勿体無い
毎日新聞(6/20付)記事より。
ノーベル平和賞受賞者のケニア副環境相、ワンガリ・マータイさんが提唱した『mottainai』が、日本の11府県、民間まで含めると18都道府県で「もったいな運動」としての輪を拡げようとしている、と紹介されている。世論調査によると運動について
共感すると答えた人が 81%
共感しない、 が 9%
「共感する」を年代別にみると40歳代が 90% と最も高く
20歳代が 63% と最も低い
外国人から指摘されて、何を今さらと思う気持ちが残念ながら非常に強い。
20歳代の人間が、この問題に強い共感を抱けないのは、町中に見られる安かろう悪かろうの使い捨てレベルの商品の氾濫に慣れてしまった結果だろう。若年女性層向けの商店の前を通ると、嫌でも外まで臭って来る安物香水の吐き出したくなるような臭い。世間で売られている商品の8割は女性購買層のものと見て、すぐに飽きるであろう色物の綿布、脳のないデザイン、当った商品が出ればその商品の“もどき”。
今までの流行もので日本女性の体形からただ一つ、ミニスカートだけは似合ったものだと思う。足が短く(世界でも特に短い人種)ずんぐりむっくりの体系には、このスカートは良く似合った。ただ現在の露出狂に近い好みはもったいないじゃない、みっともないだけのものに成り下がっている。
これは螢が異性を呼ぶ尻の灯に似て、男たちを誘惑する標(しるし)に見られても仕方のないほどのものだ。だからと云って痴漢を認めているわけではないが。
勿体無いのは日本人が己の美徳を忘れて何十年、無為に過ごして来たこと。使い捨てがもてはやされたバブルの時、逸早く訪れた破綻とその反動に慌てふためいた時、何故自分自身で気付かなかったのか。
私の亡くなった(明治生まれの)母は、何時も押し入れに体を半分潜り込ませて何かを取り出していた。少年だった私には襤褸(ぼろ)としか見えない布切れは、見違えるような寝巻きに変わり、弟たちの浴衣に変化した。
父(同じく故人)の数少ない皮靴は何度も底の皮を張り替え、15年から20年は履き続けていた。私の革靴も父には負けるが長くて十年は持たせている。最近のゴム底でも磨り減れば自分で補修する。自分に馴れ親しんだものは無闇に捨てるには愛情が湧いて無碍にできない。最近はリサイクル・ショップがあるが、要は次に何を買うのかを計算しての予算増しに使うだけの算用だ。結果は消費するだけの話。私のコートは着用を始めてすでに40年になる。その間、煙草で開けた穴を修理し、鍵裂きを埋め、破れたポケットの裏は短くなり、襟は多少色落ちしているが、まだまだお払い箱にする気はない。
人に指摘されて動くしか脳がない日本人には愛想が尽きる。
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