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2005年8月30日 (火)

高松塚古墳・保存問題

文化庁の国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会は、6月27日、しばしば発生する黴による壁画の傷みが激しく、古墳から石室を解体し、別の場所で壁画の保存をはかることで決定した、と報じられた。
これ以前、奈良県立橿原考古学研究所の松田真一副所長(文化庁の検討会のメンバーでもある)から、可能な限りの期待できる防黴対策を施し、現地保存をするべきだ、との意見が出されたが文化庁は「対策効果が待てないほど壁画の傷みが深刻である」として先の結論に達したのである。

ここに到るまでには1972年に発見され全国の古代史ファンの注目を集めたが、壁画は73年には非公開と決まり、貴重な壁画は写真でしか見られないものとなっていた。その後、現地保存のため現代科学の最高レベルでの防湿防黴対策が施され(修復作業は76年〜89年)、都度現状壁画の変化を記録。87年には報告書に纏められて報告され、描線が薄れた白虎などをふくむ写真が収録された。

2001年2月、石室と保存施設の間の空間をつくる工事を機に黴が繁殖する
 (黴をアルコール消毒したが、それが壁画にマイナスの作用をし、対策として不十分であった。)
2003年3月、緊急に保存対策検討会が持たれる
2004年6月、恒久保存対策検討会が持たれた頃から壁画の劣化が広く知られるようになる
この時撮られた写真集で文化庁は幸い30年を経ても壁画は大きな損傷や褪色もなく保存されており、と序文を寄せる。しかし、実際には石室内では黴とダニが影響し合い、繁殖し続けている。

結果として文化庁は2007年2月の解体を決定し、それに要する期間をほぼ10年以上はかかる見通しとしている。これに対して松田氏は現地保存にこだわり、自分の主張が通らなかったことで異論を唱え、文化庁の決定に不満を述べている。現在古墳が存在する奈良県明日香村では別の所への移設にしても明日香村を要望している。

現地の要望は別としても、学術的にお互いの意見の違いを主張しあっていては解決にはならない。現在の知恵の限りを尽くしたとして将来、千年、万年の先のことが決められることではない。お互いの意見はどれだけ先の世まで責任が取れることなのか。小さな意見の違いなど問題ではないと思うのだが。

エジプトでナイルの水をせき止めてアスワン・ハイ・ダムが建設される時(1960年〜1970年に完成)ラムセス2世が紀元前1250年、ヌビアに築かせたアブ・シンベル神殿が湖底に沈むのを救うために、小山ほどもある遺跡を小さなブロックに切り取り、62メートル高い場所に移して内部の壁画を含む遺跡を救ったユネスコの救済キャンペーンと、それに協力した各国の援助を見習うべきだろう。

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ドラマ『広島・昭和20年8月6日』を見た

8/29日、タイトルのドラマを見た。つまらない恋愛ドラマに終わった。
堅苦しい反戦映画を期待した訳ではないが、余りにものんびりしたテンポ、生活感のないドラマ作り、三人の女優の時代考証のできていない人物像、と不満だらけだ。
昭和20年代、女性で登場人物のような化粧の女は何処にもいなかった。特に化粧は60年後の現在を映して全く不自然だ。当時ドラマの女性たちのように眉を剃り、釣り上げた化粧など誰一人してはいない。昔、時代劇で(勿論着物の下は腰巻きの時代)女優の後ろ姿にパンティの痕が映り、激怒した監督の話を聞いたことがあるが、そこまですることもないとは言え、60年後の平成の昆虫の触覚を写したような眉化粧では時代錯誤を起こしてしまう。

もう一つ決定的なミスがある。三女が軍事教官の虐めにあっている朝鮮人学友を助け、手を繋いで広島の町を逃げ回るエピソードがあるが、途中サイドカーに乗って追い掛ける軍事教官が大声で叫ぶシーン、『逃げれんぞ』。
昭和20年当時、こんなデタラメな日本語を使う日本人は一人もいない。必ず正しい日本語、『逃げられんぞ』と云った。化粧と云い時代考証と云い、CGを使うのもいいが、綺麗だけのCGではすべてが嘘くさくなって一層生活感が薄れる。ちっとも汚れていない建物、綺麗な石の橋では生活の匂いが全くなく、ドラマが益々作り物じみて生きて来ない。途中頻繁に挟まれるコマーシャルにドラマほどの綺麗さが見られないせいで、こちらの方に生活感が強く見られた。

演技ではひ弱な末弟が光った。黙って三人の姉を観察し、少年兵を志願して軍隊に入る前にそれぞれ一人、一人の姉について言い残す辺り、自分自身が軍事教練で上手く行かず、教官からしごかれた後、独り産業奨励館(現原爆ドーム)の階段手摺りを滑り降りるシーン、拾ってきた子犬に死ぬことの恐怖を語りかけるシーンなどを含め、女優三人を完全に食っていた。姉の口から15歳の弟の命を奪うことになるかも知れない戦争について喋らせるが、弟の15歳という年齢、現在の数え方では13歳と数カ月乃至は14歳、脚本家はこのことを知った上での台詞なのだろうか?疑問が残る。
三人の女優が浮いて見えたのはその弟が入営の日、駅での別れのシーン、婦人会の大勢の見送りの中、三人の女たちは手も振らず、旗も振らず、三人三様の勝手な話を始め、二女に至ってはあの時代あの群集(横に並んだ三人の姉妹の後ろで大人しく並んだだけ)の前で反戦まがいの演説を打つ、あの時代、とても考えられない話。長女はそれを止(や)めさせようとするが事件にはならないで終わる。

長女に思いを寄せる男性の戦地からの手紙、『戦場は地獄のようです』当時軍事郵便でこんな表現が可能であった話など聞いたことはない。軍当局の厳しい検閲があって抹消され、このような泣き言が書かれた封書が内地に届くことはなかったと記憶している。

プロローグで修学旅行らしき学生の前で話をしていた老人はその末弟の60年後の姿。チャップリンがヒットラーをモデルに『独裁者』を作ったのは今から65年前。最後のシーンで平和を訴えた名場面があったが、末弟役西田敏之がチャップリンよろしく学生たちの前で原爆を呪うが何かよそよそしい。

TBSテレビ放送50周年を記念して作ったというが、現在のように人を好きになることも難しい時代のことを、三姉妹の恋愛もので纏めてしまって感動のないつまらない作品になってしまった。最後に流れる歌、“涙そうそう”は余計なもの。

附(8/30):1974年 第一回広島平和音楽祭で 美空ひばり が歌った。

《一本の鉛筆》 松山 善三作詞 左藤 勝作曲

  あなたに 聞いてもらいたい
  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい
  あなたに 信じてもらいたい

  一本の鉛筆が あれば
  私はあなたへの 愛を書く
  一本の鉛筆が あれば
  戦争はいやだと 私は書く

  あなたに 愛をおくりたい
  あなたに 夢をおくりたい
  あなたに 春をおくりたい
  あなたに 世界をおくりたい

  一枚のザラ紙が あれば
  私は子供が 欲しいと書く
  一枚のザラ紙が あれば
  あなたをかえしてと 私は書く

  一本の鉛筆が あれば
  八月六日の 朝と書く
  一本の鉛筆が あれば
  人間のいのちと 私は書く

数千とある歌の中でも私の最も大事に聞く歌である。2時間30分のつまらないドラマよりも、たった4分足らずの歌詞の中に溢れるほどの人間愛を感じる。

参照「1945(昭和20)年 8月」05/08/16

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2005年8月27日 (土)

ダイアナ元妃と恋人の像

毎日新聞(8/25)から
【ロンドンAFP時事】によると、97年8月31日にパリで交通事故死したダイアナ元英皇太子妃を追悼する等身大の銅像が24日、ロンドン市内でお披露目されたことを報じた。事故時ダイアナと同乗していた恋人のドディ・アルファイドと彼女がペアで踊り、お互いの握られた手の上にアホウドリ(永遠と幸運を象徴するという)が2メートルもある羽を広げて止まっている。題して『無実の犠牲者たち』。掲載された写真はまだ工房の中にあって世間の目には触れていないようだが、作らせたのはドディの父親(英高級百貨店「ハロッズ」のエジプト人経営者)で、彫刻家のビル・ミッチェルが製作した。

彼女が死んですでに8年が経過した。父親は作品に“無実”“犠牲”をかぶせて如何にも犯罪を臭わせているがまだ何も特定されてはいない。死に方が衝撃的であったからそこに犯罪性を見い出したいのだろうが、確実なのは二人がともに死亡したことだけだ。

私が始めてダイアナを目にしたのは1986年5月の初来日した時のテレビ画面だが、第一印象は極端に悪く嫌な女として映った。顔を伏せ、上目遣いに周りを見る目つきは何かうさん臭いものを見ている様子に映り、決して好印象とは言えなかった。続いて1990年11月、一人で来た95年2月の時にはその印象はもっと悪くなった。特にあの上目遣いに人を見る様子が印象を悪くした。

すでにこの頃(91〜95年)には夫チャールズの結婚以前から続いていたカミラとの不倫が明るみに出ており、二人の中は冷え、反動のようなしっぺ返しがダイアナの幾人にも及ぶ男性との不倫となって世間を賑わしていた。91年に乗馬の先生、元近衛将校のヒューイット、92年には古くからの友人J・ギルビーとのベッドでの会話の録音が流され、95年にはラグビー選手のウィル・カーリング、同じく95年にはJFKジュニアとのNYカーライルホテルでの不倫。この時の情報にはダイアナのレポーターへの話として、JFK Jr.とのセックスについて、彼が自分の男性遍歴の中ではベッドテクニックは10本の指に入る、と漏らし、純粋に性欲に負けたのは自分の人生でこの時一度きり、と述べたことまで実しやかに伝えられている。想像するに10人までは確実に、それ以下は一体何人いたのか。ダイアナを男狂いさせるほどに夫チャールスは憎まれていたのかと思う。

世間はダイアナを被害者とのみ見る見方が一般的だが、私には彼女の妻としての時代の数重ねた不倫のことが無視できない。『あなたがやるなら、私もよ、何倍にもして返すからね』と云ったかどうか知らないが、これじゃお相こだ。彼女はこの風評を隠すため、世界的な慈善活動をやってみせ、エイズ撲滅運動、地雷廃絶キャンペーンに動いた。私は彼女のこの辺りをあの顔を臥しがちに上目遣いに人を見る風情に読み取っていたのだと思う。

ダイアナの夫チャールスへの無理解は1982年(結婚した翌年)イギリス領フォークランド諸島にアルゼンチンが侵攻してきた時、両国の間に起こった紛争で、国軍を統轄する立場で頭を悩ますチャールスに、自分を構わないとチャールスを責め、自己中心的な面で迫ったといわれる頃から始まっていたのだ。

銅像はどこに置かれることになるのか。自宅の庭にでも移すのだろうか。手の上のアホウドリ、日本語から受ける印象はイギリス人の同じ鳥に抱くイメージとは程遠い。イギリスはゴルフの国、大きなこの鳥の姿はロングホールのアルバトロス(パーよりも三打少ない)を想像するらしい。*【8/27(親バカかバカ親か)の改題】


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2005年8月25日 (木)

ガンバレ!愛煙家

毎日新聞(8/25)朝刊より
JT(Japan Tabacco Inc)が9月19日、東京都渋谷のライブハウスを借り切って、愛煙家75組150人を招待して映画試写会に招待する企画を発表した。上映するのは10月に公開予定のアメリカ映画「シン・シティ」(ブルース・ウィルス主演のアクションもの)で、登場人物たちも勿論タバコは喫う。

世間体を気にしてか応募するのに厄介な決まりを設け、はがきかファックスで名前、フリガナ、住所、生年月日、性別、電話番号の他、「私は喫煙者です」と明記する必要が有り、試写会の入場券は他人には譲渡できない。加えて当日の入場に際しては免許証などの写真付きの身分証明書で本人確認を行う。

当日は前日の日曜日に続く国民祝祭日(敬老の日で大安)でもあるため、今まで嫌煙家のヒステリックな大声に虐げられてきた愛煙家には救いの心安らぐ数時間になるだろう。映写効果は立ちのぼる煙りで少々霞んで見にくくなるが気にもしないだろう。そのむかし、館内放送で映写中の禁煙を呼び掛けた思い出が懐かしい。JTは「周りを気にせず、ゆったりとタバコを喫いながら話題の映画をみてほしい」というが、気になることがある。この度喫煙者を受け入れてくれたライブハウス、もうもうと立ちのぼる煙の処理には自信があるのだろうか。排煙と空気清浄装置、消火装置など、或いは建物に付着した匂い除去などの対策は万全なのかどうか。それと、次に入る人たちの嗅覚に影響はないのか、残り香に嫌煙を一層気狂いじみて叫ばさないか、心配だ。今度の企画がそのように裏目に出た場合それこそ愛煙家には住み難い国になるだろうから。

余計な心配を一つ。
家族に毛嫌いされ、テラスで喫うしかない情けないほたる族の男たち、匂いのついた衣服のままで無事に家の中に入ることができるかな?

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2005年8月23日 (火)

夏休みは終わる

夏休みも終わりに近くなってそろそろ各テレビ局も夏の総決算を組もうとしているが、目玉はやはり若者たちの羽目を外した傍若無人ぶりになるようだ。逸早く取り上げた某局では河川敷に昼間集まる家族連れや、夜間の若者たちの暴走ぶりを長時間に渡って取材していた。

飯能河原(埼玉県飯能市入間川)は昼間は家族連れで賑わうバーベキューを楽しむ絶好の広い河原があり、側を流れる入間川では所々に淀みがあって泳ぐことや、子どもたちが水遊びができるほど綺麗な水が流れている。トイレの設備も備わり駐車場もある上に無料とあって近隣からの人たちが集まる絶好のバーベキュー場になっている。

ところがである、ご多分に漏れずバーキューを愉しみに集まる連中のマナーの悪さは尋常では無い。河原の石では直火の調理を禁止しているが平気で石を竈代わりに使い、火を燃やし、注意されると知らなかった、いいじゃない、とただえへらえへらと笑うだけ。後片付けになると最悪だ。使用していた、鉄板類、調理台、など油で汚れたものを川に持ち込み洗いはじめる。流れの緩いところには油の膜が張り、河原を汚す。注意されていた父にこどもが訪ねる。『パパ何て云われたの?』身をもって示す反面教師になったバカ親。使い残した練炭、炭はそこここにポイ捨て。食べかす、飲んで空になったペットボトルの類は捨てられて山となる。毎日45リットルのゴミ袋が3、40杯。これらは町のボランティアが拾って歩く。横浜にも以前バーベキューのできる公園があったが余りのマナーの悪さに禁止にしてしまった。

近くの淀みでは崖によじ登り、飛び込んで遊ぶ若者、骨折の事故が実際に起こったことがある現場だ。こんな連中は骨を折ろうが、溺れて死のうが勝手にすればいい。自己責任の範疇だから心配してやる必要はない。いや、怪我をし、死亡すれば子供達が真似しなくなって都合良いかも知れない。

夜になると様相は一変する。河原は男女の若者たちで占領される。けたたましい叫び声や笑い声と花火の破裂音が響き渡る。近くにはアパート、マンション、民家があって毎夜の騒音に悩まされている。通報で出向く警察官には注意されると一応は従う。一方公園でも夜は花火で河原以上に迷惑な行為が行われている。注意されると『若気のいたりですかね』と若けりゃ許される行為と勘違いしている返事が戻る。そして必ずえへらえへらの笑い声が続く。危険極まりない行為、人に向けての花火の遊び、これも仲間同士での怪我ならそれ見たことか、で済ませるが近くには民家も有り人は眠りに就いている時間帯だ。迷惑この上ないこのようなバカ息子、バカ娘の親たちは、夜になっても帰らない子供達をなぜ放りっぱなしにしているのか。

夏休みだから子供は羽目をはずしたがる、それを注意し、普通以上に厳しく躾け、指導するのが親だろう。それともみんな孤児の集まりか。

やはりバカにつける薬はないのだろうか。

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2005年8月21日 (日)

プロ野球放送時間短縮

日本の各テレビ局はプロ野球の放送時間を21時9分で打ち切るか、従来の21時24分までとしていたテレビ局もこの枠を必ずしも決定したものとせず、自由に終了時刻を変更することもある、としたようだ。

心配したことが現実となった。野球放送が現行の時間になったのは、終盤になって縺れる試合を面白いところで情け容赦ない打ち切りをしていた習慣を、ファンの熱い要望に応えてテレビ局が変更し、延長設定したものであった筈だ。
昨今ジャイアンツの情けない試合に愛想を尽かして視聴率に影響を与えているが、ジャイアンツだけが野球をやっているのではない。どこのチームにもファンはおり、勝った負けたに一喜一憂している。ディジタルになり、地上波テレビの放送枠は激減したが、それでも見たいものは幾らでもいるのだ。

反面どうでもいい海外のメジャーリーグ放送が増加し、どうでもいいチームのどうでもいい放送を嬉しそうに電波に載せる。日本を捨てて去った選手をいつまでも未練がましく追い掛け、お膝元の日本の野球を全くお座なりに取り扱う。

今回の衆議院選挙で見られる世論調査にも如実に表れるマスコミの世論操作でしかない。小泉の人気のグラフはメディアが発表する度に徐々に上り、確実に足元を固めさせる役割を担う。

同じことが今回やろうとする日本のプロ野球の圧殺の始まりだ。メジャーリーグがどれほど格に違いが有るか知らないが、日本でお払い箱になった選手が、打つ方でも投げる方でも表舞台に立てるほどレベルの低いところなのだ。そんなところでホームランを何本打った、打率が何割になった(日本のリーグでは遥かに高い打率で打ちまくっている選手が何人もいるんだ)何勝した、とテレビに映り、活字になり、カラー写真が掲載される。これで日本の野球が浮かばれるのか。今年は手のつけれないほど惨めなジャイアンツでも来期もそうだとは限らないんだから。

低迷を口にすればするほど低迷は加速し、抜き差しならないところまで嵌り込む。そうなってからでは遅いと思うのだが。

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2005年8月16日 (火)

1945(昭和20)年 8月

私のホームページからの転載である。1930年(誕生前年)から現在まで歩んで来たことと、日本の移り変わりを一年ごとに書いたものの抜粋である。

昭和20年、旧年齢で15歳(当時は数え年を使う習慣であった)現在の満年齢で13歳と2ヶ月。学徒動員で働いた海軍工廠の食事は旨かった。一般家庭では水ばかりの雑炊並みの食事が当たり前であったのに比べ、大豆の大量に混じったご飯であったが畳み二畳ほどもある大釜で作る炊出しのせいか、しっかり嚼み応えのある美味なものであった。木工部の作業にも慣れて来た冬の寒い朝だった。四人で電柱ほどもある丸太を工場内に搬入することを命じられた。数日前から降り続いていた雪が纏わり着いた丸太だった。四人は持ち上げて歩き始めたが、濡れた木の肌に降り積もった雪は表面がざらざらした氷状に凍結していた。抱え直しては何度か歩こうと努めたが手がかじかんだ上に少年たちには重過ぎた。誰かが口を切った。「止めよう」、「ああ、止めよう」と、丸太を雪の中に捨てて工場から消えた。結論からいえば明確なストライキであったが四人の誰にも自覚はなく、単純に冷たくて重く、少年の手に負えなかっただけの認識しかなかった。翌朝、早速懲罰が下った。全員が揃って整列した最前列に並ばされた四人の頭を目掛けて材料には事欠かず、散らばっている木片を掴み上げると勢い良く振り降ろされた。最後の私の頭を打った木片は、折れて飛んだ。

8月、人類史上初めての原子爆弾が広島に落とされ、続いて長崎に落とされた。

1942年の本土初空襲から4年の間に全国200ケ所(最近の調査では400ケ所)にも及んだ都市町村の無差別爆撃による被害は、非戦闘員の死没者約38万人、罹災者は1500万人という空前の犠牲者を出して敗戦となった。

連合国に無条件降伏をして敗戦を迎えた日本は、マッカーサー元帥が8月30日に厚木基地にやって来るまでの二週間、戦争を指導してきた内務省、外務省、軍、警察は戦争犯罪を隠蔽するために、手元にある大量の資料を焼き捨てている。現在にまで続いて残っているこの国の腐れ切った、事実をなかったことにする犯罪とも云うべき共犯作業である。

マッカーサーは9月2日の陸海軍の解体命令に続いて、東久邇宮内閣が実行できないとして総辞職することになった天皇制問題を討議することの自由、政治犯の釈放、思想警察(主に左翼思想の取締り)の全廃、特高員(特別高等警察)の罷免などの指令を10月4日に発表。矢継ぎ早に特高警察の廃止、人権確保、自由主義化などを盛り込んだ憲法改正の指令を出す。続いて15日には治安維持法の廃止、11月に入ると財閥解体指令、12月には陸・海軍省を廃止、引き続いて戦犯の逮捕、17日には早くもB、C級戦犯の裁判が開かれ約300人が対象になる国内最初の裁判となった。

日本の敗戦で強制連行されていた在日朝鮮人、中国人たちの解放を求める運動が各地に起こり、9月19日北海道三井・三菱の美唄炭坑で約2000人が退職金、弔慰金を要求して蜂起、石川県七尾市では中国人約400人が警察署を襲撃、10月8日夕張炭坑では朝鮮人労働者約6000人が労働条件改善を要求してストが起こった。

一方最後まで戦火に耐え神風を期待した国民は、敗戦が濃くなって指導者たちの国体護持だけに慌てる無策の陰で、命や財産を失ったまま焼野原の中に放り出されることになった。

(その他の出来事)
1/16 B29 一機が飛来、京都を空襲。27日東京に飛来、銀座、上野を空襲
1/17 ポーランドのワルシャワを占領したソ連軍は27日アウシュヴィッツ強制収容所を解放。(作られて5年の間にユダヤ人を中心に400万人がガス室などで殺されたと云われる。
2月  近衛文麿が敗戦を予想し、敗戦後の共産主義による革命を避けるための早期和平を天皇に奏上
2/25 B29 約200機が東京を空襲
3/4  B29 東京を空襲
3/10 B29 約330機が東京を空襲、焼夷弾の投下で下町一帯が全滅、死傷者112万人
3/11 鹿児島県鹿屋基地から特攻が南方に向け出撃始まる
3/13 13日〜14日にかけてB29約300機が大阪、神戸、尼崎を空襲
3月  硫黄島の日本軍守備隊約21000人が全滅、捕虜となった者約1000人、アメリカ軍死傷者も28000人に上る。同じ日 B29約60機が神戸を空襲
3月  18〜19日にかけてアメリカ機動部隊の艦載機千数百機が東京、中国、四国、九州などを空襲
3月  B29百数十機が名古屋市街地を爆撃
3月  敗戦が決定的になってヒットラーはドイツ全土を焼き尽くす命令を出す(古代ローマの皇帝ネロの故事に因みネロ指令と呼ばれる)
●3/26 アメリカ軍が沖縄、慶良間諸島に上陸を開始
3月  28〜29日にかけてアメリカ艦隊の艦載機延べ1300機が九州地方を空襲
4/1 アメリカ軍が沖縄本島に上陸を開始
4月  ソ連は日ソ不可侵条約の不延長を通告
4/7 戦艦『大和』は沖縄近海に出動したが届かず、九州南方海上でアメリカ機動部隊艦載機の攻撃を受け巡洋艦1、駆逐艦4とともに撃沈
4月  ルーズベルト大統領が急死、副大統領のトルーマンが大統領に
4月  13、14、15、16日とB29約330機が東京、横浜、川崎を空襲
4/28 前日パルチザン部隊に逮捕されていたイタリアの元首相ムッソリーニが人民裁判で銃殺、死体はミラノのロレッタ広場に逆さ吊りされて人々の目に曝された
4/30 ドイツの総統ヒットラーがベルリンの地下室壕(軍指令室)で愛人のエバ・ブラウンとピストル自殺
5月  ソ連軍がベルリンを占領
5/7 ドイツは連合国に無条件降伏
5/13 艦載機約1000機が南九州の航空基地などを爆撃、同じ日と14日、名古屋にはB29約480機が来襲、名古屋城焼失
5/24 B29約480機が東京を空襲、宮城内大宮御所など炎上し、東京の市街地の大半が焼失
6/7 近代日本の最大の哲学者西田幾多郎死去
6月  占領後のベルリン分割を決める(米・英・仏・ソ)
6月  ここに来ても戦争指導者たちは国民に死ぬことを求め、天皇臨席の最高会議でも本土決戦の方針を決定する
6月  沖縄本島の戦場で負傷者看護の女子師範、第一高女の生徒49人が洞窟内で集団自決
6/23 沖縄の日本軍守備隊全滅、戦死者9万人、民間人の死亡者約10万人
6月  この頃B29に加えて沖縄や硫黄島から発進した爆撃機や戦闘機、日本近海にいた機動部隊の空母艦載機が地方都市まで爆撃、空襲が激化する
7月  アメリカ(トルーマン大統領)イギリス(チャーチル首相)ソ連(スターリン首相)にょる対日ポツダム宣言(ドイツの占領政策、ソ連の対日参戦)が発表されたが、日本は宣言を黙殺し、戦争継続を決める
●8/6 B29が広島に原子爆弾を投下(死者約20数万人)


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   原爆ドーム

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  記念碑から見るドーム


8/8  ソ連が対日宣戦布告、満州北部、朝鮮、樺太に進行を開始
●6/9  B29が長崎に原子爆弾を投下(死者約14万人)
8月   政府は中立国スイス、スウェーデンを通じて国体護持を条件にポツダム宣言の受諾を申し入れたが、解答には天皇について何も触れられていなかった
8/15 録音による天皇の終戦の詔勅を放送、無条件降伏による敗戦である。

父の勤める会社の社宅で数少ないラヂオを持ち合わせていた我が家に近所の人たちが集まり、当時の性能の良くない雑音混じりの中から、天皇のあの甲高い声音と独特の節回しの放送を皆は畏まって聞いた。まだ13歳を越したばかりの耳に聞こえるのは難しい言葉の連続だった。その中に、一際強い口調の言い回しを聞き逃さなかった。10日ほど前に広島と長崎に落とされた爆弾のことが噂されていた中で、天皇がこの爆弾に触れて発言したからであった。今でも鮮明に覚えている。『敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、頻りにムコ(?)を殺傷し・・・』この「ムコ」が 「無辜」であることを後に知った。まだ原子爆弾とは解らなかった。この日で太平洋戦争(日本は大東亞戦争と呼んで始めた)、第二次世界大戦が終わる。1931年の日中戦争勃発以来の9年間だけでも、軍人、民間人の戦没者は厚生省の算定では310万人を数える。

8月  敗戦処理内閣として皇族の東久邇宮が首相に任命される
8/18 満州国皇帝退位、満州国消滅

●8月政府は占領軍向けの性的慰安所の設置を指令し、27日には早くも東京大森で開業する

8月  マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着

●9月2日 東京湾に停泊中のアメリカ戦艦ミズーリ艦上で日本は降伏文書に正式に調印。全権大使外務大臣重光葵(まもる)は脚が不自由で、杖をついて居並ぶ連合軍の前に進みより、後ろ手をして前に立つマッカーサーの前で降伏文書にペンを走らせる姿が痛々しく、勝者、敗者の対比が生々しく脳裏に焼きついている。艦上には乗組員の水兵たちが立錐の余地なく群がり、砲芯にまで跨がって鈴なりで見下ろす様は敗者の惨めさを際立たせた。同日、連合国軍総指令部(GHQ)は指令第一号を発表し、陸海軍の解体、軍需生産の全面停止を命令。また同じ日、マッカーサー(連合国軍最高司令官)は米ソ二国間で 朝鮮 を38度線で南北に分割占領することを発表。

9/11 GHQが戦争犯罪人の逮捕を命令(東条英機ら39人)
9月  中等学校以下の教科書から戦時教材の削除を通達、墨汁で塗り潰した所謂墨塗り教科書を使用することになる
9/26 哲学者三木清が共産主義者を匿ったかどで逮捕され、獄死する
9/27 天皇がマッカーサー元帥を訪問。リラックスして両手を腰に当てたマッカーサーの横に、畏まって立つ天皇の写真を不敬罪にあたるとして発売禁止とする政府に対し、GHQは発禁の停止を指令した
10/11 映画「そよかぜ」の主題歌、『リンゴの歌』(並木路子)が広がる。敗戦に打ち拉がれた心に軽快なメロディが明るい灯を点してくれた
10月 特高警察が廃止、続いて治安維持法が廃止
12月 婦人参政権が認められる
12月 GHQが修身、日本歴史及び地理の授業の停止を指示

     多くを朝日新聞社発行「週間20世紀」を参考にした

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2005年8月15日 (月)

世論調査 2

銀行へ行って来た。中で用を済ます間、やかましい右翼青年団の街宣車が大音声で軍歌を流して通り過ぎた。
戦争を知らない世代が何ゆえの行動かは解らない。

衆議院解散後に毎日新聞が行った先の世論調査(8/10)を取り上げた時、人まね上手で自我を持たない日本人、この種世論調査はそのような人を禦する世論操作になる危険性に警鐘を鳴らしておいた。
予定どおりというべきか、今回の調査(8/15)ではっきりと動きが現れた。人心の動きは易きに流れる。力(権力)の強い、大声でもの云う、数の多い、などなど。特に付和雷同型の日本人には動くのには都合がいい。
内閣支持率は5ポイント上がって51%、不支持は4ポイント下がって33%。

今回は敗戦60年目の日とあって対米、対中、などと、(ここで他の国々は“など”で括ってしまっているが)、戦争認識について設問を加えている。今、しきりに靖国のA級戦犯問題がクローズアップされているが、太平洋戦争について全体では「間違った戦争」が43%、戦中、戦前派(70代以上)は「やむを得ない戦争」が45%、戦争を知らない(20代)は「わからない」と答えたものが34%もいた。

最後に戦争責任の論議について問うているが、14%の十分、に対し75%が不十分と答えている。
極東国際軍事裁判ではアメリカの政治的判断で天皇の戦争責任が免責され、インドのパル判事(全判事の中のただ一人の国際法学者)の意見書(国際法、英米法、証拠法に基づいてすべての被告の無罪を主張)、ウエッブ裁判長(オーストラリア)も“天皇に免責を与える以上、すべての被告人の刑罰の確定にあたってもこのことを考慮する必要がある”と論じた判決書を、禁を解かれて誰でも読むことが可能になって、『勝てば正義』のアメリカ主導の裁判であったことが、今になってA、B級戦犯の戦争責任を「勝者が敗者を裁いた」ものとして、その罪を糊塗しようとするする動きになって蠢いている。

今回の調査の依頼対象はやはり無差別ではあるが、毎日新聞によると全国の有識者に電話で調査し、1058人からの回答を纏めたものとある。(有識者って?)

それでも未だに外地で戦って、或いは支えて死んだ人たちの遺骸は地の下に、海の底に多く眠ったままになっている。

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2005年8月14日 (日)

マラソン中継

8月13日深夜、この後直ぐと夕刻から予告し、いい加減間延びして始まったヘルシンキ・男子マラソンを見た。少し黙ってろ!と云いたい実況アナウンサー、土井敏之。
現在は他局で久米の舌禍のあとを継いでキャスターをやっている、五月蝿くて語呂合わせで有名だった古館《数年前、当時司会していた番組で、刃傷を[刀(かたな)の傷が“にんじょう”と誰が読めるのでしょうか?と知識の浅薄さを露呈した。即座に局に電話を入れ、‘あれは刃“は”の傷で、そう読む以外にはないのです’と訂正を求めたが黙殺》、でさえ大人しく聞こえるほど、声は上ずり、嗄れ、訳もなく絶叫するだけ。局は派遣に当り、人選を過ったんだ。
怒鳴り散らせば済むような昨今のスポーツ中継が目立つが、スポーツ中継の人選にあたっては益田明美の喋りを繰り返し見、聞かせて勉強させる必要がある。彼女の中継解説にあたっては、事前の情報蒐集からその人物の現在の実力を見極めて適確に報導し、聞く人を画面の中に引きずり込む。絶叫など微塵も必要ない見事な解説を長い間続けている。
サッカーという競技が放送され始めた頃、同じくアナウンサーの気狂いめいた繰り返しが話題になったが、それさえも控え目に感したほど土井の中継は酷いものだった。

古館の時もそうであったが、今度も最後には途中から声を消して絵だけを見ていた。それで充分用は足りた。               

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2005年8月13日 (土)

生活満足度

毎日新聞(8/13)朝刊から
アサヒビールお客さま生活文化研究所(東京都港区)が、インターネットによる世界6カ国の男女を対象に意識調査したもの。
  対象国 日・中・米・英・伊・スウェーデン
  年令  29歳 〜 59歳
  員数  2355人
  期間  昨年11月 〜 12月

これによると、幸せの程度についてはいずれの国も「非常に」「かなり」「まあ」と答えたが、
       生活に満足している、 日本8%・米38%・スウェーデン37%・伊17%
一方、気が滅入ることが、「非常によくある」「よくある」を合せると28%で日本が最も高い。

また、「幸せの要素として、必要不可欠なもの」を複数回答で聞いたところ、
       日本「精神的な充実感」が9割近くで6カ国最高、他の国では7〜8割
他に、「周囲の人からの尊敬や信頼」は日本では37%と最も低かった、とある。

詳しい設問内容が解らないので大まかにしか読み取れないが、日本人の生活満足度はバブル期の思いを引きずったままの平和ボケの感が免れない。精神的な満足度なんてきりのないもの、どこが頂上かもしれないものに満足感のある筈もない。一度良い思いをしたことのある人間にはその位置が基準となり、より高いその上を望む。その国の基準も解らなくてこんな問題を問うても役には立たない。それに右を見て真似る、左を見て真似る、周りを見て真似ることでしか自己の発見のできない日本人、流石、飲んべえ相手の会社のアンケートだ。
イタリアはEU諸国の中でもギリシャと並んで特に貧しい国、表向きのファッションや観光の面できらびやかに見えるが、市民の生活は至って質素、それでも日本人以上に幸せを感じているんだ。何やかや云いながら腕に、肩に、身に纏い、家の中にブランドものが溢れているのは日本が一番だろう。

「周囲の人からの尊敬や信頼」の37%は他の国の数字が記されていないので比較もできないが最も低い、とだけしか解らない。凡そ今の日本では、政府・役人からして自ら信頼や尊敬される資格を持ち合わせていない。お上のすること、なさること、繰り返し見せられていてそのような人格者が育つことを教育者は期待しているのだろうか?
“先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなし”は古い川柳だが、国会議員さまたちはこう呼ばれないとご機嫌がわるいようで、テレビからは常に聞こえて来る。“センセイ“”センセイ”、見ていて本当の馬鹿の見本のようだ。こんな議員を選ぶ選挙民はもっと馬鹿だが。


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2005年8月12日 (金)

スーパーは子供の遊び場か

今までに何度も書いた、しかし何度でも書こう。
昨日妻と連れ立って何時もの食料品、雑貨を求めにスーパーに出かけた。入店と同時にいきなり物凄い悲鳴が聞こえて来た。出入り口に近い階段を4、5歳の男の子が一人、耳を切り裂くような声を長々と張り上げて見失った母親を求めてよろよろと降りて来るところだった。フロアに足が着いて走り出し悲鳴を上げながら“ママー”。三度、四度目で聞こえなくなった。

一体このバカ母は他人の大勢集まる場所を何処と思っているんだろう。自宅も公共の場も区別がつかないんだろうか。男の子が駄々をこね、いらいらした母親は先に階段を降りたものと察しはつくが、日常の躾もできていない子を放り出した結果は、周りにどれだけ迷惑を掛けることになるか母親なら解ろうというもの。
これなんかほんの一例だが、スーパーに限らず乗り物の中でも、レストランでも、甘やかすしか能のない親に躾をされていない子が周りに及ぼす迷惑は、数え切れないほど転がっているのを見ているはずなのに、この手の母親には対岸の火災でしかないのだろう。[古人の知恵は、「他人(ひと)の振り見て、我が振り直せ」と、角を立てずに学ぶことを教えた。余りの腹立たしさに声を荒げる私を宥める妻もまた興奮気味になっている。

この日のバカな母親はこれだけで済まなかった。友人同士で買い物に来た子供連れの二人は話に無中、暇を持て余した小学生低学年を筆頭に4、5人の女の子たちがけたたましい叫び声を発しながら追いかけっこを始めた。商品が所狭しと並ぶ店内を。行って戻ってまた行って、戻って私の前を横切りざま大声で怒鳴り付けていた。
子供達は途端に走ることを止め、静かにしてくれた。首を回して母親たちを見たが、ちらとも振り向かず、話に夢中のまま。このように子供に神経を注がない親が、子供を誘拐され、不幸な目を見ることになり、泣くことになる。転んで怪我をするかも知れず、商品を壊すことになるかも知れないことがどうして解らない。買い物に出る前に、これから行くスーパーがどういう場所か、皆んな話して解る可愛い女の子たちなんだから教えてから出かけるくらいの躾をしろ。

三つ目の話しはこうだ。
若い母親がまだ歩けない女の子をカートに座らせ、周りをそのお兄ちゃんらしい子が妹の笑いを誘って楽しんでいる。スーパーの中でなければ実に微笑ましい家族団欒の風景だ。だが、場所がいけない。きゃっきゃと喚く声は凄まじく、神経にぴりぴりと響く。母親は一向に注意しない、自宅の居間にでもいるかのような何ごともない顔で、纏わりつく兄が買い物客の邪魔になっても注意もしない。
四つ目。
これも母親と友人の二人連れ。兄と妹かそれぞれの子か。レジを通過する親たちを待つ間もレジの周りをふざけあい、追っかけっこ。やはり親たちは何の注意もしない。お互いの買い物を眺め、袋詰め。何も私がこの親たちをつけ回しているわけじゃない、隣のレジの妻が通過するのを待つ間のできごとだ。妻も後ろに続く人の迷惑になることがしばしばある。目も悪く、段取りもよくない方だ。几帳面に小銭を差し出す方で、財布の底をかき回して一円玉を拾い上げる。そんな妻を次の人に悪いな、と思いながら待っている間の観察であった。

私が妻の買い物を袋(レジの問題になっている例の袋は何年も前から使わない。買い物は分担して持てるように二つ、三つ用意して出ている)に詰めている間に、親を見失った二人の子は急いで後を追い掛けてレジ周りから離れた。

このスーパーには出口に近く小さな食堂を持っている。その前を通りかかった時、中から物凄い甲高い声でギャーと聞こえる長く引き延ばした声が一声、二声。何ごと!と思わず足が竦む。オープンタイプの店内に、なんと、さきほどの二人連れと子供たち。その声の主は変声期前の男の子。よくもあれほど高いキーの声がでるものだ。背筋に凍り付くような悪寒を覚えたまま店を出た。

以上の事はすべて同じ日の出来事。どの一つを取り上げても親は躾を怠っているとしか思えない。この母親を育てた両親はどんな親たちだったのだろう。そして、その親は。やはり私の疑問はここまで遡る。所謂それが団塊の世代と呼ばれる第一次ベビーブームで生まれ出た世代になるのだ。その前が私たち敗戦を体験し、価値基準を見失った世代。現在の世相全体を考察する時どうしても60年の長い道のりを遡らなければ原因を見誤ることになる。

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2005年8月11日 (木)

世論調査とは

毎日新聞(8/10)朝刊から
小泉内角の支持率が9ポイント上昇して46%になり、今回の衆議院の解散を54%の人たちが支持していることを報じている。
設問の中の支持政党を問うた回答で、これほど情けない政党でも「自民軸の政権を望む」と答えたものが50%もいるらしい。

今回私が問題にするのは小泉のことでも、解散のことでも、政党の好みでもない。世論調査それ自体についてである。これまでにも多くのマスメディアが政治に関わる世論調査をしてきたが、回答を求める前に回答者が果たして解答する権利を持っているかどうかの確認作業を行っているのだろうか、ということだ。

西洋料理と日本料理、どちらを好むか、或いは今年NHKが年末の紅白歌番組の製作にどの曲を選ぶか、或いはノミネートされた中でどの映画が一番かを選ぶアカデミー賞などとは全く異なる範疇のものだから。

それは何故か、政治に関する質問(設問)は民主主義の本質に関わる問題を提起しているからだ。回答者が解答する権利を有するかどうかの問いは、政治への参画の権利を有しているかどうかの根本だからだ。どういうことか、真っ先に問わねばならないのは“あなたは選挙で投票をしましたか?”でなければならないのだ。言い換えれば『投票をしなかった人間には物言う権利が無い』ということ。これは投票をしなかったことで当然得られるもの云う権利を放棄したことになるからだ。

ではこのような人間はそのような問いかけにはどう返事するのがいいのか。『私にはもの云う権利はありません、どうぞ、お好きなように』これが正しい回答にならなければならないのだ。これが投票権を放棄する(投票をしないということ)場合の覚悟でなければならず、ああだ、こうだと云ってはいけないことになる。投票する自由(責任)、もの申す権利。何かを云いたいのなら、先ずは投票所に足を運ぶことからはじめなければならない。

調査をするマスメディアの側でも無差別はいいけれど、その内何パーセントの人間が投票所に行ったかを明記する必要を感じて欲しい。それよりは先ず、アポイントを取った上で種々の調査をするようになることを望む。そうでなければただの《烏合の衆》の声になり、不和雷同の日本人特有の中身のない信頼の置けない集計作業に成り果てる。

そういうことで私自身はこの種の世論調査はマスメディアの世論操作としかみないことにしている。


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2005年8月 9日 (火)

中絶胎児は「一般ごみ」か

毎日新聞(8/9)朝刊から
妊娠12週未満の中絶胎児の処理方法について調査した長野県と同県産科婦人科医会(小西郁生会長)は8日、県内の病院や診療所で、昨年度、185件が「一般ごみ」として処理されていたと発表した。
これに対して県では誤解を招く処理法なので、「医療廃棄物」として処理するよう指導した、とある。
同県の県内113施設の産科や産婦人科、診療所を対象に昨年一年間の事例を調査した結果、休業中の2施設を除く111施設からの回答を纏めたものである。

中絶胎児の処理を巡っては、今年5月、横浜地裁が横浜市の産婦人科医院に対し、「廃棄物処理法に違反する」として有罪判決を言い渡している。これは昨2004年、同市中区の産婦人科「伊勢崎クリニック」が朝日新聞のスクープで摘発され取り上げられたもので、原田院長(62歳)も取材で「一般ごみとして処理することは習慣だった」と事実を認めていたものである。このクリニックでは12週以上の遺体処理は火葬埋葬が必要とされる法を無視して遺体を切り刻んで「一般ごみ」として廃棄していた。当然喧々囂々の批難が起こり、裁判に持ち込まれたものだった。

少し考えてみよう。『胎児はいつ“人”になるのか』
‘いのち’の始まりを 
  カトリックの生命尊厳派は 受胎の瞬間
  フェミニズムの自由主義的立場は 出生の時点
  日本の法律では 体外での生存可能な時期  という。

日本の法律で云う生存可能な時期とは22週(155日)以降とされ「胎児は母体外で生命を保持することができる」とみなされて中絶はできないことになっている。【母体保護法(旧優生保護法)】
この法律で認められている中絶の理由とは
  ● 妊娠の継続や分娩が、身体的、経済的な理由で母体の健康を損なう恐れがある場合
  ● 暴行や脅迫によって、またはレイプされて妊娠した場合
の二つで、それ以外での中絶は「堕胎の罪」(刑法第212条〜216条)として処罰規定が設けられている。
 
しかし、実際はどうなっているのか。中絶大国日本とも云われるように、
    1995年 34万件(優生保護統計で未報告を入れると100万件)
    2001年 34、1万件 を超し、
敗戦後、中絶が行われうようになってから3000万人以上、一億人を超えるとも云われているのが実際のようだ。

法律があってもどこ吹く風、(真剣にお困りの法律で認められている人には失礼な表現になるが)気楽にカンパと称して費用の金銭を集める不良少女、浮気のあげくの奥様がた、避妊に失敗しての若者たち、その道ではベテランの筈の45歳以上のご婦人がそれぞれに理由をつけて婦人科に飛び込む。言葉は悪いがそこで掻き出してもらって後は知らぬ顔で医院を後にする。
堕胎の理由もいろいろあって未婚女性では世相そのままに婚前交渉がトップで半数を占め、既婚女性では未婚女性の2位になる産みたくない妊娠がトップ。どちらも気の向くままにした行為の結果だろう。続いて未婚女性では経済的理由、職業上、避妊の失敗、健康上の理由となり、既婚女性では健康上、職業上と避妊失敗が同率で並ぶ。

横浜の例だが、その後の堕胎児の処理については産院任せ。産院の処理をとやかく論(あげつら)うなら(一般ごみ扱いを非難し、未熟でも人間の子だ、人間性を無視したと喚く)何故、退院の時、堕ろした胎児を火葬してでも受け取り、仏壇を作って弔ってやることをしないのか。それこそが子を産んだ親の責任だろう。自分は道ばたの猫か犬同様に産み捨てておいて、産院の行為をなじるのは筋違いと云うものだ。日本の法律では中絶は二つの理由しか認めていないことを知って付き合いをするのが男と女の関係だろう。私は中絶児は臍の緒と同様に、産み落とした親に返すべきだと考えている。そうすれば無責任な妊娠はうんと減るだろう。

横浜の判決は「廃棄物処理法に違反する」として中絶処理した遺体は根本的に廃棄物として認めた上で、「一般ごみ」ではなく、「医療ごみ」として分別処理することを言い渡したものとなっている。
これは日本の法律から見て当然のことで母体外での生存が可能な155日以上にまで育った胎児が人間(いのち)と看做されることを意味している。

夏休みが終わる頃になって慌てて施設に駆け込む不良女子中高生ら少女の姿が目に見えるようだ。

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2005年8月 6日 (土)

高校野球と不祥事

すでに始まっている全国高校野球選手権(第87回)だが、全国の高校の中には不祥事により、甲子園への出場が不可能になった学校が24校もある。直前になって発覚し自ら辞退する明徳義塾(高知)高校を併せれば25校だ。

2001年、大阪のPL学園での繰り返し行われていた部内暴力による6ヶ月間の対外試合禁止処分は世間を驚かせたが、今回不参加の中にも同様に6ヶ月間の対外試合禁止処分を受けた広島の近大福山があり、3ヶ月間の同様処分を受けた高校は南陽(山形)、成城学園(東京)、下関国際(山口)、久留米高専(福岡)の4校に上る。

これほど厳しい処分は受けずにすんだ他の高校では一体何が行われていたのか。その殆どが野球部部内暴力か、いじめ、その他には飲酒、喫煙、万引きだ。[光泉(滋賀)、神戸弘陵(兵庫)、柳川(福岡)、久留米高専(福岡)、日本航空(山梨)は一般生徒への暴力]以上は部員が起こした不祥事だが、

驚くことに指導するがわの部長や監督が起した不祥事もある。丹原(愛媛)では監督が部員の頭をバットで殴り、桐生一(群馬)、多々良学園(山口)、加美農(宮城)、大分鶴崎(大分)でも部員への暴力が起きている。他にも監督責任、引率責任を問われる内容のものもある。

下って部員間での部内暴力、部外暴力、いじめ、喫煙など、目につかないものを含めるとそれこそ多くの高校で行われていると考えなくてはならない。如何に底辺が広がっているか恐ろしくなる。

華々しく活躍した結果、優勝旗を持って吾が町へ帰れば町を上げての歓迎に、15、6、7歳の若者の心に傲慢が湧いても可笑しくない。況して心の修練を親からも指導者からも何一つ躾けられていない今時の坊や、天下国家を治めた気になるのも頷ける。凱旋気分はいつまでも抜けず、我が侭も強くなる。甘えが芽生える。気持ちの問題は際限がない。どんどん増長することを覚える。下級生部員へのしごきはエスカレートする。誰も口に出して止めるものがいなくなる。加えて見て見ぬ振りをする明徳のような指導者が出て来て臭いものに蓋をする。

優勝しなくてもスター選手には黄色い声のファンが群がる。益々増長する。丁度歳は思春期、異性への目醒めも強くなる。男であることを忘れ、鏡を気にし、眉毛を剃り、女のように化粧することを覚える。今大会に集まった選手の帽子を脱いだ頭を見た。全国津々浦々から集まった坊やたち、いっときのようなヤクザのちんぴら紛いの目立つ剃り込みは少なくなった反面、眉は女のように細く釣り上げた形に化粧している。

こうなれば気持ちまで女々しくなり、試合に負けでもしたら、おいおいと泣く。試合など勝つも負けるも時の運、勝った方が強いのに決まってる。七月のブログで書いたが日本中で泣かないで済むのは一校のみ、さすれば泣き声は日本中に響き渡ることになる。こんな女々しい高校野球は大嫌いだ。泣かないでも済む野球をしろ。泣くなら最後に勝って泣け!。

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2005年8月 2日 (火)

すし詰めワゴン車衝突事故

7月30日、午後9時55分頃、北海道鵡川町豊城の道道交差点。
名古屋経済大学(愛知県犬山市)の硬式野球部員の乗ったワゴン車と、同町春日、建設作業員(66歳)の乗用車が出合い頭に衝突した。ワゴンに乗っていた学生一人が死亡、もう一人と乗用車の男性は重体。
と書けば普通の自動車事故だが、このワゴン車には、なんと6人乗りの定員に対して12人がすし詰めの状態で乗り込んでいたらしい。テレビでは面白可笑しく何人が乗れるかチャレンジする番組で、確か20人以上が押し込まれる姿を見たことがあるが、あくまでも詰め込むだけ、走行可能の状態ではない。

それにしても大学生で『定員』の言葉の意味も理解できないとは余りにも情けない。車の機能から考えても2倍の重量が積載された場合、物体の慣性がどう働くかの程度も理解できないで運転することの方が理解できない。
況して視界の不便な夜道に走り出るとは。当初から交通法規も無視する輩たち、恐らく重なり合った騒々しい車内でもあっただろう。運転する人間の集中力が散漫になっていた、と想像するのも易しいことだ。
どちらに不注意があったのか詳しい情報を待たねばならないが、情けない若者たちが絡んでいたことには間違いない。

幼い頃から守るべき決まりがあることも教えられず、躾もされず、自由と我侭をはき違え、勝手気侭に育ってきた結果が招いた惨事だ。

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