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2005年6月 2日 (木)

フィリピンで想う

元日本兵か? 一斉に色めき立った記者たちが、(とは言えないテレビで平常タレントの糞のようなゴシップを追い掛け回している連中までが)大挙してフィリピンに飛んで行った。結果、大山鳴動して鼠一匹で終わったような始末。今の平和な日本を象徴するような出来事と思っている。何か珍しそうなものを追い掛け回してニュースにし、面白可笑しく報道する。
昭和47年、横井さんが、二年後の49年に小野田さんが、それぞれグァムとフィリピンのルパングで発見されて日本に戻って来たが、二人とも日本軍人の精神を生き抜いての結果だった。一人は敗戦を知らず、一人は上官の命令がないままに。共通しているのは当事の日本人の精神構造であった‘葉隠れ’の精神であった。「武士道とは死ぬことと見つけたり」これを日本の軍隊は利用した。云う、『生きて虜囚の辱めを受けず』と。現代の若者たちには想像もできないだろうが横井さんが帰国して発した言葉、「恥ずかしながら生きて戻って来ました」は自決もしないで戻ったことに対する自虐のことばなのだ。

「えっ、うそだろう、と云う感じ」と云った小泉首相。歴史認識の乏しいこの人には日本の戦争のことを総括して口にするだけの知識も持たず、己の靖国参拝の根拠にする理由説明もできず、感覚だけでものを云っている気がする。「きけわだつみのこえ」を読んで感動した!。この人感動だけはするらしい。相撲を見て感動した!
「きけわだつみのこえ」は若い学徒兵たちの遺書なんだよ、親を家族を兄妹を、そして日本の将来を憂えての心情を綴ったものだ。彼等が何故死ぬことになったのか、誰が指揮したのか、誰が命令したのか。読んで感動したのは何にか?彼等を犬死に終わらせないにはどうすれば良いのか?あなたのようにアメリカに尻尾を振っていれば良いのか?
「人間の条件」「戦争と人間」「ノモンハン」などを書いた五味川純平が、矢折れ、刀尽きてこれ以上は書けないと筆を擱(お)いたのは、深く書けば書くほどに戦争責任について触れてはならないその人のことを、書かざるを得なくなる究極に来ていたからなのだ。このように日本の戦争責任は有耶無耶のままに幕を降ろし、それ以来日本人の仏ごころは深追いをすることを止めてしまった。それが靖国に居座る東條たち戦犯の姿なのだ。

同じ敗戦国でもドイツと日本は大きく違う、大袈裟に云えばドイツ人はヒットラーを頂点にして、ナチスの犯罪を徹底的に自分達の手で追い掛け、それこそ地の果てまでも追求したのだ。一方日本は自分達の手では何一つ裁くことをせずに、(悪いのは戦前の教育、とばかりに神話を拒否し、進歩的と自らを宣う(のたま)う学者先生たちは昔を切り捨て、日本の歴史を660年短くした)“死んだ者は仏さま、神さま”で蓋をしてしまった。ある雑誌に投稿したことがあるが、死者に鞭打つことのできない日本に健全な将来はない、と書いたことがあるが、今でもその考えは変わらない。

いや、全く横道に逸れて話を進めているようだ。今回の話はフィリピンのミンダナオで発見されたとされる元軍人のことから常々考えていること、腹立たしく思っていたことを書くのが目的だった。もしもその人たちがそうであるならば、その人たちの戦争はまだ終わってはいないだろう。同じように私の心にもまだ戦争は生きている。戦死した親族のこと、私にはもう親は生存していないがそれよりも何十年も先に死んだその人のことが鮮明な記憶として胸の中にある。それがフリピン沖海戦だ。

南の島には数え切れない数の日本軍人の骨がまだまだ埋もれている。私にはそれらの島の何処を踏んでも骨の上に足を置く気がするのだ。グァムしかり、サイパンしかり、ニューギニアしかり、フィリピンしかりである。なんでその地に遊びに行くことができるものか。戦争が負けて終わってまだ60年しか経っていないのだから。戦争を教えない教育、だから知らない人間が増え、平和馬鹿になった日本人はそれら南の島に、ハワイにと羽を伸ばし、大して違わないレベルの大リーグに憧れ、打った打ったと大騒ぎする。どんなに騒いでも10本に7本も打てていないんだ。

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