躾け
2001年の参院選に立候補した芸能レポーター、通常‘鬼さん’と呼ばれていたそうだが、スポーツ、役者、歌手、キャスター、漫画家、作家ら大勢のタレント候補(6/26付)と共に見事落選、うん、むべなるかな。(うべなるかな、とも云うが、若者には聞きなれない言葉だと思う。パソコンを操作できれば意味を知るのは易しいことだよ。)その後一向にテレビで見なくなった。この人のレポーター時代の出来事、千葉県を走る電車内で‘鬼さん’には傍若無人に見えたらしいが、高校生らしき数人が座っている前で三歳ぐらいの女の子が「外を見たい」とべそをかいていたらしい。止せばいいのにこの‘鬼さん’その高校生に向かって席を立ってやるように声をかけたらしい。
高校生たち、席を譲ったかどうか聞き漏らしたが、次の駅で降りた‘鬼さん’はついて降りて来た高校生に乱暴を受け腕に傷を負った。テレビは仲間意識で大々的に報道し、‘鬼さん’はその包帯を巻いた手を自慢げにカメラに見せた。
本当に余計なことをしたもんだ、次の日テレビ局にメールを送ったがどう読んだのか知らない。なぜ、余計なこととして‘鬼さん’をバカ扱いしたか、三歳にもなって愚図る子を躾けられない親をこそ注意するべきだからだ。同じような風景は幾らでも日常見かける。私の子は逆に大人に席を譲ることを教えて育てた。三歳、四歳となって座る席がない時には親が注意しなくても進んで大人に席を譲る子になってくれた。なぜか、子どもは大人と違ってその時どんなに疲れていても、次の日にはけろり、と回復する力を備えているからだ。泣いている子供がいても席を譲らないと、親は周りを見回しながら何時までも泣かせる。三歳になれば立派に自分の力で子どもは立てる。私は目の前でどんなに泣かれようが自分で立つことのできる子どもには絶対に席は譲らない。
この現象の裏返しのような出来事もまたとてつもなく多い。電車が停まってドアが開く、親が子どもの背を押す、子どもは人を押し退け、掻い潜り、空いている席を見つけると両手を広げて親の席を確保する。これほどバカな育て方をするのが今の日本の親たちだ。いや、そうじゃない、親も全く同じことを毎日のようにやっているのだ。空いた車が停まる、走ること走ること、我れ先を争って走り込んで尻を降ろす。どれほど醜くく浅ましいことをやっているのか解っていない。この親にしてこの子ありだ。私は電車で通勤して数十年、どんな時も走り込んだことはただの一度もない、断言できる。一時間やそこら座って嬉しくもない。それよりは立ったままで本を開いて活字を追い掛けている方が余ほど充実できる。おかげで吊り革にも、手すりにも掴まらず、余ほど激しい揺れでもない限り、ふらつかないで済むバランス感覚が実についた。
電車内での馬鹿女の化粧は書いた、携帯電話のことも書いた、しかし、まだ書くことは幾らでもある。
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