まさか!
同じく毎日新聞(7/21)夕刊より
「空襲被害データベース化 全国から資料集めネット公開 総務省10月からスタート」
まさか!目を疑った。敗戦後60年、国は一体何をやっていたのか、6月のブログ《敗戦後60年》で書いたのは、将にこのことだ。敗戦で終わった事実を終戦と言い替え、やれやれ、ほっとした、で済ます。責任は誰も取らない追求しない。真珠湾攻撃から始まり、原爆投下で敗戦となった四年間の事実の総括は何一つしていない。
八紘一宇だの大東亜共栄圏だのと口にし、そのために大東亜戦争と称して“聖戦”を錦の御旗とし、緒戦の勝利を大活字にかかげ、“撃ちてし止まん”“一億一心火の玉だ”“欲しがりません勝つまでは”と国民挙(こぞ)っての協力を呼び掛けたマスメディアもまた、自らの責任は敗戦を切っ掛けに固く口を閉ざし、ほんの一握りのトップ人事の引責だけでお茶を濁した。(このことはその後、民主主義の波が大きくなり過ぎた1960年の安保闘争に慌てたメディア七社は共同声明を発して“議会制民主主義に戻れ”と呼び掛け、その後の日本の右傾化して行く道筋をつくった。その体質は戦時中の権力への迎合と何一つ変わらない。)
全国200箇所以上の市町村に及んだ空襲による犠牲者は50万人以上とも云われ、これまでにも各地方自治体や、民間団体が記録づくりをして来ているが、国が国土への空襲と云う出来事の集計に60年の時間を無駄にして、国家規模での纏めをしていなかったなど、信じられない。この間には体験者の数も多く減り、長い空白はその他の事象と同様記憶を鈍らせ、粉飾させ、果ては浄化させる。総務省は何をしようと考えているのか。単に各地方自治体の集計したものを纏めるだけなら余りにも情けない、こんな作業なら何十年も前に終わっていなければならない初歩の初歩の作業だ。今になって思い出したように重い腰を上げようとは、しないよりは益し、と云う程度のものだ。
広島市立大学(広島平和研究所)の田中利之教授は「東京大空襲だけが注目されて来た感があり、全国の記録を網羅することは意義がある。市民への無差別爆撃がなぜ許されたのか、世界各地で続く空爆をどうしたら止められるのか、今につながる活用を考えて欲しい。」と云う。
私はそんなに東京大空襲だけが注目されて来たとは思わない。少年時代に関西の海軍基地のあった地で空襲を体験し、何十条のサーチライト(夜空の機影を捕まえ、高射砲の目標設定を定めるために使われた探照灯)に浮かび上がるB29を見ては山の防空壕に逃げ込んだ経験から、全国の被害には敗戦後も自分なりに情報を知ろうとして来た。また、恨みがましく市民への無差別爆撃を云うが、先鞭は支那(現中国)に於ける日本軍が始めたことで目指す所は戦争の早期終結で、アメリカの云う原爆投下の理由づけに引用されている。要は地球上に多民族がそれぞれの国を創ってきて、利害、損得の駆け引きが(現在の例で云えば石油)引き金になっていて、正義などと云う言葉はまやかしの言葉だし、諦観から云うならば、愚かな人間の住む限り世界平和は「大いなる幻影」(第一次世界大戦を描いたフランス映画:1937年製作)でしかないのかも知れない。
千鳥ケ渕の昭和館(東京都千代田区九段)、これだって平成11年3月27日の開館という遅きに失した感はあるが、戦中・戦後の国民生活に関してや、太平洋戦争の資料も揃えられたり展示されて、何時でも誰でも見られるようになっていて、私も同世代の妻(大阪で空襲を体験)と何度も出かけてはお互いの悲惨な失った青春時代を振り返ることもある。
総務省の作業は完成を三年先を目処(めど)にしているようだが、今になって何を付け加えようとするのか、集計だけに三年は掛け過ぎだし、記憶として表現可能の世代の空襲体験者はどんどん数を減らして行くのに。
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