梅雨明け
梅雨明けと同時に若者の死。
千葉の海岸で昨日(7/18)遊泳禁止の海で泳いでいた高校生(17歳)が行方不明。
この先夏休みに入る直前のこと、これからの長い夏休みには、どれだけ多くのこのような死亡記事が報道されるだろう。痛ましいとは少しも思えない当然の結果で、大人は事故の起こることを事前に予告しているのだ。警告を無視しての自ら招いた死だ。荒れる海で泳いだのは彼の自由、平常泳ぎ慣れた海であったろう。自信もあったのだろう。テレビの画面に映し出された海面は結構波が高く、うねりも大きく見えた。行方不明になった時刻にはどうであったかそれこそ不明だが、遊びに適した状況でないことは日本海の荒波で育った私には十分に解る。
「禁止」されているからこそなまじ泳ぎに自信のあった彼は入水したのだろうが、本当に自分の泳ぎを知っていればふざけ心では入らなかったろう。
禁止されていても泳ぐことは自由だ。だが、自由には「責任」がくっ付いていることはブログでも繰り返し述べて来た。責任が取れるから自由が許されるんだ。彼の場合、当初から溺れることを覚悟していたとしか思えない。それが泳ぐことを禁止された荒れる海で泳ぐことの「自由」なんだ。どんな同情もする必要はない。放っておけばその内荒れた海で泳いで満足した顔でどこかの海岸に流れ着くだろう。
親が忘れた教育、こんなこと学校で教えることじゃない。その前に親がまっ先に教えることだ。これから長い長い夏休みが始まる。親は心して総ての行動で子どもを守ってやるべきだ。
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