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2005年5月28日 (土)

酒とタバコ その五

厳しくなったと云う道交法の改正も、健全な運転をしているドライバーから見ればまだまだ酒飲みに甘い感は否めない。はっきり云って酒の上で人を殺した犯罪者には二度と運転をする機会を与えないだけの法にするべきであろうし、或いは一歩譲っても欠格期間を終えて免許の再交付に当っては、ナンバープレートを例えば真っ赤なボードにして殺人の前科を明らかにさせるなどの手段を取るべきだ。アメリカでレイプ犯などの危険な前科のあるものに社会的制裁を加えるように。

酒を飲むのは自由だし、事故を起こした結果本人だけが死んでくれるなら当然の酬いで済ませることができる。それが民主主義の責任の取り方でもあるのだから。自由と責任が同義語の関係にあることを理解できないで、ただ野方図な勝手気侭をする酒飲みに同情する必要はない。極論すれば深酒をした結果、道路に寝込んで轢き逃げに逢っても自業自得、車を運転していた運転手こそいい迷惑というものだ。明らかに悪いのは寝る場所でもない道路に寝込んだ方の交通妨害であって轢いた方じゃない。一時、当り屋なる商売で生計を立てざるを得ない人たちがいたが、酔っぱらって道路に寝て視界の悪い夜道で「車はすぐに止まれない(標語)」状態の車に轢かれるのは当然と云えば当然のこと。

はたまた、飲まされた結果の事故であれば、飲ませた方にこそ傷害犯或いは殺人犯としても裁きを受けさせるべきであろう。いわんや事故の範囲が自分だけでなく他人を巻き込む危険性のある人間には二度と車には乗せるべきではない。安っぽい同情や、改心を期待するべきではないし、そのことが将来当事者の死活問題となるとしても自分の蒔いた種だ。

煙草税、酒税の昇率が話題になったが、どちらももっと上げて良い。1950年12月、(敗戦5年後の国民は貧乏のどん底で喘いでいたが、6月に朝鮮戦争が勃発して日本の産業界は息を吹き返しつつあった年)時の大蔵大臣池田勇人が国会答弁で“貧乏人は麦を食え”なる発言をして物議をかもしたことがあった。その頃の日本の労働者の賃金は世界に冠たる安月給の時代であった。特に中小企業で働く人間には残業手当すら支払われないことも珍しくなかった。給料を配り終えた上司が若い部下の社員に向かって口にした。“お前たち、コロッケを食うだけの給料しか貰ってないんだ、高い肉料理なんか食うなよ”。一理あった。口々に安月給を呪いつつも慎ましい生活を続けた時代だった。(それから55年、日本は世界でもトップの高級取りが多い国になり、ネコもシャクシもブランド物を買い漁る連中が出る一方で、安い人件費を求めて外国に工場を作らざるを得なくなっているのが実体。このことは又、いずれ別に項を設けて書いてみたい。)

酒、煙草税が増え、高い嗜好品になっても飲みたいものは飲み、喫いたものは喫うだろう。もしもそれが生活を圧迫するのなら量を減らせばよい。世の中の空気も綺麗になり、酒飲み運転、酒気帯び運転も少しは減って、人を傷つけたり殺す者も減り、経済損失を蒙る国家財政も少しは軽くなる。 ---おしまい。

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2005年5月26日 (木)

酒とタバコ その四

しかし、本当に云いたいことは、タバコに比べて酒が持つ決定的な社会的犯罪性について、或いは凶悪性についてである。この原因は酒飲み天国日本とでも言えるほど酒飲みに甘い社会的意識の低さにあり、「酒の上のこと」としてその犯罪性すら見過ごす土壌が存在することにある。

例えば飲酒、喫煙ともに成人に限って許される法律があるが、多くはそのどちらも見て見ぬ振りで見逃されるケースもある。明らかに両者に違いがあるのは酒に限って年令制限以外にも種々法の元に社会的な制約が課せられていることにある。例えば、

 酒酔い防止法(昭和36年7月1日施行)
  第2条 すべて国民は飲酒を強要する等の悪習を排除し、
    飲酒についての節度を保つように努めなければならない。
 道路交通法 (昭和35年施行)
  第65条 第1項 酒気帯び運転の禁止

諸外国には全く飲酒を認めないイスラム教国や、逆に規定を定めないポルトガルのような国もあるが、概ね16歳から日本のように20歳を最低年令とするのが普通だが、ドラッグ王国アメリカでは従来18歳であったのを21歳に引き上げて、何んとか経済損失を抑えようとした国もある。面白いのはイギリスで、食事と一緒の飲酒は16歳で許され、そうでなければ18歳まで飲むことができない決まりになっている。

酒に関する法の存在は、それだけ酒のドラッグ性を認識させるためであり、ひとたび犯罪や事件に結びついた場合の結果は恐ろしいものになる。平成14年6月1日に改正されて厳しくなったとは云え、酒の習慣性を考えればまだまだ生ぬるくもあり、酒による事故は全く減るとは思わない。

従来は規制されていなかった酒気帯びの
 ●アルコール濃度0.15〜0.25㎎/㍑を対象に懲役一年以下、罰金30万円以下、減点6点。
 ●アルコール濃度0.25㎎/㍑以上はそれぞれに一年以下、30万円以下、13点となり、
 ●悪質な酒酔いには懲役三年以下、罰金50万円以下、減点25点としたが、
今までの判例を見ても最高の厳しい摘要を受けた例は少なく、大した期待はできない。
特に最悪の事故に対しても免許の欠格期間を従来の三年から五年にしただけで、再発防止の役に立つとは考え難い。

酒気帯びで掴まってもたまたま自分には‘運がついていなかった’としか思わず、法律は破るためにあるとばかりに張り込みの目をくらまして何度でも繰り返す人間は幾らでもいる。やっていることの犯罪性に全く気がついていない。どんなに軽い酒気帯びであってもその危険の可能性は大きく、起こってしまえば人命に関わる事故となることを考えれば、事故が発生していなくても即免許の取り消し程度のことはするべきであろう。何故なら説諭されただけでは再び繰り返さない酒飲みなど滅多にいないと考えるべきだから。多くの統計を見ても再発事故(酒酔い、酒気帯びの総件数の14.8〜17%)の多いことははっきりしている。一年間に取り締まりに引っ掛かる33万件(1998年)という酒酔い、酒気帯び運転者の数は、警察当局の操作で多少の変動は可能な数字とは言え、少なく見ても取締の網から逃れる数を加えれば倍になっても驚かない。 ---続く


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2005年5月25日 (水)

酒とタバコ その三

本論に入ろう。タバコを吸わない人でも多くは酒を楽しんでいるだろうと思う。さて、その酒のことだがこれが又、タバコ以上に有害な飲み物であることを心得ている人は意外に少ない。中国古代の漢書の中に「酒は百薬の長だが、飲み過ぎるのは決して良いことではない」と書かれている後半を、酒飲みが勝手に切り捨てて前半部分だけを誇張した結果が今に到った経過だし、日本でも吉田兼好が徒然草の中で「百薬の長ではあるが、万病は酒より起こる」と書いている。酒飲みの口癖に「適量の酒」があるが、適量の科学的裏づけは全くないし、それを心得て飲んでいるように見える酒飲みなどお目にかかった例(ためし)がない。

その挙げ句が道ばたや電車内など所構わないゲロになり、人に絡み、酒臭い息を吹き掛け、あちこちで喧嘩が起こる。呂律の回らない男や女、そう、この頃はメス虎も多く見かけるが、大虎小虎の辺り構わずの千鳥足で道行く人の邪魔になる。三月、四月ともなれば、卒入学、或いは社会人となった人たちの送別会、歓迎会など酒臭い人間が街なかに増えるが、バカな先輩、アホな上司の無理強いで急性アル中になり、死亡する人間が出るのもこの季節。

     酒税の総額    約 2兆円
     経済損失     約 6兆6千億円

     煙草税の総額   約 2兆3千億円
     経済損失     約 7兆円

上は最近のデータだが、タバコの経済損失が税の3倍も掛かっていると説く論が目立つが、アルコールも同じように膨大な経済損失が存在する。それは酒、タバコのどちらも医療費(酒:1兆円、タバコ:約1兆3千億円)であり、犯罪であり、事故であり、生産性の低下である。

    (アルコールの依存性)
     精神依存  ドラッグ無しではいられない気持ちになる
     身体依存  体がドラッグなしではいられなくなる
     耐性形成  ドラッグの量がどんどん増加する

以上を踏まえてアルコールをヘロイン、コカイン、覚醒剤、マリファナ、LSDなどと比較した場合、驚くことにアルコールの薬物性はヘロインに次いでコカインや覚醒剤、マリファナを抑えて堂々の二位に輝いている。(WHO;世界保健機関の発表)

当然アルコールも発癌物質であり、食道癌、口腔癌、大腸癌などは特にアルコールとの関連性が強い癌だ。(精神科医 林 公一氏)遡ればヨーロッパのタバコはコロンブスが持ち帰ったのを初めとし、イギリスの王室植物園で栽培され、一部の人たちの嗜好品となりつつあったのを、或医師が精神安定の効果があるとして患者に使用したこともあった時代を経て、現在の発癌物質の存在が認められ禁煙が声高に叫ばれる時代になった。アルコールにおいてもアセトアルデヒドの発癌性はっきりしているが、それ以外にはまだ明確な物質は解っていない。しかし、単純に考えれば現時点での分析能力が追い付いていないだけで、まだまだ見つかる物質があるかも知れない。誤解を恐れずに云えば、世の中に存在し口にする食べ物には全て発癌物質が含まれていると見ていいのだ。 ---続く

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2005年5月24日 (火)

酒とタバコ その二

これから論じようとすることは、タバコに発癌物質が含まれていようといまいと取り上げたいことはそれではない。タバコは酒と同じ本人の趣味嗜好の問題であり、マナーさえ守ればそれで良い。結果がニコチン中毒になろうとどうなろうと本人の責任である。それが自由というものだから一欠片(ひとかけら)の同情もしない。かく云う私も喫煙者であったが、何となく吸わなくなってから十五年になる。最初の一本を咥えたのが二十一歳の時、いきなり肺まで深く吸い込んでむせ返ったが、一、二度の吸引で落ち着きそれ以来両切りのピースを習慣とした。

三ヶ月ほどの喫煙で何気なく中止、半年休んだ後再び今度は半年の喫煙、また一年休んで次は一年の喫煙、次は二年休んで一年の喫煙、で三十一歳の始めまで休む。三十一歳からは吸い続け、六十一歳まで連続して吸い続けた。一日に60本を吸い続けるほどの年もあった。(睡眠時間を除いての60本は捨てる1本を火種にしないと消化し切れないほどの頻度になった)それから又何となく休んだまま、十五年の間1本たりとも口に咥えたことはない。
長いものには捲かれることを嫌い、上司と争い辞職までした父の生き方(後に会社役員は父を迎えに来たが、悪くない自分が謝らねばならぬなら、戻る意志はない、と言い切った)を、子供心に見事と思い、加えて敗戦を境にした価値基準の喪失は、私の幼い心に頑固な性格を形作らせて行った。“へそ曲がり”と罵られれば、それだけじゃない、“けつ曲がり”、“つむじ曲がり”を付け加えさせた。

頑固者にとってタバコを休むことはいたく簡単なことだった。買い置きのタバコを耳から煙りが出るほどに吸い尽し、次の日からはぴたりと休んでいる。口寂しくもない、代わりにガムや菓子なども必要としないでいる。頑固者の特技なのだろう。敢えて禁煙と云わないのはいつ何時又吸う気になるかも知れないからだ。皮肉屋で口の悪いバーナード・ショウは云った。『禁煙など簡単なものだ、自分は何十回もやっているよ。』---続く。


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酒とタバコ その一

またまた酒飲みの殺人事件が起こった。青信号を横断中の列に赤信号を無視(と云うよりも見ることも出来ないほどの酩酊ぶりだったのだろう)した暴走である。平成14年の改正で罰は厳しくなり、大事故の減少に多少は繋がったようだが、大方の酒飲みには痛くも痒くもないものだろう。
「酒を飲んだら運転するな、運転するなら飲むな」。幾度となく唱えられるスローガンだけれど、日本の世の中は酒飲みには特別に甘く、《酒の上のこと》は至って多めに見てくれるのだ。道ばたに転がっていようと、ゲロ吐こうと、臭い息を吹き掛けようと、喧嘩を売ろうと、そして酒を飲んで運転しようと(多少の酒の量を弁えた酒飲みがいれば、このような悪質な事故は起こらない)皆《酒の上のこと》となり、“覚えていない”で許してもらえるのだ。
カテゴリー【自由と責任】 若者たちの云う“俺たちの自由だろう”の自由。この言葉の本質が実は“責任”と同義語であることを全く理解していないのが現実だ。責任がとれるから自由があるのだ。
嵐が来るから中止しろ、を無視して遭難死してもそれは己の勝手、同情することなど無用。荒れる海で遊んで溺れ死んでも勝手、自己の責任の結果なんだから。
現在、タバコに関してはヒステリックとも言えるほどその害が声高に叫ばれているが、それ以上に麻薬に近い酒の害を説く人は少ない。これらのことを念頭に、長文になるので何回かに分けて《酒飲み天国日本》について書いて行こうと思う。

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2005年5月21日 (土)

男の化粧

女の化粧を書いたから、今度は男の化粧を、・・・・と書いて、ああ、気持ち悪い。
男のする化粧は昔は歌舞伎役者か、その類いのものに限られていたように思う。ところが今では、それこそ普通に使われている言葉どおり普通の男たちが美容院に通い、眉を剃り、髪を染め、ガード下や河原の浮浪者も負けそうな汚らしい髪ぼうぼうの頭にし、化粧をする男までが多くいるらしい。あの髪型はなんだろう、女々しい男としか言いようのない髪型はどう見ても不潔窮まりない。男女ともに西洋コンプレックスで染めた髪の色は日本人の皮膚とは合わず、玉蜀黍のひげのよう。
今まで生きて来て見苦しいものの最右翼に歌舞伎の女形に指を折って来たが、(通は云う、女よりも女らしい、と。どんな目をしているのだろう。よく女が怒らないものだ。どんな醜女でも女形ほど醜い女はいないぞ!反論はあるだろう、玉三郎がいるぞ!って。しかし、所詮男だ。)反対に宝塚の男役もまた汚らしい。絶対に男ではないし、女でもない。男性の導入を検討するべきだ。もともとは温泉客への娯楽を目指して創業者はそこに劇場をつくったものだ。
本文に戻ろう。先の女の化粧で触れたが、札幌オリンピックでジャンパーの舟木が剃って一躍有名になった眉毛はその後、俺も俺もと世の男たちに流行し、今では女の昆虫の触覚の眉のように蔓延している。同じように今はアメリカで人気のオリックスにいた野球選手だが、アメリカに行く一年ほど前から子供顔を隠すために似合わないヒゲを伸ばし、醜いひげ面が日本の野球界に蔓延する切っ掛けを作って日本を捨てて去って行った。今日本の野球界はそのような醜くいひげ面と伸ばし放題の髪のオンパレードだ。加えてアメリカから渡って来た悪癖にチューインガムがあり、くちゃくちゃと咬みながらの打つ、走る、投げる、捕るだ。情けないことに耳にピアスの女々しいやつまで出て来た。テレビで野球を見るのもその汚らしさに耐えるだけの覚悟がいるし、面白さも半減する。
清清しい男よ、出て来てくれ。


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2005年5月20日 (金)

女の化粧

1瓜ざねに2丸顔3長顔に4四角顔・・・と顔の形の良いとされて順に表した昔の評価。
街を歩いていると前から一人、二人、三人・・・・十人、百人。
顔の形は違っていても老いも若きも全員が共通の化粧の流行が目につく。見ようによれば全員昆虫に見える。瓜ざね顔の油虫、丸顔のてんとう虫、醜く太った蛾。
その顔には判で押したような細くて跳ね上がった昆虫の触覚そっくりの眉毛が描かれている。テレビの中のタレントと雖(いえど)も例外じゃない。稀に貴重品のような下がり眉もあるが例外だ。一時コンビニエンス・ストアでも見かけたが、言葉どおり判で押す道具の眉毛を象ったハンコが売られていた。うただひかるとか云う歌手を真似たくて流行ったものだったが今は見かけなくなった。それ程皆が真似することが上手くなったのだろう。日本人の骨格からも無理な角度で吊り上げ、生える筈のない場所まで引っ張る。それだけではない、髪は日本人の美しい黒髪を嫌い、西洋コンプレックスで赤く染め、敗戦後のガード下で寝起きして伸び放題に伸びた虱だらけさながらの毛髪がその昆虫の眉を取り囲む。(余談になるが、男性も同じ、札幌オリンピックのジャンパー、舟木が広めた眉毛を剃る化粧、同じように圧倒的に若い男たちに流行し、女然とした真似が流行っている。髪についても同じ。ガード下の浮浪児そのままの様子には、見るだけで痒くなる。)このように無茶苦茶な化粧をカリスマと呼ばれる丸っきり美的センスのない美容師が、さすが、と云われて高い金額を取り上げて作ったものが手本となる。
長く伸びた髪は当然のように顔に懸かる。その散らばる毛をしょっちゅう手で梳る。見苦しい動作だし、もしもこんな手で料理されたものなら口に入れる勇気はない。
何時の頃からだろうか、可愛らしい下がり眉の女の子が街から消えたのは。


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身支度

美術館に向かった車中で出会った見苦しい風景。通勤ラッシュを過ぎた時間ではあったが、途中駅に停まった電車に乗り込んで来た普通の若い女性。
何処かに出かけると必ずと云ってもいいほど一人二人は見かける風景だが、この日はそれに輪をかけて酷い無様なショーだった。
のり巻きのおにぎりを頬張りながら悠々とご入場。片手にペットボトルが握られている。凄い女がいるもんだ、と感心したが、それからがもっと凄い。どう凄いかを書いてみよう。
次の駅で停車したとき何気なく横を見た。いた、のり巻きを食べ終わった女はペットボトルのぐい飲みを始めていた。こうなれば何時もの観察欲が湧いてくる。飲み終わった女はやおらバッグにまだ残るお茶のボトルを放り込むと、大きく開いたバッグを覗き込み、次なる作業の用意を始めた。次から次と取り出した小物を膝に並べる。先ず鏡を手に取り覗き込む。手慣れた順番で顔を塗る、何度も何度も鏡を覗き込む、眉を引く、口紅を塗る、ご叮嚀に睫毛のカールに口を歪め、目を剥く。この間地上を走っていた電車は地下に潜っていた。凡そ20分間、この女が作業を終えたのは見計らったように自分がおりる駅に着く直前だった。誰よりも先に出口に立ち、開くと同時に乗り込んで来たときと同じように悠々と降りて行った。
毎日このような繰り返しをしているのだろうか。あまりにも汚らしいものを見て、綺麗なミュシャの絵も汚れて見えた。
同様にこのようなことを車内でする女性たちは家を出る前には鏡を見ないのだろうか。化粧がしたいのなら必要な時間の余裕をもてるように起きられないのだろうか。電車内での作業には周りに蒔き散らす化粧品の埃が舞う、香水の匂い、誰でもが好む香りではない。
偶然、次の日のテレビで街頭録音をやっていた。電車内の携帯電話とお化粧、どう思う、という内容。
概ね携帯電話については良くない派が多かったが、中には高校生ぐらいにしか見えない女性のグループへのインタビューはこうだ。「携帯は迷惑だと思うけどオー、化粧はねー、仕方ないよねー、時間がねー」その喋り方なんとかならないのか! こういう連中が多くなっている今の日本の女性。
どうしてその分、早く目を覚まさないのか。そう云えば飛び込んで目の前に立たれた女の口臭にもうちょっとで嘔吐しそうになったこともあった。女性専用車輌を作ってくれてありがとう。
親はどうしてるのだろう?親のいない子たちなのだろおうか。こういう現象を見る度に親の責任、教育、躾の不足を嘆かわしく思う。

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2005年5月17日 (火)

1こ、2こ、3こ

テレビ、街中の会話。お互いに年令差、学年差を数えるのに数の単位を知らない若者が多くいる。
私は1こ上、或いは下、と云った使い方である。“こ”、とは形を持つ固体の数え方で、1つ、2つとは言えても“こ”はない。
ならば、二十歳の成人式は20こになったお祝なのか!と聞きたくなる。
先に挙げた例では当然一歳上、或いは下、一年上、或いは下と云わねばならない。
もっと酷いのは他人との会話の中で、自分の両親を表現するのにお母さん、お父さん、と馬鹿を丸出しの言葉を使って、母が、父がという表現が使えない。
小学生程度ならまだ許せるが、二十歳を疾うに過ぎたようなものまでがこうである。
知能の程が解ろうと云うものである。
これはひとえにこの程度のことも教えられない現在の親の教育、躾の未熟なところだろう。
学校教育以前に家庭での親の責任として見直す必要を痛感する。

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2005年5月16日 (月)

おかあさん

先日買い物先のスーパーで、女の児の声が聞こえた。“おかあさん”思わず振り返った。
足元には三歳くらいの本当に可愛らしい児が大きく上を向いて近くのお母さんを見上げていた。
何と響きの良い言葉だろう。私の子はすでに三十五歳になる男だけれど、
彼が口にして育てたのを聞いて以来私の生活圏からは一度として耳にすることがなかった。
周りはアメリカかぶれのママ、でありパパで埋め尽くされ、日本人であることを忘れた人々でなっている。
余りの心地良さに失礼を詫びてお母さんに声を掛けた。二十代の若いおかあさんの返事はこうだった。
“ママなんて呼ばれたら気持ちが悪い!”重ねて非礼を詫びて去ったが、アメリカとの戦争で死んだ肉親を持ち、
鬼畜米英で教育された世代にはママ、パパにはどうしても馴染めない。

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