酒とタバコ その五
厳しくなったと云う道交法の改正も、健全な運転をしているドライバーから見ればまだまだ酒飲みに甘い感は否めない。はっきり云って酒の上で人を殺した犯罪者には二度と運転をする機会を与えないだけの法にするべきであろうし、或いは一歩譲っても欠格期間を終えて免許の再交付に当っては、ナンバープレートを例えば真っ赤なボードにして殺人の前科を明らかにさせるなどの手段を取るべきだ。アメリカでレイプ犯などの危険な前科のあるものに社会的制裁を加えるように。
酒を飲むのは自由だし、事故を起こした結果本人だけが死んでくれるなら当然の酬いで済ませることができる。それが民主主義の責任の取り方でもあるのだから。自由と責任が同義語の関係にあることを理解できないで、ただ野方図な勝手気侭をする酒飲みに同情する必要はない。極論すれば深酒をした結果、道路に寝込んで轢き逃げに逢っても自業自得、車を運転していた運転手こそいい迷惑というものだ。明らかに悪いのは寝る場所でもない道路に寝込んだ方の交通妨害であって轢いた方じゃない。一時、当り屋なる商売で生計を立てざるを得ない人たちがいたが、酔っぱらって道路に寝て視界の悪い夜道で「車はすぐに止まれない(標語)」状態の車に轢かれるのは当然と云えば当然のこと。
はたまた、飲まされた結果の事故であれば、飲ませた方にこそ傷害犯或いは殺人犯としても裁きを受けさせるべきであろう。いわんや事故の範囲が自分だけでなく他人を巻き込む危険性のある人間には二度と車には乗せるべきではない。安っぽい同情や、改心を期待するべきではないし、そのことが将来当事者の死活問題となるとしても自分の蒔いた種だ。
煙草税、酒税の昇率が話題になったが、どちらももっと上げて良い。1950年12月、(敗戦5年後の国民は貧乏のどん底で喘いでいたが、6月に朝鮮戦争が勃発して日本の産業界は息を吹き返しつつあった年)時の大蔵大臣池田勇人が国会答弁で“貧乏人は麦を食え”なる発言をして物議をかもしたことがあった。その頃の日本の労働者の賃金は世界に冠たる安月給の時代であった。特に中小企業で働く人間には残業手当すら支払われないことも珍しくなかった。給料を配り終えた上司が若い部下の社員に向かって口にした。“お前たち、コロッケを食うだけの給料しか貰ってないんだ、高い肉料理なんか食うなよ”。一理あった。口々に安月給を呪いつつも慎ましい生活を続けた時代だった。(それから55年、日本は世界でもトップの高級取りが多い国になり、ネコもシャクシもブランド物を買い漁る連中が出る一方で、安い人件費を求めて外国に工場を作らざるを得なくなっているのが実体。このことは又、いずれ別に項を設けて書いてみたい。)
酒、煙草税が増え、高い嗜好品になっても飲みたいものは飲み、喫いたものは喫うだろう。もしもそれが生活を圧迫するのなら量を減らせばよい。世の中の空気も綺麗になり、酒飲み運転、酒気帯び運転も少しは減って、人を傷つけたり殺す者も減り、経済損失を蒙る国家財政も少しは軽くなる。 ---おしまい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント