« 児童虐待 二 | トップページ | 児童虐待 四 »

2005年6月24日 (金)

児童虐待 三

事件が起こった。15歳少年の親殺し。
今のところ詳しいことは未だ解らない、ただ少しばかり出て来た情報で、父親との確執があったことが解って来た。しかし、今はもう存在しない父親の言葉は聞くことができない。これからの情報は全て少年の片側通行のものでしかない。父に馬鹿にされ、頭を押さえ付けられてお前は頭が悪いと云われた。日曜も夏休みも、食事の用意や掃除でこき使われた、云々。

私も小学校の六年間に三度の引っ越しを経験した。瀬戸内海寄りの街から、日本海側の街へ。事件の少年と同じかどうか、幼い私は引っ込み思案の性格であった。父親の仕事を詳しく理解していた訳ではないが、寂しくはあっても何処の家庭にもあることだとの認識があり、父が求められて新しい工場へ行くことを母から聞いた記憶もある。私は決して頭の良い子ではなかったが、当時の少年の多くは軍人になることを夢に見、陸軍大将に、海軍大将になることを望んでいた。男には大きな目標があった。しかし、

1945年、敗戦を切っ掛けにして社会が激変する。アメリカの空襲、原爆によって焼野原になった日本に元軍人が、軍属が、或いは外地に出向いていた人たち家族が荒れ荒んだ心で帰還して来た。一気に膨れ上がった人口はその日口にする食べ物も無くなっていった。戦争中にも経験しなかった程の食料不足が到来し、飢餓が広がって行った。その時1946年から1951年までほぼ6年間にわたって前年まで敵国であったアメリカからの資金援助「ガリオア」「エロア」の総額12兆円(内無償9.5兆円)--いずれも現在価値--が投入され、引き続き1946年11月「ララ物資」が(当時小学生であった人たちには脱脂粉乳の記憶があるだろう)国際NGOから、1948年から55年までは「ケア物資」が食料品、菓子、コーヒー、紅茶、砂糖、石鹸などの日用品をなどを援助してくれた。
そんな中1947年10月11日東京地方裁判所、経済統制担当・山口良忠判事(当時34歳)が闇食料を拒否し、主義を貫いて餓死した。日本はそれほど苦しい毎日を送っていた。

このブログを立ち上げる思いの一端は、ずっと心に蟠(わだかま)っていた一桁生れの責任を吐露したい気持ちにあった。日本中が飢餓状態にあったちょうどその頃に私たち昭和一桁の人間(20歳から11歳)が、時代の流れの中で価値観の喪失を味わうことになった。男として死ぬことを、国に殉じることを教えられた戦前の価値観が否定され、新しい価値基準を見出せないまま一日一日が過ぎ去る生活が続いた。本来ならば多感な少年期、青年期に吸収、成長するべき人間形成はできず、暗闇を手探りで、しかも飢えとの戦いの中で生きることに精一杯になっていた。大人たちはもっと苦しい生活(膨れ上がった人口で失業者は街に溢れ)を強いられ、子どもを飢えから守ることで家庭を顧みることもできず、ただ働けるものは我武者らに働くだけだった。本当ならばしっかりした価値基準を持ち、ものの善悪を説くことのできる人間として次の世代を育てる責任と義務があった筈だった。しかし、疲れ果てていた大人たちにはそれが出来なかった。

その渾沌とした混乱の中で育ち、大人になった人間のうち、確たる価値基準を持ち、次世代の親(現在の若い親のもう一世代上の)を育てあげることのできた人は恐らく少ないだろう。そうでなければ現在ほど情けない姿の日本にはなっていない筈だ。その世代として敗戦時の過渡期、そこで生きた人間として現在の日本を作った遠因はわれわれ昭和一桁にもある気がしている。現在起こっている少年犯罪にしても、児童虐待にしても、事件は結果でその結果ばかりが取り上げられて上っ面の因果関係は論じられるが、もっとしっかりと世代間の関係を掘り下げた原因にまで遡って社会の深層を分析をする学者もまた出ていない。現在の現象は戦後60年間に溜まった膿が噴出しているものだと考えている。

携帯電話に余計なものがくっつき、わざわざ顔を見ないでも、言葉を発しなくても、聞かなくてもメールで済み、誰も不満に思わない。乳児期から育てるのは一時預かりの他人、苦しい苦しいと云いながら家の中はブランドものが増えて行く。冒頭の15歳にもなった少年も家の用事、手伝いを“こき使われた”としか理解出来ない。働く親の生活は目に入らないのではなく、目に入れない。現在起こっていることの大半は(全てと云ってもいいが)家庭での父親の権威失墜と、両親揃っての社会的価値観の不足にあるだろう。(ここでは敢えて母子家庭については触れない)家庭での会話の不足は両親の側の善悪の判断不足、公私の判断不足があって子どもに明確に教え諭すことができない。結果は聞かされる子どもは全然納得しない。どんどん意志の疎通は出来なくなって行って理解しあうことがない。最後にはお互いに暴力に頼るか無視するかの極端な対処になって行く。
優しいだけの父親は駄目、猫可愛がりの母親はもっと駄目。父と母の役割分担を考えてみる時が来ている。・・ひと休み

|

« 児童虐待 二 | トップページ | 児童虐待 四 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 児童虐待 三:

« 児童虐待 二 | トップページ | 児童虐待 四 »