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2005年6月11日 (土)

スーパー、レストランで

私が今住んでいるのは人口約30万人の東京近郊の街。二度目の退職を済ませ、好きな音楽を聴き、読書、或いは趣味の美術書を眺めて毎日を送っている。
一週間に二度、ほぼ決まった曜日に妻について食料品を中心とした買い物に出かける。たまに妻の手を休めるためにレストランに寄り道し、軽食を口にしてから帰宅する。妻専用の運転手である。

さて、外出した当日は兎に角スーパーでも、レストランでも(今風に崩れた日本語を使えば、スーパーとかァー、レストランとかァー、である)殆どは女性客(年令に関係なく)で占められている店内が、これほどまでにマナーに欠け、躾に欠けた親たちで占められていることに驚いた。あちこちで大声を出して親を呼ぶ子ども、“ママー”、たまに一緒にいる“パパー”。ここは日本だぞ! 見てみると、“お母ー”“お父ー”が似合いそうな親子でも。このブログを開設して、処女記事はこれだった。わが子を育ててからその後35年の間聞けなかったが、今年になって“お母さん”の声を若い母親が三歳くらいの女の子にそう呼ばせている場に逢った。なんと、綺麗な言葉だったことか、思わず声を掛けずにいられなかった。“ママなんて、云われたら気持ち悪い”その母親は口にした。しかし、今回はそれを云いたいのではない。ただ、自宅にいて親を呼ぶなら喚こうが大声を出そうが一向に構わない。母親を呼ぶだけならまだいい、棚に並べられた品物の間を走り廻って叫ぶ、“ママー”、見つからなければ火が点いたような声を張り上げる。それを注意する親を殆ど見たことがない。公共の場であることを認識している親がほとんど見かけられない。自分の子どもであれば可愛いいだろうが、他人の子どものこのような姿が好きな他人はそうはいない。我慢ならずに、怒鳴りつけたことが再三ある。『五月蝿い!』その時の親の子どもへの言い種が、『怖い人だから・・・」で、他人への迷惑になることを教えられない。躾の出来ない親の典型である。

その親は商品を手に取り、期限のあるものは賞味期限を確認、次から次に手に取って手前が山になる。きちんと包装されているものは良い、裸の果物や野菜類はどうなんだ、何を基準にして選別しているのか知らないが、これも手垢だらけにして捨てて行く。だから裸で売られている果物や野菜類はどうしても買う気になれない。どんな人間が触ったものか不潔窮まりない。そうかと思うとあの大きなカートを並べて二列になって歩いて通路を塞ぐ、商品の前で立ち止まって長話しをする、人が通り難くて困っていても避けようともしない。

時には家族でレストランに食事に来る。やはり店内が自宅ではないことを教える躾ができていない。子供達がわいわい騒いでいても注意できない。子どもの大声にかき消されるため、親も調子を合わせて大きな声を張って話し合う。食事どきに口を開くと父親から叱られて育った世代には慣れようとしても難しい風景だ。これだって自分の家での食事風景ならこういう時代になったことぐらい理解できる。外に出て知らない人たちに混じっての食事どきのマナーぐらいちゃんと躾けることの出来る親であって欲しい。このようにレストランでも我慢ならず叱った子がいる。もう小学生でも高学年と思われる二人連れの女の子。裏に滑車がついて滑るように動く靴を履いたままレストランに入り、狭いテーブルの間をぐるぐると廻り始めた。私の横を通り抜ける三度目、思わず怒鳴っていた。『ここは遊び場じゃないぞ!』連れて来た親はレストランに入る時注意もしなかったようだ。食事をしている人の邪魔になり、埃の立つことも考えられない親と子。

今日もまた、何処かのスーパーでは“ママー”の叫びが谺しているだろう。


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