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2005年7月 9日 (土)

ある流行歌手の死

毎日新聞(7/9)朝刊の死亡記事。「山のパンセ」「博物誌」の著者、串田孫一と並んで三船浩(75歳)の死亡記事が載っている。
「男のブルース」「夜霧の滑走路」「黒帯の男」など、昭和30年から60年ごろまで、力強い低音の魅力を聞かせてくれた歌手だった。低音だけではなく音域も広くて、澄み切った高音で朗々と歌いこなした。
現在歌手と呼ばれている紛(まがい)の歌い手とは全く質が異なっていた。私たち世代には(昭和一桁)昨今テレビから聞こえて来る音は、音楽ではなく、雑音か、騒音か、鼻歌にしか聞こえない。もう10年、15年も前から年末のNHKの紅白すら聞く(音楽は聞くのが主、ビジュアルは二の次)魅力もなくなっている。
少なくとも歌手と呼べる資質を備えた人間が殆どいないのが現実だ。演歌歌手と呼ばれる人たちの中にはまだ確かな音楽センスや歌唱力を持っている人もいるが、ポピュラー系の歌い手には男女ともに殆ど歌手と呼べるレベルの人間がいない。CD、MD、パソコンからのダウンロードも含め、財布の紐を解いてくれるのは歌それ自体ではなく、歌っている人の嘴の黄色いファン、歌などどうでもよい子どもたちだけ。大人の耳に耐えうるレベルの歌手がいない現実が空しい。

男女とも音域の狭いのを気持ちの悪い、背筋も氷るような声量の落ちた裏声(まるでトイレの中で便器に腰掛けているのじゃないか、風呂場で頭にタオルでも載せているのじゃないかと思えるような)でごまかし、低音は耳を凝らしても音も無く聞こえない口だけが動いている世界。やっと聞こえても音程がまるで外れたものになっている。
自分の作詞になるともっと酷い状況が生まれる。日本語の多彩な語彙(ごい)で詩をつくることもできない己の無知を、安易に横文字でごまかして逃げてしまう。やっとメロディーが浮かんでも日本語の韻を無視したおたまじゃくしが泳ぎ始める。我が物顔でテレビはコマーシャルに気持ち悪くなる裏声の歌を流し始める。途端に音を消すか、そこでテレビを見るのを諦める。背筋に冷たい悪寒だけが残る。

どう仕様もないのかも知れない。アナログはディジタルになり、CDからMD、iPodへと便利性だけは進んだが、音は悪化する一方だ。ディジタル写真がどんなに綺麗でもやはり銀塩写真には勝てないのと同じ、音も細工して細かく切り刻んでも鋸の刃は鋸の刃、滑らかなアナログには勝てない。それでも業界が潤っているとすれば、それほどに現代人の耳は退化しているとしか思えないのだが。

以前はNHKののど自慢は情け容赦なかった。一声発しただけで下手な奴には鐘一つをお見舞いした。歌とはそれでレベルが明確に解るのだ。ところが現在この番組は出演者への同情番組になった。或いはNHKが出演者、視聴者に媚びを売っているのか。老人ホームのカラオケに、ふざけた若者のカラオケ・ボックスに。書くために無理して聞いてみる。局側は多くの人に鐘を連打してサービスするが、私には何度聞いてもその鐘の連打に値する歌い手は出て来ない。慰安旅行の隠し芸レベルだ。しかし、これが今の日本の歌手たちのレベルで自分が歌手だと云えばそれで歌手なんだ。あとは何も解らない子供達がどれだけ騒いでくれるかだけ。

三船浩、代表的な低音の魅力を備えた男の歌手。今の日本には怒鳴るのではない、叫ぶのではない、男の声帯を備えた男の歌手が全く存在しない。


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