横文字崇拝の日本人
国立国語研究所(杉戸清樹所長)が6日、馴染みが薄く、分かりにくい外来語の「言い換え語」として35語を新たに提案した。今回の発表は第4回提案の中間発表で、一般からの意見も募集して、今までの言い換え語を含めて176語が対象になっている。来年1月にも最終発表がされることになるそうだ。
文部科学省の‘小学生からの英語教育を’などど云う馬鹿げた発想を始め、日本人の英語に対する劣等感は今さらながら驚くべきものとなっている。街の中には何処の国か解らないような看板が溢れて次から次に目に飛び込む。会社、銀行、レストランに喫茶店。反面若者たちの使う低能まがいの幼稚な日本語。これほど自国の言葉や書を卑下する国は知っている限りない。なによりも毎朝毎夕届けられる新聞紙面だ。当て字、語呂合わせ、カタカナ文字。乱れ切った日本語の世界に英語を持ち込むことはないだろう。英語崇拝者には“そうだ、そうだ”と喜ばれるだろうが、日本人の殆どは海外旅行に行く訳でもないし、国際的な働き場を持つ訳でもない。逆に他所から日本に来る外国人こそ日本語を学んでから来れば良い。必要のあるものが使えるようになればいいので、日本人がすべて小学生から英語を学ぶ必要などさらさらない。日本には日本語の文化があるように、外国語の文化があることを知り、学べば良い。
好んで音楽番組を聞かなくなって久しいが、特に邦楽に分類されている中でも特にポピュラー系のひとたち。カタログを開いて日本人はどれ?殆どがカタカナかローマ字で表され、“横文字かぶれのお前たち、日本にいなくても良い”、とでも云いたいようなものだ。禄な歌唱力もないのに歌手と呼ばれる歌い手、日本語の発音は歌詞カードを見ないと何を云っているのかさっぱり理解出来ない。歌を聞かせることが出来ないから、女は腰を振るだけの振り付けで誤魔化し、男は女紛いに眉を剃り、茶髪に無精髭を伸ばして画面からは不潔が臭く匂い、飛んで跳ねて息をきらして、まるっきり歌にならない。途中には日本語の語彙不足から意味もなく横文字の歌詞が挟まれる。音域が狭いから何でもない音が裏声になる。殆どの歌い手がちょっとした高音が出せなくて裏声になっているのが今の日本の業界だ。それでも歌など始めから聞く耳を持たない幼稚な黄色い声の子供たちがはしゃいでくれるから、次から次へとモヤシのように生まれて来る。
ほんのひと昔前にはいた音楽評論家も、今ではまともに評価するに値する歌も歌手もいなくて手持ち無沙汰になり、ただ売り上げ高だけが取り上げられる。昔大騒ぎした年末の紅白も、今では学芸会レベルでさびれ果て、集まるのは子どもたちだけ。
横道に逸れたようだが、そうではない。現在の日本の英語への劣等感は、敗戦後の日本のアメリカの進駐軍に群がるパンパンと呼ばれた売春婦が兵隊たちの腕にすがり、片言の英語(パングリッシュと呼ばれた)を喋りまくっていた当時の姿に余りにも似ているのだ。それでもその当時グレン・ミラーの名曲「真珠の首飾り」や、少し下って1974年のポール・モーリアの「オリーブの首飾り」の頃まではネックレスとは呼ばれなかった。
そして今、オーガナイザー、オーナーシップ、カスタムメイド、クライアント、バウンドにリバウンド、ユースにリユースにリサイクル、サプリメント、サムターン。定着したかに思えるトラウマもあるが、センサスにコンセンサス、テクノロジーにナノテクノロジー、バイオ、バイオテクノロジーにバイオマスなどや、今回の対象にはなっていないが、最近の病理学関係の世界も日本語表記が望まれるものが多い。例えばNPO「大人のADD&ADHDの会」と普通に書かれていて即座に理解できる人が何人いるのか。私が目にした文章には母親仲間の会話で「いま思えば徹君ってADナントカっぽかったね」と交わされたとある。このADもADHDも子どもの「軽い発達障害」らしいが、ADHDは注意欠陥・多動性障害と云われるもので、LD(学習障害)とならんで近年よく使われているらしい。
拉致被害者問題が大きくなってからは少なくなって来ているが、『北朝鮮』と云ってから長々と正式国名を繰り返すような下らないことをしていながら、国際問題や難しいアルファベットを口にしても、誰もが理解できるように日本語に置き換える手間を省く報道機関。念願叶って国民の総白痴化に成功したんだから、白痴でもわかる叮嚀な解説をするのが当然だろう。
【追記】解らないのがファッション界、ズボンはパンタロンになり、スラックスに、そして今ではパンツ(昔パンツと云えば女の子は人前では口にするのも恥ずかしがった下着のこと)。ところが今そのパンツの下に履くのがズボン下、と名付けられて売られている。どうなっているの?
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