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2005年8月11日 (木)

世論調査とは

毎日新聞(8/10)朝刊から
小泉内角の支持率が9ポイント上昇して46%になり、今回の衆議院の解散を54%の人たちが支持していることを報じている。
設問の中の支持政党を問うた回答で、これほど情けない政党でも「自民軸の政権を望む」と答えたものが50%もいるらしい。

今回私が問題にするのは小泉のことでも、解散のことでも、政党の好みでもない。世論調査それ自体についてである。これまでにも多くのマスメディアが政治に関わる世論調査をしてきたが、回答を求める前に回答者が果たして解答する権利を持っているかどうかの確認作業を行っているのだろうか、ということだ。

西洋料理と日本料理、どちらを好むか、或いは今年NHKが年末の紅白歌番組の製作にどの曲を選ぶか、或いはノミネートされた中でどの映画が一番かを選ぶアカデミー賞などとは全く異なる範疇のものだから。

それは何故か、政治に関する質問(設問)は民主主義の本質に関わる問題を提起しているからだ。回答者が解答する権利を有するかどうかの問いは、政治への参画の権利を有しているかどうかの根本だからだ。どういうことか、真っ先に問わねばならないのは“あなたは選挙で投票をしましたか?”でなければならないのだ。言い換えれば『投票をしなかった人間には物言う権利が無い』ということ。これは投票をしなかったことで当然得られるもの云う権利を放棄したことになるからだ。

ではこのような人間はそのような問いかけにはどう返事するのがいいのか。『私にはもの云う権利はありません、どうぞ、お好きなように』これが正しい回答にならなければならないのだ。これが投票権を放棄する(投票をしないということ)場合の覚悟でなければならず、ああだ、こうだと云ってはいけないことになる。投票する自由(責任)、もの申す権利。何かを云いたいのなら、先ずは投票所に足を運ぶことからはじめなければならない。

調査をするマスメディアの側でも無差別はいいけれど、その内何パーセントの人間が投票所に行ったかを明記する必要を感じて欲しい。それよりは先ず、アポイントを取った上で種々の調査をするようになることを望む。そうでなければただの《烏合の衆》の声になり、不和雷同の日本人特有の中身のない信頼の置けない集計作業に成り果てる。

そういうことで私自身はこの種の世論調査はマスメディアの世論操作としかみないことにしている。


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コメント

失礼します。

最終段落、それよりは・・・以降には全く異論ありませんが、論理の組み立てに矛盾がある気がします。根拠と結論がつながっているように読めないのです。

自由には責任が伴う。その理由はとても簡単なことだと思っています。物を買う(自由)には
お金を払う(責任が生じます)。子供でもわかることです。みなが自己の利益だけを考え、この原則を守らなければ仕組み自体が破綻する。
横文字で言えば全体でギヴ&テイクのバランスが取れていなければならないということだと思います。

(私は、はじめにルールありきという考えはしたくない人間です。はじめに理由があり、その結果としてルールは必要になる。森羅万象全ての物事には、その理由があると考えます。ただ、それが全て理解可能かは別問題。)

話を戻して、投票の権利に対して、投票者が負う責任とは、誰が選ばれるか、というその結果自体だと思うのです。世論調査に答えることと、誰が選ばれるかということとは独立事象。別問題であり、相互には関係がなく、したがって投票に行ったかどうか、ということ結びつけるのは無理があると思った次第です。

ただ、心情的な問題として、優先すべきは投票所に行くべきであろう、と思うことは理解できます。

投稿: cinnabar | 2005年12月 5日 (月) 00時16分

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小泉総理の歯切れの良い短いフレーズのみを鵜呑みにしてはいけないということを書きました拙ブログ「小泉総理の言葉に騙されてはいけない」に対して多くの方からコメントをいただきました。 社長の本音日記「小泉総理の言葉に騙されてはいけない」 http://blog.livedoor.... [続きを読む]

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