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2005年6月21日 (火)

児童虐待 二

ところで、虐待の定義ってあるのだろうか。精神的なもの、肉体的なもの、個人的なもの、集団的なもの、などなど。

⑴昔の小学校には必ず立っていた銅像、二宮金次郎(成長して二宮尊徳)
柴刈り縄綯(な)い 草鞋(わらじ)をつくり 親の手助け弟を世話し 兄弟仲良く孝行を尽す 手本は二宮金次郎
彼は背中に刈った柴を背負い、山への行帰りに歩きながら読書をするしかなかった。これを全部毎日のように自発的にこなしていたのだろうか。草鞋を綯うには綯う時間以上に藁を柔らかくする為に槌で打つ作業の方に多くの時間が必要なのだ。手助けというには一足作って足りるものではなかっただろう、恐らく弟たちを寝つかせてからの作業になり、寝る間もない夜通しの作業と見られる。これを親がさせていて、反抗せずに処理していたら、やはり虐待というのだろうか?

⑵室町期の画僧で水墨画【天橋立図】で有名な雪舟
彼が幼年期、悪戯をした時、堂の柱に後ろ手に括りつけられ、独りぽっちになり、寂しくなって床に落とした涙の粒を足の指を使って床に鼠の絵を描いた。許しを与えに来た僧がそれを見て驚き、それが切っ掛けになり、絵に目覚め、やがて長じて中国(明)にまで渡って絵の修行をし、三年の後帰国。
幼年期の柱に括りつけられた行為はやはり虐待と呼ぶのだろうか?

毎日新聞夕刊(6/20付)
児童虐待三万件超す。通告対象の拡大で相談処理が一気に増加した。ここで云う一件の数え方だが一人の個人について何度相談しても一件処理なのか、その都度合計するのか、解らない。加算方式なら内容は随分変わる。

そして、私は小学生時、先生から“こら、廊下に立っとれ!”と命じられ、その時間が終わるまで立った経験がある。当然、自分の悪かったことは承知してしいるからバツで虐待とは考えない。恥ずかしくて親には報告することはしない。今はひょっとしてこれさえも虐待なのだろうか?

敗戦後、左翼思想の普及から人権が声高に叫ばれ、労働組合の発展は日本の労働者の意識を向上させた反面、労働貴族(労資協調主義の大企業の特権的な幹部)なる階級が生まれるほど組合内部の乱れもまた大きくなった。
特に今でも叫ばれる「人権」「人間的」なる言葉が“錦の御旗”として大手を振って罷り通り、その悪弊は未だに麻原を生き延びさせ、被害者以上に加害者を保護し、世の中の多くの被害者を或いは家族を苦しめている。
加えて戦勝国から与えられた個人主義思想は60年後になっても日本には根付くことなく、放任主義とでも勘違いしたらしく、自由の本質である責任に気付くこともなく、親もそれを教えることもできず、結果的には家庭の崩壊を招くことになっているのが現状のようだ。

私は家を持つことが出来たが、そして子ども(当時小学五年生)の個室も用意したが、鍵をかけることは許さず、子どもの部屋への親の出入りは可能にした。親の子どもへの監督責任として当然の義務と考えるから。私が無断で出入りしたことは一度もないが、妻は息子が高校生の頃、余りに女性に無関心なことが心配で、こっそり入室したことがあるらしい。

小さい時からの細やかな子どもへの接触もなく、金品だけで吊って来た親たちには口をきくタイミングも図れず、ただ見ているだけで時間ばかりが過ぎて行く。そして、遂にどうにもならなくなって来て、手を出す。
・・・つづく

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