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2005年10月31日 (月)

誕生日

この世に生を享けて七十と有余年、物心ついた少年時代を軍国少年として過ごしたのも遠い昔になった。凛々しい軍服に憧れ、七つボタンの予科練(予科練習生)に入るために勉学に励んだ。皇国の華として散り、やがて軍神として靖国に祀られることを願って育った。

敗戦が、一、二年遅ければ恐らく願ったとおりになっていたであろう。1945年、神国日本に原子爆弾が落ち、焼野原になって『無条件降伏』をすることになる。政府は国民は最後の一人になっても戦え(本土決戦)、と志気の鼓舞に必死になっていたが、既に日本には戦うことのできる飛行機も、軍艦も、戦車も、兵隊もなくなっていたか足りなかった。ミッドウェー海戦では従兄の戦死、敗戦直前に兄の入隊(外地へ出るまでに広島で被曝)もあった。

戦争を指揮し、煽り立てた指導者たちが裁かれた。今、第二次大戦の日本の行動を侵略ではなく、止むに止まれぬ戦であったとする考えがある。しかし、上官の命令はただちに朕(天皇)が命と心得よ。とする軍人勅諭は厳然として存在し、命令に反することは死を意味した。その頂点にあったのが大元帥陛下であった。そのため極東国際軍事裁判はその人を裁けないのなら日本には戦争犯罪人はいない、とした少数意見書をつけて判決をくだした。

「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍人に命令した張本人東條は、敗戦で捕えられた身を始末も出来ず、謀った自殺も狂言自殺で死に切れずに逃れた。裁判は生き恥を曝した東條を含む軍の最高指導者たちを1948年12月23日巣鴨プリズン内(現池袋サンシャインの地)で絞首刑に処した。日本は戦争犯罪を認めてサンフランシスコ平和条約ならびに日米安全保障条約に調印する。全権が日本に帰り着いて間もなく、間、髪を入れない素早さで独立した上はその事を認めない、と裏をかいたような言動が出るようになる。日本の戦争肯定への傾斜はこの頃から芽生えていた。

     ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

74歳の誕生日を迎え、生きて来た年月を遡って振り返ってみる。そう、誕生の前年血生臭い匂いが漂い始めた日本の世情から書いてみよう。適時、年度を追って続けたい。

1930(昭和5)年、私がこの世に生まれ出る前の年、ニューヨーク・ウォール街に始まった金融恐慌は、その影響を世界中に広げて人々の生活を脅かし、日本でも失業者が激増、農産物価格の暴落による労働者や農民の暮らしは疲弊の一途を辿っていた。時の浜口内閣は緊縮財政で経済の立て直しを図ったが失敗。不況、失業に喘ぐ国民は行き場のない捌け口を過激なエロチシズムに向け、エロ・グロ・ナンセンスのばか騒ぎにはまり込んだ。

1月に開かれたロンドンの軍縮会議での対米英国比を不満とする軍部強硬派の攻撃に曝されながら、10月の国会で批准。その直後の11月14日、対外協調路線を貫いた浜口首相は東京駅のプラットホームで右翼の青年の撃った凶弾により重傷を負った。

(その他の出来事)
  3月 インドでガンジーの反英第二次非暴力抵抗運動(塩の行進)
  7月 第一回ワールドサッカーがウルグアイのモンテビデオで開催(ウルウアイが優勝)
 10月 超特急「つばめ」登場、東京〜神戸間を9時間で走る
 10月 アメリカ映画「西部戦線異常なし」(レマルク原作)上映
 11月 倉敷市に日本初の西洋美術館開館

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2005年10月28日 (金)

女も立ち飲み

最近は女も立ち飲みをするらしい。“立ち飲み”といえば労働者(それも日雇いの)の飲む安焼酎が思い浮かぶ。酒屋の店先でニッカズボンを履いて手拭いを捩じり鉢巻きにしたり、首に巻いた日焼けした男衆が、一杯の焼酎をちびちびと飲む姿だ。その昔、利き酒として酒屋が銭をとって飲ませたのが始まりと聞くが、60年前に日本は戦争に負け、街に溢れた失業者は水で薄めた酒や、焼酎を飲んで一日の憂さを晴らした。たまにメチールを飲んだために失明したり、死ぬ奴まで出たこともあった。東京の新橋駅近辺を始め新宿、池袋や渋谷など山の手線のガード下は屋台が並び、酔っぱらい天国の様相を見せ、立ち小便や吐き出したゲロが混じって異様な匂いの立ちこめる場所だった。

何時の頃からか焼酎はチューハイとカタカナで呼ばれる飲み物に変化し、安酒の認識は色薄れ廉価であることが受け、サラリーマンと呼ばれるようになった労働者(今でも組合は労働組合と呼ぶ)は連帯意識のつながりからか、連れ立っての酒場通いを続けることになる。ビルの屋上には夏になると提灯がぶら下がり、このシーズンはビールが花盛りだが集まる酒好きに女の姿が年を追って増えている。酒の上の武勇伝は男の専売特許でもなく、雌の大虎も見かけるようになった昨今だ。

女が酒を飲むことに全く抵抗を感じていないのが不思議だ。酒を飲む、腹は出る。さあ、大変だ、痩せなきゃ。運動するのは面倒臭い、薬を飲んで試してみよう。次は洋酒にしてみよう、ウイスキーがいいかしら。テレビでも女の酒のみタレントが誰が一番かさぐり合う。昔の女性で酒を飲むのは玄人筋の人たちが殆どだった。一般家庭の女性は先ず正月の祝い酒程度のものしか口にはしなかった。まして嫁入り前の女が口にする飲み物ではなかった。特に焼酎などと云う安酒は女の飲み物ではなかった。時代が変わった、といえばそれまでだが、まさしく戦後強くなったのは女と靴下(これも今ではストッキング、靴下など死語か)と云われる通りだ。

男の社会では酒が一つの派閥を作ることがある。酒が好きな上司が中心になると歓心を引こうと集まる輩が必ず顔を出すようになる。酒の場で出る話題が会社での部なり課なりのテーマになることがある。酒好きのお調子者の集まりで意見が弾み、そのまま会社の延長のような結論になることがある。酒が覚めた翌日、そのテーマが部、や課の意見としてまとまることになる。所謂酒コミュニケーションだ。酒の飲めない人、集まりに参加しなかった人の意見は入らない。酒を飲んで仕事の話が弾む人、飲まないと言えない人、全く仕事の話を拒否する人。酒ののみ方はいろいろあるが、上下間系で飲む酒ほど不味い酒はない。

女の場合、立ち飲みは椅子にかけて飲む酒にくらべれば時間を取られないのが大きな理由らしい。“会社のイライラした気持ちをそのまま家に持って帰りたくない”という女が多いらしいが、飲みに集まる連中はイライラのストレス解消のはけ口に酒をのむのであって、好きな酒の味を楽しむことじゃないのか。ただ、ひとが飲んでいるから私もって、やはり金魚のフンでつながってるだけか。早く家に帰りたいのなら飲まずに帰るのが一番だ。
やはり女の立ち飲み姿はどう贔屓目に見てもみっともいいものじゃない、立ち飲みしない女に比べれば女としては二流品だな。これが偏見の独壇場だ。

暮も近くなって来た。これからあちこちに夜遅く街なかを徘徊する雌虎が増えるだろう。何らかの被害にあっても自業自得だよ。

【白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ 牧水】

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2005年10月26日 (水)

色は匂へと

tsubakix


東京・中野区・哲学堂にて




いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつね ならむうゐの おくやまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす ん(京)

この言葉は小学生の頃、誰でもひら仮名を覚えるのに、何度も繰り返し口ずさんだことを覚えているだろう。
弘法太師(空海)の歌とも云われるが、これは日本語48文字を、あいうえお と共に諳んじるための極めて優れた記憶法として古くから知られている。教師は口唱させた後、小学生には難しくても文字や言葉の意味を教えてくれた。何故、ちりぬるを、 であって、 ちりぬるお、ではないか。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し
酔いもせず

歌の意味を解説するのは私の専門ではない。現在テレビを始めとする電波に乗って耳に入る歌の数々に、あまりに酷い日本語の語韻を無視したものが多く、極めて不愉快な響きで唱われる曲が多いことに腹立たしい思いをしている。英単語が複数のシラブルで構成されており、一つの単語を複数の音符に分解できることを日本語に持ち込み、意味不明の歌にしてしまう。唱っている歌手たちも日本語自体の発音が悪く、外国語もどきの発音と相俟って何を云っているのか全く解らない。加えて日本語の語彙に乏しく、表現が出来なくなると意味不明の言葉を挟んでみたり、外国語(殆どは英語だが)をくっつけてみたり、無国籍ものの歌にして、誤魔化して有頂天。どうして日本名を避けるのか、競い合っている売れ筋ランク、タイトルは横文字、カタカナの行列。いずれにしても生まれては消えて行く泡沫歌手、世代を越えて残る歌など皆無に近い。余りに独りよがりの歌手、グループが訓練もしない狭い音域の咽で、うす汚い裏声の奇声を発するのを競い合う。こうすれば仲間だとでも言いたげに、髪を黄や赤や茶に染め、浮浪者まがいに汚らしく伸ばし、最近では不精髭を伸ばす物まねのオンパレードだ。自分の、自分達の個性を持ったミュージシャンも皆無。耳に訴えるものが物まね、目に飛び込むものも物まね、今の日本のポピュラー音楽界は西洋音楽の亜流の亜流で人気を競う。付和雷同の国民性、どこまで西洋音楽にへつらうのか。銭を払って聴く歌など全くない。一年後にはそんな歌手、そんなグループなんか居たっけ?のレベル。

外国では『スキヤキ・ソング』で知られる歌を唱った歌手が、歌の日本語を駄目にしたはしりに思われる。彼の発音は タ行 においてひどく目立ち、「た」は「つぁ」に聞こえ、「ち」は「つぃ」に、「て」は「つぇ」に、「と」は「つぉ」に聞こえて来た。現在の若者たちの 「て」が尻上がりの「てぁー」に、「で」が「でぁー」に、「ね」が「ねぁー」に比べるとまだしも可愛いげがあるが、上の歌手の発音は現在多くの歌手が無意識のうちに真似るところとなって、綺麗な日本語の歌を綺麗な正しい発音で聞くことは極めて少なくなっている。

作っても作っても忘れ去られるものの方が圧倒的に多い歌、殆どメロディーをを無くし、ビートとリズムだけのラップ、レコードを引っ掻き、喧噪の中で鳴る騒音。歌詞はメッセージである筈なのに聞く人には何も伝わらない、スキャットのほうがまだ音楽性が豊かだ。自分達だけのマスタベーションで終わる音など耳障りなだけだ。

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2005年10月24日 (月)

今は昔

或雑誌の最近の特集記事、代表的なタイトルを列記してみよう。読者以外にすぐにその雑誌名が当てられるか。

もう一度夫婦
 HIV感染の彼との人生を選んで悔いなし
 定年夫というストレスにどう向き合う
 (読者体験手記)
    すれ違う快楽 男盛りにして不能・・主婦43歳
    こうして元のサヤへ 目には目を、浮気には浮気を!
もう10歳若くなる10の秘訣
 (女が年下の男に恋するとき)
   ときめきは老いの恐怖を乗り越えさせる特効薬
女を癒すセックスとは?
  その一瞬を、壮大な宇宙にまで広げる喜び*
  「セクシー」を忘れたあなたなんて
  〈李朝風水による“潤い”指南〉
     性的コミュニケーション充実で、運気をアップ
  日本初のセックススクールに潜入してみれば
  (困惑ルポ、妻だって悩んでいます)
     “勃たない男”との優しい夜を探して
     「感じる」身体は骨盤エクササイズから
  (家庭内の難問、奇問・母ちゃん、セックスって気持ちいいの?)
    性に目覚めたわが子とどう向き合うか
  (読者体験手記)
    下半身が痒い—それでも求められる身の哀しさよ(56歳)
 浮気の末、私たちを捨てた夫よ**

 * ・・・ 恋多き女と云われる女優、彼女の長男よりも若い26歳年下の男を恋人にする秋吉久美子
 ** ・・  水戸黄門・初代「格さん」の妻が告発 

もうお判りだろう、今日にもテレビが食いついて芸能ネタとして取り上げたことで世間に広まるタレントのクソのような話題だ。一昔前キャバレーの姉さんたちが好んで読んでいた「実話ナニナニ」週刊誌の掃きだめに捨てられているような話題だ。どこの誰が離婚しようと、くっつこうと、何が面白い。このような話題を取り上げた雑誌こそその名も高い『婦人公論』なのだ。

20年近く前になるが、隣家のエリート社員の奥様が旦那に合わせるように毎号愉しみで愛読しておられた。その頃の事、親しくしていた妻が聞き込んできた。‘最近のこの本、読むのが恥ずかしい’と。聞いてみると当時すでにセックス記事が取り入れられ、徐々にページ数を増やす傾向にあったらしいのだ。その頃、総合誌の雄として「世界」「中央公論」そして「婦人公論」があった。どれもA5サイズの大きさで白い表紙に黒のインクで書名が活字で大書されただけのものだった。

しばらく前「婦人公論」を探してみた。どうしても見つからない。知らなかった、ファッション誌と変わらない綺麗な女性がモデル然として写っていた。私たちが学んだ時代の教科書が古色蒼然としたものに見えるのと同じ、時代の変遷をはっきりと思い知ることになった。この表紙じゃあお固い記事は書けまい、女性週刊誌に毛の生えた程度になるのはやむを得ないことか。勢いセックス記事も満載になる。いかに女性は昔から虐げられて来たか、これからはどう主張していけばいいか、あからさまにセックスが表面に出て来る。

“女性の微妙なところの痒みに”“大きな折り返しがついて夜も安心”“窮屈にならないブラジャー”カーテンで隠し、女の子だけを集めて教えた生理の話、堕胎の話などなどの枠を取り払った学校教育。思春期の男の子たちにもはっきりと女体の場所が特定できるコマーシャルが流れる。婚前交渉など何の抵抗もなく入ることができる下地が存在し、妊娠?ああ、堕ろせばいい、薬だってある。と現在の若者たちの罪の意識は薄く、性道徳という言葉すら無意味な状態に置かれているのが実情だろう。これで低年齢化する性犯罪を兎や角云っても始まらない。

そう、そう、ミー・ハーはここでも活躍していた。今をときめく韓流ブーム、題して“韓流美男”シリーズ、が最近号で15人目を取り上げている。

若者たち、これからの日本をどうするつもりだ? やはり“大人が悪い”だけなのか? 明日は君たちも大人になる。

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2005年10月23日 (日)

お脳の毒抜きでもしたら?

「デトックス」detoxification 解毒、解毒する
最近の女性誌によく見かけるらしいが、相変わらず横文字になると俄然のめり込むことが可能になるようだ。どうやら体に溜った毒素を出すことで綺麗になれるんだそうだ。

同じように美容に関係して、「サプリメント」supplement 補足、追加 なる言葉があるようだが、これは美容の専門用語ではなくて、内容を新しくしたり、不十分なところを補ったり、誤りを訂正したりするために付け加えた部分。似た言葉に附録として付け加えた部分を意味する appendix がある。

例えば大阪、梅田にオープンした『ビューティー セレクトストア』が今月20日から導入した「デトックス&インプルーブメント コース」ではゲルマニュームを入れたお湯に足をつけることで排便作用を促進させ(こんなことしないと排便もできないのか)て、目に見える体の表面だけではなく、溜った毒素を出して中からも綺麗にすることだそうだ。(インプルーブメント improvement 改善、向上)どうしてこうも横文字が好きなんだろうか、横文字にお世話になると綺麗になるとでも思うのだろうか。

例の有名な司会者の昼のテレビ番組に出た女医が語ったことがある。日本人の大人の一日の排便の量について、「20センチ2本」が標準だそうだ。痩せることにばかり神経を使い、碌に食事もしないで出社し、昼は舐める程度の食事を取り、お上品を装ってトイレにも行かず、結果は好んで便秘になっているようなものだ。3日、4日と苦しくなるとピンクの錠剤。その上少しでも肥ることを嫌い、痩せ願望から健康食品、ヨガ、アロマテラピー(これも横文字だ)などの療法や健康法を利用する。

身の回りの簡単に手に入る補助食品に頼り、運動で燃焼させる体の維持ではなく、楽して無理なダイエットに走り、骸骨になっても鏡とにらめっこで納得する。先にも触れたが少体重児が増える底辺が益々広がる。自己満足だけの女性たち、そんな寒々しい心こそデトックスの必要があるのじゃないか。

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2005年10月22日 (土)

おかしな紙面づくり

毎日新聞(10/22) 本日から日本と海の向こうのアメリカでもプロ野球の頂上対決が始まる。
ページを繰って行って驚いた。日米どちらも1/4ページほどの誌面の記事だがアメリカ野球の方はそれぞれのチームの先発投手のカラー写真が2枚、日本野球はアメリカ野球の1枚分よりも小さいモノクロで阪神・ロッテ両監督の握手する写真。

どう解釈しても日本のプロ野球を下に見るスポーツ記者の偏見でしかない。これだけ取扱いに差をつけるほどアメリカ野球が質の高いレベルにあるのか。日本のプロ野球の放送をしなくても、アメリカ野球の中継をし続けるテレビネット。その興味の中心は、日本のプロ野球界を捨てて去った数人の日本人選手を追い掛けるだけの興味本位の取材に終始する。誰が何本ホームランを打った、彼が何本目のヒットを打った、誰がどれだけの打率を続けている、などなど。おおかたの日本の野球ファンは彼等の活躍に一喜一憂しているわけじゃない。ツアーを組んで観戦に行く一握りの暇な人間もいるが御丁寧に中継することでもない。試合後のインタビューも余計だし、 まして彼等が顔を出すコマーシャルなど見たくもない。大部分の野球ファンは“おらが国”のヒーローやチームを応援しているのだ。

それが証拠にはアメリカ野球でもお粗末なプレーは日本の野球と変わらない。それ以上に日本を捨て去った選手以上の選手は山といて立派な記録を打ち立てている。アメリカから助っ人(おこがましい呼び方だ)として来ても、多くは使い物にならない。逆に日本の野球を学んでチームに戻り、ホームラン王になったりするケースだってある程だ。確かに野球に関してはアメリカは先進国だろう。しかし、現在も、これからも手も届かない、仰ぎ見るほどに憧れる程レベルに差があるものではない。衛星放送に高い使用料を払ってまで無理に見せてもらう必要などさらさらない、彼等の勝手にやらせておけば良いことだ。

テレビといい、新聞といい、どうしてこうも日本のレベルを低く見て、日本のプロ野球の低迷に拍車をかけるのか。今日から始まる日本プロ野球の頂上決戦、誌面のトップに小さくてもカラー写真で載せてもいいのじゃないか。マスコミは挙って日本プロ野球を潰しに掛かっているのだろうか? 巨人の低迷が一つの要因ではあるだろうが、その依って来たる原因(例えば金まみれ、独裁権力、ドラフト制度と逆指名、放送権益等)を追求し、再び興隆させるように働きかけることこそ使命じゃないのか。

サッカーがJリーグを発足させるころ、プロ野球を越えられるか、との意見が圧倒的だったが、法律違反すれすれの博打券を取り扱い、餌で吊った結果が今の盛り上がりを生んでいると見る見方も可能だ。同じことを真似しろとは云わないが、既に一極集中のファンではなく、各地方に根付いて分散した贔屓チームが見せる盛り上がりは、今後の日本のプロ野球界のあり方に一つの方向を示しているのではなかろうか。

マスメディアはスポーツに限らず報道にはもっと慎重になってもらいたいものだ。

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2005年10月21日 (金)

ダイエットばか

毎日新聞(10/20)「危険! 妊婦のダイエット」から
相変わらず若い女性の“やせ”願望は強い。妊娠中も太り過ぎを気にする人がいるが、行き過ぎると赤ちゃんが低体重で産まれる結果をうむ。成長しても糖尿病や低血圧になるダイエットに含む危険性を知っておくことだ。

東京大学大学院 福岡秀興助教授「これは深刻な問題です。若い女性は現実をもっと知らないといけない」と前置きしてから「小さく産まれた子どもは、高血圧や糖尿病、動脈硬化、高脂血症など生活習慣病になる危険が高いことが分ってきた」と話す。
厚生労働省のデータでも産まれたばかりの赤ちゃんの平均体重は
   1980年には  3,194㌘ であったが徐々に減り続け
   2003年には  2,982㌘
この間にも2,500㌘未満の「低出生体重児」は、全体の5%から9%にまで増えた。赤ちゃんを生む女性のほぼ10人に1人がこのような赤ちゃんを産む計算だ。

産まれた時の体重が軽いということは、胎内での栄養状態が悪く、十分に発育できなかったことを意味する。
金沢医科大学助教授 三浦克之助教授「胎児期に栄養状態が悪いと腎臓の機能が十分に発達せず、塩分の負荷にうまく対応出来なくなると考えられる。ただ、胎児期の栄養だけが原因ではないが、出生児の一割が2,500㌘未満というのは憂慮すべき事態だ」と云う。
低体重児は低い栄養状態に順応した体で産まれて来る。糖尿病の発症は家族歴や肥満、ライフスタイルが深く関わることだが産まれた時の低体重も一つの要因になっている。

「低体重児」が糖尿病や高血圧の原因になるとの仮説は英サウサンプトン大学のデイビッド・バーカー教授が20年前に唱え、出生児の体重と成人してからの冠動脈疾患による死亡例のデータが元になった。その後、アメリカやノルウェー、フィンランドでも同様の研究結果が発表されている。

若い女性を中心の痩せ願望は、古い女体美から眺めてみると骨と皮ばかりの体に見える。特に女性の憧れる基準になっているファッションモデル、どう見ても美しい肉体には見えない。肋骨が浮いて見え、腕も脚も骨が邪魔してそれ以上は細くならず、針金が布を纏っている姿にしか見えない。ステージを歩く姿はモデル特有の歩き方で腰を振り、街なかではとても恥ずかしくてできないような歩の進め方だ。勿論ファッションを眺めるための催しなのだろうが、本当にそれだけならマネキンで済む。痩せのがりがりでも生きた体に着せれば評価も違ったものになるのだろう。

このような骨と皮の姿を羨ましいと受け止める日本の女性の感性とは一体どうなっているのか。1953年ミスユニバースに日本代表伊東絹子が第三位になり、8頭身美人の言葉も生まれて大騒ぎしたが、この当時はまだ日本の女性の体はふくよかだった。想いが重なるが、ほぼ30年ほど前に最近の女性は痩せ過ぎだという私の意見で、社員の女性とスタイルについて話し合ったたことがある(セクスハラスメントなどと云う恐ろしい言葉はなかった時代だ)。瓜実顔(うりざね)が日本美人の第一に上げられていた頃の下半身はどうなっていたか。足先を凡そ60度に開いて直立した時、両脚の腿はぴったりと合って、綺麗に一直線を描いた、と語った。女の子たちは大笑いしたがその時すでに載っている多くの写真のモデルの女性の脚の間からは、バックの景色が望めるほどにも痩せ細った脚になっていた。

東京オリンピックで金メダルを取ったチャスラフスカ、彼女を最後にオリンピックの女子体操から女性が消えた。どいうことか、その後すぐに今になお伝説的な話題の10点満点連発のコマネチが誕生したが、この子は女性と云うよりも中性的な少年のような肉体をしていた。どんどん低年齢になり、どこの国も少年のような女の子が中心の代表を組むようになった。それまでの強さと柔らかさ、そこに女性的な優美な美しさが加わって体操を見るのが愉しみだったが、コマネチが誕生してからは全くオリンピックの女子体操は見ることが激減した。

越後獅子の歌にある、笛にうかれて逆立ちすれば・・・や、中国国技団の離れ業の中心が子どもであるのと同様に、オリンピックの女子体操も体が柔らかいだけ、よく跳ねるだけ、の曲芸の世界になってしまった。確かにこの世界肥った子はいない。女性の証である皮下脂肪は減り、筋肉体質になり、運動には適した肉体になっている。というよりも未だ女性としての肉体的な完成度に達してもいない。

激しい運動をする選手たちは自然に細く締まり、筋肉質になる(例外はある、シンクロや水泳は皮下脂肪がないと水に浮かない)が、運動もしないで見た目だけを真似るのは体を傷めるだけだ。 まして胎内に子どもがいる身で栄養を摂取しないと子どもには当然影響がある。母親の勝手な自己満足を得るためにお腹の子に産まれて後の、辛い生き方をさせるようでは産まない方がいい。そんな女は始めから結婚しないで欲しい。自己満足を追求してどこまでも細くなり野たれ死にすれば良い。母親になる資格などこれっぽっちもない。それでなくても産みたくないと勝手を云う女は増え続けているのだ。

 

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2005年10月20日 (木)

父親と子 その2

先ず、母親と子について考えてみよう。
6歳未満の子どものいる世帯の夫婦の一日の育児時間は妻の平均2,39時間に対し、夫はわずかに17分に過ぎず、母親がその大半を担っている。しかし、子どもの世話は男親でもできるという考えは最近では男性にも認識され、女性の75.1%に比べると低い数値だが49.2%とほぼ二人に一人は男でもできると考えている。反面、女性にはやはり母親でなくてはとの考えを持つ人も12.8%いる。(総務庁統計局「社会生活基本調査」1996年)

不思議に思うが育児時間がどうしてこのように少ないのか、育児って一体何だろう?
(経済企画庁国民生活局「平成9年度国民生活選好度調査」)から
専業主婦がが抱えている育児不安は職業を持っている主婦に比べ、育児の自信をなくしたり、自分のやりたいことが出来なくてあせったり、何となくイライラすることが多く見られる。仕事を持っている母親にはフルタイム、パートタイムを含んでいると註はついているが、彼女たちが保育所をどの程度利用しているかの註がない。特に項目「何となくイライラする」では仕事をしている主婦の19.4%に比べると専業主婦では31.5%と圧倒的に高くなっている。一般的には大半の仕事を持つ女性は保育所を利用していると見て良い。常に子どもと一緒にいて神経を使っている専業主婦に比べて各項目とも不安が低いのは当然だろう。人任せでその時間は育児は放棄しているのと同じなんだから比較しても意味のないことだと思う。

次の設問。
「子どもが小さいうちは、母親は仕事を持たずに家にいる方が望ましい」(国立社会保障・人口問題研究所1992年 既婚者8884名)
  全く賛成とどちらかといえばを加えると 88.1%
  全く反対とどちらかといえばを加えると 10.1%
「子どもが3歳になるまでは母親は育児に専念するべきだ」という考えについて。(厚生科学研究「少子化社会における家族等のあり方に関する調査研究」1997年 有識者 614名)
  全く賛成とどちらかといえばを加えると 45.2%
  全く反対とどちらかといえばを加えると 33.4%
となっているが、特徴的なのはここでは‘どちらかといえば’の条件を除けば、全く反対が賛成を上回って16.5%に対し21.0%となっていることだ。

そして取り上げられたのが、古くからの説、「子どもは3歳までは家庭で母親の手で育てないと、子どものその後の成長に影響を及ぼす」というものである。これを現代は三歳児神話と名付けて神話扱いし、古色蒼然たる遺物のような取扱いをすることが現代育児の本道のようになっている。果たしてそうなのか。
毎日のようにマスコミを賑わす事件、殺人から詐欺、暴行、誘拐、暴走など迷惑事件、年々低年齢化する凶悪犯罪は家庭環境の不健全な結果であり、親の子への躾に始まる教育の欠除であることは歴然としている。ところが現在明確な教育理念を持った親が育てられていない。血を吐く思いで働いて工業立国を作り上げて来た団塊の世代の責任だが、この世代は後に続く世代のための価値基準をつくることができなかった。本来なら失われた価値観、価値基準を作らなければならないのが現代の親たちだが尺度も持てない親たちは、何をしていいのか全く解っていない。はき違えた自由は知っているが責任は何処かに置き忘れ、子どもの指導ができない。人権団体、動物保護団体など何でも庇えば良しとする考えが蔓延し、猫や犬にまで「人権」を叫ぶ。原因ははっきりしているのに見て見ない振り。

子どもの悪は親の教育欠除だ。学校や教師の責任じゃない。これを幼い頃から教えるのが乳児教育だ。人間の子だからといっても一歳、二歳の乳児は猿の子と違わない、人権などある筈がない。生きているから人権はある、一歳、二歳は生きてはいない。生かされているんだ。生むことだけなら猿でもする。人間が猿と違うのは成長の刻、一刻を母親がはっきりと見、肌を触れて乳房を与えるスキンシップなど、これが父親の与える哺乳壜ではない育児の歓びである筈だろう。こぼれる程に注ぐことができる三歳までの母の愛情があって世に云われる軍人の死の最後に口にするのは天皇陛下万歳ではなく、『お母さん』が不自然でなく出て来るのだと思う。西洋かぶれの『ママ』じゃこうは行くまいが。

共働き世帯が専業主婦世帯を上回り、多数派になる一方で、男性は依然として仕事中心の生活を送っている結果、「夫は仕事、妻は家事も育児も仕事も」といった女性が二重、三重に負担を負う状況になっている、と纏めている。相変わらず女性の被害者意識と自己主張が目立ち、男性の72.2%に比べ、女性が負担する生活費5.1%(お互いが16.5%はある)のために子育てを捨ててまで仕事を優先する理由があるのだろうか。(これは次の父親と子でも述べる)

【父親と子】
先に上げた㈶日本女子社会教育会のデータ「家庭教育に関する国際比較」で子どもと一緒に過ごす時間を見ると
父親はタイの 6時間 をトップに、アメリカ 4.88時間、イギリス、スウェーデン、韓国、日本 3.32時間
母親は韓国の 8.4時間 をトップに、タイ 8.06時間、アメリカ、イギリス、日本 7.44時間、続いてスウェーデンが6.49時間 となっている。

お襁褓の交換、ご飯を作って、食べさせて、後片付けをして、お風呂に入れて、寝かしつけ、夜泣きすればあやす。保育園には送り迎え、家では遊び相手や生活上の躾、病いに罹れば心痛や仕事を休んで医院に。入学すれば運動会、授業参観、父兄会。ここに並べた項目は、厚生省が1997年、野村総合研究所に依託して調査した時の設問項目を並べ替えたものだが、父親と母親の役割分担は、各項目とも父親、母親からもそれぞれ理想と現実を見比べた内容になっている。保育園児を持つ両親で見ると「お風呂に入れる」「遊び相手になる」「生活上の躾け」「運動会などの行事」などは夫婦半々か主に父親がやると回答した割合いが半数を越えているが「保育園の送り迎え」「子どもが病気の時、仕事を休む」では父親、母親ともに2割に満たない。男性が育児休暇を取るのも全体の0.8%に過ぎない、としている。当然だ、男が一ヶ月、二ヶ月いや半年休暇を取っても母親の代わりは不可能だ。それに上に並べた育児の数々、休暇を取らなくても何時でもできる。男が育児に参画できる嬉しい時間だ。昭和一桁でも三歳までは進んで手伝った。(‘手伝った’の感覚が今の女には許せないか)

私の30代、子どもが幼児になると家庭は妻に100%任せて仕事に専念した。大企業でもない仕事場は恵まれた職場ではなかった。残業しても手当てはなかった。“お前たち自分の力不足で材料を無駄にし、会社に余計な出費をさせ、何が残業代だ!”で済まされた。私は後のサラリーマン時代を通じても(何時の間にか管理職に)生涯一円の残業代も手にしたことがない。一日の睡眠時間は現役を去るまでほぼ4時間程度、ナポレオン並だった。子どもが必要な幼児期の休日の家庭サービスなど一切したことがない。たまに来る休日は今ほど多くの祝祭日、振り替え制度、土曜の休日扱いもなかった。酒など一滴も口にする暇もなかった。残した有給休暇は合計すると1.5カ年の勤続に相当した。何としても体を休めさせるだけに休日を使った。子どもは妻が連れ歩いてくれた。まだ背中に背負う風習が残っていた。(私自身は祖母の背中を覚えているような錯覚に陥ることがある)。ただ一度、小学生になった子どもを連れて、15年勤続で与えられた旅行券で、親子三人一週間の九州旅行を空の旅で苦労させた妻にプレゼントしただけだ。

総理府広報室「男女共同参画社会に関する世論調査」1997年から
◆女性の望ましい生き方について仕事を優先するか、家庭を優先するかの設問に、女性では専念と、優先を加えた数字は10.2%、家庭を優先するは専念を加えると43.7%。
男性の見方は仕事を専念と優先を加えると10.8%、家庭優先が46.7%
◆男性の望ましい生き方について同じ設問。男性自身は25.9%、家庭優先は33.9%
これを女性側からは仕事優先を23.8%、家庭優先は34,6%となっている。
(女性1,955名 男性1,619名 総数3,574名)

白書は総括して、男性は仕事を犠牲にしてまでは子育てに参画しないが、仕事に支障のない範囲では積極的に子育てに関わって行こうとする父親像が浮かび上がる。と結んでいる。

投書からあれこれを書いてきたが、要はそれぞれの家庭の事情もあり、お互い納得のいく子育ての仕方を考えだしていくことが大事なことだ。

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2005年10月19日 (水)

父親と子 その1

少し前、毎日新聞の投稿に東京都品川区にお住まいの37歳の主婦から『「お父さんも一緒」増えてほしい』との内容の一文が載った。10/6日の本紙夕刊で見た記事で未就学児が母親と過ごす時間が5年前より増えている旨を読んだ。子を3歳まで身近に育てる段階で、母親が子から受ける「かわいい」という感情を思い出に、その後の子の成長段階で起こる挫折や反抗や、或いは世を拗ねる生き方をしたとしても、親は見捨てることがない。と聞いたことがあるのでお母さんと一緒の時間が多くなるのは、双方にとてもいいことと感じた。とある。

父親の方はどうか、反対に接する時間は減少傾向にあるという。
そこで、翻って自分の家庭を見ると、ごっこ遊びや読み聞かせ、折り紙なら得意分野だが、外での遊びやゲームは苦手である。一方、父親は仕事が大変で暫くでも土、日の遊び相手にならないと全く父親の存在を忘れたようになる。しかし、休日に父親が居ようものなら朝から外出の誘い、ゲームの相手にと、家の中が明るくなる。よってタイトルのように「お父さんも一緒」の日が増えてほしいと望んでいる、となる。

上の主婦が目にされたのは国立社会保険・人口問題研究所の白書を毎日新聞が抜粋したものと思う。この
第1編
 第1部 少子社会を考える─子どもを生み育てることに「夢」を持てる社会を─ 
  第2章 自立した個人の生き方を尊重し、お互いを支え合える家族
   第4節 親子
    1 母親と子
    2 父親と子
が参考になっている。この章に入る前に
 上の第1部の序章 少子社会を考える
を眺めてみたい。ここでは21世紀の日本は、人口の減少、高齢化の世紀であることを取り上げて、今後団塊の世代の子どもたちが高齢期にさし掛かる頃には、日本の人口は今よりも2割減少し、高齢化も32.3%に達すると見込まれていることを踏まえ、貧しく、多産だった時代を振り返るのではなく、「男女が共に暮らし、子どもを生み育てることに夢を持てる社会を」をどのようにしてつくっていくか。それが誰もが「安心して老いることのできる社会」の基本条件でもあると結んでいる。
 資料として各国の家庭生活についての満足度を比較したグラフがある。
  イギリスの71.9%を筆頭にアメリカ、タイ、スウェーデン、韓国と続いて日本の45.1%となる。
 反対に不満とやや不満を加えた比較では
  韓国の10.7%を筆頭に日本、イギリス、アメリカ、タイ、スウェーデンの3.1%となっている。
プラス要素、マイナス要素を見た時、福祉国家といわれるスウェーデンが満足度においてイギリスよりも9ポイント強も低い数値となっている。しかし、これこそが数字のマジックと云われるところだ。もともと国の水準が違っていることを分かった上で見ないと単純な数字の比較で終わる。老後の生活のためといって若い頃からの預貯金を必要としないスウェーデンでは、そのためには現役世代は日本では想像もできない高い給与所得税を始め、消費税など高い諸税金が科せられていても、何れは自分が受益者となる。この国の民意に不満はない分けではないが、低くなるのは頷ける。

人間の欲望には限界はない。到達すればそこが基準になる。もっと寄越せ、もっともっとだ、となるのは止められない。貧しい時代、上を見ることを避け、俯いて下を見て働いた。もっと貧しい人は一杯いるんだ、これくらい我慢できないことないだろう、と。飽食の日本、こんな考えは前世紀の遺物となったのだろうか。世界のブランド物の日本進出を待ちわび、オープンとなるや長い行列ができ、「苦しい、苦しい」筈の生活は何処へやらの奪い合いが演じられる。自らが考えることもできなくなって外国から教えられて今、やっと MOTTAINAI に目覚めつつある。世の人々の「苦しい」の声が聞こえても同情はしない。酒の消費は伸び、車の消費は伸び、次から次へ世界のブランドが押し寄せる。私には日本はまだ金余りの国にしか映っていない。

それもそうだろう、と思うデータがある。
財団法人 日本女子社会教育会「家庭教育に関する国際比較調査報告書」1995年3月のものだが。
父母の子育て役割分担の項目(食事の世話をする、しつけをする、など)全7項目の中で生活費を負担する項目が目についた。
女性の 16.5% に対し、男性の 72.2% となっているのだ。

どこの家庭でもそうだとは云わないが、共稼ぎで邪魔な子どもは保育所と云う名の小荷物一時預かり所に放り込み、他人に面倒を見させ、死に物狂いで働いた亭主に生活費を負担させ、せっせせっと金を溜めれば、ブランド物が幾つでも買えるはずだ。そう云えば着ているもの、下げているもの、履いているもの、背負っているもの、身に着けるもの、鼻っ垂れの子どもにも、まだある、犬畜生の着るものまで加わって日本は街じゅうブランドで埋め尽くされているぞ。

長くなり過ぎる、ここらで一休みして肝心の「父親と子」は その2 に廻そう。


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2005年10月18日 (火)

ぞろぞろと靖国参拝

18日自民幹事長を先頭に101人の男たちが金魚のフン宜しく徒党を組んでぞろぞろと九段を歩いた。
小泉一座が圧倒的な人数を頼みにやり放題になることを予告した。本当にそうなった。恐ろしい時代の始まりだ。海外の反感が問題じゃない。小泉の云う如く他所さまから口出しされることじゃない。
しかし、命令一下背くことの不可能な極限状態の中で、死ぬことを命じ、多くの部下を戦死させ、家族に血の涙を流させた戦争犯罪人が合祀されているのだ。日本人の死者に鞭打つことを良しとしない風習は、60年の風雪を経過して悪人を有耶無耶のうちに忘却の中に閉じ込めて、忘れさせようとしているかに思える。一つには極東軍事裁判の記録が公になり、中の一人が唱えた「天皇が裁判に掛けられないのなら・・・」東條たちは無罪でなければならない、との少数意見を根拠に、或いは勝者が敗者を裁いたとして勝てば官軍(正義)で良いのかと、半世紀を越えた今、今次大戦を肯定的に見ようとする論拠になっている。

日本の戦争は侵略戦争ではなかった、東南アジアの諸国は西洋の植民地から独立するのを援助してくれた国としても評価している、などの見方が生まれて来ている。しかし、東條たち戦争最高指導者たちの責任は拭うべくもなく現実に歴史が証明している。アメリカ軍の艦砲射撃、機関銃、爆撃に対するに、竹槍を女子どもにまで持たせ、最後の一人になるまで戦えと教え、挙げ句の果てに原子爆弾の実験によって日本を焦土にしてしまったのだ。鬼畜米英で恐怖心を煽り立て、女は国土上陸になれば全員辱めを受けることのないよう、自ら命を断て、と教えた。現実に沖縄の女性たちは米軍上陸で戦火に追われ、日本軍に見放された末に魔文仁の丘に追い詰められ断崖から次々に身を投じて死んで行ったのだ。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、とは良く云ったものだ。この先憲法を代え、自衛隊が軍隊になってよしんば戦争が起こっても国会のセンセイ方、死ぬような危ない所にはお出でにならないことははっきりしている。危ない目にあうのは何時も決まって・・・なんだから。

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2005年10月17日 (月)

日本語クイズ番組

【今日、小泉が靖国へ行った。「私的」とは云いながら公用車に乗り、用心棒を引き連れて「国に命を捧げた人の慰霊と感謝だ」と。歴史から学ぶことを知らない情けない男だ。司法の判断を無視し、自己の歴史認識の欠除を晒け出して形だけを一般人風にして見せても、個人の行動と解釈する人間は日本人でもいまい。】

最近各テレビ局が競うように取り上げる日本語を主題にしたクイズ番組が目立つ。一方、文科省は二年後を目処に小学校三年から英語を取り入れると発表した。クイズ番組を取り上げるまでもなく、現在の日本社会で日常耳にする言葉で正直日本語をきちんと使っている人間は殆どいない。アナウンサー然り(ニュースを読み上げる持ち時間はまともだが、一歩他の所での会話などめちゃくちゃだ)、学者然り、評論家然り。世界のレベルから完全に遅れを取った日本の子どもたち。その理由は種々取り上げられて検討はされているようだ。

毎日新聞(10/7)から。内閣府規制改革・民間解放推進室が9月に検討している学校制度の教育改革に、保護者の意見を反映させようとモニター登録者(野村総合研究所)3620人を対象にインターネットで実施した結果、1270人からの回答をまとめた。

現在の学校教育に対し、保護者は
    「不満」・・・・43%
    「満足」・・・・13%
 ゆとり教育に就いては 62% が見直すべきとし、評価している保護者は 5% にとどまる
 塾と学校の学力比較では 70% の親が塾が優れていると考えていて、学校はわずか 4%

この数字がそのまま鵜呑みにできないのは解答したのはわずか35%の保護者であること。残りの65%の見解がまるで見えない。報道とはこのようにインターネット利用者のみで作り上げられた片寄ったままのデータを発表するべきではないと思う。このようなやり方が今度の衆議院選挙で多くのマスコミが見せた民意操作につながるのだ。保護者たちはどう見るだろう?大衆心理としては波に呑まれ、流されるのが普通だろう。所謂烏合の衆の心理だ。保護者の全員が学校教育を評価できるような知的水準の持ち主か、教員の善し悪しを評価できる比較価値基準を備えているのか。(教員の中には目立って品位の欠けた人間が混じっているのは事実だし、テレビで取り上げられるひどい屑もいるが全員じゃない)

意見とは、声の大きな人の、よく喋る人の、賛同が多い人のものが正しいとは限らない。云いたくても上手く表現出来ない人、数は少ないがそれが正しいことだってある。物言わぬ人は意見がない人、と切り捨てたがるが、云わない理由がある場合だってある(物言えば唇寒し秋の風[芭蕉])。

本題に戻ろう:閑話休題
日本語クイズだった。活字、漢字、ことばが好きだから番組はよく見る。高学歴の人から学者、政治家、キャスター及びアナウンサー、役者(俳優)、お笑いタレント、司会者など、おしなべて言えるのは、殆どの人たちの国語力のレベルの低さだ。書き問題になると最も目立つ。漢字で解答が書ける人はまるで居ない。書けても小学生三、四年程度の金釘流(かなくぎりゅうと読んで、下手な字を流派のように云って嘲(あざけ)ることば)だ。漢字検定でいえば6級か5級だろう。パソコンが勝手に変換してくれるから概ねは良いのだが、誤字があっても解らない。最近見かける当て字を使ったコマーシャル、新聞紙面が煩わしい。

これほど酷い日本語の実力に、英語を持ち込んでどうしようと云うのか。ゆとり教育で少なくなった授業時間のどこに英語を挟むのだろう。ますます日本語を堕落させてそのうちこれほどデタラメになった日本語は無くしようとでも云うのか。大人になっても読めて当然の音読みはおろか、訓読みに至っては殆どの人たちが読解不能に近いというのに。

私が漢字、ことばで困った思いを殆ど経験して来なかったのは遠く小学校で学んだ基礎のお陰だ。山陰の田舎町の小学校だったが三年生以上六年生まで、同一問題で週一回50問の漢字、熟語の一斉の書き取りが実施されていた。二年上に姉がいた。負けまいと頑張って四年生になった時、最上位の級にいた。当時の漢字は当用(常用)漢字と違ってホタルは蛍ではなく螢、しずかは静ではなく靜、亀は龜などと書かねばならなかった。加えて難しいことばと漢字の教育勅語を毎週一時限目に全文を書き取った。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」原稿用紙一行20字、全文が一枚に納まった。今でも出て来る。読みは(ちんおもうに、我がこうそこうそう 国をはじむること こうえんに)この基礎の上に興味が加わってもっと知ろうと励んだ結果だ。
日本語は文化だ、と云いながらアメリカばかり見ていないで、文科省はもっと正しい日本語の普及に努めたらどうだ。

今、クイズ番組に出ている人たちの中で、漢字できちんと解答が書けるのは黒柳徹子一人だろう。それも綺麗な字で。(彼女の場合本当は綺麗と云うより豪快で達筆だ。)

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2005年10月16日 (日)

不寛容(イントレランス)

またまた横文字のカタカナ語だ。
毎日新聞(10/13)から
「寛容度ゼロ」指導 横組の文字に、米国流 学校に規律と罰則 とあり、文科省が導入を検討するとある。
文部科学省は、荒れる児童生徒に校内の規律を厳格に守らせる米国教育界の「ゼロトレランス(毅然とした対応)方式」の導入について検討を始めた。ゼロトレランス方式とは本来アメリカの産業界で使われた品質管理の用語で、「不良品の生産を絶対に許さない」という考え方を示す言葉だ。
レーガン大統領の時代に黒人スラム地区の学校での銃乱射事件を始め荒れる教育現場を背景に、米連邦議会が94年各州に法案化を義務付け、97年クリントン大統領が全米に呼び掛けて一気に広まった。

アメリカでは、服装の乱れからドラッグや暴力、銃器の持ち込みまで問題の軽重に応じた懲戒規定を設けている学校が多い。規定の適用にあたっては一切例外を認めず、重大な問題を起こした子にはその児たちだけを集めた学校(*Alternative School)への転校や退学処分を科す。《*Alternativeはオルタナティブと読み、本来の意味は“代替”を意味し、教育の分野以外にも投資の世界、IT産業、建築、音楽の世界と使用されているようだ。ブログ上でも“オルタナティブ大学を作ろう”なんて呼び掛けがあるが、“代替え大学”じゃあ聞こえが悪いけれど横文字ならいいんだろう。本当におかしな国だ。》

文科省は、昨年6月に起きた長崎県佐世保市の小6児童殺害事件を受け、昨秋プロジェクトチームを設けて再発防止策をまとめたが、今年に入って山口県立光高校での爆発物の教室内投げ込みで、生徒多数を負傷させるなどの事件が続き、プロジェクトチームを再開して来春までにまとめる新たな防止策に「ゼロトレランス方式の調査研究」を盛り込むことにした。

国内では02年、すでに岡山県で導入した高校、岡山市立岡山学芸館高校の場合、問題行動を 1〜5 に分類。
 レベル 1〜2 服装や言葉の乱れ・・担任や主任が指導する
 レベル 3   たばこ・・・・・・・生徒指導部長が指導する
 レベル 4〜5  悪質な暴力行為・・・教頭や校長。必要なら親の呼び出し
森靖喜校長は「『駄目なものは駄目』という価値観を上から下へ伝えるという信念で導入した」と語っている。

このほかには鹿児島県牧園町の県立牧園高校も生徒の荒れを理由に02年1月に導入したが、今年4月、落ち着いたとして撤廃している。この高校は09年廃校になる予定という。
広島県議会でも04年9月に導入が検討された。

日本の民主教育は自己主張は教えて来たが、その自由と責任が同義の関係にあることをきちんと教えて来なかった。自由と勝手気侭の違いが理解出来ず、若いから許されるとの思い込みから他人への迷惑、暴力や障害などを起こしても反省することを学んで来なかった。進歩人と呼ばれる人たち、教育に携わった人たちは戦前の善も悪も玉石混淆で価値観を真っ向から否定し、人として生きるための基本、社会のルールを守ることさえも否定してしまった。戦前の全ては悪であったと。日本には民主主義を云々する以前からそれを言い表わす教訓は沢山あった。自分がされて嫌なことは他人にするな、我が身を抓って他人の痛さを知れ、親の言い付けを守り孝行せよ、などなど。

文科省児童生徒課の坪田真明課長は「問題行動への対応は現状では教師や学校によりまちまちだが、この方式で一元化でき、規律と罰の事前明示で子供の自覚も促せる。米国の方式を日本にそのまま持ち込むことは難しいが、参考にできる部分はあるだろう」と話している。

悪いことをしたら叱られるのは当然なのに、それが理解出来ない。当人ならず肝心の親たちに理解されず、教師が悪人にされる現状。確かに教師の質の問題もあるがそれ以上に学ぶ立場の子供達や躾のできない親の質の悪さが目に余るのが現実のようだ。

長くなるが賛否両論を載せる。
【否定】
教育評論家、尾木直樹(法政大教授臨床教育学) 「ゼロトレランスを文科省がまともに取り上げること自体が教育の混迷と荒廃、大人の無策を象徴している。導入は教育の自殺に等しい。発達論などの立場から問題行動に走る子の心理を正面から見つめることが必要だ。精神状況を掘り下げることを怠り、いたずらに規律を強めても、非行は絶対に減らない。米国での同方式の効果も疑問だ」
【賛成】
ゼロトレランス方式を日本に紹介した加藤十八(中京女子大名誉教授、教育学) 「一人、二人が校則を破るだけで学校全体が乱れる。この一人、二人を許さないのが同方式だ。米国では70年代に管理教育批判が吹き荒れ、ドラッグや暴力で学校が大混乱に陥った。日本では現在“受容と共感”と称し、文科省が学校カウンセリングの充実を進めている。まるで70年代の米国の模倣だ。学校は総じて教師への暴力や暴言で荒れている。一刻も早く導入すべきだ」

タイトルの「イントレランス」について
1916年、D・W・グリフィスが製作したアメリカ映画の題名だ。今から89年も前の映画だが、映画史上空前の大作として、名画として余りにも有名な作品だ。当然白黒フィルムだが、バビロンの昔から現代までを壮大なセットを組みロケーションを行ったものだ。今を盛りのCGを持ってしても再現は難しいものとさえ思われる。この映画のテーマになっているのが人間の愛と『不寛容』なのだ。始めてこの題名を耳にしたのがまだ60年前の中学生の頃。敵国語の英語など理解する由もない。しかし耳に響いていつまでも残る単語となっていた一つ。

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2005年10月15日 (土)

続・子育て

昔観た西部劇にこんなのがあった。
父親に率いられた無法者一家がいた。どう云う訳かこの父親は子どもたちが集団を組んでの銀行強盗、列車強盗、賭博、喧嘩などの無法は許しても、殺人だけは許さない哲学を持っていた。ある日、兄弟の中でも親父が目をかけていた一人が街の住人と諍いを起こし、銃を抜いて打ち殺してしまった。
夜になって兄弟たちの父親への一日の報告が続いた。4人が日中の荒くれを自慢した。続いて街の人を射殺した一人の報告を聞き終えた父親は、事実かどうかを他の兄弟に確認した。それを認めた兄弟の返事を待って父親はテーブルの上の銃を取り、殺人を犯した息子に銃口を向けた。口も利けずに銃の前に手を突き出し震え上がる息子目掛けて父親は引き金を引いた、息子は床にぶっ倒れて即死した。一言『人を殺すなと云ったはずだ』。

さいたま地裁は12日、3歳の長女を餓死させたとして殺人罪に問われた母親(21歳)に懲役12年(求刑は15年)の実刑判決を言い渡した。被告は先夫と別れ、昨年春から早速別の男と乳飲み子の3人での同棲を始めた。女はこの男との生活を楽しむには娘の存在が邪魔になり、10月ころからは男の目から遠ざけるために凡そ一坪(3平方メートル)のロフト(本来は屋根裏部屋だが、最近はモダンリビングにも取り入れられている)に隔離して殆ど食事も与えていなかったらしい。そして今年1月22日に死亡しているのが分かった。骨と皮ばかりになった娘の体重は3歳児の標準の半分以下の5・8キロで傍らにはお襁褓代わりの古新聞が置かれていたという。当然交際相手の男も同罪である。判決は「幼く大人の庇護に頼るしかない子は狭い空間(ロフト)に隔離され、僅かな食物や(母が)垣間見せる愛情を心待ちにしながら懸命に生き続けていた」と子を哀れんだ。とあるが畳み二枚の広さは乳飲み子には十分な広さで哀れみの誇張でしかないとは思うが。

法定では裁判長から女の「反省は心からのものと認識している。更生し二度とこういう場に立たないで欲しい」と声を掛けられ小さく頷いた、というがこんなのはその場限りの『蛙の面にしょん便』で何度でも繰り返すだろう。傍聴席では娘を育てた母親は「娘を信じて待ちます」と語ったとある。
親の悪事を働いた子への接し方には冒頭の父親のような己の持つ価値基準から信念や信仰を貫き通し(反面父親は己の殺人をどのように解釈するか)、悪は悪として社会の断罪を認める親と、何があっても何が起こっても子を守るのはどこまでも親の責任、と事の是非に拘わらず庇う愛情の表し方と両極ある。

今の日本の親たちはこのどちらでもないように思う。子を突き離して見ることのできる親は先ずいないだろう。どうしていいか解らずに、おろおろして観察もできない見ているだけの放任だろう。まして子の責任が取れる親など何処にも見当たらない。子供の犯した犯罪に、顔を出して謝る親を見たことがない。訳の解らない人権保護団体がそれをさせない。子には携帯電話を持たせ、好き勝手にする通話の支払いを窘めもできず、家に帰って来なくても異性関係さえ我れ関せず、年齢が来ても働くこともしない子の生活をせっせと面倒を見、不登校、欠席など知らん顔。

埼玉県内の児童相談所が受付けたこのような親の怠慢や子育て拒否(ネグレクトと呼んでいるようだが)に関する相談は年々増え続け、10年前には47件であった数字は04年には645件でほぼ13倍になり、今年度は8月までに既に226件の相談が寄せられている。県のこども安全課は「被害を受けた子供は、成長の遅れなど身体的な後遺症、親の無視から強い無力感を感じ、極端な無気力状態に陥る。学校や地域、行政が連携して子供を虐待から守る必要がある」と話しているが、横の繋がりの希薄な現代社会、そうは上手く運ばないだろう。

日本中に広がっている犯罪の多発現象、要はそのような親を含めて子育ての仕方を教えなければならなかった世代が、生きることに或いは国の発展のためにと、無我夢中で過ごして来た生活の中で、伝えなければならなかったのに見失ってしまった貴重な子育ての厳しさ、苦しさ、躾けのことごとくを、伝え教えることをおろそかにした酬いが噴き出したと見るべきだろう。親は親の責任について自分自身に問い、考えることから始めよう。


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2005年10月14日 (金)

寄らば大樹?

お祭り騒ぎの三文芝居もマスコミが挙って面白可笑しく脚色した前宣伝が実り、女を武器だけの当選者、幼稚な稚児にも似た未熟者なども入り交じって、心ある人たちの心配を他所に小泉一座はお抱えの役者の数を増やした。これでもう怖いものなしの独り芝居の幕が開けられる。人気にあやかりたいと集まった役者たちは、この圧倒的な人気役者のご機嫌を損ねまいと必死に取りすがる。

選挙戦前にマスコミが使った言葉を真似ると上のような表現になるだろう。選挙前にブログに書いたが、小泉のレトリックに踊らされる投票結果など始めから解っている。それをテレビ、新聞は拍車をかけて小泉を持ち上げた。憎いほど小泉はヒットラーに似たメディアや国民の操り方を知っている。と同時に歴史認識の欠如が甚だしい。歴史の中のヒットラーを知っていれば今度のような芝居は演じることはなかったろう。すでに彼の続投を望む声もちらほらと耳にする。戦争認識の無い首相の周りからははっきりと憲法改正の声や自衛隊から軍隊へ、といった血腥い声も囁かれ、戦争への足音が聞こえ始めているようだ。靖国参拝の司法への不満「信じられない」は己の戦争認識の欠如を棚上げにした不遜としか言いようはない。

衆議院で5票差から200票差に広がって通過した郵政法案は、参議院でも17票差で否決されたものが34票差での可決を見た。衆参ともに『信念』を持っての否決であった筈のセンセイがた、選挙妨害だ、除名だ、勧告だの言葉を聞くや大方は「それはないだろう」「そんなの嫌よ、」「無茶云うな」と尻尾を巻いての里帰りとなった。骨のあったのは一握り、こそこそと逃げ出し、顔を出さぬやつもいた。勝ち誇った千両役者は“政界の奇跡だね”とうそぶく始末。

本当に憲法改正は実現の様相を見せ始めて来た。米ソがお互いを仮想敵とし、東西対決の世界を作っていたことを忘れ、一大共産国家のなくなった今、日本は北朝鮮を仮想敵として国家体制を構成し、益々アメリカの植民地となる道を進んでいるように見える。

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2005年10月 9日 (日)

電車マナー・アンケート

日本民営鉄道協会が、利用客6000人を対象に実施した「マナー」についてのアンケート結果を纏めたものである。

電車内迷惑の1位は『座席の座り方』で、「足をひろげる」「優先席に若者や健常者が座っている」「混雑時にも詰めない」となっており、着席に関するものが25%となっている。
大方の感じ方は傍若無人の若者(男)の大股開きが思い出されることだろう。しかし、これ以上に幅広い一人当りの座席を占領しているのは実は多く女性なのだ。確かに見た目に悪い若者の姿は顰蹙を買うだろうが、乗り物本来の乗客を効率良く運び利益をあげる目的には、一人でも多くの利用客を詰め込むことが必要だ。その点から観察すると、男の膝が開いている間隔と、女性の膝は揃っているが、足元が大きく左右に突き出されて座るもの(だらしなくて、とてもみっともなく見える)と、足元を揃えて左右どちらかの横に倒すものとに違いはあるが、足元を開く場合も、膝から倒す場合も、明らかに女性の一人当りの方が幅を占めている。人を運ぶ乗り物本来の使われ方からみると、迷惑度は女性の方が高い。

優先席や、混雑時の問題は、根本は親の躾不足。お互いの思いやりは幼少時から教えていないと出来るものではない。両足で立つことが出来るようになれば、子どもは大人に席を譲ることに誇りを持つ。“お婆ちゃん、お爺ちゃん、叔母ちゃん、小父さん”誰でも良い、大人を労る言葉を添えて子どもに聞かせれば子どもは得意満面で席を譲る。わが子を育てた中から断言できる子の躾だ。今の親たちは逆だ、血眼で子どもの席を捜しまわる、気の弱そうな人の前に立って子どもをぐずらせる、さも早く席を代われとでも言いたげに。そうでなければ子どもを餌に先回りさせて自分の席を確保させる。こんな親たちや、親たちに育てられた子が席を譲るわけがない。

女性誌、雑誌などには女性の‘美しい座り方’など、隣の人への迷惑を考えない横座りを教えるが、隣同士がお互いに反対に足先を向ければ恐らく二人で三人分の座席が必要になるだろう。見た目の迷惑ばかりではない迷惑にも配慮してほしいものだ。

続いては相変わらずの「携帯電話のマナー違反」が約20%。他人への迷惑など頭にない不作法、自分だけが良ければそれで良い身勝手人間が余りにも多い時代。その後は「乗降時のルール無視」が9%、の次に「床に座る」「車内で騒ぐ」「ヘッドホンの音洩れ」「女性の化粧」「荷物所持」「たばこ」えっ? となっている。

もの食ったり酒飲んでるヤツも良く見るし、もっと気持ちの悪いものにチュウインガムのくちゃくちゃがあるけれど。

日本民営鉄道協会は、私鉄71社の駅や車内に「迷惑行為ランキング」のポスターを6万枚用意して掲げる予定だという。それぞれ心当たりのある人間たち、少しは顔赤らめてその前を通り過ぎよ。

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2005年10月 8日 (土)

横文字崇拝の日本人

国立国語研究所(杉戸清樹所長)が6日、馴染みが薄く、分かりにくい外来語の「言い換え語」として35語を新たに提案した。今回の発表は第4回提案の中間発表で、一般からの意見も募集して、今までの言い換え語を含めて176語が対象になっている。来年1月にも最終発表がされることになるそうだ。

文部科学省の‘小学生からの英語教育を’などど云う馬鹿げた発想を始め、日本人の英語に対する劣等感は今さらながら驚くべきものとなっている。街の中には何処の国か解らないような看板が溢れて次から次に目に飛び込む。会社、銀行、レストランに喫茶店。反面若者たちの使う低能まがいの幼稚な日本語。これほど自国の言葉や書を卑下する国は知っている限りない。なによりも毎朝毎夕届けられる新聞紙面だ。当て字、語呂合わせ、カタカナ文字。乱れ切った日本語の世界に英語を持ち込むことはないだろう。英語崇拝者には“そうだ、そうだ”と喜ばれるだろうが、日本人の殆どは海外旅行に行く訳でもないし、国際的な働き場を持つ訳でもない。逆に他所から日本に来る外国人こそ日本語を学んでから来れば良い。必要のあるものが使えるようになればいいので、日本人がすべて小学生から英語を学ぶ必要などさらさらない。日本には日本語の文化があるように、外国語の文化があることを知り、学べば良い。

好んで音楽番組を聞かなくなって久しいが、特に邦楽に分類されている中でも特にポピュラー系のひとたち。カタログを開いて日本人はどれ?殆どがカタカナかローマ字で表され、“横文字かぶれのお前たち、日本にいなくても良い”、とでも云いたいようなものだ。禄な歌唱力もないのに歌手と呼ばれる歌い手、日本語の発音は歌詞カードを見ないと何を云っているのかさっぱり理解出来ない。歌を聞かせることが出来ないから、女は腰を振るだけの振り付けで誤魔化し、男は女紛いに眉を剃り、茶髪に無精髭を伸ばして画面からは不潔が臭く匂い、飛んで跳ねて息をきらして、まるっきり歌にならない。途中には日本語の語彙不足から意味もなく横文字の歌詞が挟まれる。音域が狭いから何でもない音が裏声になる。殆どの歌い手がちょっとした高音が出せなくて裏声になっているのが今の日本の業界だ。それでも歌など始めから聞く耳を持たない幼稚な黄色い声の子供たちがはしゃいでくれるから、次から次へとモヤシのように生まれて来る。

ほんのひと昔前にはいた音楽評論家も、今ではまともに評価するに値する歌も歌手もいなくて手持ち無沙汰になり、ただ売り上げ高だけが取り上げられる。昔大騒ぎした年末の紅白も、今では学芸会レベルでさびれ果て、集まるのは子どもたちだけ。

横道に逸れたようだが、そうではない。現在の日本の英語への劣等感は、敗戦後の日本のアメリカの進駐軍に群がるパンパンと呼ばれた売春婦が兵隊たちの腕にすがり、片言の英語(パングリッシュと呼ばれた)を喋りまくっていた当時の姿に余りにも似ているのだ。それでもその当時グレン・ミラーの名曲「真珠の首飾り」や、少し下って1974年のポール・モーリアの「オリーブの首飾り」の頃まではネックレスとは呼ばれなかった。

そして今、オーガナイザー、オーナーシップ、カスタムメイド、クライアント、バウンドにリバウンド、ユースにリユースにリサイクル、サプリメント、サムターン。定着したかに思えるトラウマもあるが、センサスにコンセンサス、テクノロジーにナノテクノロジー、バイオ、バイオテクノロジーにバイオマスなどや、今回の対象にはなっていないが、最近の病理学関係の世界も日本語表記が望まれるものが多い。例えばNPO「大人のADD&ADHDの会」と普通に書かれていて即座に理解できる人が何人いるのか。私が目にした文章には母親仲間の会話で「いま思えば徹君ってADナントカっぽかったね」と交わされたとある。このADもADHDも子どもの「軽い発達障害」らしいが、ADHDは注意欠陥・多動性障害と云われるもので、LD(学習障害)とならんで近年よく使われているらしい。

拉致被害者問題が大きくなってからは少なくなって来ているが、『北朝鮮』と云ってから長々と正式国名を繰り返すような下らないことをしていながら、国際問題や難しいアルファベットを口にしても、誰もが理解できるように日本語に置き換える手間を省く報道機関。念願叶って国民の総白痴化に成功したんだから、白痴でもわかる叮嚀な解説をするのが当然だろう。

【追記】解らないのがファッション界、ズボンはパンタロンになり、スラックスに、そして今ではパンツ(昔パンツと云えば女の子は人前では口にするのも恥ずかしがった下着のこと)。ところが今そのパンツの下に履くのがズボン下、と名付けられて売られている。どうなっているの?

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2005年10月 5日 (水)

子育て

毎日新聞紙上に「マザーネット」社長の『上田理恵子のサポートします』という欄(全部文字で埋めても1000字に満たない)がある。
十月三日に次の相談が寄せられていた。「保育所に行きたくない」5歳になる娘にどう対処したらいいのか、という母親の相談だ。
先ず驚いたのは母親の取った手段だ。少ないスペースに相談と解答(‘見出し’に女史の顔写真を張り付けてあるから内容は大雑把になる)が書かれるから細部の状況は把握し難いが、メールで発信したことだ。何はともあれそれほどに心に掛けることならば、事実確認のために母親としては取りも直さず体を動かして保育所に事実確認に伺う行動を取るのが先決だろう。何でも携帯電話やメールで間に合わせようとする風潮そのままじゃないか。どうしてお互いの顔を、目を見て、耳で聞いて話をしないのか。

家では『どうして?』と聞いても、『いやなの、おばあちゃんちに行きたい』と泣くばかりだという。無理矢理に連れて行ったものの、しがみついて離れない。もともと保育所が大好きで、先生や友だちに囲まれて楽しんでいると思っていた。何と云う無責任、『思っていた』だと!。わが子が保育所でどう一日を過ごしているかも知らないで一体自分はどう過ごしていたのか。私が繰り返し説いているように、保育所は小荷物一時預かり所そのものとして利用されているのが現実だ。この母は或いは勤めに出ていたのか、年齢が書かれていないから、このバカ母の生活は見えないけれど、勤めがあるにしても、わが子の悩みを解決する以上に大事な仕事なのか。メールを打つ前に保育所に顔を出すことも考えられないのか。子どもの悩みを、子育てを、メールで済む程度にしか理解していないのか、母親の愛情はこういう時にこそ子どもは感じ取り、信頼、尊敬されることに繋がって行くものだというのに。

寝る前にそれとなく聞いてみると、『だって、Nちゃんとけんかするもん』という。その子は一番仲良しのお友達であったのに、関係に変化が起こったのかも知れない、と感じてはいたらしい。

相談内容はここまでで、この後解答が来る。情けない考えでよくもこれで解答か、と思える。
こうだ。子供の世界にも、様々な人間関係があるものです。ポイントは子供からの小さな危険信号を見逃さないで、子供の心を抱き締めてあげることだ、という。ポイントの狂った解答だ。この程度の母親でも曲がりなりにも危険信号を掴んだから相談している者にこの解答はないだろう。

そしてこのケースの場合、子供としっかり向き合って、保育所での様子についてじくり話あって見て下さい、だって。追求する云い方じゃなく、子供が話し易い雰囲気作りを心掛けましょう。それから傑作なのは、母親が母親の職場で周りの人とうまくいかなくて悩んでいる、と話して聞かせ、そういう時には「お母さんは、こういう風に解決しているのよ」と話して聞かせるのも良いでしょう、だって、バカもの!母親が周りの人と上手くつき合えないことを告白して聞かせ、大人の思惑や心理で解決する方便を教えてどうなるのか。恐らくこの母親なら『口では言えないからメールを打つのよ』なんて教え兼ねない。

最後に、友だちとうまくつき合って行く方法は、試行錯誤を繰り返して習得して行くものです。親が「いつも応援している」というメッセージを伝えられれば、子ども自身で乗り越えていけると思います。と結んでいる。

一見相談には応えたかに見えるが何一つ的を得た解答はない。母親を諭す方が先決なのに、識者ぶって当たり障りのない文章を書いただけ。相談する側がバカなら、解答した側も阿呆だ。

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2005年10月 4日 (火)

第3のビール課税強化へ

年末の来年度税制改正に向けて、酒税の抜本改革に向けた議論が本格化し始めている。
焦点に置かれているのは低価格、低税率で出荷を伸ばしている「第3のビール」への課税のあり方だ。問題視されたのは8月度の酒税収入が昨年同月比で4.1%減少したことにあった。財務省は「税率の低い第3のビールの出荷が増えたことが影響している」(主税局)と分析している。
この低価格ビールに対する課税強化は昨年度末の税制改正でも検討されたが、自民党内で「特定商品」に対する狙い撃ちであると問題視された経過がある。与党としては昨年の税制改正大綱は酒税の課税体系を見直す必要性を確認している。財務省はこれ以上メーカーが税金の安い商品の開発に走り、行政がその都度課税強化する「いたちごっこ」に終止符を打ちたい考えであるらしい。

反面、現行10種類ある酒の区分を「ビール類」「醸造酒」「蒸留酒」「その他」の四種類程度に分けて、第3のビールは、ビール、発泡酒とともに「ビール類」に分類する方向で検討することと、「第3のビール」を増税する場合は、税率の高い「ビール」の減税を示唆している。

政府税制調査会は今月中にも議論を再開する予定で、酒税見直しは会の主要テーマになるが、ビール業界としては売り上げに影響することでもあり、商品戦略の練り直しを迫られることで、激しい反発が予想される。

私は個人的には現状の安過ぎる課税金額は、増額して当然と考えている。
 酒税  ビール(350㎖缶)    35.6% (+消費税)
     清酒上(1.8ℓパック)  13.9% (+消費税)
     焼酎甲類(1.8ℓ壜25度) 32.6% (+消費税)
     焼酎乙類(900㎖壜25度) 26.9% (+消費税)
     ウイスキー(700㎖40度) 19.0% (+消費税)

何かと比較されるタバコ税の場合、以下のようになっている。
     270円/1函(20本)  63.2%(170.70円)
   (内訳)  国タバコ税    23.2%(62.52円)
         地方タバコ税   29.2%(78.92円)
           (内訳)都道府県   (19.38円)
               市区町村   (59.54円)
         タバコ特別税    6.1% (16.40円)
         消費税       4.8% (12.86円)

タバコ税はビールで比較しても倍近い税額が科せられおり、最も違いのあるのはアルコール類にはない都道府県、市区町村への税収があることだ。タバコはできるだけ自分の住んでいる町で買いましょう、と云われるのもそういうこと。

酒とタバコ(私はどちらにも組みさない)、常に比較される悪の代表だが、軍配はどちらに挙げてもいいようなもの。タバコの害は云われても酒の害は今のところ静穏だ。しかし、発癌物質は酒にも含まれているのだが、酒飲み天国日本ではそれを云う人が意外に少ない。反対にタバコの被害は健康面や経済損失を含め声高だが、全く同じ程度の酒による健康面や、経済損失が発生していることは口にされない。ましてタバコでは心配のない酔った上の暴力沙汰、殺人、無謀運転等の犯罪性については触れる人が少ない。

今まで何回もブログで書いて来たことなのでこれ以上はもう多く語りたくない。兎に角酒税は低過ぎる、もっともっと増額するべきだ。それで生活がやって行かれないのなら、量を減らせば良い、酒然り、タバコ然り。

【附】酒とタバコについて自ブログに詳しい。
    酒とタバコ (5/24 〜 5回連載)
    酒飲み運転 (7/5)
    喫煙全面禁止の居酒屋出現(7/19)
    ガンバレ!愛煙家(8/25)

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2005年10月 2日 (日)

「・・中絶すれば犯罪が減る」

十月一日毎日新聞夕刊に衝撃的な記事が載った。
「黒人の胎児 中絶すれば犯罪が減る」。アメリカ共和党保守派の有力者、ウィリアム・ベネット元教育長官の発言である。
さすが人種差別大国の大馬鹿アメリカ白人だ。私もいい加減偏見でものを見る人間だが、彼の発言は自分の国が黒人の奴隷労働力によって成立して来た歴史を全く理解していない。よくもこんな馬鹿が教育長官に就いていたものだ。現在のアメリカが国家として成り立つ以前、1600年初頭の頃、イギリスの植民地であった当時すでに黒人はこの地に住んでおり、現在云うアフロ・アメリカンの祖先に当る人たちだ。

当時のアメリカにはこれら黒人と、もともと住んでいた先住民(古くはインディアンと呼んでいた)がいたが、新大陸を求めて入って来た白人たちは、両者を奴隷化することを狙っていた。所謂西部開拓の歴史に伴って今は亡き西部劇映画のヒーロー、ジョン・ウエインを筆頭にインディアンへの迫害は凄まじく、殺人を繰り返して当時の歴史を正当化して観客に提供し続けた。裕福な白人たちは徹底的に抵抗する先住民の奴隷化を諦め、入植者でも比較的貧しいクラスの白人を年季契約の奉行人として利用することと同時に、アフリカから黒人を輸入することに対策を変更する。奴隷制度の始まりである。

1700年の後半には広範囲でタバコの栽培が始まり、必然的に労働力が求められるようになって行った。当時のイギリスには奴隷売買を認める法律が存在していた。根底には黒人は白人と同じ人間だという考えはなく、19世紀の始め(1807年)になるまで奴隷貿易は続いた。

1776年アメリカはイギリスから独立(アメリカ合衆国)する。当時黒人が白人と同じだという認識を持つ白人は北部に住む人たちの少数意見であった。奴隷制度の廃止運動(1831年雑誌『解放者』を発行したギャリソンに始まる)を南北戦争(1861〜65年)が解放に導いたことになるが、この約90年間アメリカの憲法は奴隷制度を認めていたのだ。因にこの時解放された黒人の数は400万人といわれる。

丁度この頃イギリスで産業革命が興り、1774年イギリスは産業革命の技術的独占をはかり『機械輸出禁止令』を作って他国への機械の輸出や技術者の渡航を禁止していた。(1825年一部解除、1843年廃止)
機械による綿布の大量生産が可能になり、イギリスでは安価な原料が必要となった。アメリカ南部ではそれまでのタバコから綿花への栽培が広がり、それに伴った大量の無賃労働力の黒人奴隷が必要だった。広範囲な土地でのタバコ、綿花、麻、砂糖黍の農業大国の基盤は彼ら賃金を支払う必要のない黒人奴隷の労働力が支えていたのだ。奴隷解放の問題は人権問題として多く語られるが、経済的な問題でもあった。

奴隷解放後はアメリカの黒人差別問題は解決されたか?実際にはその後のアメリカの歴史は人種隔離政策を生んだり、黒人の側からは市民権確立運動や、1960年、黒人差別撤廃運動が行われ、1964年の公民権法の制定の成功を収めている。

しかし、今に残るKKK(クー・クラックス・クラン)は南北戦争後、南部で結成された人種差別を基調とする秘密犯罪者組織で、その当時には主に南部で数千人の黒人を殺害していた。現在でも存在しており政治的にはアメリカ保守の隠れた伝統とも云われている。

このような自国の歴史認識もないバカ政治家の発言「犯罪を減らしたいのなら、この国の黒人の胎児すべてを中絶すればいい。非道徳だが、犯罪率は低下するだろう」はヒットラーのゲルマン至上主義となんら変わらない白人の思い上がり(黒人蔑視)であって、政治の暗部を隠す戯言に過ぎない。

政治を離れても、現在アメリカ国歌が繰り返し奏されるオリンピック、水泳以外でアメリカを探せばその殆どが黒人による栄誉を讃えるものだ。手に余る犯罪(ドラッグ大国、銃社会など多様に亘る)に悩まされているとは言え、他国の石油狙いに国費を費やし、世情が危ういからとて黒人女性の腹の中まで犯そうとは蛇蝎に等しい。白人は皆善人とは到底言えないだろう、

【附】中絶については自ブログ内「中絶胎児は一般ゴミか」(8/9)に詳しい。トラックバック、コメントも併せて目を通して欲しい。

参照「中絶胎児は一般ゴミか」05/08/09

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2005年10月 1日 (土)

高齢者講習

昨日(9/30)運転適性講習会(県公安委員会)を終えて来た。
日頃車を運転していて危険に遭遇したことはない。自分なりに至って普通の技術だと思って過ごして来た。
今は妻の買い物の専用運転手として週に三回程度の乗車である。心配なのは視力の衰えだけだった。

自分の性格として前日には眼鏡屋さんに行き、事前のチェックをして来ていた。「ギリギリでしょうね」検査してくれた店員が云った。適性検査の結果は眼鏡屋の云ったとおり、静止視力、動体視力ともギリギリであった。
担当員「的確でしたね、でも、警察の視力検査はここよりも易しいと思います」と、云ってくれたが免許更改まで後二ヶ月、新しく眼鏡を作るべきか考えてみることにする。

次の夜間視力測定(暗順応)。ゾッとするほど衰えている。A、B、Cの三段階評価で B。コメントには夜間運転時に正常者と比べて視認力が減退していることを留意して下さい。日没時の運転では、特に対向車のライトなどに十分注意して下さい、とある。

残るテレビ画面と向い合いのハンドル操作。(単純反応、選択反応、ハンドル操作)
30〜59歳との比較でも実際に劣る項目はなかったが、選択反応と呼ばれる青・黄・赤の信号の切替えへの反応には手こずった。実際には起こり得ない切替わり順序とペダル操作の決めごとにまごつき、ミスが多くなり、判断動作の速さは普通だが、反応むらが多く出た。この検査では比較世代も全体的に低く、5段階評価で比べてみると、
   判断動作    30〜59歳  2
           私       3
   判断の正確さ  30〜59歳  1
           私       2
   反応むら    30〜59歳  1
           私       1

通常と違った決めごとで判断しようとすると、固定観念が邪魔することと、新しいルールの消化不足から一瞬の迷いが生じる。これは年齢には殆ど差が生まれないことを表している。

最後にハンドル操作を見る。これは自慢できる。
   反応の偏り   30〜59歳  2
           私       3
   練習効果    30〜59歳  4
           私       4
   状況対応の速さ 30〜59歳  4
           私       5

【総合評価】 
   ●反応動作の速さ(単純反応、選択反応検査)
     反応動作の速さは良好です。また、複雑な場面での判断の速さも問題がありません。
   ●緊張の維持と集中力(単純反応検査、選択反応検査)
     その時の調子で、素早い時と遅い時があります。危険と判断した時にはしっかりブレーキを掛け、落ち着いて安定した対応ができるように心掛けてください。
   ●動作の確かさ、見込み反応(単純半納検査、選択反応検査)
     単純な場面では落ち着いた対応が出来ますが、判断の甘さから正確さに欠けるところが見られる。落ちついた判断で正しく対応するように心掛けて下さい。
   ●状況対応の正確さ(ハンドル操作検査)
     どのような場面に対しても、素早く対応し、正確な動作ができます。しかし、体調を崩している時はスピードを控え目にして、気持ちにゆとりのある運転をして下さい。

誰にでも来る老い、多少とも興味を持って最後まで読みとおしていただいた人たち、いずれ来るその時の参考になれば記憶の片隅に留めておいて下されば幸いです。

今日始めて偏見でも独断でもない内容を記録した。

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