高松塚古墳・保存問題
文化庁の国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会は、6月27日、しばしば発生する黴による壁画の傷みが激しく、古墳から石室を解体し、別の場所で壁画の保存をはかることで決定した、と報じられた。
これ以前、奈良県立橿原考古学研究所の松田真一副所長(文化庁の検討会のメンバーでもある)から、可能な限りの期待できる防黴対策を施し、現地保存をするべきだ、との意見が出されたが文化庁は「対策効果が待てないほど壁画の傷みが深刻である」として先の結論に達したのである。
ここに到るまでには1972年に発見され全国の古代史ファンの注目を集めたが、壁画は73年には非公開と決まり、貴重な壁画は写真でしか見られないものとなっていた。その後、現地保存のため現代科学の最高レベルでの防湿防黴対策が施され(修復作業は76年〜89年)、都度現状壁画の変化を記録。87年には報告書に纏められて報告され、描線が薄れた白虎などをふくむ写真が収録された。
2001年2月、石室と保存施設の間の空間をつくる工事を機に黴が繁殖する
(黴をアルコール消毒したが、それが壁画にマイナスの作用をし、対策として不十分であった。)
2003年3月、緊急に保存対策検討会が持たれる
2004年6月、恒久保存対策検討会が持たれた頃から壁画の劣化が広く知られるようになる
この時撮られた写真集で文化庁は幸い30年を経ても壁画は大きな損傷や褪色もなく保存されており、と序文を寄せる。しかし、実際には石室内では黴とダニが影響し合い、繁殖し続けている。
結果として文化庁は2007年2月の解体を決定し、それに要する期間をほぼ10年以上はかかる見通しとしている。これに対して松田氏は現地保存にこだわり、自分の主張が通らなかったことで異論を唱え、文化庁の決定に不満を述べている。現在古墳が存在する奈良県明日香村では別の所への移設にしても明日香村を要望している。
現地の要望は別としても、学術的にお互いの意見の違いを主張しあっていては解決にはならない。現在の知恵の限りを尽くしたとして将来、千年、万年の先のことが決められることではない。お互いの意見はどれだけ先の世まで責任が取れることなのか。小さな意見の違いなど問題ではないと思うのだが。
エジプトでナイルの水をせき止めてアスワン・ハイ・ダムが建設される時(1960年〜1970年に完成)ラムセス2世が紀元前1250年、ヌビアに築かせたアブ・シンベル神殿が湖底に沈むのを救うために、小山ほどもある遺跡を小さなブロックに切り取り、62メートル高い場所に移して内部の壁画を含む遺跡を救ったユネスコの救済キャンペーンと、それに協力した各国の援助を見習うべきだろう。
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