歩いてくれた。まだ背中に背負う風習が残っていた。(私自身は祖母の背中を覚えているような錯覚に陥ることがある)。ただ一度、小学生になった子どもを連れて、15年勤続で与えられた旅行券で、親子三人一週間の九州旅行を空の旅で苦労させた妻にプレゼントしただけだ。

総理府広報室「男女共同参画社会に関する世論調査」1997年から
◆女性の望ましい生き方について仕事を優先するか、家庭を優先するかの設問に、女性では専念と、優先を加えた数字は10.2%、家庭を優先するは専念を加えると43.7%。
男性の見方は仕事を専念と優先を加えると10.8%、家庭優先が46.7%
◆男性の望ましい生き方について同じ設問。男性自身は25.9%、家庭優先は33.9%
これを女性側からは仕事優先を23.8%、家庭優先は34,6%となっている。
(女性1,955名 男性1,619名 総数3,574名)

白書は総括して、男性は仕事を犠牲にしてまでは子育てに参画しないが、仕事に支障のない範囲では積極的に子育てに関わって行こうとする父親像が浮かび上がる。と結んでいる。

投書からあれこれを書いてきたが、要はそれぞれの家庭の事情もあり、お互い納得のいく子育ての仕方を考えだしていくことが大事なことだ。

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